幻獣創師 〜クリーチャーメーカー〜


 彼の師匠は不思議な人物である。その家が人里離れた山奥で、「お使い」の道のりがやたらに長い事も手伝って、シドは取り止めも無くつらつら考えていた。

 まあ一応魔術師ではある。

「彼(か)ノ人ハ魔法ノ術ヲ良クスル者ナリ」
 古式ゆかしい文法に則って文章を発して見る。古の堅苦しい言葉が自分に似合わないのと同様に、言葉の意味する所も間違いでは無いが事実とは相当の隔たりがある。魔術師に変わり者が多いのは事実だが、概ね魔術師ギルドに属して他の人間達を蔑みながら役にも立たぬ研究に没頭するか、あるいは手っ取り早く何処かへ化け物退治に出かける等して自分を売り込み、お偉方の専属魔術師…出来得るなら宮廷魔術師…に納まって、己の虚栄心を存分に満たす事を目指すのが普通である。それがこんな辺鄙なド田舎に住み着いて、しかも愛想の悪くない(むしろ並の男より良いかも知れぬのだ!)魔術師など聞いた試しが無い。
 これで実は己の魔力に限界があって、結局大成しなかった「魔術師崩れ」と言うなら納得も行く。実際魔術師の学問を志す中で挫折する者は数多く、それでも自分はエリートだた見栄を張りたがる連中は、魔術師自体が珍しい、遠い田舎に移り住み、見世物紛いの下らない魔術で人々の尊敬を勝ち得んとするのが常なのだ。確かに始めの内はもの珍しさも手伝って、それなりの「信者」が出来るものだが、結局己の事しか考えられぬ頑迷さに皆々たちまち愛想を尽かし、結局より堅固になった魔術師への偏見のみが残るが関の山。だが、シドの師匠は違っていた。
 過去の事は自分から滅多に話さず不明も多い。だが…

「落ちこぼれの学生時代なんて思い出したくありませんよ」
 苦笑しながら言う割には、魔術の課程をしっかり終えた修了生にしか与えられぬ見事な紋章入りのローブに細かに魔法文字の刻まれた重厚な魔術杖と持ち物は馬鹿に大層である。

「本当は盗品なんですけど、助けると思って黙っていて下さいね」
 魔術師には間抜けが多いのも確かだが、幾ら何でも魔法の使い手から、おいそれと正式のローブや魔法杖が盗めるとは思えない。何れも特別な魔法が付与されて、万が一にも紛失した際には魔法で以って追跡出来るからである。そうで無くとも形と権威にこだわる愚者の多い魔術師の事、杖は師匠から授かると決まっていて、商人より買った杖で魔法を成すなど連中には想像も付かず、よって需要が無いために盗人どもも獲物としないのである。

 …つまり、あの変わり者の魔術師は、確かな腕の持ち主でもあるのだ。


 魔術師にも色々いる。ひたすら、秘法と言う秘法を探究するを無上の喜びとする者がいる。魔術を器物に応用し、目新らしい物品の開発に血道を上げる者がいある。他者から崇められようと、己の肉体を魔法にて神の如くせんと燃える者がいる。戦士よろしく攻撃の技を磨き、殊更危地に赴いて一獲千金を狙う輩もいる。シドの師匠はどれとも違う。
 彼は依頼主の求めに応じ、様々な幻獣を創り上げるを生業としている。
 だから、人々は彼を幻獣創師…クリーチャーメーカーと呼ぶのだ。


 人喰い蟻でも巨人でも。笑顔で述べるキャッチフレーズ通り、彼は何でも創り上げる。最強の幻獣たるドラゴンでさえ己一人で創り出したし、親指程の大きさの見事に幾つもの小唄を歌って見せる陽気な小人を創った事すらある。何より見事とシドも依頼主も思うのは、幻獣の姿形能力とその納期とがぴったり依頼の通りとなる事である。魔術師に有りがちな身勝手な言い訳など一言も無く、昔気質の職人の心意気そのままに、金を取っての仕事に抜かり有っては成らぬとばかり、誠心誠意勤め上げる。
 無論、真っ正直な心根だけで出来る程に魔術が甘い技の筈も無く、恐ろしく飛び抜けた魔力と技量あっての事である。師匠は何も語らぬが、むしろ過ぎる才能仇となって魔術師ギルドを追いやられたのでは、とシドは薄々感じている。
(ただでさえ、欲のねえ人だからなあ…)
 はあ、とため息。大体幻獣創りの仕事だって、競争相手のいる訳でも無し、もう少しふんだくれば贅沢だって出来るのに…と、いつも思うのだが。
 …シドの師匠と来たら、どこまでも不思議な人物なのである。


