黄昏の海


「敵艦、さらに接近中!」
 通信兵の緊迫した声が響く。否、この艦橋で緊迫してない奴など皆無だろう。
「敵艦主砲、回頭中!」
「エネルギーの充填は!?全然遅いじゃないの!」
「今やってます!」
 …ここ、宇宙の奇妙な吹溜まりでは全てがのろのろと進む。希薄ながら…しかも有毒の…大気が漂い、かなりの濃度の粒子が辺りを覆い、不安定な重力が支配するこの空間。漆黒の闇では無く、かと言って明るくも無く、常にだらだらとした薄暮が時間の感覚を狂わせる。ただただ朧な靄の広がる場所…『雲海』とは良く名付けたものだ。
 ここならたとえ船外へと放り出されようと、即死する事はまず有りえない。…長い、長い苦しみに襲われるだけだ。
 スクリーンに浮かぶ『敵』艦の威様。酷く痛み、さながらパッチワークの様な船体だが、明らかな外宇宙仕様の戦闘艦。雲海専用艦たるこっちがノミか何かに思えて来る。
 とは言え、何も知らぬ相手が見ればさぞ狂暴なノミに映るだろう。この規模で、この巨大砲塔…戦いだけを生業とする海賊と見られてもまあ文句は言えない。
「充填率95、96…100パーセント!」
「艦長!発射許可を…」
「まだだ」
 …我ながらにべも無い返事だと思う。だが…
「まだ危険だ」
「しかし、これ以上は…」
「敵艦に異常なエネルギー反応!主砲も既に固定されています!」
「分かっている」
 分かっている、そんな事は見れば分かる。リアルと言うよりあざとい位の映像の中、向こうの艦の主砲がこちらに突き刺さらんばかりだ…俺だって焦ってはいる。
「即射の用意の後、待機」
「ですが、艦長!」
「しろ」
 このオンボロ艦の切り札…本当にそれ以外手段が無い、掛け値無しの切り札が究極即射だ。ちゃちなハジキと違って、空に浮かぶ艦ともなれば砲の一つ動かすにも面倒事が幾つもある。おまけに準備を九分九厘終わらすと、今度は中途で止める事すら出来なくなる…この艦だけは違う。半ば趣味に走ったメインテナンス部の奴等の野放図の改造改悪の結果の偶然の産物、だがこんな時には真実感謝する。
「ああっ!!」
「艦長ッ!もう…!」
「まだだ」
 オペレーター達の声も半ば悲鳴めいて来る。幾らプロでもこればかりは慣れる筈が無い…
 巨大な巨大なスクリーンに、戦艦。主砲の先にプロミネンスに良く似た光るものが揺らいでいる。
「まだ、だ…」
 数名…無論、すべき仕事は既に終えた者だが…コンソールに突っ伏して、頭を抱えて震えている。例の光りは、丁度獲物にまさに飛びかからんと身をたわめた肉食獣にも似て。解放の時を待っている。
 指で軽くリズムを取る。一つ、二つ…時間が恐ろしく長い。
「いやあああああッ!!」
 また、悲鳴。

 俺だって、怖い。身体の何処かが氷の様に固くなり炎の様に熱くなっている。…死にそうだ…
「おい、暴れるのは構わんが…スイッチを切れ。ここで暴走でもされたらたまらん」
 全身をぶるぶると震わせた、まだ若い娘が必死でこくこく頷きながら、俺の指示に従う。それを見て…口の端で少し笑った。…誰も気が付かないだろうが…
 俺の身体は壊れている。これだけ…死ぬ程怖い、この今も、例えば医者か誰かが俺の心臓でも調べたら、あんまり普通なもんでかえって驚くだろう。今、死と隣り合せのカウントダウンをするこの指も、ちょっとも震えていない。声も…
 誰も、俺の心に気付かない。
 いいんだ、それで…

 余計な事を考えてしまう程、時が間延びするのが恨めしい。何故、俺にだけ、こんな能力があるのか。何故、その瞬間をこんなにもはっきり見る事が出来るのか…早く、終わってくれ…!
 スクリーンを凝視する。武者震いをしながら輝きを増す狂暴の光りは、今も今も膨張して行き…
 誰かの、唾を飲み込む音がやけに大きく響いた。
 そして。
 輝きが束の間、陰った…!
「撃て!」
 誰よりも。…この艦の誰よりも俺が待ち望んだ瞬間がやってきた…


「右舷に余波で飛ばされた小惑星片が数個直撃した模様ですが、外殻部、損害は軽微です」
「艦内居住区も問題ありません。負傷者も現在ゼロです」
 次々と入る報告に、俺はただ頷けばいい。こんな時だけは、なんて気楽な家業なんだと心底思う。
「向こうの状態はどうだ」
「まだ、残存ノイズが多く…あ!」
 スクリーンの霧が、晴れた。

「おお…!」
 ほんの数分前まで恐怖が支配したこの艦橋が、喜びの声に満たされる。…無傷の、『敵』艦。
 いや、もう『敵』と呼ぶには能わない。完全に戦闘体制を解いている。
「凄い…」

