蛇尾鶏魔


 辺りはまだ暗いが、ルキアの朝は一番鶏よりもまだ早い。
 何せ、やる事なら掃いて捨てる程あるのだ。酒を飲んで当たり散らすしか能の無い父親の借金の尻拭い、また病身の母の心労を少しでも和らげるための家の中の雑事…今日は狩りにも出るつもりだから、これ位に始めて丁度良い。水酌みを済ませ、小さな鶏小屋の様子を見がてら卵を採りに…
 勿論、『鏡』は忘れない。

 古老の話では鶏小屋に行くのにいちいち『鏡』を護身に携えるのはこの近辺だけの習慣だそうだ。成程、危険が無ければわざわざ鶏小屋に『鏡』を持ち込む事も無いのだろう。
 いや、そもそも。…ルキアが自ら『鏡』を手に取るなんざ鶏小屋に行く時だけ。誰が好き好んでこんな顔を見たいものか。己の容姿を思い、少女は皮肉に自嘲した。


 備えあれば憂い無し。今朝も今朝とて悔しい程に何事も無く。いささか憮然となりながら少女は朝の一仕事を済まし終える。わざわざ取り出した『鏡』を仕舞い、代わりに狩り道具を手に取ろうとした…まさにその時。
「ルキアー!ルキア、頼む助けてくれ!」
 途端、渋面。…古老が常々言う通り、事の無きを憂しと思えば日常はたちまちにして牙を剥くものだ。



「で、何だよ」
 こんな朝の早い時分、しかも相手は近所のいけ好かぬ奴…雀斑だらけの弱虫アインス。そろそろ十五と言うのに親が甘やかすから働きもせず、歳より随分に餓鬼の癖に悪口雑言だけは一人前と言う最悪な野郎だ。それだけでも気分が悪いと言うのに、アインスの奴め、今朝に限って少女を「ルキア」と名で呼んだ。
 「ルキア」は当地の光の女神の名前である。それを少女の醜い容姿に似合わぬと、村人達は嘲って、悪意で付けた徒名で呼ぶ。しかし今日に限って真っ当に呼んで頼み事とは…ますます嫌な予感がする。
「早く言えよ!」
 元々がさつと短気で鳴らした少女の事、苛々のままに怒鳴り散らす…と言っても煩い近所をはばかって、それでも随分小声だが。
 とにかく、向こうはがたがた震えるばかり。
「言わなきゃ分かんねーだろ!」
「か、か、母さんが…」
「が、どうした?」
「鶏、鶏を見に行って…」
「鶏小屋!」
 ルキアの全身の毛がぴりぴり逆立った。思い当たる節がある、こいつの家には自慢の鶏小屋がある筈だ。少女の家の粗末極まる物とは比べ物にならない大きさの…
「コカトリスか!」
「で、でかい声で言うなよ!」
 少女より遥かに年上の少年は、既にして涙声である。


 ここ、東方は猟虎領から程近く、魔性の砂漠の広がる恐怖の土地がある。元々蛇とは所縁浅からぬ東方の事、砂漠に住まうバジリスクが越境してやって来る事も度々に。石化の能持つかの王蛇の事、その襲撃も侮り難き脅威だが、やはり鱗虫の悲しさか、連中鶏の鳴き声にだけはどうにも弱い。さればこそ、およそ貧富に依らずして、当地の人間は皆々鶏を飼うのだが…
 逆に。時折自然の気紛れで、王蛇と鶏の間に子が産まれてしまうのだ…

 その名も不吉なコカトリス。

 父親の呪われし邪眼を受け継ぎ石化の魔力を有する故、その悪意の視線を除けるがため、人々は『鏡』持参で鶏小屋に通う…


 舌打ちする。たとえ恐ろしきコカトリスとて、そう頻繁に出るものでは無い。だから時に油断して、とんでも無いへまをやらかす御仁が後を立たない。この餓鬼の親ならありうる事だが…
「何でここまで来るんだよ!親父さんはどうしたんだよ!」
「い、いないから頼んでるんだろ!」
「いない?何でまた?」
「だから!山向こうの親戚の家の集まりだよ!明後日まで帰らないから!」
 そんな事知るか。…余程そう答えてやろうかと思ったが。
 コカトリスを野放しにするはあまりに危険過ぎる。

