龍馬


「暑いね、これも『火気』のせい?」
 もうすっかり外套も脱いで汗を吹きつつ旅仲間を見る。が、問われた偉丈夫の方は前方を睨み難しき表情。
「金剛…?」
「ああ?…いやすまぬ、火気の様相を探っていた」
「何か、またおかしな事でも?」
「うむ、わたしの見立てより火気の元は近い。だが奇妙に弱く、ために遠くに感じられるのだ」
「弱い!?火気、が?」
 呆れて辺りを見回す。地面はすっかり黄味を帯び埃がち、木々も葉に命が乏しく弱々しく垂れている。枝は恐ろしく乾き生木のまま薪になる有様。村を離れて二週は過ぎた筈だが、雨もとんと音沙汰が無い。
 不信も露に豪傑をじとりと見つめる少年の姿に笑みがこぼれる。
「お前の疑問ももっともだが、本当の火気にはより活気があるのだ。例えば…お前の元いた世界ではどうだ?夏は、姦しいほど活力が溢れていなかったか?」
「そう言えば…」
 昂の故郷は格別湿度の高い気候であるから単純には比べられぬが、夏の動植物はなかなか元気である。暑さに参る者も無くは無いが、蝉のように夏に生涯を精算する命も少なくない。
「ここはあんまり…そうだな、何だか疲れているみたいだ」
「そうだ。弱り切った火気に覆われて良い事など一つも無い。この火気はむしろ末期、手近な命より力を奪い漸くで存えているのだ」
「酷い!そんな火気、無くなれば良いのに!」
 少年の憤慨に、嘆息一つ。
「そう言うな。お前は『火気』と聞いて命無き物と考えるからその様な無情を言うのだろうが…火気がいささか破壊を好むとしても世界の支える気の一つ、全く死んでは世の存続に関わるのだぞ」
「…そうなんだ…でも、それならどうすれば良いの?」
「死に行く火気を助ける。何がここまで火気を弱らせ追いやるのか、それが分かれば良いのだがな」
 金剛がまた前方を睨む。世界の存続は勿論、火気の異常は旅の二人に差し迫った危機をもたらしていた。土地が痩せ草が枯れ森が弱り、緑を好む生き物は勿論、肉食の獣すらほとんど姿を見せぬ。
 食物ならまだ良い。昂は成長期にしてはかなり少食…と、言うより節度を心得ているのだろう。金剛もまた歴戦のつわものらしく兵糧攻めには慣れている。だが、水は?
 村で小型の樽数個を貰い、道中の湖沼でも補充は重々しているが、そろそろ先行きが怪しい。始祖龍の清水なら、器が龍界の水源に直結し不足の心配無いものの、元々乾きを癒す水にあらず。今でも大量に干した後には昂の体調が眼に見えて悪くなるのだ。
 ちらりと傍らの少年を見る。豊かな黒髪から艶が消え。頬の丸みが落ちたのも、食の細さばかりでは無く。瞳も赤く、しきりに擦る。涙が減り埃に害されているのだ。盛んに快活に話すが、気を無理に反らすための芝居だとはとうに気付いていた。
 そればかりではない。

「わっ!」
 突然、昂の乗馬が奇妙に痙攣して、止まる。首を酷く垂れ、息が荒く、奇妙な汗じっとりと。馬体の衰えも痛々しい。ちなみにこちらが駿馬の方でその名も光陰と言う。
「ご免なさい!無理、させちゃったね?僕、暫く歩くから…」
 金剛の止める間も無く馬より降りる。と、そのまま身体が大きく傾いだ。
「ブルルッ!」
 忠実な獣が咄嗟に衣の端を噛んで事無きを得たが、一部始終を目撃した金剛の表情は厳しい。
「昂、こちらの馬に替えろ。…わたしが歩く」
「え!?だってそうしたら今度はそっちの馬がくたびれるよ?それに金剛も…」
「こちらの馬はまだ十分余力がある。それにわたしの事なら心配するな」
 有無を言わさず少年を馬上へと、こちらは名も磐石、力馬の方へと押し上げる。そこへ思わぬ方から大抗議。弱り切った筈の光陰が金剛に体当りを食らわせたのだ。そこで無様に倒れる偉丈夫ではないが、そのまま見過ごす程穏やかな性根ではない。
「こら!何をする!」
 鋭い恫喝にも負けじと後ろ足立ちになり威勢の良いいななき。どうやら自分はまだまだ昂を乗せられるとの示威のつもりのようだ。だが…
「光陰!止めてよ、ふざけないで!金剛が怪我をしたらどうするんだよ!」
 哀しいかな、忠義の臣の意も肝心の主には伝わらず。疲労で神経もささくれていたか、常に無い程激した口調、頭ごなしに怒鳴られ、途端にしゅんと沈む。しかも加えて磐石まで、さも嘲るようにいなないたのだ。…これには金剛も憐憫が湧く。
「そう責めるな。この馬はずっとお前の乗馬でいたかったようだ。…主を奪われ少々嫉妬を覚えただけだからな」
 言われた方は全くきょとん、眼ぱちくり。いつもながら素直過ぎる程素直なその反応と、今だに自分の価値に微笑ましい程無知な様子に笑みが浮かぶ。