 相殺砲。別に名前を付ける必要も無いが、誰と言うなくこう呼んでいる。ただ、相手の砲撃と同エネルギーの砲撃を同じタイミングでぶつけるだけ。どんな攻撃にも有効とは行かないが…俺には良く分からないが、技術屋の話では主砲に使われる粒子にはある特定条件、運動ベクトルがほぼ正反対で同エネルギーの粒子とぶつかった時にだけ、反粒子を発生するのだと言う。それで大した衝撃波も出さずに…勿論、艦の外で直に浴びたら即死だろう…消滅するのだと。
 エネルギーとベクトルは機械が幾らでも正確に計算してくれる。だが、タイミングだけは…
 主砲、ハイパーラジカル粒子砲の発射には、必ず誤差が生じる。凄まじく反応性の高い粒子は、充填途中で10パーセント前後互いに反応してロスしてしまい…結果最飽和に至る時間が、下手をすれば5分以上違って来る。この余りにカオス的な反応を、瞬時に計算するコンピュータなど俺達の手にある筈がなく。まして、敵艦の状態など…
 勘、それしかないのだ。俺の頭のシナプスが、どうやって導くのか分からないが、とにかく何故かその瞬間が見える。何故か、俺にだけ。
 この俺の奇妙な…地上に暮らす分には全く無用の能力と、間違い無く見事な、メインテナンスの連中の技術と。天文学的な「たまさか」だけが可能にした…

 まだ、通信は回復しない。光学的なノイズだけは随分と拡散したが…
 ふと、古代の信号旗があったら便利だと思った。

「あ…!」
 騒然とした様子に我に変えると、スクリーン上の戦艦が徐々に向きを変えている。
「これは一体…」
 再び緊張する若い通信兵と、スクリーンとを代わる代わる見ている内に、不謹慎にも笑いがこみあげて来た。…向こうの意図が分かった…
「騒ぐな」
「し、しかし、敵艦が……あ」
 語尾が間延びする。

 戦艦は、ゆっくり側壁を向けて来た。それも、砲門の最も少ない、下部を見せながら…
 腹を見せる、と言う訳だ。

「光学通信も、案外馬鹿に出来ないな」
 思った通りをつぶやくと、緊張の糸がぷつり切れたか、哄笑の渦。
「考えて見たら、他にいないからな」
「そうだそうだ、相殺砲をみりゃあ…」
 …何よりの信号旗だな。一方的に受信拒否されるハイテクよりよほど良い。
 随分と、高い旗だが…


 まともな交信レベルに戻るまで、あと30分はあるだろう。俺達の巻添えを食ってガス化した星間物質が、まだまだ視認できる程の濃度で漂っている。
 俺の出した、第一級戦闘配置令の解除が各部署に伝えられている。…そのまま私語に突入する者も。
 俺が、この仕事で一番好きな時間だ…

 靄がゆらゆら光っている。残存粒子が、小規模な反応を繰り返す…ただそれだけだが、希薄な大気と、星間ガスとが複雑な反射板となり、輝く色彩が広がって行く。どこまでも、どこまでも…ランダムに拡散するガスに連れ、赤ともピンクとも付かぬ色合いが、不規則なグラデーションを形作る…
 奇妙な光景。奇妙だが、美しい。

 誰かが艦長賛美を始める声がした。今一度、スクリーンに目をやり…瞼を閉じた。
 夕焼け色のガスに包まれて。
 …まるで、黄昏の雲海を漂うようだ…

Fin.


 SF的に見て、どーもこーもなハナシですが、ま、それは夢っちゅー事で。これでも多少は修正かけとります。特に、主人公…確かに指示は渋くびしばし出しとりましたが、本当はもっと冷や汗ダラダラ心臓バクバク死にそうでした。
 それにしても突っ込み所満載な話ですな。宇宙空間なのに空気があるのも…重力に至っては某氏に説教されても文句は言えんです。確かに某艦長シリーズで、遥か彼方の外宇宙に行けば空気があったり重力があったりしてドンパチの音が鳴り響いたり撃沈された戦艦が「沈」んだりする…ってな設定がありましたけど。あれは話の大筋が奇想天外に見えて結構古典を踏まえているのと、突っ込みのしようも無い程のインパクトを誇る主人公が、凡人の発想など蹴散らしてくれるから良いのですが。
 ん〜、一応理系出身者としては、しかも小心者としては、こんな「非ィ科学的」(笑…分からない人メンゴ)な設定書いていいのかなー、とびくびくなのですが。

 ちなみに、なんで『「敵」艦』なんてややこしい書き方をしているかと申しますと、あくまで「不幸にして」交戦状態になったからであります。友軍では無いにせよ、一応敵国では無い…何でしょね、ま、停戦状態とか、とにかくここでドカンといったら(国土…つーか惑星とか恒星系とかが)真っ黒け〜♪な訳であります。また戦争になっちゃうのね。それで、先手を取る事も出来たのに、あんな無理をしたと。
 でもさー、向こうの戦艦もどーかと思うが。何かめちゃめちゃ苦労して来て、何か避難民とか民間人とかも乗っけててストレス溜まりまくっててさ、ずっと外回り(笑)だったモンでメインコンピュータのデータも更新されて無くってさ、識別信号来ても「該当する艦無し→偽信号!?→きっと海賊か何かに違い無い!」って焦っちゃうのも分からないでもないけどさあ、いきなり主砲撃つってのはどーよ?すぐ核落としちまう針ウッド(ヤな表記だ…)映画じゃあるまいし…
 でも、現実にソレに近い国があるからね。

 以上↑コレを元々書いた2002年11月頃の文章。いや、後記としても別に問題は無いんですがね…
 今、本文読みますとですね。「文体変わってないよ、何やってんの!」って感じで微笑ましい(爆)それに「同時ライフゼロっぽい…」とか妙な部分で萌えてたり…(知らない人すみません…)スデに「非ィ科学的」とか言ってるし(^^;)
 ホンマはコレで長編書こうかと色々キャラ作ったりエピソード練ったりはしたんですがね…所詮サイエンスとは縁の無い人間で。メカと物理判らんとどーにもこーにも…
 諦めてます(−−;)


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(C)獅子牙龍児
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