日だまり


 そろそろ秋風が吹き出したが、天気はすこぶる良好である。丁度村の子ども達に誘われた事もあって、しかも暫く分厚い書物とにらめっこする羽目になっていたから結局終日遊んでしまった。
 少しばかり、鼻がむずむずする。
(やばいな、風邪、もらったか?)
 そう言えば二人程盛んに鼻をすすっていた。そろそろそんな季節か…と感傷に浸りかけた思考を慌てて修正する。
(お師匠にうつさない様にしないと…)
 早く帰って、濃い目に煎れたカミツレ茶を飲もう。夕焼けに染まり始めた、通いなれた山道を急ぎ登って行った。


「お師匠…」
 またか、と言う気がした。西日が橙色に差し込む中、白い髪の魔術師は藤の大きな長椅子にゆったり身を横たえたまま…すやすやと眠っていた。

 白い髪の魔術師は高位の貴族の出身ながら豪奢を殊の外嫌う。だからと言って吝嗇に過ぎると言えばそれも否、時折「つい、買ってしまいました」と言ってささやかな贅沢を楽しんでいる。これもその一つ、値段こそ破格に安かったし随分くたびれた中古の品だが、藤は藤でもマギスの藤、魔法王国ではルルラと呼ばれて親しまれる蔓の中の女王で製した物である。
 手入れが要るのが面倒だが、大きさに似合わぬ軽さに丈夫さ、寝心地の良さもシド自身良く知っている。飾りに塗ったヴァニッシュの、所々剥げたのを無粋な前の持ち主が乱暴に安物で塗り重ねるから見た目は少々不満が残るが…
(じゃなくて!)
 シドは元々きつい吊り目をますます細く険しくした。

(何時からだろう…)
 昼過ぎに出かけた時には椅子はまだ出ていなかった。久し振りに薬草棚の煤払いをするとか何とか、掃除用具を取り出して手順を考える状態だった。
(待てよ…?)
 シドを送り出した時、ふと思い付いた様にこう言っていた。

 ―良い日和ですね…虫干しをしたいものです…

(うー…)
 案外あのおっとりした魔術師は時折意外に即断即決だ。特にこう言う雑事がまた好きと来ているから…『したい』が『する』に変わってしまったのだろう。
(それで、あの椅子外に引っ張り出したんだな)
 長椅子は勿論正当な用途にも使われるが、運び易い上になかなか面積もあるため、椅子には悪いが良く薬草等を干すのに使ってもいる。それに独特の網目が適度な滑り止めとなり、重い書物を乗せても頑丈でびくともしない。多少汚れが付いたとしても、固く搾った布で拭けば簡単に落ちる。だから虫干しにも最適。
 だが…実際秋の日差しを浴びているのは、白い髪の魔術師である。



 そっと、眠りを妨げぬよう近付いた。
(少なくとも、昼飯よりは後だから…)
 シドが師匠に一声かけて、村へと遊びに出て行った時。既に太陽は南中点を過ぎていた。それに暫くは掃除をしていただろうし…
 つらつら思い巡らしながら、さらに傍に近付いて。そこで思考も足も止まってしまう。

(お師匠…)
 シドが真実傍まで近付いたのに、目覚める気配は全く無い。警戒心のまるで無い…無防備な姿。いつもの魔術師の正装を解いているから尚更の事。
 世に名高いマギスの学院は門弟に厳かな長衣を必ず贈る。見た目にも美しい天鵞絨地に、パイル切りの有無で繊細な模様と艶を浮き立たせた厚手の装束は着る者に大きな威厳を与える。それがまた、この世で最も黒い糸と言われる黒竜蚕の絹糸を惜しみ無く使った物だから、価値から言っても王家の儀礼服と争える。それにまた、鈍く重々しい光を放つマグムノ鋼の肩飾りの…本来は虚飾で無くて迫害されがちな魔術師を護る、純然たる防具なのだが…北のドワーフの匠の技、その粋を凝らして見事な渦紋様が一種強烈な圧迫感を見る者に与えてしまう。…もっとも白い髪の魔術師の、優しげな容姿がかなり中和させるのだが。
(この格好じゃ…とても、あんな凄い魔法を使う人には見えないぜ)
 軽くため息。掃除好きの洗濯好きの人物だから、よれよれのシャツを何時までも着ている…などと言う事は皆無だが、貴族育ちだと言うのに本当に服装に構わない。掃除のためとは言え…埃にまみれ日にすっかり褪せた、木肌色のぞろりと長いチュニックを纏っている。魔術師の才能にも容姿にも釣り合わない、それが悔しい。
 自分が金持ちであったなら、上等なフランネルでもなんでも次々着潰せるよう買う事も出来るのに。あるいは人を使って、雑事をことごとく任せられるのに。…魔術師は露程にも気にかけないが、闇妖精を弟子に取るためにかなりの金子を役人達に渡しているのだ。並の村人よりは豊かにしても、人物の価値に見合わぬ暮し。…辛い。

