鍛練


 ガン!
 何度目だろうか、惰眠貪る木々を驚かす鋭い音が森に響くのは。
 カサカサ言う枯れ葉の音が遅れて聞こえる。つまりは昂の木剣が叩き落とされたのである。
「眼を開け、注意を怠るな!今のお前に剣撃が受け止められる筈がないだろう!避けろ!」
「はい…」
 痛む手をさすりさすり、よろよろと木剣へ近づく昂の機先を制して先に拾われてしまう。あまつさえ、両手を沿えて持ち直して一礼とともに差し出して来たのだ。
「金剛…」
 昂の唇が悔しさにも似た感情に凍える。金剛とて承知の上だ。
「嫌なら、無駄に臣下の手を煩わすような真似をするな」
 男の冷ややかな口調が作ってのものだと分かっていても、頼んでもいないのにと理不尽な思いが渦を巻く。受ける手も自然震える。
 それでも金剛の方ではむしろ安堵があった。昂の身のこなしは想像以上、鋭い打ち込みもできる。故郷で習った剣法は遊戯的だと聞いたが、言う程伊達ではないらしい。ただし、彼の用いた武器と龍王の剣とでは形状用法が全く異なる。なまじ心得があるだけに戸惑う。おまけに生来の才か感覚の鋭い昂は金剛が誘いに作った偽りの隙も判じが付いてしまう。少年の剣を鈍らせているのは弱さ未熟さではなくむしろ才能なのだが。

「やあッ!」
 感情の乱れは踏み込みの乱れに。軽くかわされて足のもつれるまま無様に転倒する。
 ガサリ、落葉の音。その下の腐葉土が湿り気を含み、枯れ葉と相まって全く衝撃がない事もいっそ悔しい。そのような場所を金剛が注意深く選んだのだから。鼻孔をくすぐる、黴臭いような土の匂いまでもが涙腺を攻めるのを歯を食いしばって耐えた。
「何をしている!転んだらすぐ立て!」
 鋭い声に身をすくめるが、同時に伸ばされた手は主を案じて丁重なものだった。瞬時男の険しい視線が少年の全身を走り、何事もない事を確認してふっと緩む。さり気なく、と言うより無意識の行動か、偉丈夫の大きな掌が少年の髪を撫でて離れていった。
 厳格と過保護。尊大と忠義。冷酷と慈愛。金剛の言動にその苦悩が見え隠れする。
(剣を探していた頃みたいに、ただ嫌っていてくれたなら楽だったのに…)
「トオッ!」
 気が稽古を離れた途端の衝撃。昂が持たされた木剣より余程大きく荒々しい棍棒のような代物が左肩をえぐる。半拍遅れて激痛がよぎった。
「痛ッ…!」
 思わず片膝を付いてしまうその瞬間、偉丈夫の面に苦しげな色が走るのを見てしまう。身体の痛みより心が痛い。
「戦いの最中は気を抜くな!敵は待ってはくれぬぞ!」
 動揺を無理に殺して大声で張り上げるその声を聞くのも辛い。耐えていた涙がついにこぼれた。
「す、昂!?」
 厳格の仮面が脆く崩れる。だが、そんな震えた声であっても名前を呼ばれただけでやはり身体が硬直する。自分の未熟さが一層感じられて、滴はさらに溢れた。


 使役の法とやらは相も変わらず昂を…ひいては金剛をも苦しめている。軽く名を呼ばれただけで心の自由が瞬時利かぬ様になる。抗するため、龍王の清水を盛んに飲すが霊気の強さに当てられむしろ体調は下りの一途。金剛は金剛で盛んに昂を挑発する物言いをし、自分に対する畏怖の念を少しでも和らげようと心を砕いている。剣の稽古であっても、殊更厳格に怒鳴る裏にせめて自分に反感を持たせる事で支配の術から逃れさせようとの思いが覗き、かえって切ない。


「大丈夫か?…骨に響いたか?」
「…どうして…」
「何だ?」
「どうして、どうしてさ、せめて…」
「せめて?」
「僕が…大人になるまで待ってくれなかったんだよ!」
 血を吐くような叫び。


 静かな、間。
 金剛が自分をじっと見つめているのが分かる。苦しさは消えぬが、昂には昂の役割がある。無理やりに気持ちを鎮め、涙を拭いて立ち上がった。
「分かっているよ…今位から鍛えないと、全然使い物にならないからだろ」
 強がりにぶっきらぼうに言ったが。
「いや、違うぞ」
「え?」
「お前が成人していれば始祖龍の清水も苦もなく干せよう。自然身体も頑強となり、鍛練も容易い道理だ」
 語る金剛は苦しげだった。
「だがわたしは龍身を封じられた身、独りでは界を渡る事もままならぬ。お前の居場所が分かりながらも近付く事もできず…あの日、お前が結界の中に入った事により、お前の意識に確と触れて初めて界を越えられたのだ」
「そう、だったんだ…」
「正直、このような希有に再びまみえるとは思えなかった。お前は自覚が無いようだが、感覚が鋭い。異界に通じる結界に、そう何度も踏み込むとは思えなかったのだ。早すぎるのを承知で、連れて来てしまった…」
「金剛…」
「それに、いずれ時が過ぎればお前も日常に埋没し、わたしの呼びかけに答える事などいよいよ皆無になるのでは、と不安だったのだ。人界に暮らす内、新しい家族ができる頃には龍族の未来など顧みなくなるのでは…と」
 唇を噛む。
「すまぬ」
 深々と頭を下げる、男の低い声がわずかに震える。遠くで風の音がしていた。