 視界が開けて来て、道も存分に広くなった。田舎道ゆえ何の舗装もなされていない裸道だが、それでも山中の獣道とは明らかに異なる人工と生活の匂いがあり、妖精の血を引きながらも都会好きなシドには充分嬉しい。無意識に軽くなった足取りそのまま、進んで行くと、知り合いの農婦が二人歩いて来るのにぶつかった。
「おやま、先生の所のシドじゃないかい」
「こりゃ久しぶりさね、何のお使いさね」
「ああ、卵切らしちまってさ、二ダースばかり買って来いってさ」
 特に隠す必要も無く素直に答えれば…
「聞いたかい、ダナ?」
「聞いたとも、キナ!」
「…ど、どうしたんだよ、おばさんよお!」
「いいから来な!早くおし!」
 とにかく興奮気味の二人の主婦に一も二もなく連れ去られ、半ば引きずられる様にして。予定よりかなり早くに市場にやって来てしまった。ずんずんずんずん屈強の女達に引かれるままに、いつもの卵売の屋台まで来てみると、店の親爺が自棄を起こして叫んでいる。

「そら、半値にしてやる!半値だぞ、半値!俺がこんな値で売るなんて事ァ、二度とねえぞ!」
 あまりの値引きに驚きながら店の前までやって来ると、いきなりぎろりと睨まれた。
「何でえ、シドの餓鬼じゃねえか!おめえのとこのセンセイの御陰でこちらとら、商売上がったりでえよ!」

 確かに特別魔術師への偏見強い頑固親爺ではある。だがいきなりのこの言い種、元々喧嘩っ早いシドの事、早々堪忍袋の尾が切れた。

「いきなり何だよ!お師匠は何もしてねえぞ!言いがかりは止してくれ!」
「じゃ、何だ?何処かの悪魔が俺ン家だけに呪いでもかけたってのかい?」
「呪い…?」
「しらばっくれんじゃねえ!」
 今度は何を思ったか商品の卵をむんずと掴んで側にあった小鉢に割入れ、ずいと突き出す。
「何だって、今朝の卵はこんな双子ばかりなんでい!」
 眼の前には見事な黄身が奇麗に二つ。…漸く、先の主婦達の態度に合点が入った。

 …本当にあの先生と来たら、魔法使いさねえ…女達が笑いながら小声で喋るのが聞こえて来る。実際、シドの師匠は卵を割って黄身が二つあると本当に大喜びをする奇特な人物、そしてシドも師匠もそう頻繁に卵を買いに来る訳では無く…確かに魔法で探りを入れたかの様な、見事なタイミングではある。
 だが、シドにしてみればこの状況は複雑だ。

「御陰でよ、幾ら値を下げようが皆逃げるばっかりでちっとも売れねえ!」
 この国では…と、言うより何処でも大概そうだが…一つの卵に黄身が二つ入った双子玉は不吉と忌み嫌われる。食べると病気になるとか不幸になるとか…とにかく双子玉を好んで買う客はまるでいない。稀に混じる程度なら誰でも運不運と諦めるが、一籠買ったら中に二個も三個も双子が入っていたとなればもはや売り手の信用問題に関わると言っても過言ではない。

「丁度いいじゃないかい、先生は好みも変わってらっしゃるから、ほら双子玉が好物って話じゃないかい」
「シドに買っておもらいよ」
「…じゃあよ、一山七百!」
「お、おい待てよ!さっきは半値って言った癖に…」
「そうとも、半値と倍値じゃ大違いさ!」
「うるせえ!魔法使いが呪いでもかけたんじゃなきゃ、こんな不幸がまとめて俺の所にやって来る筈がねえ!」
「なんて言い草だい!男なら一度言った事を曲げるんじゃないよ、きっちり半値でお売りよ!」
「く…」
「分かった、半値とは言わねえよ、けど倍値は払わねえからな」

