カッサンドラ
<獏良>

 以前無理に連れて行かれたギリシャ悲劇で、カッサンドラが泣いていた。

 …カッサンドラって言うのは古代のとある女予言者のこと。美女で神にまでプロポーズされて、しかも愛の証に百発百中の予言の力まで貰ったんだって!
 だけど、相手の神って言うのが実は名うてのプレイボーイで、泣いた娘は数知れず…なんて具合で。カッサンドラは結局自分から振っちゃった。
 それでまあ仕方無いけど相手の神は腹を立てて、だけど一度贈った物は取り戻せなくって。でも気が収まらないらしくって、何と彼女の予言に誰も耳を傾けないって言う呪いをプラスした。

 カッサンドラは泣いていた、未来が見えても誰も信じてくれないから、結局未来を変えられないと…
 まあお芝居だしホントの涙は無かったけど、むしろ涙は流して無いって設定かも知れないけど…でもやっぱり泣いていて。
 それでもその時は。未来が見える癖に贅沢な人だなあ、そう単純に考えてた…


 そうじゃ無い。

 そんなんじゃ…無かった。



 いつもぼくが何も出来ずにいる内に、何もかもが進んで行く。
 天音の時もそうだった、その後もずっと同じだった。
 ぼくがリングを身に付けて、『あいつ』が現われ次々友達を奪っていったあの頃も…そして最初の闇のTRPGの時だって。
 …そりゃ、一矢位は報いたけど…

 でも、それだけ。

 ぼくはもがいてもがいてひたすらもがいて。動けないまでもせめて…そう思って。
 何が起きているか、判ればいいのに…そう、必死で念じていて。

 やがて。リングの力かその力を授かった。
 何が起きているか。ぼくにも段々に見える様になって来た。

 だけど…


 見えなくて、何も出来ないのと。
 見えるけど…出来ないっての、どっちが本当に地獄だと思う?



 …朧な意識の中でぼくの心はリングの『あいつ』とリンクして。ぼくは『あいつ』の視界で世界を見る。そりゃはっきりしたものじゃあ無いけれど、もう見たくないって思ったって、もう自動的に映像が来る。
 拒否権なんてありはしない。
 『あいつ』の中の何処までも空虚な闇、そしてその闇のさらに奥、『あいつ』を闇に堕としたそもそもの原因の…酷く荒んだ思いの数々。
 …もう、干からびてミイラみたいになってたけど…

 だけど…だけど。知れば知る程、ぼくは無力感に苛まされる。ただ恐れて憎めばそれで良かった筈の『あいつ』さえ、まだかすかに血の通った人間の名残を残していて。なのにそれすらとてつも無いスピードで、どんどん喰われ消えて行く…
 …本当の闇、ゾークに!


 ああ!駄目だ…あんな奴の手に落ちるな!お前はまだ、わずかだけどお前自身の筈だろう?
 なのに…何でそんなに遮二無二に、破滅に向かって疾走するんだよ!
 ぼくはいつしか『あいつ』に向かって、声を必死で張り上げていたけれど…でも。
 『あいつ』はもう、何も見ない。叫んだって聞こえやしない…

 ぼくが『あいつ』を見ているなんて、『あいつ』はこれっぽっちも信じやしない。



「何…してるんだよ…」
 全く閉ざされた闇の中。ぼくは何も出来ずに漂っている。身体の支配権も奪われて、ただ浮遊霊みたいにだらだらと…
 ただ。あの不思議な感覚…『見える』能力それだけは、今もまだ健在で。
 だからこそ…割り切れない。

 ワンサイドゲーム…『あいつ』がそう言って笑うのが、遠くかすかに聞こえて来る。
 ああ、お前はどうしてそうなんだよ?誰にとってのワンサイドさ?
 お前はお前のために闘っているんじゃ無い、お前の勝ちは勝ちじゃ無い、お前が贄にされるだけ。
 止めろよ!そう、声を枯らして叫んでいるのに…!
 …誰の呪いかリングの力か。ぼくの思いは弾かれたみたいに届きやしない…



 判らないのか!?
 ぼくはもう、お前を憎んでいるんじゃ無い!
 お前に…お前には…


 生きていて欲しいんだよッ…!




 ああ…カッサンドラの嘆きが聞こえて来る。
 そう、何もかも見えながら…誰も彼女に耳を傾けず、勿論自分でも何も出来ず。
 自分の悲惨な末路すら、奴隷とされて惨劇の館で血潮に伏す運命すら、あらかじめ見てしまっていた哀れな女予言者よ…


 だけどお前は知らないだろう、己のさだめを知るより無惨な事を。


 最も近くて遠い相手にこちらの声すら届かぬまま…

 何も出来ず…破滅の目撃者にしか、ぼくはなれないんだよ。


>>後記へ
>>トップへ戻る 無料ホームページ掲示板