「で?小屋の様子はどうなんだ?」
 仕舞ったばかりの鏡を取り出し、物置の中をさらに探りつつ、鋭く尋ねる。ところが少年の方と来たら質問に答える所では無い。
「何やってんだよ!とにかく早く来てくれよ!」
「…仕度がいるんだよ」
「仕度って何だよ!母さん死んじまう!急げって…」
「………ヘンルーダは?」
「へ?」
「へ、じゃねえよ!ヘンルーダ!お前ンち、どうせ用意してねえだろ!!」
「あ…」

 『鏡』と並んでコカトリス避けに重宝なのが稀代の薬草ヘンルーダである。雫形の良く枝分れした葉と黄色の十文字の花が遠目には愛らしい草なのだが、その臭気は凄まじい。薬効もまた劇的、およそ全ての毒…殊に、邪視を素晴しく良く防ぐ草なのだ。
 たとえ不運にコカトリスの邪眼の餌食となったとて、身体中が冷たき石となったとて、ヘンルーダの汁をかければたちまちに皮膚も柔らに血が通う。…遠方の大神殿の神官ならば祈り一つで同じく奇蹟をなしてくれようが、ただの平民にそんな寄進なぞまず望めぬ。
 この辺りでは群れて咲くも珍しく無く、また上物は暗殺に怯える貴人方に大層な値で売れるから、まめなルキアは毎年欠かさず刈っている。

「だ、だってよ、あの草、手が酷い事になるから絶対触るなって…」
「馬鹿、手袋するんだよ」
 舌打ちしながら今年摘み立ての緑の束をごっそり抱えて立ち上がる。…野にある物は花も終わり、薬にするには力が弱い。今年の収穫は得に上物、こんな腐った餓鬼の母親なんぞに使うは悔しいが…
 物置を出た所で、またぞろ招かれぬ客がやって来た。


「お兄ちゃん!アインスお兄ちゃ〜ん!!」
 聞き慣れた、煩い泣き声が走って来る。歳はルキアより上の十二歳、顔だけはそれなりに可愛いが、兄貴に似て馬鹿で薄のろで泣き虫の妹。
「お、おいツヴィー!馬鹿、そんな大きな声だすなって!」
 アインスの所の卵は、街の商家にも卸しているし幾つか貴人の得意先もある。街の人間はここらの者ほど怪異に慣れていない。それだけに、コカトリスなんぞを出したと知れたら大事なのだ。
 …まあ、流石のツヴィーも多少事態が飲み込めると見て、何時もよりは幾らかましな泣き声だが。
「だって…だってぇ、お兄ちゃん何時まで経っても帰って来ないんだもん…」
 ぐずぐずと鼻を鳴らして。兄貴にしがみついて、えぐえぐと泣きじゃくる大仰な様子にいささかルキアも白けた気分に。…妙に脱力して、見るとも無しに傍観してしまう。
 と。突如ツヴィーが眼を剥いた。
「この!」
「わ!?」
 いきなり血相変えてルキアへと駆け寄ると、ヘンルーダの束ごと渾身の力で突き飛ばす。如何に体術優れたルキアと言えど、こう虚を付かれては堪らない。不様にもんどり打ってしまう。
「お、おいツヴィー!」
 妹に酷く甘いアインスもこれには流石に胆を潰した。

「ツヴィー、ルキアしか頼れないんだ、分かってるだろ?」
「だってぇ、こいつ、人殺しだよ!」
「え?え?」
「お兄ちゃん!だってこれ、『流す』毒草だよ!」
 ヘンルーダをびしりと指して、独り激高。相変わらず兄のアインスはおろおろするばかり…だがルキアには漸く話が見えて来た。

(あの女、また餓鬼が腹にいやがるんだな…)



