纐纈侏儒



 今日に限って魔が差した、としか言いようが無い。

 ルキアは常通りに「獄樹海」へ狩りをしに行った。昼飯を食べるまではどうと言う事も無く小型の獲物を狩っていた。ところが昼の包みを広げた途端、音に聞く「白皙の鹿」が降って湧いた様に現われた。確かに奇譚数多のこの森ならば現われてもおかしくは無い霊獣だが、呪われた伝説に彩られた「獄樹海」には如何にも不似合いな瑞獣である。
 …と、普段のルキアなら即座に断じて気にも留めぬ所だが、やにわに捕えたい衝動に駆られてしまったのである。
 そして。故事に聞く様に、森の何処とも付かぬ場所にて迷子と相成った次第である。



「誰か…誰かいないのかあ!!」
 力一杯叫んでも、却って来るは木霊ばかり。終いには魍魎どもの笑い声まで聞こえて来た。
「糞、糞っ垂れ!畜生!」
 悪態もつくだけ空しい。健脚を誇ったルキアだが、何分やっと十になる程の女子なだけに脚も流石に棒に成る。しかも鹿を見つけたどさくさで、いつもは後生大事に抱えて運ぶ筈の弁当の包みも何処へやら。空腹が身に染みる。
 闇雲に歩く事の愚は重々承知しているが、しかしこの森人肉を好む獣は五万といて、おいそれと野宿も出来ぬ始末と来た。とにもかくにも一息つける場所を探して夢遊病者の如く只管歩き回った。

 もはや疲労の極みで行き倒れになるかと思われた頃…かすかに灯りが見えて来た。それも鬼火ならぬ灯火の明り。自然、鉛の足も軽くなる。
 行き着いたのはがっしりとした人家、高き塀に堅牢なる門にて護られた、むしろ城と言うべき屋敷であった。


「夜分にあい済みませぬ!道に迷いました哀れな娘でございます!後生です、御門をお開け下さいませ!」
 礼儀の無さではゴブリンにも勝る、領主に会うとも頭を下げぬと言われるルキアだが、命の大事ともなれば敬語の一つや二つも出ようもの。知己がその場に居合わせればさぞかし仰天、別人の如きしおらしさで涙すら流して掻き口説く。天も流石に哀れんだか、重い扉が内より開く。
「何用ですかな?」
 既に星宿の刻限ゆえ定かならぬが小柄な老人、何でも独り暮らしとの話だが雪中の暖炉の如き温厚なる声で事情を問い、ルキアの窮状を知るや二つ返事で招き入れた。何でも食事も世話してくれるとか。ルキアが感謝感激雨あられの体となったのは言うまでも無い。
 しかし如何に相手が老体とは言え余りに無防備、一人歩きの娘が…等と目くじら立てるうるさ方の御尽も少なくなかろうが、まあ責めぬで戴きたい。ルキアにして見れば自分はいまだ娘にも成れぬほんの子ども、いやさ餓鬼風情、しかも己の容貌ようく知った上での無防備である。この娘、大した狩人でありながら実際年から言ってもまだ小柄、しかも骸骨兵の如き痩せぎすにて身体に少しも娘らしい部位が無い。そうでなくとも幼くして、重き病に九死に一生、されど嵐は痕すら無惨…顔と言わず腕と言わず全身の肌が醜く崩れていたのである。まず無体な欲心を起こす輩はおらぬだろう…嫁ぐも絶望に近いが。
 とにもかくにも降って湧いた一縷の望みに取りすがり、平常からは思いも付かぬ殊勝さ見事に発揮して、別人の如き言葉で礼述べ三拝九拝、親切な老人に付き従い屋敷の扉を潜ったのである。
 別人別人、さても別人。いやさルキアは疲労の極み、まさに別人であった。如何に長寿の老人とは言え、十の小柄な子よりもさらに丈少なく、何より人外ばかりが住まう魔性の森にても独り暮らしとは如何にも奇妙、常なら無用に頑強なる屋敷のたたずまいより不吉を察知して然るべき所だが…
 飢え疲れは恐ろしいものだ。