 預かった金袋を探る。この分だと、二ダースより多く買わされる羽目になるかも知れない。それでも、常通り師匠はかなり多めの貨幣を入れてくれたからいつもの値段なら何とかなる。
 実際の所、気のいい女達は勿論、この店の親爺とて魔術師の呪いが双子玉の原因とは考えていない。他所のよくいる魔術師と違い、シドの師匠は村や街へ自ら赴く事も多く、人手不足の折には進んで雑事を手伝う事すらある。いつも笑顔を絶やさず誰にも等しく丁寧で、礼儀を心得ながら堅苦しくない彼の人柄は近くの村人皆に好かれている。だがここは市場、割合遠くの場所からも人々が買い付けに来るのだ。
 普段親しく付き合う村人達と異なり、この場の客達の間の「魔術師」の評判は芳ばしくない。幻獣を創ると言う、あまりに奇妙な仕事を請け負うためもあって、胡散臭い印象を持たれている。ついで言うなら、半妖精の自分を弟子として身近に置く事でも評判を下げているのだ。
 魔術で双子玉を作る事は不可能では無いが素人が考えるよりはずっと難しく手間も時間もかかる。だが、ちらちらと自分達のやり取りを見ている野次馬達には幾ら説明しても分かる筈がない。せめて、師匠が卑怯者の様に言われない様に、傷物(実際は傷物でも何でもない訳だが)全てを買い取る覚悟を固めた。

「じゃ、全部棚に広げてくれよ、それ位はやってくれてもいいだろう」
「はあ?これ以上何しようってんだ!」
「…あのな、双子玉、全部買い取ってやろうてんだよ!何度も言うけどよ、お師匠は何もやってないぞ!けど、けちな妖術で卵をずるく安く仕入れたなんて吹聴されたらこっちだって悔しいからな!」
「へ、そりゃありがてえ…と、言いたい所だが、どうやって見分けようってんだ?」
 一応は質問の形だが、親爺もシドが魔法を使うのは分かった筈だ。なんだかんだ言っても素人にとって眼の前で魔法の発動を見るのはやはりもの珍しく、眼が好奇に輝き出した。
 背後でも、微妙に人だかりが増すのが分かる。…例え、シドが魔法使いの弟子と知らずとも、シドが妖精の血を引くと分かれば当然魔法も期待される。耳は髪と垂らした頭布で覆い、肌もなるべく隠してはいるが、近くで見られれば誰にでもばれてしまうから。
(…見料でも欲しいモンだぜ…)
 心の中で嘆息しながら告げる。
「探査眼さ。…俺が卵の中を『覗く』から、俺が双子玉だと指差した卵に印を付けてくれ」

 魔術杖を借りてくれば良かったと、野次馬達の無遠慮な視線を感じながら朗々と魔法語で呪文を唱える。薄い壁越しの物を見るだけの探査眼は比較的初歩の魔法だが、杖も無しに発動できるのは修練の賜物である。それでも、杖が無い事に失望する馬鹿共のつぶやきが遠慮無く耳に届くのが悲しい。だが魔法は無事完成し、シドの指は次々と卵を示し…追って店の親爺が手にした消し墨で卵の頭頂に軽く印を付けて行く。暫くの格闘の末、漸く全ての卵を調べ追えた。
「全部で…」
「三ダースと五個だな?」
 にやにやと、親爺が人の悪い笑みを送って来た。…周りには、何やら瞳に期待を称えた観衆もいる。腹を括るしかない。
「分かった、全部買ってやる。だが何度でも言うが、師匠の悪口は二度と言うなよ?」
「ああ、ああ、勿論だとも!商売つつがなしと来れば俺だって仏になるさあ!」
(何が仏だよ…)
 いまいましさに舌打ちしながらも金袋の中味を数え…代価を払うと残りは幾らも無い事に気付いて自棄もあって袋ごと親爺に突き出した。
「釣はいらねえからな!」
 威勢の良い台詞に、辺りの野次馬が無責任に大喜び。口笛まで飛ぶ中、観客と同じく嬉しげな様子の親爺の背後に人影が現われた。