 子が子ならば親も親、二人の母親は最悪である。器量ばかりは上々だが、頭は南瓜の様に中空じゃないかと思う程、酷く愚かで姦しい。しかもその上、無礼な事に、面と向かってルキアの母親を石女(うまずめ)呼ばわり。それも、ルキアが自分がいると反論すれば、まだら模様の肉塊なんぞものの数にも入れられぬ…と。
 馬鹿な女の子は例の二人にもう二人、都合四人。産んだ数なら上がいるが、四人が四人、揃いも揃って頭はともかく身が丈夫、流行病にも一度もかからず済んでいる。それはそれとして確かに自慢な事だろうが、この上さらに子が増えれば、高慢の病もさらに膏肓に入る…さぞかし得意げにルキアの母を、器量の良さでは生涯叶わぬ麗人を、見下し苛めにかかるかと思うと気が滅入る。
 それでも。

 上の二人と大違い、八つになる弟ドリンは歳の割りに幼くて、それでいて俗な風に毒されずいまだ可愛らしさを残しているし、四歳になったばかりの末の妹のフィアもまた、純粋無垢な幼子である。如何に難ある母親とて、子にしてみれば実の親、失ってはさぞかし辛かろう。それに腹の赤子に罪は無い…

 …!
 つらつら考えるルキアの脳に、電撃が走った。


「おいお前ら、チビ達はどうした!」
「え…そ、そうだよツヴィー、お前はドリンとフィアを見とけって言ったろ!何でここまで…」
「だってだってぇ、フィアは何やっても泣くしぃ、ドリンはお母さんがいないいないって騒いで歩き回るし…」
「歩き回るって…おいツヴィー!」
 これにはルキアも血相変えた。

「鶏小屋、小屋には鍵は掛けたのか!?」
「な…鍵を掛けたら母さん閉じ込められるだろ!」
「じゃなくて!チビ達がうっかり入っちまったらどうすんだよ!」
「…!」
 兄妹の顔も蒼白となる。


「畜生、急がねえと…」
 折角取り出した鏡を捨て、さらにヘンルーダの束から乱暴に、葉を幾つか引き千切って口に放り込む。生葉だけに、酷い苦味で舌まで麻痺しそうだが仕方無い。ついでに乱暴に手で揉み潰し、後で死ぬ程腫れるを承知で汁を眼の回りに塗りたくる。草の束は投げ捨てて、物置の置くに仕舞って置いた、鋭い牛刀取り出して、刃の様子を確かめる。
「な…お前、何やってんだ…」
 頭の鈍いアインスはルキアの突然の行動に眼を白黒。
「何で鏡もヘンルーダ捨ててるんだよ!これが無きゃ…」
「お、お兄ちゃん!?何言ってるのよぉ、あれは毒!」
「な、お前こそ何言ってるんだ、あれは邪眼除け…」
「堕胎薬でもあるのさ…腹の子に障る」
 さらりと、ツヴィーの激高の理由を告げてやる。十五になるのに、兄の方は眼を剥いて、赤くなったまま動けない。血と言わず赤子と言わず、子の室の中味を全て外へとぶちまける、とてつもない薬効故に高い値も付くのだが、愚かな兄はまるで知らぬ口と見た。…女の身に産まれた分、存外妹の方が賢いと見た。
「…それにな、チビども…特に小さいフィアにはな、ヘンルーダは強過ぎる。下手をすりゃ、石化は解けたが命が無いって事にも…」
「縁起でも無い!」
 真っ青になりながら大声で叫ぶ。…ちょっとばかり小金があるからと、他人に対しては無礼失礼傲岸だが、家族に対しては違うらしい。
「けど…じゃあ、どうすりゃいいんだ?」
「簡単だ」
 駄目押しにもう一口、苦い草を噛み潰す。口に溢れる不快な汁を、手に吐き出して塗りたくりながら…
「コカトリスの生き血を使う」