「…ん…」
 かすかな声にはっとした。静かに眠る魔術師の、白く長い髪がふわふわ浮いて揺れている。一瞬何が起きたか驚いたが、じきに悪さの犯人が見えた。
《おい、お師匠目を覚ますだろ!》
 シドは思わず精霊語で怒鳴ってしまった。…風霊の娘達である。

《何悪戯してんだよ》
《あら…だって折角シドが帰って来たのに、この人まるで眠っているじゃない?》
《別に良いだろ、お師匠毎日仕事で疲れてるんだよ》
《そう?あなた退屈じゃあない?》
《寂しそうに見えたけど?》
《う、うるせえよ!別に平気だ!》
 精霊との対話では心の中を隠し難い。風霊達も単なる戯れで旋風を起こした訳では無く、真実シドを案じて来てくれたのだろう。実際、切ない様な気分になっていたのもやはり事実。
 だが。咎められてもいまだに辺りを飛び回る、風の娘の起こした風を頬に心地良く受ける内に不思議な感情が湧いて来る。
 そよ風の運ぶ…ラベンダーの柔らかな香り。

 魔術師の香り…

《なあ…俺、別にだいじょうぶだから》
《そう?本当?》
《あ、ああ!何とも無いさ!》
《ふ〜ん?》
 ただでさえ心も見通す精霊相手では分が悪いのに、この風達は少々勘が鋭過ぎる。別にやましい訳でも無いが、我ながら面映ゆい思考の囚われ人と化した今、風の娘に囲まれたままと言うのは…
《佳いわ!邪魔者は消えてあげる!》
《え!?…おい、邪魔って何だよ!》
《ごゆっくり…でも風邪は引かないでね…》
《あ!おいこら待てよ!》
 …結局。娘達は笑い声を残しながら去って行った。

 辺りを再び静寂が支配する。慎重に、足音を立てずに近付いて乱れた髪をそっと直す。前髪に手を伸ばすと額にほんのわずか手が触れて、慌て両手を引っ込めた。ほんの少し冷たいが、滑らかで奇麗な肌。なんだか…どきどきした。

 一度は外した自分の視線を再び魔術師に戻してみた。衣装は薄汚れているけれど…こんな服にも意外に効能があった。地味で貧しい服だけに、魔術師の整った顔立ちを引き立てるのだ。
 いつもの深い黒の方が白い肌を際立たせるが、こんな中途な色の組み合わせも存外不思議に優しくて佳い。髪がまだ幾らか乱れているが、安らいだ寝顔と相俟って若い印象を…むしろ幼いと言って良い…さらに強めて見せている。もっとも童顔は本人密かに気に病む事なのだが。
 すっと、何気なく視線を走らせた。今来ている服は余裕があるものの素材が安い、いつもの長衣の様にしっかりしていない…身体の細さが際立って見える。
(お師匠、栄養足りてんのかな)
 何時も心配になる。自分と違ってこの師匠は何時も申し訳程度にしか食べていない。自分のために食費を削っているのかと…何せ、シドの大食い振りはとても闇妖精の血筋とは見えぬのだ…一時は真剣に心配したが、本当に胃弱で受け付け無いらしい。
 そして。細さが背丈をさらに強調してしまう…

(俺の背…もうちょい伸びねえかな…)
 ため息を一つ。今こうして横たわっているだけでも魔術師の背丈はかなりのものだ。マギスの魔法貴族は生涯背が伸び続けるとの話だから、彼の国では至極当然の背丈だろうがこの地方では珍しい。そして子どもで妖精の、シドの背丈は酷く低い。自分と話をする時の、そっと眼線を合わせる師匠の仕草は優しくもあり悔しくもあり…決して丈夫とは言えないこの人の、せめて支え位にはなりたいが今のままでは肩さえ貸せない。
 だから…少しでも育ちたくて。人より倍以上も食べてしまう。
 今の所、成果は全く出ていない。


「んん…」
「お師匠?」
 声に慌てて覗き込んだが今度もやはり寝言らしい。ほんのわずかに身を曲げて、丁度シドの方へと顔を傾けている。
(これで…四十路なんて…)
 詐欺だよな、とつい笑ってしまう。
 髪の白い魔術師は、当然の事ながら眉毛睫毛も皆白い。肌もまったく奇麗に淡いから、日が差しても影は決してきつくはならない。寒い寒い冬の日にひっそりおりた霜の様な絹糸が、穏やかな呼吸とともに上下する。何だか優しい気分になれる。

