長雨


「はあ…」
 涙を流し続ける窓に額を押し付け、ため息。金剛は、今までの冒険談をせがまれ出かけている。全て昂の知らない話ばかり、始めは純粋に金剛の活躍を聞きたくて着いて行ったのだが。
 正直な所、直に辛くなった。

 金剛の、なかなか巧みな話術で軽快に語られる武勲の数々を聞けば聞くほど自分との間の距離を感じてしまう。随分稽古をつけて貰ったが、どれ程強くなったのか、今の所分からない。昂は今だに剣に認められた所有者の自覚がない。
 それだけではない。稽古ではない、実戦が控えていると思うと実は恐怖が先に立ってしまう。闇甲虫を憎く思う気持ちも村人を危険にさらしたくない気持ちもある。間違い無く、龍王の剣を持つ自分の方が、村の野良仕事で鍛えた屈強の若者より退治仕事に向いている事も理解している。それでも怖い。隠してはいるが夜も余り眠れない。
 元々二人部屋にしては大きな部屋が、一人取り残されると余計に広く思えてならない。常なら聞こえる暮らしの音も、雨音が全て消し去ってしまう。
「僕、だいじょうぶかな…」
 口に出して言えばますます不安に。
 ふと、背中を見る。相変わらず不粋に見えるよう細工した龍王の剣が吊してある。どこに打ち捨てようが盗まれる事はありえぬが、剣は昂に勇気と力を与えまた鞘は万が一の怪我や毒物から昂を守るからと、常に身に帯びるよう金剛たっての願いであった。
「でも、勇気と力は怪しいよな…こんな事言っちゃ、いけないけど」
 少なくとも今は御利益を感じられない。そこで、ふと思いついた。
 剣を抜いたらどうなるだろう?

 部屋の入り口を見る。何の足音もしない。時計などあろう筈もなく正確な時刻は分からぬが、金剛が戻るまでは多分まだ暫くある。そんな時に勝手に行動して良いのだろうか?
 もう一度、見る。結局、勝手にふらつく金剛が悪いと責任転嫁しながら…すらり、引き抜いた。
「わあ…」
 薄暗い部屋がたちまち光に溢れる。始めて見た時と同様、めまぐるしい紋様の乱舞。ためつすがめつ…昂は無意識の内に剣を左手に移したり右手に戻したりしていた。両手持ちの剣程の大きさであるのに、相変わらず軽く感じられるのである。そっと、龍紋に引かれるように刃の背に手を沿える。ふっと、労る様に光が柔らかに減じた。
(何だろう…)
 いつぞやの無邪気な歓喜とは明らかに異なる。龍紋のざわめきも密やかになり、触れた所から暖かな波動が感じ取れる。と、唐突に腑に落ちた。
(あ…!)
 剣が、揺れて沈む主を力付けんとしていた。
「慰めてくれるんだ」
 昂の言葉を肯定するように、大きく瞬く。そして励ますように紋様の大きな輪舞が始まる。光も踊る。
「ふふ…ありがとう」
 いじらしい程の心使いがうれしくて、刃を抱き締めてしまう。
「あったかい…」
 金属とは思えぬ。生き物を思わす温もりが、冷えていた昂の心を充たしていった。



「遅くなって済まぬ。もう一件頼まれてな、その代わりと言っては何だが、菓子を土産に…」
 扉を開けた金剛の言葉が途切れた。窓枠にもたれて安らかに眠る少年が一人…ただし、むき出しの剣をしっかり抱いたまま。
「これはこれは…」
 流石の金剛も頭を掻く。おおよその状況は見当が付くが、流石にこれは絵として穏やかではない。事情を良く知る金剛なればこそ、他の人間が見たら大騒ぎになった事だろう。取り合えず、風邪でも引いたら大事と、寝台できちんと休ませたいが、相手の腕には鉛より重い龍王の剣がある。そっと運ぶは難しい。少年がここ暫く夜も寝付けず眠りの浅い事を既に承知していた金剛としては気が咎めたが、止むを得ず揺り起こす。
「昂、起きるのだ」
「う…うる…さい…」
「風邪を引くと言っている」
「…ん……あ!」
 眼がぱちりと開き飛び起きる。
「あれ?あれ?こ、金剛!?僕…僕寝てたの!?」
「ああ。眠るなら暖かくして横になった方が良い」
「う、うん…あ!…僕、剣…」
 腕の中の物体を見て昂の血の気が引く。
「勝手に出した上に抱えたままうたた寝するなんて…罰があたるかも…」
 その台詞に偉丈夫が大仰に嘆息する。
「わたしとしては、もっと別な事で蒼ざめて欲しかったのだが。…抜き身の剣を抱いて眠って怪我でもしたらと思わぬのか?」
「あ…」
 慌てて身体を確認する少年に、思わず忍び笑いが漏れる。
「何度も言った筈だが。その剣はお前を絶対の主と認めたのだ。その主を剣が好んで傷つけると思うのか?」
「でも…」
「いにしえの剣には意志がある。お前も薄々感じてはいただろう?」
「うん…」
 確かに剣は昂を力づけようとしてくれた。しかし、不注意窮まりない主人を切らぬような心遣いが果たして可能だろうか?
 剣を見ながら首を傾げる少年の姿が微笑ましくまた笑みを浮かべてしまう。