「これは…?」
 案内された広間には、王侯貴族の居室にある様な見事な長卓。如何な細工師の手によるのか、見事な装飾眼を奪う…と言ってもルキアの驚きは別にある。
 席の用意は丁度七人分、しかも幾つかは既に使われたと見える。
「ああ、これですかな?…何、年寄りの道楽ですのじゃ。滅多には無い事ですじゃがの、儂は客人がまっこと好きでしてな、いつでも粗相無くもてなせるよう準備ばかりは怠らぬように努めておりますのじゃ」
「はあ…しかも今宵は先客がお有りの様で…」
「いやいや!お気になさらずに、小婦人殿。身寄りの無い独り暮らし故、客人は多ければ多い程良いと言う次第で!」
 老人の余りな喜び様に流石に違和感抱いたルキアであったが、それも座に馳走運ばれるまで。煮物焼き物包み物、蒸してあぶって刺身も有って。老人自ら給仕役となってよそった料理の数々は、皆初めて食すものばかり…女子の身だけに調理に興味を抱いてあれこれ聞くもやれ秘伝だ門外不出だと笑顔でやんわりはぐらかされて。
 それでも東方にて珍しい程の生臭尽くし。それだけでも異常と思って良いのだが。満腹に安堵の心地、重ねて疲労もあずかって食事の席だと言うのに急に睡魔に襲われた…

 眠りの落ちるその刹那、喉に刺さった魚の骨の如く小事がルキアの頭にこびりつき離れるようとしなかった。あの、老人の装束…頭巾と上着ばかりが奇妙に派手で。真紅の絞り染め…
 何処かで確かに聞いた筈…



 突如頭に冷水浴びせられる心地して、一挙に眼が覚めた。さもありなん、手足はぎっちり縄化粧、ぴくりとも動かぬ。さてはてただ縛られて寝かされただけならばスワ貞操の危機とばかりに講談ならば盛り上がる所だが、床は床でも石作り、しかも耳には刃研ぐ冴えた音。年少ながら武勇で鳴らした、さしものルキアも胆冷える。
 恐る恐る唯一動ける頭を巡らせば…少女の喉より魂消る悲鳴、己の姿と同様に石舞台に括られし首無し死体がひい、ふう、みい。しかも首より流れる全ての血、石舞台に掘られし溝をするする通って金盥へと。器の中にまっさらな白布浸してあるのも尋常ならざる眺めである。しかもその布ここそこ器用に絞られ、模様染めの仕度と見て震え上がった…何と血染めの絞り染めである。

「纐纈の…城」

 切れ切れのつぶやきに、やにわに振り返る影がある。赤帽赤服のその老人、口元異様に笑みニタリ。鏡さながらに研ぎ上げた、牛刀片手に舌舐り。その舌が居森の丈程もある。
「左様左様、ここな屋敷は我が纐纈の館。人血染めの衣が当地の名物じゃて」
 口がぐわんと広がって、口中異常の赤黒さ。耳も常人とは異なり奇妙に尖り…音に聞く、纐纈の城の侏儒である。


 魔物跋扈す「獄樹海」、魔性の森には魔性が住まう。さてはて中でも恐ろしきは纐纈の城の主、ただ小柄なる老人と見えども本性邪悪の妖魔にて、幻術操り人心惑わせ屋敷へと誘い込み、首を刎ねては生き血を集め、纐纈即ち絞り染めに供して自らの装束と成す。人を好んで害する魔物数多いる中でもこの侏儒の所業は異様である。
 身体縛る縄のためならで、ルキアの全身凍るが如く動かぬ様に成り果てた。
 白刃が迫る。

「ふむ…いやしかし」
 もはや歯の根もあわでガタガタ震えるルキアを前にして、どうした事か魔性の侏儒、牛刀振り降ろすをぴたりと止めた。
「主は後に回そうぞ…今宵は他にも『客人』が居るしな」
 成る程、確かに他にも男が一人。恐らく酒でもたんと飲まされ酔い潰れたのであろう、猩猩の顔にて正体も無く眠っている。
「何せのう…主は大層な醜女じゃて、醜競べで儂にも勝てる程であるからの」
 クェックェッと家鴨か何かの様に奇妙に笑うとそちらへ向かう。…確かに侏儒は大した醜男である。先には温厚なる笑みに騙されて…と言うよりやはり幻術にて隠していたのだろうが…気にも留めなかったが、顔のそこ彼処無惨に崩れて確かに凄い。肌の色も哀れな首無し死体より余程土気色、きびきび動くが不思議な程。幼年とは言え容貌の醜さを褒められて喜ぶ女人は無かろうが、それでもともかくルキアはひとまず存えた。
 …が。たちまちに己の運命を呪う羽目に。