「何せ天下の龍王様をお乗せする訳だ、乗馬としてこれ以上の果報は望めぬ」
「でも…光陰達はそんな事、分からないでしょ?」
 そこで、突然両の馬がさも心外だと言わんばかりに頭を横にぶるぶる振り出す。
「ど、どうしたの!?」
「はは、自分らが龍王その人も見分けられぬと低く見られて不満のようだな」
「え!…ご免なさい、そんなつもりじゃ…」
 慌てて新たに乗馬となった方の首を詫びのつもりで優しく撫でると、実に満足気ないななきが返って来た。代わりに、嫉妬深い方の機嫌はますます悪くなる。
「…どうやら、この二頭は龍馬のようだ」
「龍馬?…もしかして、本当は龍なの?」
「いやいや、こやつらは確かに馬そのもの。だが先祖から龍の血を受け継いだと見える」
「龍の血って…だって、光陰達は『馬』だよ?人でも何でもないよ?」
 最もな疑問に幾分苦笑する。…まあ、事実だし言っても良いだろう。少年には少々きつい話題ではあるが。

「龍と言う者はな、総じてどんな生物とでも交われるのだ」
「………え」
 たっぷり三分経過した後に実に不審気な声が返る。まあ致し方あるまい。
「龍族は大概が変身の能を持ち、しかも多情と来ている」
「た、多情…」
「『蛇性の婬』と言う奴だ。…いにしえの龍王はその鱗の一枚一枚から生物を生み出すほどに偉大であったが、龍族の数の多さの一因はむしろそちらの方にある」
 すらすらと述べてちらりと見ればすっかり赤く声も無い。予想通りの反応がまた笑いを誘う。
「…何せ、龍に取って種族の壁は有って無きが如しと来ている。取り合えず相手が雌でさえ有れば必ずはらませると言う次第」
「…」
「まあそうじとりと見るな。確かにその馬はかつての龍族の出来心の末だが、お陰でお前の得難き乗馬となっているのだからな。」
「え?」
「先日街で初めて馬に乗った時は随分とまた怯えていたな」
「そ、それは!あんな大きな馬に乗ったの、本当に初めてだったんだから!」
「その割りにはこの二頭に『懐く』のは早かったな」
「誰が『懐く』って?」
 ぷうと口を膨らます。総じてしっかりした少年だが、細かい所は存外幼い。

 思い出すは近い過去。我を忘れた暴れ馬、その面前に確と立つ昂の姿。瞬間全く五臓六腑が凍ったが、事の顛末意外や意外、あの二頭の懐きぶり、小犬の如き有様でぺろぺろ舐めるその様子、事態を捕えた世話役が唖然呆然と固まったのも含めなかなか愉快な光景であった。あの後も殊に光陰が、昂の姿を見るが度、ひたすら後を追掛け回す甘えぶり、恐らく長く語り草になろう。
 となれば昂だけが懐いた、と言うのでは確かに一方的に過ぎるだろう。それでも仮にも大切な主君たる少年のいきなりの行動には実際胆を潰した。馬の面に鱗気の相を瞬時に見い出していたとは言え。