「しかし、わたしも力不足だな、いかに至宝の剣とは言え器物に負けるとは」
「え?負けたってどうして?」
「なに、わたしとてお前を力づけたかったのだが、剣にまんまとしてやられた。…そら、外を見ろ」
 言われるままに窓を覗くと、何とあの豪雨が小雨に転じていた。
「いつの間に!」
「お前の心の晴れた時だ」
「え?」
「あの豪雨はお前の心が呼んだのだぞ」
「ええ!?」
 信じられない。だが金剛は昂に雨を呼ぶ力が備わっていると言う。
「既に始祖龍の清水も飲んでいる、剣も身に帯びている。まだ七龍との誓約がないとは言え、立派な龍王なのだぞ?」
「でも…でも!僕雨が降って欲しいなんて念じてない!それどころか雨のせいで憂鬱になってたんだから!」
「しかし、初陣への恐れはあった」
「う…」
「無論、わたしとてお前が無から雨雲を作り出したとは思わぬ。遥か遠方より引き寄せたとも。…あの雲は本来この地に然るべき雨を降らすべく、元々程近い空に浮かんでいた物だ」
「なら、僕は関係ないじゃないか」
「関係大有りだ。お前にはまだ分からぬだろうが、この地に南方より不審の火気が迫っている。村人の話にもあったが、百足の北上や気候変動はこの火気が関係しているだろう」
「それと、僕の降らせたって言う大雨の繋がりは?」
「うむ、この火気、この地の雨雲を全て払う程には強くないが、幾分ひるませるには十分…」
「ひるむ!?雲が?」
「お前の故郷はいざ知らず、ここ蛇蝎界や龍界では気候も全くの生き物だ。しかも繊細で臆病と来ている。良き糸口無くば雨雲も思う様降らす事はできぬ」
「へえ…」
「そこへ、龍王たるお前が来た。しかもわたしの見た所、お前は特に水気と相性が良いようだ」
「え?だって龍と水なんて相性が良くて当然じゃないの?」
「いやいや、炎を操る火龍もいるぞ?そもそも龍族各々に得意とする部門があってな、龍族全体で世界のほぼ全ての現象を支配し、また七龍は職能の重ならぬ多種の部族から選ばれると言う事だ。…それで、水気に親しいお前と雨雲の関係だが」
「うん」
「まず、雨雲と言う物も龍の眷族とも言えるのだ」
「ええ!?」
「全てではないが、多くの雨雲はかつて始祖龍、また古き良き時代の龍の先達によって生み出されたのだ。今に至るまで、その雨雲達は自らの生みの親を覚えている。おぼろげに、だが」
「雨雲が…」
「そこへ、他ならぬ龍王が現われた。しかも水気と相性が良いと来ている。龍の雨雲としては何としても力になりたいと思った」
「思った、って…雨雲なのに感情があるんだ…」
「我々と全く同じとは言いかねるがな。…さて、大切な龍王が何やら悩む…恐らく雲どもには『苦しむ』としか分からぬだろうが、とにかく不快がある事に気付いた」
「それで?」
「単純な雲どもに人の心の機微が分かる筈もない。恐らく迫る火気が龍王を害しているのではと思ったのだろう、今までの怯えが嘘の様に張り切って雨を降らした、と言う次第だ」
「うわ…ちょっとありがた迷惑…」
「しかし、実際すぐ出立と言うのも辛かったろう?世界を渡ってこの方、ゆったりと休む事もなかったしな、丁度良い休息になっただろう?」
「うん…でも、休むのに慣れると、余計に戦えるのかなって思うよ」
「しかし、この雨はやはり恵みだぞ。これだけの豪雨、例の火気も随分と衰えた。闇甲虫の気の荒れも納まり、今後暫くは襲撃もないだろう」
「う〜ん、虫が今は少し油断しているって事?」
「ああ。かなりの助太刀となろう」
「そうなんだ…ありがとう、雨さん」
 色々文句を言ってごめんなさい。細くなり行く雨の筋に、心の中で謝罪した。

Fin.


後記:
 設定クサい話題もあるので、初めは本編に入れたのですが。とりあえず進行とあんまし関係ないし、剥き出しの剣のをしっかり抱えたままスヤスヤ眠る…ちゅうのが、ちょいと趣味入り過ぎと言うか何と言うか(苦笑)

 ただヤリムリに本編から削ったために、削った部分があからさまに不自然に…(涙)

 ちょぼちょぼ匂わせておりますが、始祖龍サマっちゅうのは単なる『龍』ちゅーよりは中国(漢)の『盤古』のよーな雰囲気で。結構意外な種族の御先祖様だったりってコトになっとります。あとですね、龍族はどんな種族ともハーフ作れる(…)ちゅうスゴい(ヤバい)設定も(汗)ま、歴史的にも『龍馬』を初めとして龍の血を引く生き物って割りとアリですし、日本にも龍が聟入して子孫がずっと続いているって伝説あちこちにあるし。龍って変身能力高いらしいッスから、それで…ですかね?
 けど、雨『雲』まで親戚…ちゅうのは流石にアレ。せめてさ、「あれ『雲』に見えるケド正体『龍』なんだよ、雨雲じゃなくて雨『龍』なんだよ」って事にすれば良かったような気が。気象現象そのものが『龍』だって考え、別に古代中国ではアリだし。虹だって昔は龍そのものだって思われてたんだし…だから虫偏なんスね。

 鳴呼、はやくマジな龍書きてえええええ!(切実)


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(C)獅子牙龍児
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