「ぎゃああああああああああ!!」
 太平の眠りもたちまち覚めよう、何せ耳削ぎ鼻削ぎ続けての乱暴狼藉である。縄に戒められたままのその男、わずかに残った動ける肉体をば駆使してもがき苦しみ絶叫する。傍にいるルキアにも、あたかも自分が同じく害されたと錯覚させる程の苦しみ様である。さもありなん、何せ刃物で一息に斬り落とすで無くて引き千切るのだから。本当に幼少のルキアよりも身の丈低いと言うのに凄まじい大怪力、勢いを付けるでなくじわりじわりと耳摘み引いて行く。皮破れ肉裂ける音が至極ゆっくり低く聞こえるのもおぞましい。
 千切った欠片むんずと握り潰してそこいらへ捨て去ると、今度は暖炉の火箸を取り出した。恐ろしき予感に背筋凍れるルキアの前…妖魔はためらいもせず熱く尖ったその先を、無造作に眼球へと突き刺した。先刻を遥かに上回る悲鳴。ジュウジュウ肉の焼ける嫌な匂いとブチュリグチュリ言う湿った音、哀れな男だけならでルキアを地獄へ突き落とす。まるで瓶の底を探るが如く暫し眼球火箸で突つき回していたのだが、ようよう満足したのか腕を止め…火箸を抜くと見えたが。
 火箸だけならで眼球まで抜き取ったのだ。もはや人語と思えぬ男の悲鳴。気絶せぬは流石は男子と言うべきか、それとも気絶も自由ならざる極みの苦痛であったのか。とにもかくにもルキアに判断の暇は与えられなかった。ニカリと笑った邪悪の侏儒、抜いた眼球をばルキアの顔目がけて放ったのである。
「いやああああああああ!!」
 ぬちゃり、生温い湿った物体頬を打つ。そのまま石舞台を転がって床へと落ちて行く。見るとも無しに見てしまった男のその眼球、無惨さの中にも黒眼の部分が白く煮えた様子が見て取れて、尚の事恐ろしい。眼を開けたままで気絶の体と化しているルキアを蔑ろにして、侏儒残った眼もまた思う様に蹂躙し…
 再び牛刀取り出した。

 両眼を惨く奪われた、悲惨な男の悲鳴が続く。凶鳥の死を告げる声にも似た叫びは絶える事無く辺りの石壁反響し、ルキアも恐怖に心の臓も止まるかと思われた。いっそその方が心地良い、死体と成れば息ある時程には痛みも無かろうから…
 妖魔の口、吊り上がって耳まで裂け。世界の終わりもかくやの凄まじき雄叫びを上げ…光る牛刀一気に振り降ろした…吹き上がる血潮の紅飛沫…