 ツヴィーがまた泣いている。ルキアが危惧したその通り、家の中にはチビおらず、やはり小屋へと向かったと見える。その件(くだん)の鶏小屋は、入り口ほんの少し開いていて、中で鶏の騒ぎで姦しい。…子どもの声はまるでしない。
「石にされちまったか…」
「そんなあ!」
 ツヴィーの泣き声はより一層、お前のせいだろと拳の一つも食らわせたいが大事の前の小事、ぐっと我慢。おろおろするばかりの兄妹は捨て置いて、小屋の様子を急ぎ検分。幸い風は東風、小屋の扉も東向き。
「奴が逃げた様子は無いな…」
「本当か…?」
「昨日までは何とも無かったんだろ?つまり奴は今朝方孵ったって事だ。…連中、やっぱりお天道様とは相性悪いらしくてな、暫くは日差しも浴びられねえ。今、まだ扉に日が当ってるだろ?外には出るのはまず無理だ」
「へえ…」
 全く村一番の鶏小屋持ちの息子の癖に。コカトリス避けのあれこれは、鶏の飼い方の基本であるのに…
 とにかく、まずは邪眼の主を退治ねばならない。


 再び苦草の生葉を食して眼の回りに塗る。すでに皮膚がひりひり痛むが、邪眼相手なれば眼には眼を、眼力努めて強めるが肝要である。邪視を防ぐだけあって、ヘンルーダは眼にも大層効く。…ただし、生の汁は肌を酷く荒すのだが。
 痛みの方は気合いで忘れ、小屋の壁に手を着いて中の様子を『心眼』で探る。かつて剣豪で鳴らした古老の元、修練重ねたルキアにすればこんな薄壁なぞ水晶に等しい。
 やはり、と言うかコカトリスの姿が一体感知できる。思ったよりも育ってはいるものの、やはり日光怖いか小屋の奥に逃げ、日差しと逆の方角をきょろりきょろりと探る様子。
 小屋の向かって右手には、一人倒れる姿あり。恐らくは例の母親…それに小さな幼子達も。ルキアの不吉の危惧通り、皆…石である。
 ルキアは独り、唇を噛んだ。


「本当に平気なの?」
「…ああ」
 火打石をかつかつやりながら、おざなりに答えてやる。上がる火花を生乾きのヘンルーダの束へと。強烈な臭いと煙に思わずむせるが、ツヴィーの案ずる先は当然の如くルキアで無く。
「煙でも…」
「毒にはならない。人間には、な」
 紫がかった煙は風に吹かれてたなびいて、小屋の中へと吸い込まれる。一時、鶏の様子が一層騒がしくなり…頃合と見て利き手に牛刀、反対にはヘンルーダの葉の幾つかを。相手の魔力に抗するべく邪眼避けに塗りたくった顔の汁に意識を込め、一気に戸を開け躍り込む。
 酷く燻され視界が悪い、それでも鍛え抜かれたルキアの『心眼』、小屋の奥にて煙に巻かれ、眼も開かずに頻りにせき込む魔獣の姿が。雄鶏に背格好は似ているものの、首がひょろりと奇妙に長く、何より尾羽が無くて蛇の尻尾が生えている。ここで鏡を使えば片が付く…だがそれでは肝心のコカトリス、その身体まで石と化し、厄介な犠牲者蘇生のための生き血が全く手に入らない。
 一瞬が勝負…煙にいまだ眼の閉じられているを頼みにし、ルキア一気に地を蹴り走り出す!

「クウェア!」
 奇怪な声とともに瞬時に振り返る、コカトリスの眼が確かに開いていた…!!



「あ…?」
 もはやこれまで…思わず覚悟も決めたのだが、何故にか己の意識はある。恐る恐る利き手を見るに、牛刀確かに鮮血滴らす。首をそろそろ下へと向けるに、地に転がるは首無しの屍体と…
「…!」
 思わず眼を背ける。胴と切り離された首、死してなおその眼に邪悪の眼光宿している。命こそあるが、ルキアの身体は奇妙に動きが難しい。不完全とは言え、石化は既に始まっているのだ。
(死ぬ…?)
 一瞬恐怖が身を包んだ。

「ルキア?おいルキア!?」
「母さんは!?どうなのよッ!」
 不意に怯える声に眼を覚まされる。自分は随分な時間、惚けていたらしい。焦れた様子のその声は、今にも小屋へと入らんばかり。
「ま、待て!まだ、来る、な、よ!」
 舌まで幾らか不随である。
(くそっ!)
 片手にまだ握ったままの、ヘンルーダを一口…口に運ぶにも異様に手間かかる…無理に噛み潰し、酷く嚥下の能落ちた、己の喉に流し込む。全身痺れる中にも味覚だけは上等で、きつい苦味が胃に堪える…が、霊験あらたか。漸く手足に暖かみが戻って来た。
 今一度、残りの数葉を握り締め、極力下に眼をやらずに…半ば手探りで魔物の首を苦草で包み込む。
 漸く一息付けた。