「馬と言うのは元来が強情で、その癖気が小さくすぐ主を忘れて逃げ出してしまう御し難い獣だ。その馬をこちらの意にそわすのは…まあ子どもにはまだ無理だろう」
「ちょっと!僕もう15だよ!子どもじゃない!」
(そうむきになるから、子どもだと言うのだ)
 思っても流石に口にはしない。ただ、金剛の盛んな焚き付けの甲斐有って昂の言葉に虚勢ではない張りが戻って来た。
「とにもかくにも、この二頭なら強いずともお前の意を汲む。また馬にして見れば先祖の王の末裔にあたる訳だ、お前の役に立ちたい…と矢も盾も溜まらぬ有様と来ている。遠慮無く使ってやれ」
「そう言われても…」
 所在無げに少年が視線を彷徨わすと、両馬が同時に昂を見る。それも瞳を輝かせて。
 『命令』をねだられた方が弱り顔になるが、暫く首を傾げた後に妙案が浮かんだようだ。

「ねえ光陰、ちょっとこっちへ来て」
 呼ばれた駿馬は疲れはどこやら意気揚々、主を取られた駻馬の方は機嫌を損ねて湯気濛濛。
「待ってね、磐石には後で頼み事をしたいから」
 鼻息荒い首を優しく撫で、取り合えず場を収め指名に沸き立つ馬に少し屈み込む。元々磐石は馬体が並外れて巨大、光陰はまだ幾らか幼くその能の割りには小柄なのだ。
「ねえ、光陰にお願いがあるの」
 何なりと我が君!馬に口が利ければ言ったであろう、その瞳の輝き様は見ているこちらが吹き出す程。
「早く、良くなって」
 …はて?
「いーい?絶対必ず直ぐに早く身体を治して、また僕を乗せられるようになって!今の光陰だと、僕今にも落馬しそうで少し不安で」
 『不安』、と言う所で少し眉を八の字にするなどなかなか芸が細かい。しかも耳の辺りを優しく撫でられながら噛んで含めるように言われたまだまだ幼い忠義の子馬、はたと思い至り恥じ入る様子で畏まる。
「僕もね、小さ…ううん、光陰の方が僕に釣り合うからね、光陰と一緒の方が嬉しいから」
 ヒヒーン!台詞の最初を聞き逃し、『釣り合う』と言う語を都合良く解釈したらしい当の光陰が喜びの雄叫びを上げる。そこへ、確と聞いたらしい磐石が茶々を入れようと…
「磐石!」
 ぴしりと言われてぎくりと固まる。
「磐石は光陰を刺激しないで!さっきも僕が光陰に怒った時、変に笑ってなかった?」
 風向きが悪くなってさりげなく視線を逸らす。
「磐石の方がお兄さんでしょ?なのに光陰としょっちゅう喧嘩…ううん、喧嘩を売ってたよね、こっそりと」
(ほう、気付いていたとは…)
 実際、ちいさな龍王に馬語が分からないのを良い事に、まだまだ若い光陰をしばしば挑発する様を金剛は何度も目にしていた。さほどの悪意は無いにせよ、度々の事に一々反応する光陰が消耗し、今の疲労困憊の一因となったのは確かである。昂の乗馬が代わると言う、今の事態まで狙っての事かは判じが付きかねるが。
「ね、磐石、」
 業と眉を吊り上げていたのを一変、ぐっと柔らかな声音で。
「僕、磐石の事好きだけど、ちょっと背が高すぎて落ち着かないんだ。たまに乗ると嬉しいけど、ずっとだと…」
 ご免ね、とつぶやいて。
「それに、脇で見ていた方が…見上げている方が磐石格好良いし」
 磐石の耳がぴん!と立つのがはっきり見えて、金剛は笑いを噛み殺した。どうやらこれが殺し文句となったようだ。
「だからね、僕がまた光陰に乗れるように磐石にも協力して欲しいんだ」
 こくこくと、大きな馬が頷く様は大層滑稽だが、いずれの馬にも不満は残らず丸く治まったようである。