 だが。血飛沫は二つ…何故にか、侏儒の首まで飛んだのである。
 もはや幼き者の心には許容し得ず…



 何か、話声が聞こえて来る。ぼんやり意識を浮上させながら、記憶の糸をたぐり寄せる。全てが夢、とてつもない悪夢であった気もするのだが…恐る恐る瞼を上げれば。
 祈りは通じず元の石舞台。辺りは死体累々…そこにはあの侏儒も。そして、何時の間にやら侏儒が五人、皆血染め仕立ての紅装束である。
 今度こそ名運尽きたと背を強ばらせるルキアの前、侏儒達がゆっくり進み出た。
「怖がる事は無い…今宵ばかりはもう殺さぬ」
 …はて?今何と言った、聞き違いか?
「目出度き夜じゃからのう…」
 侏儒はそう言って眼を伏せ、車座になる。中央にはかの首のもがれた侏儒の死体。それを囲んでしめやかに杯を重ね、故人の思い出とおぼしき話をぽつりぽつり。侏儒のしきたりの、言わば葬礼なのであろう。…もっとも、杯の中味は酒どころか水でもならで、生温さの残る人血であったが。
 やにわに侏儒の一人が立ち上がり、身振り手ぶりも賑々しく即興踊りをやらかし始めた。回りも手拍子口拍子賑やかに、たちまち始まる宴会芸。とは言え、どの者も眼に涙。
 死とは愛別離苦からの別れ故、死を悼むと言うより祝う者達は少なくない。しかし侏儒達のこの様子、祝うと見えて隠し様の無い辛さ哀しさルキアにまで伝わり、何ともいたたまれぬ。それに付けても何故あの侏儒突如として死したのか。…そうつらつら思うが顔に出たか、一人の侏儒がルキアの傍までやって来た。
「主に今宵の事々の意味は判るまいな」
「は…はい…」
「左様、人間どもは誰も知らぬ、知ろうともせぬ…」
 侏儒の顔がしかめられ凄まじく歪む。思わず全身硬直させるルキアの様子に、侏儒も幾らか表情和らげた。
「これを見ておけ」
 ぬっとルキアの鼻先差し出されたるは侏儒の生首、一体如何な力によるものか刀傷ならで引き千切りられたかの如く無残な切り口…だがその面は平安そのもの、あたかも好々爺の大往生の姿とも見える。
「奴はのう…漸くにして自由の身となったのじゃ…忌まわしい呪いから逃れてのう…」
「呪い…?」
「左様、まごう事無き無惨なる呪い、凄まじき戒めじゃ…」
 ぐっと何かに耐える様に侏儒の眼がきつく閉じられ、無言のまま天を仰ぐ。
「恐ろしき事じゃ…人族の娘よ、これから語る事々、言の葉の端々まで決して聞き逃すで無いぞ」
 恐怖に怯える少女に否やがあろう筈も無く。ルキアはただこくこくと頷いた。



 主も聞いた事があろう、この島はかつては細く南北に伸びた形であった。人間どもは数少なく、大地の子らの楽園であった。気候も良く山も森も豊かで何をするにも苦労が無かった。
 じゃがの。…全ては昔の事…
 遥か東海の竜王島が突如として我らの島へと押し寄せたのじゃ…

 なに、作り事?いやいや儂等をなめるで無いぞ、儂等は皆この眼で見たのじゃ。左様、生き残りじゃて。
 彼の忌まわしき竜王島にて起きた戦、あれは真の惨事でな、一体如何なる事にか魔界の軍勢どっとばかりに押し寄せたのじゃ。成る程竜王どもは善戦したとは聞くが、それが却って無用の尽力であった次第、痺れを切らした敵の将軍が、彼の島支える根をば引き千切り、津波を起こして竜を島ごと西へと押し流したのじゃ。
 あれは地獄ぞ、真の地獄…島の大地は手酷く歪まれ、凄まじき地震に地は裂け山は火を吹き河は道を外れて土地という土地を飲み込み…いやそればかりか魔界の軍勢まで来おったのだ!
 あれはまさしく魔物…生きたまま食われる者あり、死に切れずもがく者あり…せめて大地に還してやろうと遺骸だけでもと思ってもそれすら叶わぬ。奴等は死者すら弄ぶ…皆魔霊に取りつかれ死に損ないの化け物に変えられてしまったのじゃ。それをまた、竜王どもとその眷族の人間どもが仮借無く焼き捨てて行く。ああ、儂等には仲間の墓を立てるも許されぬのか!
 いや。まだしもそれで済めば…儂等とてこれ程までに恨む事も無かったがのう…

 儂等は人柱にされたのじゃ。

 大竜どもは結局故郷の東海離れたがたたったのじゃろう、竜王も含めて皆死に絶えた。あとは言葉も満足にならぬ並の竜ばかり…魔界の寄せ手に人間どもば叶う筈も無い。奴等、事もあろうに竜王の血肉を食らって竜の胆力手に入れた!それでも足りぬとばかりに…元の島と竜島の境、遥か下方に魔界の獄を望む大開裂、その中に儂等を皆投げ捨てたのじゃ!
 奴等は言った、恨め呪え泣き叫べ、その怨念こそが開裂塞ぐ力となる…とな。大地の血筋の者達は容易に死せずして恨みも末永く忘れず、封印の巌として得難き「品」だとな。いやその上、竜食らいの異能者どもは、儂等に不死の呪いをかけおった!永劫に、魔界阻む生きた壁と成そうとしてな…
 成る程左様、儂等の恨み辛みの怨念は魔王の城まで揺るがせて、さしもの奴等も兵を引いた。成る程確かに地上は平穏と相成った。じゃが名も残さずに生きたまま死なされた儂等はどうなるのじゃ!
 奴等が、奴ばらが…東の海の蛮人どもがおらなんだら…