「お前さん!」
「お、お前、ど、どうしたんだ…」
「ああらイリーナ、久しぶりじゃないのかい?」
「まあどうしたのさ!」
 動揺のあまり舌を噛みそうにおたおたする親爺を尻目に、女達は大喜び。イリーナは、あの亭主には勿体ないと皆が言う、器量も気立ても良い嫁である。四人目を身ごもったのだが、元々身体の弱いせいもあって最近伏せがちであったのだ。
「ありがとう、今日は大分具合が良いのよ。…それより、」
 シドの方へとにっこり向き直り。
「先生の方はいかが?」
「ああ、お師匠はまあ相変わらずだよ、弱そうに見えて病気も無しに結構元気さ」
「そう…」
 にこにこ楽しげに聞くイリーナに親爺は気が気でない。別段、イリーナと魔術師が不義の仲である筈もなく、単なる理不尽な嫉妬なのだが、一応理由らしきものはある。


 以前親爺がぎっくり腰で全く役立たずであった時にイリーナが産気付き、間の悪い事に遠方にて女達の集まる祭りがあって産婆は勿論近隣に子どもを産んだ事のある女が一人もいないと言う中で、動転した息子がシドの師匠に何とかしてくれと泣き付いた事があったのだ。さしもの魔術師もこればかりは断わろうとしたのだが、どうやら逆子らしいと聞いて子どもと母親の危急に駆けつけた。シドも実に不思議なのだが、この魔術師は薬師の縄張りの医術の技すら学んでいて、無事母子の命を救ったのだった。
 本当に良い嫁だから無理も無いが、心底自分の女房に惚れ込んでいる親爺にしてみれば自分がいながら女房の大事に何もしてやれなかった事は人生最大の汚点として残ったようである。元々魔法自体に嫌悪が酷かった事、さらには命の恩人とイリーナが魔術師を慕う様子を見せるようになったのが我慢ならんと言う訳で、事あるごとに魔術師を悪し様に言うに至った訳である。


「ねえお前さん、あたしらの商売は正直が身上じゃあないの?」
「そ、そりゃ勿論さ」
「じゃあ…」
 身重の身体を苦労して屈めて金袋を拾い上げ、中味を数えて幾らか貨幣を手に取ると残りを袋に戻して丁寧に返す。
「はい…先生が折角お駄賃変わりに余分に持たせてくれたんじゃないの、変に豪気になるもんじゃないのよ」
「え…あ、ああ…」
 予定より大幅に出費が増えたものの、確かに釣はそれなりにある。咄嗟に、この金で菓子なら如何ほど買えるか等と算用してしまい、赤くなる。
 大見得切ったものの、やはり少しの釣でも戻ると嬉しいシドの様子に気付いてかイリーナは一層にこにこ笑い、もう一度自分の亭主に向き直る。
「お前さん」
「な、今度はなんでい…」
 この男、可笑しい程に女房に弱い。先刻まで火を吹く様な勢いだったのが嘘のよう…
「もう少し、気風の良い所を見せられないの?」
「へ…」
「だってさ!まああちらの好みとしてもよ、仮にも傷物を皆買って下さるってのに、きっちりきりきりお代を取ろうって言うの!」
「え…だってお前、それは…」
「そうでなくともお山の先生はうちの上得意じゃないの、今日だって折よくシドをよこして下さらなかったらどうなった事やら…」
「だ、だけどお前…」
「また、先生がうちの鶏に悪さしたとでも言うんじゃないでしょうね!」
「いや…その…」
「まあ何ぶくぶく水の中の土左衛門みたような事言ってるの!男なら気前良く行きなさいってば!」
 別人の様に弱り果てた親爺を前に、始めは戸惑っていた群集も終いには面白がって無責任に野次を飛ばし出す。
「いいぞー!美人のおかみさん、頑張れ!」
「そら、もう一押し!」
 野次が効いたか恋女房の尻叩きが効いたか…恐らくは後者であろう…ともかく親爺は腕組思案。元より心に意固地の悪さしか持たぬ訳ではなく、漸く決心付いたか手元の貨幣をぐいと掴んでシドの真ん前に突き出した。
「ええい、持ってけ泥棒!卵五個分は負けといてやらあ!」
「お前さん、もう一声!」
「…ったくよ、仕方ねえ、二ダース分の金だけでいいさ!」
 じゃらり、随分な量の貨幣がシドの手に舞い戻った。