「わあ!止めろよ!」
 のっそり出て来たルキアのその手の、今だ血の滴も新しい恐ろしき生首を見て弱虫アインス大いに飛び退く。…それでもツヴィーをしっかり庇う辺りは存外漢である。
「大袈裟だな、邪眼はもう粗方潰してある」
「…本当か?嘘じゃ無いよな?」
 苦笑して、いまだくすぶる苦草の山の中、ヘンルーダの煙の中に放り込む。
「後は火霊が始末を付けるさ…それより、手伝えよ」
 一番の大仕事…石と化した母子三人の蘇生はまだこれからだ。



 藁で作った即席の血止めの縄を引き千切ると、真っ赤な血飛沫噴き出した。
「ひいっ!」
「バーカ、この血だって売れる所に持ってきゃ、良い薬ってんで高値が付くんだぜ?」
 予め並べて置いた母子に次々振りかける。子ども達には額の辺りと心の臓、母親に対しては腹の上まで万遍無く。凄惨な眺めにアインスの顔色は石より悪い…とは言え。
「ちょっと…母さんもだけど、ドリンとフィアにもちゃんとかけてよッ!」
 泣き虫ツヴィーは変わらず威勢が良い。こいつ、意外に血に動じない、しかも普通の…鼻にかかった変な声ではない…声も出せるんだなと、妙な所で少々感心。
「あのな…ヘンルーダ程じゃねえけど、コカトリスの生き血だぜ?過ぎたるは毒、特にこんなおチビにゃな」
「ほんとう…?」
 疑惑の眼、じとり。
「それよか腹の餓鬼が心配さ。余程きっちり親が戻らねえと、十月十日で石が産まれる…て事になりかねねーぜ?」
「冗談じゃないわッ!!」
「…っ、急にデカい声出すな、耳いてェ」
「けど、けどよ、何とかならねえのか?」
「う〜ん、聞いた話だけどさ、」
「何だよ!」
「心の臓の辺りに血を擦り付ける様にしてやると、黄泉帰りが早くなるってさ」
「本当か!?」
 言うなり母親に手を延ばす、馬鹿の頭をぶん殴る。
「いてッ!」
「バカ、てめェ母ちゃんの乳飲んでる歳でもねーだろ!おい、ツヴィー!」
「はあーい」
「え、え、俺は?」
「チビだよチビ!生き血も使えねーし、ただでさえチビは戻りが遅いんだ!心の臓、直に揉みほぐす位の気でやってやれ」
「お、おう…」
「おい、ちゃんと『戻って来い』って念篭めるんだぞ!…ま、血の繋がった奴がやるとエラく効くって言うしよ…」
「ほ、本当か!?」
 途端に生気の戻った顔で、小さな家族を言われた通りに処置し始める雀斑顔の弱虫アインス。いけ好かない奴ではあるが、こう言う眺めは悪くない。

 『血の繋がり』云々は全くの迷信だが、存外嘘でも無いかも知れない。ルキアの優れた『心眼』は、必死の兄妹の手の下で、すでに血の筋脈打つ様子をまざまざと捉えていた…



 ふと、以前古老の書庫で読んだ話を思い出す。
 西の大陸のさる大国の、片田舎の納屋の中、突如としてコカトリスが現われた。納屋の持ち主の百姓は、その邪眼に見られずして衝撃のあまり心の臓の動きを止めた。丁度六月(むつき)の女房も、一声鳴き声聞くだけで恐怖に張り裂け子を失った。その噂を聞くだけで驚きに倒れる者病に伏す者数知れず、人々は取るも取り合えず凄まじき勢いで逃げ出して行き…近隣の名のある戦士達が呼び寄せられたが魔力を恐れて何も出来ず。
 遂には正規軍…王宮付きの騎士団と、宮廷魔術師の一団が隊列仕立ててやって来る事に。