 ほんの一時、かつての開裂が緩んだ事があった。儂等はそれこそ泣いて喜んで地上へと舞い戻ったのじゃが…もはやそこは儂等の土地では無かった。
 永く永く気の遠くなる程永く魔界の瘴気に当てられた儂等の身体には、地上の大気は猛毒じゃった…喉焼け皮膚ただれるが、それでも呪いの凄まじさ、死ねぬと来た。いやさ、刀で首を切ろうとした者もおったが無駄じゃった。何故にかまるで切れぬでな。石も駄目、棍棒も然り、縄にても無理…ならばと思い余って地獄へ戻ろうとした者もおるにはおったが、既に遅し。束の間緩んだ開裂は以前よりさらにぴたりと固く閉じ、もはや戻る事もましてや残された仲間を救い出す事も叶わずじまいじゃった。
 その上儂等を凄まじき餓えが襲うのだ。
 餓え。永きに渡る魔界暮らしにて儂等の身体は歪んでおった。肉も酒も受け付けぬ…ただ口にするは血のみ。いやさ着る物とて血染めの品を見に付けねば身体もろくに動かぬと来た…

 儂等とて昔は並の暮らしをしておった。山を掘り、森を見て回り…好んで殺生をする事も無かった。じゃが今の儂等を見ろ、頭の先から爪先まで人血で紅色と来た!しかも己のさだめ呪って身を殺めんとしても竜食らいの呪詛がためにまるで叶わぬ。儂等のせめてもの慰めは古のダマが天律じゃ。
 遥か昔、神々すら赤子であった頃、律の護り手たるダマの定めし天律があった。およそ生類たる者には各々殺生の限りが決められておってな、許された数を超えればたちまちダマの法にて死が訪れるのじゃ。たとえ不死の者とてそれは変わらぬ…儂等の様に、望んでも死ねぬ者達でもな。
 さればこそ、毎夜毎夜儂等は殺す…この永劫の責め苦より逃れるためにな…

 館に七つしか席を作らなんだは儂等のせめてもの意地、かつて大地の法の下、天に恥じぬ生き方をしていた儂等の誇りがそうさせるのじゃ。殺せば殺すほど儂等の年期は早くあける。それは重々承知しておるが、儂等とて闇から生まれた訳では無い。人間どもは憎くてならぬが、さりとて奴等も生き物じゃ。確かに奴等の暴虐は世界を救ったかも知れぬしのう…
 そうでなくともひと日に七人、これはかのダマが定めた掟じゃて。そら、人間どもは古の事どもを知らぬから好き勝手しおるが、さればこそ寿命も尽きぬ内に名運尽きる。ダマは掟破りには厳酷じゃて、七人の掟一度破れば殺生の限りを減らされる。儂等とてどうせ死ぬなら一人でも多くを道連れにしたいものじゃて。

 ほほ?怖がっておるな?左様、主とてひと日に七人超えて殺めるならばダマの鉄槌たちまち下ろうぞ。まだ、震えておる…さてはその幼少の身で相当悪事に手を染めたと見える。狩人装束にてこの森奥深くに来るからにはな。
 しかしまずもって運の良い。その病に感謝する事じゃな。主の二目と見られぬ醜女ぶりが主の命を救ったのじゃ。儂等も昔は見目も悪からぬ妖精じゃった。それだけに、まっとうな顔立ちの人間どもは殊更虫酸が走ってのう…



 はっと気付くと侏儒達全てに囲まれていた。そして瞬きをする程の間に…あれ程固く結ばれていた縄が、どうやってかぱらりと解けた。
「起きろ」
 恐る恐る身を起こせば…幾らか痺れも残るが大事無い。それより何故縛を解いたのか。
「儂等とて主を只で逃がす訳ではないぞ」
「人間よ、覚えておけ。今宵の出来事全てを…」
「そして語り継げ。主達の大罪を…」
「始めに奪ったのはそちらの方だとな」
 繰り返し繰り返し、呪文の様に。…頭がくらくらする。
「それに…土産じゃて」
 ぬっと差し出されてぎょっとした。死んだ侏儒の血染めの衣装。
「人間とは疑り深い者どもじゃからの、証拠の品として持って行け」
「こ、これを…?」
「ただの人血染めと思うで無いぞ。これは奴の女房、それは奴の息子…」
 絞りで出来た模様の一つ一つを丁寧に差し示して行く。
「一つ一つが…儂等の未来永劫会えぬ家族の印じゃ」
「……!」
 先刻とは違う震えに襲われつつ、その真紅の布地を受け取った。