 ずしり、手にした釣りは随分重い。ふと、心に気にかけていた品物がよぎる。街の、立派な雑貨屋の店頭に飾られていた万華鏡…親切な店員に一度だけ、覗かせて貰ったそれは夢幻の光景であった。腹が膨れる訳でも無し、全くの退屈凌ぎにしかならぬ娯楽だが、不思議とシドの心を掴んで離さない。あの、専用の支えが必要の一番大きな立派な物は無理としても、片手で扱える小さな種類なら。それなら、この市場に出ているがらくた屋にだって並んでいるし、しかもこの釣りで丁度買える。だから師匠はたった二ダースの買い物だと言うのにこれだけ余分に持たせてくれたのだろうか…万華鏡を手にした時を思って、シドの心がほんの少し暖かになる。
 だが。迷いもあった。いくら自分達に責任は無くとも、卵が朝からろくに売れていないのはこの夫婦にとって死活問題だ。ここらの土地が悪いのか、ここらの鶏が悪いのか、この界隈では幾ら餌をたっぷり与えても得られる卵は極わずか。かと言ってもこの夫婦の持つ土地は作物に不向きでせいぜい雑穀育つ位、鶏と卵しか金策は無い。何時でも卵は需要があるが、それでも割の良い仕事とはとても言えず、しかも子沢山のこの夫婦の暮らし向きは決して豊かではない。

 じゃらり、手の中の貨幣。その音が、万華鏡の中で動くきらめく破片の音色に繋がって行く。強力の誘惑…でも。

 シドは、意を決して貨幣を選り分け、きっちり一ダース分を驚く親爺の手に戻す。
「お師匠が何時も言うんだ、困っている人間から取り立てる様な真似はするな、ってさ」
 声は何とか平静だったが、手がはっきり震えてしまった。それに気付かぬ親爺では無い。
「おいお前、痩せ我慢は身に毒だぜ…俺だって面子が立たねえ、こんな突っ返し方されたんじゃな!」
 前半は小声で、後半は大声で。親爺も本気で怒った訳では無い。シドや魔術師に八つ当たりをした事は重々反省しているし、シドが金に苦労している事も分かっている。
 だが、今度こそシドは覚悟を決めた。
「じゃ、犬も食わない何とやらの見料って事にしてやるさ!」
 経緯を何とは無しに見ていた野次馬ども、そこでどっと笑って親爺をはやす。
「よっ!いいカミさん持ったもんだなア!」
「良かったじゃねえか!」
 …この、場の雰囲気。親爺も苦笑しながら今度こそ釣りを受け取った。その様子を確認し、シドも帰途に着こうとするが、すぐに見知らぬ女に捕まった。
「ねえあんた、さっきの魔法、本当かい?本当に残りの卵は普通の卵なのかい?」
「おいおいごちゃごちゃ言い掛かりを付けんじゃねえやい!」
 シドが答えるより先に、耳聡く聞きつけた親爺が怒鳴る。
「そこのあんた、証拠を見せらあ…そら!」
 ぱりり。小鉢に卵を片手で割入れて…見事な輝く黄身一つ、白の器に見事に生える。
「あらあ…美味しそう!」
「馬鹿言うんじゃねえ、俺の卵は『美味しそう』じゃねえ、『旨い』んでい!」
 食ってみな、と押し付けられて、暫し逡巡した妙齢のご婦人、少し匂いを嗅いでから思い切ってぺろり。
「あら!本当、素敵だわ!」
 一口二口、しまいにべろん一飲み。上品げに見えた婦人も味の良さには勝てぬ模様。
「そうね、折角だから一ダース戴こうかしら?」
「へい、毎度あり!」
 ただの見物だった辺りの人間も、このやり取りでいよいよ興味をそそられて。たちまち野次馬ならで買い手の人だかりで親爺の姿も見えなくなった。
(良かった…)
 万華鏡は辛かったが、それでも十分満足して。シドは今度こそ帰途に付いた。