 王国の威信を賭けて、しくじる訳には行かず。並々ならぬ意欲を持って、格別の精鋭だけを選りすぐり、件(くだん)の当地へ行列姿も賑々しく。あたかも百万の軍を仇とする如く。その綺羅星の如けき凛々しさに、沿道の民衆も歓呼の嵐。
 そして。遂には例の物置小屋。定石通りの包囲網、一分の隙も弛みも無し、蟻の這い出る間隙も…

 だが。
 王国制式堅牢の、ロングスピアの貫いた物は。

 ただの、張りぼて…


 行きとは違った必死さで、王国軍が調べるに、見つけ出されたるは一人の若き時計職人。さる名も無き優れた親方に、幼少時より師事していたのだが、師匠の技の巧みさが世に埋もれて消えるは惜しい…とばかりに伝授の技を巧みに用い、生けるが如き魔性の姿を作り上げたのだ。これ程大事になるとは思わなかった、多少世が騒げば程度の意図だった、涙ながらの平身低頭、実際かの者に悪意皆無は明らかなり、軍が動く遥か前、あれは実は己の悪戯なりと必死に告げて回ったと言うのに…それを信じた者こそ無かったが。
 自らが愚かさの代価と言えど、国の威信に泥付いた。これを晴らさずして…とばかりに処刑の嵐。まずは例の職人、その上技の伝授が罪とばかりに親方も、さらに連座でその係累、小事を軽率にて大事に仕立て上げたが咎なりと王都に救援求めし領主とその一党、詰まらぬ事にて土地離れたるが罪と一体の民草…さらに惨くも痛ましきは、件の納屋の持ち主が一家、そもそもその恐慌振りが此度の事態が大本と、死んだ百姓墓暴き野辺に晒して鳥獣の餌、その妻も子らも同罪なりと一度に斬って捨てられた。
 如何に貴人貴族が民の命を惜しまぬとは言えこれは非道の極みにて、それもこれも格別暗愚の王が責。元より忠薄けき臣民の、人心いよいよ離れ…結局は王国滅亡の端緒となったと書物は告げる。

 故に。今でも箴言に言う、『コカトリスの鳴き声』と。



 …確かルキアの記憶では、『噂と言えども人をも国をも滅ぼさん』…そんな意味であったと思う。つまりは確実な情報を得る事の重大さ、また相手を動かすのに『品物』は必ずしも必須では無い…そんな兵法の心得としてであった。
 しかし。しみじみと感ずる。ここ東方の地にあっては、如何にからくり巧みと言えど、張り子のコカトリス如きにてそこまで人々躍るまい。皆、正真正銘本物その物を知っている、そしてまた、邪眼ばかり封じれば、恐るに足らぬ獣とも。
「母さん!…お兄ちゃんお兄ちゃん、母さんの心の臓、動いてる!」
「本当か!?…あ、」
「ああ!ドリン、指、戻ってる!」
「フィアもフィアも!…柔らかい!柔らかくなった!」
 変わらず血を振りかけながら、唇歪めてルキアは笑う。…当地に鱗虫の害なぞ既にして日常、幼く怯懦なこの兄妹とて、恐ろしきコカトリスの血にまみれるを厭わない。


 もうじき、母子三人は何事も無かったかの様に目覚めるだろう。それを遠く思いながら。



 コカトリスの人形で、国が潰れる様な呆れた土地に。暮してみたいと心底願った。


Fin.


後記:
 サイト名に「ドラゴン」ってズバリ入っているのに、ドラゴンの眷族ちゅーか蛇系モンスター登場するのはヂツは初めてか?しかしコカトリス(コッカトリス)かよ…バジリスク(蛇タイプ)なら結構萌え〜なんだが。しかも超アッサリやられるしよ(TT)
 つーかさ、このテーマ連作に登場させたのがまずかったのう…