「…あれ?」
 一体何処をどう歩いたのか…何時の間にやら見知った森の道の上。ここからならば村はすぐ側。
「夢、だったのか?」
 まだ霧の晴れぬ様な頭で雲の上を歩く様に進んで行く。…だが、手の中に常と異なる感触。何気なく眼をやると…
「ひい!」
 思わず取り落とした。…例の、血染めの上着である。

 震える手で拾い上げると、薄闇の中にもくっきりと、絞りの模様が眼に留まる。これだけの家族を一時に失い…しかも常世にてもまだ会えぬとは…

 辺りを白々とした光が覆って行く。朝日の輝き…大気にても苦しむ侏儒ならば日輪に射られればさぞかし苦痛だろう。それでも定めの時に至るまで、彼等はひたすらに望まぬ生を燃やし続けるのだ。
 ルキアはきっと顔を上げた。非情の妖魔すら憐れみを抱いたこの容姿、人間が見ればどんな思いを抱かせるか少女は深く知っていた。…そんな少女が真実を告げたとて、信じる者は皆無だろう。
「でも…ずっと覚えている、絶対に!」
 己に言い聞かせる様に。…この世の不条理、忘れぬように…


Fin.


後記:
 いや、何が大変って「纐纈」の字が判らなくて!探しまくりましたね。
 「纐纈」って普通「こうけ』」と読むんですが、自分「こうけ」だと思い込んでおりまして。それで(電子)辞書に無い、広辞苑に無い、古語辞典にも無い!ってんで一時パニックでしたよ。で、苦肉の策で「架空人名辞典 日本編」(教育社)で調べました…
 と言っても。「誰」のエピソードで登場するか判らなくて、悩んだ末に「今昔物語」に登場するキャラクター全部を見ました!(爆)ええ、あのものごっつう多い人数全部をです(笑)
 やー、見つかった時は感動でしたねー!一時間以上かかりましたけど(阿呆)

 …で。そもそも若い方はご存じ無いと思うので、解説をば。
 東アジア圏の昔話の定番で、「纐纈の城」と言うアイテム(?)がありまして。地理的には唐(つまり中国)の近く…となっているので見た目はそんな感じ(どんなだよ)の城なんですが、一度入ったら二度と帰れない伝説の城で。何か変だな〜って思ってあちこち覗いて見ると女官さん達が忙しく働いているんですが…洗濯物を干している様に見えるその手元!よぉ〜く見れば血染めの布!ぎゃあこりゃ大変だ、噂に聞く人間殺して血で染物をするアノ城だ!…ってんで大急ぎで逃げ出さにゃあならんような城でして。
 で、何でか知りませんが…その城にいるのはどうも人間ばっかなんスよ。鬼とか羅刹とかならまだ判りますけど、人間が、少なくとも見た目フツーの人間が、同じ人間逆さ吊りにして血ィ絞って、で、染物をする…何やねん!!でもって、実際に血染め布作りに従事してはるのがまたフツーの若いほっそりした娘さん達やし…イヤあの、さらわれて来てヤリムリに働かされてるんですけど勿論。でもとにかく怖いじゃないスかー。
 だいたい血染めで「纐纈」っちゅうのが嫌ですよ。「纐纈」、辞書で引くと「絞り染めの類」ってありますが、「絞り」染めっスよ!血で。何か返り血で真っ赤とか言うならまだ事故(?)っちゅう事で納得(??)ですけど、絞り染めちゅう事はもう、「意図」して、血で「模様」染めするっちゅう事やないですか!しかも何でそんな事しおるんか全然理由の説明無いんで…余計怖い!
 自分、西太后とかは全然怖く無い…ちゅうか、まあしゃーないわ(←え?)と思ってまして。だって有名なアレ、まず嫉妬っちゅう明確な動機があるし、しかも道教系トンデモ健康法に「若い女の生き血」ってあるんですよ。美容と健康と長生きのためにどーしても欲しかった生き血、でもやっぱりちょっと献血者がいなくてー、でもやっと大義名分(?)が出来たし趣味と実益兼ねられてラッキー♪ってトコが真相みたいですから。ホラ、ベルばら外伝にもそんな貴婦人が出て来たでしょ?(マイナーかも…)
 ま、理由とか原因とかが判って話の筋道きっちり立てるともう安心しちゃう理系人間の悲しいサガって訳で。