「お前には弟か何か、幼い兄弟でもいるのか?」
 夜、焚火の前で馬達をはばかりつつ尋ねる。
「弟?いないよ。僕、一人っ子だから」
「そうか…」
 そう言えば兄弟の話は出た事がなかった。
「犬や猫等は?飼った事はないか?」
「無いけど、どうして?」
「いや、お前が巧みに馬達を扱って見せたからな、感心してな…村では子どもも良く懐かせたしな」
「そうかなあ…」
 頬を照れ臭げに掻く。昼間の一件が無事に決着したせいか、疲れの色が幾分和らいだようだ。
「母さん達の真似、かなあ?」
「ほう?」
「母さんは頭の回転が早くてね、僕が小さい頃駄々をこねて大変な時、押して駄目なら引いて見ろって事なのか、うまく外堀から攻めて来て最後に僕が承諾せざるを得ないように誘導しちゃうんだ」
「成る程…」
「あと父さんはね、普段は優しいと言うより気弱でお人好しで、典型的な尻に引かれるタイプなんだけれど、ここぞと言う時だけはとにかく頑固で、人が違った様にびしっと一言決めるんだ。そうすると普段との落差がなまじあるだけに、何だか押し切られちゃう…」
「龍族にもあらずに龍王をやり込めるとはな、大した人間だな」
「ちょっと!僕の母さんと父さんだよ?やっぱり血筋から言ったら龍族になるんでしょ?」
「いや、お前の両親は勿論お前の祖父や曾祖父も龍族ならぬ純たる人間だ」
「え…だって…」
「血筋で言えばお前の直ぐの先祖も確かに龍王の末裔だ。だが鱗気の顕現なくして龍族とは呼べず、龍の呼びかけに感応無くして鱗気の現出有りとは言えず。彼等は龍の末であってももはや龍の眷族ならざる存在なのだ」
「そう…なの?」
「ああ。…お前には不本意に聞こえるだろうが、人界は淀みの界、たとえ龍の素養のある者とてまだ胎に存る内より曖昧模糊の気を受けて、産まれ落ちるまでに人気(じんき)のみを纏う並の赤子に変じるのだ。余程の鱗気を持つ者だけが…龍王のみが人界にて龍としての気を保てる」
「あんまり、信じられないけど…」
 いまだ小さな龍王には自覚が不足しているようだ。だからこそ、ことある事に昂の存在の得難さを教え込んではいるのだが。
「淀みと言えばここ蛇蝎界も同じ。元々は人界には珍しく天然の気に恵まれた世界で、龍界からも骨休めに訪れる者が絶えなかった地だが、却ってそこが仇となり、魔族侵攻の折には随分攻め込まれたものだ」
「うん」
「今では龍族にも住み難い界となった…龍の血を受けた一族とてその血を現すことは実に希有の事となった」
「希有?じゃあ光陰や磐石は?」
「実に珍しいな。わたしもこの地を長らく旅して来たが、あれほど確と鱗気を発する龍馬は初めて見た…あるいは、」
 笑って少年の頭を撫でる。
「龍王の誕生をどこかで感じ取ったのやも知れぬ。お前と出会ってあれほど喜んだのは…これも不思議な縁だろう」
「…そうだね」
 少し離れた場所で既に眠りに就き始めている二頭をそっと見る。逃げる心配など一毫も無く、出立に貰った馬を繋ぐ用具など、既にどこに納めたかも忘れてしまった。恐ろしい程の馬力を誇る獣達が、すっかり寛ぐその様は何度見ても微笑ましい。
「光陰も早く元気になると良いけど」
「そんなに奴が心配か?磐石は嫌いか?」
「そうじゃないけど…」
 案じるようなまなざしを偉丈夫に向ける。
「幾ら金剛が強いからってこんな気候で歩き詰めじゃ参っちゃうよ」
「はは、そう言う事か」
 少年の本音は正直喜ばしいが、何も知らずに眠っている馬達が少々憐れになった。


 そんな、束の間の日常。…嵐の前の。


Fin.


後記:
 …自分、夢見過ぎや(爆)ちょっと割りとモロっぽいぞ(謎)
 つーか、某ジャンルの某キャラのネタにそっくしの気が。パクった気は皆無ですが、やっぱヤバいかも知れんです(涙)

 いや、でもそのつまり。作者、モノ凄い権力腕力魔力迫力(←?)手中にしたら、異世界中からドラドラなモンスター集めて犠牲を厭わずドラゴン帝国を築き上げ、そしてドラゴンハーレム(をい)作るのが夢なんス…
 ドラゴン千年帝国とか…もはやフレーズだけで鬼萌え(殴)
 …妄想するだけなら罪にならんし(爆)


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(C)獅子牙龍児
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