 魔術師はこのまるで老けぬ容姿のせいで、随分辛い思いをしてきている。それに白すぎる肌や髪のためにも…それでもシドはこの姿が一等好きだ。純粋無垢な魂に、姿形を与えるならばこれ以上は望めない…
 歳の差も忘れられるし。

 もしかしたら。魔術の修行をより積めば、自分の背丈を伸ばす方策も見つかるかも知れない。でも自分と師匠の間にある、二十以上の年月ばかりはどうにもしようが無い。
 だから。この若い容姿がこの人を、酷く苦しめているのが判っていても。魔術師の顔立ちに幼さを見つけると安堵してしまう。自分があまりに子どもだから、仕方の無い事と理解はしているが、全てにおいてシドを何時でも庇ってしまい、弱さをさらけ出す事などまるで無いから…
(お師匠…もう暫く、寝ててくれよ…)
 当り前だが眼鏡をかけた寝顔と言うのも珍しくて。…惚けた様に見つめていた…



「ぶ…へぇっくしょん!」
 何だか急に寒気がして、むずむずしていた器官が突如にわかに発作を起こす。こればっかりは大音響、熟睡の底にいた魔術師も流石に瞼を一度に開けた。
「な…何です…シド!」
「あ、わ、あ…その、起こすつもりは…」
 何だか悪事の現場を抑えられた気がしてしまい、しどろもどろに言い訳しようとするが。
「あ…あ…っくしょん!ぶひゃっくしょん!」
「シド!」
「ひゃっくしょん!ぐ…ぶばっくしょん!」
「シド…」
 初めは何処か寝ぼけ顔の魔術師も、弟子の立て続けのくしゃみを聞いて案じ顔となる。
「あ…いや、あのこれは、きっと誰かが噂……ぐしょっ!!」
 重ねて言い逃れをしようとする、小さな弟子に嘆息一つ。
「そうだとしたら、貴方はまた随分と人気者ですね…」
「だ、だから…ぶわっくしょん!!」
「もう…何時から其処にいました?」
「え…」
 辺りはほとんど日が暮れている。なまじ夜目が恐ろしく利くだけに、暗くなるのも気付かなかったのだ。
(そんなに…俺、見とれてたのか?)
 何だか頭に血が昇る。そうしてもたもたする内に、魔術師はさっさと立ち上がり、シドを促し家へと急ぐ。
「今日はお粥にしておきましょう。そして早寝ですよ」
「そ、そんな大袈裟な事じゃねえって!第一…」
 お師匠だって外で昼寝していたじゃん、と言う抗議は大人のため息にはね除けられた。



 結局、本当に熱が出て、三日も時間を潰してしまった。御陰で自分が手伝いする気でいたのに、虫干しは皆魔術師が済ませてしまった。また手助け出来ず…不甲斐無い自分の体力が恨めしい。

 でも。熱を計ろうと伸びてくる、白い白い魔術師の手は火照った額に冷たくて。ひんやりと心地良い感触で…
 こう言うのも悪くない、そんな不埒を思ってしまった。

Fin.


後記:
 ちょっと…違う意味のファンタジーな気が(爆)
 ま、個人的には風霊の娘さん書けて満足や(笑)

 おいおい本編にも登場しますが。風霊の娘さん…つまりはシルフとかシルフィードとか言われる精霊はん達ですのん…ちゅうのはシドと元々相性がよろしゅおまして。まだ人間の親と暮してた頃からの付き合いですねん。そんで、シドと風霊との関係は盟約でも使役でも強制でものーて、純然たるフレンドシップちゅうトコですわ。せやから時によると呪文も無しにシドはん時にものごっっっつい技かましよりますねん。
 つーかですね、このssとは関係無しですが、シドはんのお友達の皆はん、同じ風霊言うても相当ハイパーなレヴェルですわ。…容姿もな!(爆)
 何でそんなんに生まれた時からストーカー(違)されてるかっつーと、ま、理由もあるにはありますが…
 …ナイショ♪(死)

 ちなみに超!下世話な話ですが、風霊さん方は皆着衣。この世界の精霊、純粋に霊的な存在と言う訳で無く、むしろギリシャ神話のニンフに近い存在でして。あくまで人間達の世界に来る時だけ、色々と無理があって幽霊みたいなボンヤリ姿になるだけで…普段は至極普通に生活してはります。
 そもそも。ウチのコレの世界観では神サマと精霊との差はあくまで霊的レヴェル…まあ、魔力っつーかパワーの差だけであって、非常に連続した存在だったりするんですな。いやむしろ、その真の境界は人間からどれだけ「信仰」ってモンをかき集められるかに依るっちゅーか。
 そこいら辺は世界観を(一部)共有している「太陽と星〜」シリーズで解説する予定…
 でも予定は未定ッス。


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(C)獅子牙龍児
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