 でもそれにしても最近「纐纈の城」ってとんとご無沙汰ですな。空飛ぶ絨毯とかは国越え時代越えあちこちのフィクションで使われてるのになあ…。最近ファンタジーブームでソレ系の本が入手しやすくなって良いんですけど、純国産ものが全然流行らないのは悲しいです。ダイギシのセンセイ達もアイコク云々言うなら今昔物語辺りを必読本にすりゃエエのに(笑)でもモンブショー選定とかだったら絶対読まなかったな!(爆)
 若い人は知らんでしょうが、今は昔偕成社に子ども向けのダイジェストシリーズがありまして。今昔とか風土記とか皆ソレで読みましたね。要するに岩波少年少女文庫みたいな路線なんですが、偕成社のは挿絵が大変に良かったんですよ。例えて言うなら少年倶楽部の冒険絵物語の様な…細密にしてダイナミズムに溢れ、いながらにしてその物語の世界の中に入り込める素晴しい挿絵…!児童書の挿絵は無い方が良い、その方が自由な想像力を養える…と言う向きもあるようですが、まあ絵の枚数はともかく挿絵自体は奇麗で細やかで良い意味の写実性に溢れた方がエエと思います。
 某社からも似た様なラインナップは出ていますが、絵が、びみょーに…偕成社の様に見開きまるまる挿絵なんてサービスも無いですしなあ。それに偕成社のが本が小さくて(その分子ども向けにしては字が多少小さくとも)読みやすい…ちゅうか、隠れ読みしやすい(笑)のがポイント高かったです。親に寝ろ寝ろ言われながら暗い所でこっそりよんで、親がやってくると枕の下に慌てて隠して…いや、偕成社さんの御陰で今やド近視です(爆)

 一時期改訂版が出ていたみたいですが、とにかく数が減って減って…そう言えばキプリング、「ジャングル・ブック」で有名なキプリングの「キム(印度の放浪児)」が今日本じゃ読めないって本当ですか?偕成社のキムは子ども心にも死ぬ程萌え(←おい!)だったんですけど…
 キムって言うのは今や絶滅の危機にある真正冒険小説で、イギリス人なんですが子細あって浮浪児として不良少年のお山の大将だったキム少年が、ひょんな事から溜まり場から抜け出し、お決まりのハラハラドキドキの難関を潜り悟りを開いた有徳のバラモンや様々な出会いを経て大きく成長する…と言うストーリー。イギリス人なのにヒンディー語バリバリで土地勘も死ぬ程あって、猿みたいにはしっこくって憲兵も手を焼く程だし、そうかと思えば流暢なブリティッシュ・イングリッシュの能力で事態を打開したりともう八面六臂、冒険ものはこうじゃなけりゃいかんです。