「…と、言う訳なんだ」
 三ダース以上も卵を持って帰った事に驚く師匠に、事の顛末を手短に話す。時折頷きながら聞いていた魔術師、初めの内は大量の双子玉に不謹慎な位喜んで、一個の卵に黄身が二つなんて得だ儲け物だ運が良かったと無邪気に笑っていた。確かに、この無欲な師匠は結構間の良い事があり、意外とそれ程損はしないのだ…が、話が終わるとふっと表情を和らげた。
「大変でしたね。…なかなか、シドの様には出来ませんよ」
「え!い、いやそんな、別に大した事じゃ…」
 師匠の真似みたいなものだし、としどろもどろになるシドに、魔術師はもう一度優しく微笑んで。まるで「ついで」の様に何気なくつぶやいた。
「そうそう、ちょっと面白い物が出来ましたので。…良かったら貰って下さいね」

 怪訝な顔をするシドの眼の前で、ごそごそごそごそ棚を探る。
「これこれ。…ほら、見た目は地味ですが、覗いてご覧なさい」
 差し出されたのは、長い筒。シドの心臓が思い切り跳ねる。
「こ、これは…」
「覗いてご覧なさい」
 にこにこ笑いながらもう一度告げる師匠に押されて、そっと小さな穴に目を合わせて。
 …果たせるかな、視界に広がるは、きらきらきらきら万の華。
「お師匠、これは…」
「ああ、」
 一層笑みを柔らかくしながら。
「丁度ここには中途な鏡や宝玉のかけらもありますしね、見よう見真似で試しに作ってみたのですよ」
 師匠は空とぼけて言ってみせるがシドには分かる。
(お師匠、苦労して作り方を調べてくれたんだな…)
「あ、そうそう、」
 また、魔術師は何でも無い事を思い出したかの様に。
「ちょっと、この覗き口の反対側をくるりと回して…もう一度覗いてご覧なさい」
 その時、シドも初めてこの万華鏡にもう一つ仕掛けがある事に気が付いた。覗き口の反対側、普通なら色玉がごたごた入っている筈の筒の端、そこに丸い水晶がある。
(ひょっとして…)
 期待にどきどきしながら言われるままに円板を回し…
「そうそう、あの辺りを覗く方がきっと良いですよ」
 窓から差し込んだ光が、種々の色の薬品瓶を照らす一角を指差して。…シドは、その場所に筒を向ける。
「…!」
「どうですか?」
 瓶もラベルも無限に広がって…教会のドウムの天井模様のよう。この世の光景を不思議の世界に変える、テレイドスコープである。暫し見入って、夢中であちこち覗いていたが…ふと我に帰る。
「…お師匠」
「何ですか?」
「あの…これ、丸い水晶って高いんじゃ…」
「いえいえ、それは元々捨てようかどうしようか、迷っていた物なんですよ。それに、その水晶は元々貴方のものですから」
「俺の…?」
「ええ。…覚えているでしょう、貴方の遠見の水晶玉の、そのかけらですよ」
「あ!」
 覚えている。初めてまともに使えた魔法だから良く覚えている。あらかじめ魔力を付与された水晶玉を利用して、遠方の出来事を知る魔法。折角貴重な水晶玉を師匠から譲り受けたと言うのに、うかつな扱いで落として割ってしまったのだ。大きな、しかも魔法に適した水晶と言うのははなかなか手に入らず、そうで無くともシドは割ってしまった事実がいまだにショックで、いくら師匠に勧められても新しい物を手にする気にどうしてもなれないでいたのだ。
「普通の遠見にはとても使えませんが…それでもちょっとは魔力が残っていますから、遠眼鏡代わり位には使えるのですよ」
 もっとも、これではかえって使いにくいでしょうけどね。…そう言う悪戯っぽい笑顔も何だかにじんで見えてしまう。そっと、素早く気付かれぬよう目元を拭い、改めて師匠に礼を言う。
「喜んで貰えて何よりですよ。…おっと、もうこんな時間ですか?じゃ、仕事が一段落したらお茶にしましょうか」
「やった!」
「準備が出来たら呼びますよ。立派な卵も沢山ありますし…パンケーキとスコーン、どちらが良いですか?」
「えーと、パンケーキ!」
「分かりました。じゃ、今は差し当たり何もないですし、外で試して来たらどうです?」
「うん、じゃ、俺行って来る!」
「行ってらっしゃい」
 にこにこ手を振る師匠に見送られて、シドは外へと飛び出した。


