闇の古代単語帳 『ウハァ』
<子バクラ>

 男が如何にも得意気に、小さな飾りの品を見せびらかす。
「見ろよ、結構凝った出来だろ?」
「…凝ったも何も…」
 白い髪の子どもは思い切り顔をしかめる。

「そいつ、『ウハァ』じゃねェかよ」


 ウハァは奇妙な魚である。なまずの様な髭のある、その面相こそ愉快だが…何故か、腹を上に向けて泳ぐのだ。ぷかぷか逆さに浮かんでいるものだから、てっきり死んだものと思って捕まえると途端にばたばた暴れ出す。バクラも以前胆を潰した事がある。
「気色悪い魚ぜ…死んでるんだか生きてるんだか判りゃしねェしさ」
「全くお前は子どもだなァ、こいつはありがたい『まじない』になるんだぜ?」
「…『まじない』?」

「溺れてぷっかり浮いてやがる…そう思って陸(おか)に上げりゃあ生き返る、こりゃ水難防ぐ相があるってな!」
「って、この『ウハァ』がかあ?」
「おっと可愛げのねえ餓鬼だなあ、はばかりながらこのオレはよ、産湯のたらいで溺れたってぇ程の金槌だがよ、死んだ婆さんがくれたこいつの御利益で…今日の今日まで生きてこれたってぇ寸法さ!」
「…どうだかな…」
「おお何だその面ァよ!全くよォ…餓鬼ってモンは可愛げだけが取り柄だろ?てめェ髪に合わせて中味までよ、爺むさくするこたァ無いだろがよ!」
 陽気な男は笑いながら、醒めた子どもの髪をぐしゃぐしゃにする…
「…わー!!何しやがる!!痛ェ、痛ェって!」
「ハハハハハハハ…」


 男はそうして笑いながら、例の『ウハァ』を押し付けた。
 おめェも泳ぎは不得手だろ?…付け足しの様に言いながら…

「こんなモン、貰ってもなあ…」
 ぶつぶつ文句を言いつつも、男に悪気が無いのは判っていた。
 何かと世話を焼きたがる、なかなか気のいい男だった…
 …あのお節介ぶりには時々閉口させられるが。

「ま、どうせタダだしな…」

 玩具の様に手で放ると。
 カチャリ、金具が小さく鳴った。



 その日。バクラはたまたま河のほとりを歩いていた。そして何の気無しに河を見た。
 常と変わらぬ、ナイルの流れ。ただ、泰然自若と下流へと…
 
 だが、河に何かが浮いている。
 腹を見せて、流されて行く…

「…!!」

 幼い子どもは硬直した。
 浮いているのは人間、眼を完全に見開いたままの人間…
 しかしそれは知った顔で。

 あの、『ウハァ』を譲った男に間違い無い!


 呆然とするバクラの前を、物言わぬ死体が流れて去って行く…もう遠い。
 思わず無意識に後退りした所で…何かがカチャリと音を立てた。

 そう、あの…水難避けの『ウハァ』!!

「ひっ…」

 急に恐ろしくなって飾りを捨てようとしたのだが、金具が服に引っかかった。焦って必死で外そうとしても、何故か呪いの様に外れない…

「うっ…」


「うわあああああ!!」


 子どもは闇雲に走り出す…その後をかちゃり、かちゃり音が追う。
 とにかく村に帰りたい、その一心でとにかく走る…


 それはまだ、子どもの『村』があった頃の事。


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