 テーマって言う程でも無いんですが、結局このssシリーズ、言いたい事は「幻獣がいるのがトーゼンの世界」ってトコでして。いや「幻獣」でのうて「モンスター」言うたがすっきりすんな。人間…人族の地位が非常に相対的な社会シミュレーション、そんな感じ。所謂ドラゴンが出たぞー、遠方よりパーティー仕立てて退治に来るぞー、派手な魔法に銘入りの名剣だあー、仲間が大ピンチだあ、そんなこんなで全員攻撃(リンチやんけ…)だあー、どかんと倒したあー、ばんざーい!な、パターンのへのアンチテーゼ………かな?←弱気…
 つまり作者、庶民派SFならぬ庶民派ファンタジー、異なる世界の非日常な日常を綴ってみたかったのであります。

 しかし…
 庶民派、と言う事でリアルに徹しようと。となれば当然文体の方は自然主義の筆使い、所謂『牛のヨダレのダラダラ書き』…なまじ経時的に書いたがために中弛みに陥る危険多々と言うのに、書いている内に書きたい事々がわんさか湧いて、あっちへフラフラ、こっちへヨロヨロ、完膚無きまでの酔っ払いの千鳥足。真実書きたき言葉と言えば、終わりの一行のみだと言うのになァ…アホや


 …とまあ文学的(?)苦悩はさて置きつ。
 魔法っちゅーと昨今では、ファイヤーボールとかメテオクラッシュとか長い詠唱とド派手な効果がウリの奴がメジャーなんスけど、個人的には古典的ハーバルマジックちゅーか、鉄の大鍋に怪しげなブツ放り込んでぐつぐつぐつぐつ…言うのが好きでして。日本じゃ見かけんですが、西欧諸国の人気漫画の「Asterix」、これ要はガリア戦記のパロディなんですが、コレでもドルイド僧が大鍋かき混ぜてるシーンが毎回出てきおります。お向こうではこのパターンが現代でも生きとるんですな。
 で。大鍋系魔法(勝手に命名)を描くとなると魔法草は必須のモンですが…
 これが結構悩む所。

 「シダの花」みたいに全然実在しない草なら問題無いですよ。けど、ファンタジーでの定番設定と実際の薬効が全く異なる植物が意外とあるモンで。例えば超絶有名なマンドラゴラ、普通ナス科のマンドレイクと同一視されますが、前者がちょっとウッフン(死)なアッパー系ドラッグのイメイジがあるのに対して後者むしろダウナー系じゃ…麻酔薬として使われた歴史もありますし、確かアトロピンとかと同種の薬効だった気が。…つーかアトロピンてウッフン(くどい)過ぎる人(爆)の治療(爆爆爆)に昔使われてたよーな(^^;)…とにかく副交感神経遮断かなんかで。
 人間、ちゃんと辞書や教科書で読んだ堅苦しい説明より、アソビで読んだアレコレの記述の方を信じやすい…と言うか影響され易いと言いますし。ウカツな事書いてソレを鵜呑みにする人が出て、事故でも起きたら大変スよ。一応、自分素人とは言え物書きですから杞憂でしょうが心配です。
 ま、幸いにして今回御登場の「ヘンルーダ」は某プリニウスやら何やらの記述でそう間違い無いようなんで、ほぼそのまんま使いました。「邪眼封じ」なんて効能、なんぼなんでも現代人が信じるとは思えませんしな(^^;)
 …つーか、幻獣・魔法関係でバリ引用される某プリニウス、あれ現物はそう非ィ科学的では無いですよ。時たま凄まじい事を平気で書いてますが、概ねアレな事は「信じてる奴バカ」と罵倒するスタンス(汗)。ただアレな話も一つの記録として、ちゃんと書いてあるので後世の怪しい伝承スキーにはウハウハですな!

 ちなみにヘンルーダがコカトリスの天敵(?)と言うのは「新ロードス島戦記」のパクリっす。…パクリちゅーか、他の幻獣本でも見た気がするんですが、とりあえず資料が見つからなかったので。代わりにヘンルーダに関しては某プリニウスやらハーブの本やらガンガンに調べましたんで堪忍下さい。
 ヘンルーダ、手が荒れるのも妊婦さんによろしくないのもマジです。煎じて飲むようですが、内服でも光線過敏症出やすいそーな。で、その毒性つーか劇薬ぶりが敬遠されて、歴史的にかなり有名な薬草であるにも関わらず現在ではほとんど使われていない様です。萌え薬草なんだがなァ…(TT)


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(C)獅子牙龍児
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