 キプリングって実はインド滞在中もイギリス人としか付き合いが無かったそうですが、あの人イギリスでの少年時代、養子に貰われた家で某魔法少年もびっくりの悲惨な目にあったのがトラウマとなり、基本的に西洋に対する骨の髄までの不審感が拭えなかったみたいです。逆にインドの思い出に一筋の光明を見たと言うか…そのせいか、この人の描くインドの風景ってただのオリエンタリズムに留まらない「魂」がありますよ。
 作中に登場するバラモン僧も良かったですなあ…ただ不気味に意味不明なありがち東洋人じゃあ無くて、人生酸いも甘いも噛み分けて、キムのやんちゃも穏やかに見守り若木をたわめる事なく自然のままに伸ばしてやる…まさに有徳の僧。なまじ頭が良くって運動神経も抜群なだけに生意気盛りだったキム少年が、この人の前では神妙になるのもむべなるかな。
 でもやっぱり主人公のキム少年ですよ。いろんな出来事を経て、ただのやんちゃ小僧が仁・智・勇を兼ね備えた立派な青年になる、その言わば「解脱」のシーンなんて素人が言うのもなんですが出色の出来です。イヤだって、このキム君てばまた結構美形で…って、結局ソコに落ちるか!(爆)
 だってさ、インド育ちの筈なのに肌が真っ白だって言うしさ、ガキンチョの時からイイ感じだったけど成長後もさあ…「さあ」ってなんか言い方ヤラシイけど(死)顔立ちも勿論だけどなんつーか知的マッチョって言うか…(笑)「お師匠様」命のトコなんかもイイね、すっごく!…お師匠ジジイやけど(爆)ガキの頃の面影はどこやら、お師匠様と並んで座禅なんか組んでストイックな青年になってるのに、お師匠様侮辱された途端に一瞬で切れて相手ブチのめしたりしてさ…
 って、何房総もとい暴走しとるんやワレ!!


 あーあ、「纐纈の城」を手始めに和物土着の怖いモノ蘊蓄をだらだらやらかす予定だったのに萌え話に終始しちゃったよ(苦笑)つーか本当に偕成社のあのシリーズは惜しいですよ。自分小学校の図書館で読んだだけで、一冊も持っちゃおらんのです。偕成社の一角は隠れた人気を誇っていて、貸出頻度こそ少なかったのですが昼休みともなれば必ず立ち読み常連がたむろしていましたね。
 それがよ、聞いておくれよそこの旦那ァ!(←誰だよ)今でも忘れねえ…図書館付きの糞ババア、Nって奴がある日ばっさりすっぱり焼却処分にしやがった!その弁が「古いから」だとよ、そりゃ貴様の事だろが!でよ、代わりに何を入れたかと言やァ、餓鬼向けの腐れハウツー本と来た!それもこれも独断先行、馬鹿野郎の一騎駆け、生徒は勿論図書委員にも一言もねえとはどう言う了見でい!「図書室が静かで味気ないから」だと?おうともさ、てめえの猿知恵のせいで図書室連日のご盛況、本なんてモノは死んだって読まねえ連中が、阿呆の実学ハウツー本目当てにうろちょろするようになってよ…挙句、ハウツー本片手にプロレス実演おっぱじめた屑どもにNの奴め、てめえで雷落としてりゃあ世話ねえぜ。

 …まあね、ハウツー本もそれなりの楽しみはあったけどね。何故か「彼氏の家に招待されたら:家に入る時、始めに出すのは右足左足?」とか言うネタもあってさあ…小学生向けで(笑)イヤ何で小学生向けに男女交際のイロハが解説されてるかも爆笑だが、つーか玄関どっちの足から入るかなんて…。「向こうのお母様の印象が良くなります」とかって、小学生だよまだ早いって!(爆爆爆)
 つーかさ、幾ら時代が20世紀の昭和だったとは言え、戦後何十年過ぎたと思ってンだよ(笑)まあNの脳味噌古いから…ってのもあるけど、それにしたって謎だよなあ。本屋何件か回ったけど、結局同じのは見つからなかったし。

 何にせよ。今もまた空前の出版不況、もっとも特に小説じゃなくてノベル(この区別もアレやな)シリーズの新設バブルの後遺症もあるにせよ、本がなかなか売れず、結果として出版部数を下げざるを得ず…小さな本屋にまで行き渡らず、結果として欲しい本がなかなか手に入らず、本屋も潰れ…の魔のサイクルが繰り返される訳で。で、宣伝が盛んな新しい本ばかりが認知され、今昔物語を始めとして「古典」と言うカビ臭い分類に押し込めるには余りに惜しい爆烈おもろい本が忘れ去られて行く…悲しい事です。
 自分は素人です。金取るのもナンだと思いまして、タダで駄文をアップしてますが…こんなん読んでるヒマあったらプロの文章読んで下せえ。原稿料貰えんと今月死ぬー!みたいな思いしている人間の書く物を。玄人の、それも時代を越えて残っているブツはやっぱ凄いッスよ。全然ダンチ。
 で。なるべくなら和物アジア物に挑戦して戴きたいと…お願いするッス!


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(C)獅子牙龍児
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