「顔を…顔を挙げてよ、金剛」
 偉丈夫は言われた通りにする。だが、苦渋の色はまだ残っている。
「金剛だって…金剛にして見れば遅すぎた位でしょう?何百年も僕を探して…」
「いや」
 男は少し表情を緩め、苦笑の顔になる。
「龍の寿命は長いものだ。何百年とは言え人で言えばほんの…」
「でも青春浪費しちゃったじゃないか!」
「青春…?」
 唐突な言葉に笑いかけたが、少年の真摯なまなざしとぶつかり真顔に戻る。
「若いと言えば若かったが、若さと清さは同義ではないぞ。わたしは腐った若者だった…」
 嘆息し天を仰ぐ。いつでも、昔語りを始める際には偉丈夫らしからぬ苦しみの表情に。
「誓って言うが、罰を受けてからの人生の方が余程真実であった。実の所、王になると奢っていた頃は目的も無く無軌道に暴走していただけだからな」
「目的が無い…?だって…」
「王とは何事かを成すべき者だ。鎮座するならば石像でもできる。だが、当時は崇められる存在になる事より他は考えられなかった」
「それなら僕だって…」
「お前は、」
 少し口元を緩ませる。
「お前は龍の一族を思いやっているではないか」
 少年はしばしば龍と龍界について尋ねてくる。無邪気な好奇心を装ってはいるが、説明を忘れぬように反芻する口ぶりが真摯なのは見通していた。
「うん…でも…僕にはやっぱり理不尽に思えるよ…金剛の方が英雄に相応しいのに罰を受けて苦しんで、のうのうと暮らして来た僕がいきなり王様候補になって…でも力が足りない…」
「英雄、か」
 若かりし頃の自分を痛いほど熟知している金剛としては苦笑せざるを得ない。現に、自分から全てを語る勇気をいまだ持ち合わせていない程であるのに。
 が、痛みに耐えるかのような表情で唇をかみしめうつむく少年に少し作戦を変えてみる。
「自分で言うのも何だが、確かにわたしは龍族随一の英雄と看做されて来たし、自分でも大層に誇っていたな」
 わざと大仰な口調で壮語を吐く。ちらりと盗み見ると案の定、少年がいよいよ泣きそうに震えている。気付かぬ振りをし、構わず続ける。
「わたし程、力の強い者はなかった。わたし程、神通力のある者はなかった。子どもの時分から一日に百人を倒し千人を従え、敵陣にもわたしを恐れて逃げ出さぬ者は皆無…」
「分かったよ…」
 弱々しい抗議。だが敢えて無視して自賛を続行。
「雷雲を操り天候すら如意にし、龍界の端々まで望むままに飛来し、若くして力も見聞も神の如きと称えられ…」
「分かったってば!もう、いいよ!」
 涙眼の反抗に、優しく頭を撫でて遣る事で答えてやる。昂が撫でられて嬉しい年頃を疾うに過ぎたは百も承知、だが年より小柄な少年と身の丈七尺にも余る偉丈夫とではあまりに差がありかえって自然に思えてしまう。殊に派手な経験の豊かな身でありながら遂に子宝に縁が無かった身としては。だが、今度ばかりはむしろ逆鱗、常に無い程の邪険さで振り払われた。
「分かってるさ!その英雄様の上に立つのが選りにもよってこんな餓鬼風情だって事!」
「誰が、いつ言った?」
 低く、むしろ怖いような声で問われてはっとなる。金剛は瞳は真摯だった。
「わたしは龍族きっての戦士だ。その戦士の言葉をお前は軽んずるか?」
「え…」
「わたしは、お前こそ、王に相応しいと思う」
 一語、一語。丁寧に区切って噛んで含めるように。
「お前は、龍族一の英雄が認めた者だ。今は力及ばずとも、いずれ一族の苦難を救う王となる。必ず…」
 肩に置かれた手に力が一層籠る。
「お前は今でも決して弱くない。そして今以上に強くなる。わたしを、信じろ」
「金剛…」
「幼い内からお前を見守って来たわたしが言うのだ。お前には輝きがある。面に龍族悲願の王の相がある。太刀筋に勇士の片鱗がある…」
 掴まれた肩は痛む程。だが、その痛みを通して男の真実の意志が伝わって来る。
「不思議だね…」
 強い意志が、言葉が、昂の心の澱(おり)を強引に押し流して行く。
「金剛にそう言われると、何だか急に自信が湧いて来る…」
「それはそうだろう、英雄豪傑にここまで見込まれる者はそうはいまいぞ」
「うん、でも煽てられすぎて図に乗りそう…」
「若い内はそれ位で良い。少なくとも無力の感から自分を追い込むよりはずっと良い事だ」
 気持ちも晴れ、先とは異なる涙を流す少年を一度優しく抱きしめてから冗談めかして囁く。

「さて我が君、図に乗ったついでに稽古を少々参りましょうぞ?」

 その台詞に笑顔に転じた少年は涙を拭うを瞬時に真顔に戻り、覇気をみなぎらせて木剣を構えてみせた。
「さあ、来い!」
「フフ、泣いた烏がなんとやらだ」
「五月蝿いな、もうさっきみたいには行かないぞ!」
 多分にはったりだが痛々しさは消えている。もう、大丈夫だ。
「…よし。吠え面かくなよ!」
「そっちこそ、年寄りの冷や水にならないようにね!」
「ほう!これはこれは元気の良い…どこまで持つかな?」
 からから豪快に笑いながら構えは正眼に。
 小気味の良い、言葉と剣のやり取りは、日暮れまで続いたのだった。

Fin.



 金剛は自キャラながら、微妙に善人で無い所が大好きです(爆)
 ヤング金剛がどれ位アレな奴だったか…早く書きたくて堪らん(死)


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(C)獅子牙龍児
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