 手にした万華鏡で様々な光景を楽しんでいたシド、ふと疑問が湧いて来た。
 師匠は、シドが卵を三ダースも買わされる事までお見通しだったのだろうか?でも、幾ら師匠に遠見の呪文があるからと言って、何でもかんでも読めるとは限らない。何より人間の心は何より難しい。それに持たせて貰った金袋、二ダース買うと丁度釣りでそこそこの万華鏡が買える程であった。もし、あの時釣りを返さず…いや、もし今日双子玉事件が無かったら。
 師匠は余った金はいつも自由にしていいとの事で、シドは良く自分の土産を買って行く。今日だって金があったら万華鏡を買いに行った筈だ。
 だが、もしもシドが万華鏡を買って帰っていたら?…手にした師匠の手作りの万華鏡に目を落とす。この、万華鏡はどうなったのだろう?ただ無為に、棚の何処かで眠ったままになっていたのだろうか…

 その「もしも」を想像して、シドは思わず身震いをする。


 何でも、不思議に見通すシドの師匠。でも本当は、あの魔術師は単に考え深くて、色々な可能性を常に頭に置いているだけかも知れない。師匠は多分、もしもシドが万華鏡を買えずにがっかりして帰って来たら辛かろうと、万が一に備えて万華鏡を作ったのだろう。そして多分、その手製の万華鏡が無駄になる事を祈りながら…
 ひょっとすると、魔術師の広い広い倉庫には、そんな祈りが通じて日の目を見なかった優しさのかけらが幾つも幾つも転がっているのかも知れない。
(良かった…あの釣、受け取らなくて)
 あの時、金銭の誘惑に負けていたら。きっとまがい物で喜んでいた。がらくた屋の商品も、あの大きな店の巨大な万華鏡だって、筒こそ立派だが入っているのはただの色硝子の破片、だが魔術師の手になる筒の中できらめくのは、小さいかけらとは言え本当のエメラルドやサファイア、それにルビーなのだ。それだけでは無く…

「シド、出来ましたよ〜!」
「あ、今行く!」
 慌てて立ち上がって、手の中の万華鏡がカラコロと軽やかな音を立てる。そこではっとした。
(お師匠、どうして俺が万華鏡欲しがってるって、分かったんだろう?)
 あの、シドが万華鏡に取りつかれた街での一件とて、あの日は師匠と全く別行動で。言い出すのもためらわれて、一度も話した事など無かったのに。
「シド、冷めますよ〜」
 相変わらず緊迫感の無い声に知らず笑みが浮かぶ。
(お師匠って、本当に不思議な人だなあ…)
「うん!すぐ行くよ!」
 もう一度、手の中の万華鏡を見て。…勢い良く地を蹴って走り出した。


Fin.


 ヂツはこれ、長編を書く前に習作として書いたもの。…そのそもあのシリーズはあんな長い(苦笑)話にするつもりは無く、純粋に短編のつもりで、読み切り用使い捨てキャラのつもりだったんスけど…やっぱ勿体無くて(笑)。で、結構ダラダラ長い本編が出来た訳で。
 これ書いた後で設定練り練りして大分変わってしまったのですが…本編はこちら

 今思うと笑ってしまうのですが、この市場ネタ、本来はモンスター造りに入る前の導入のつもりで、要は枕として書き始めたのですが、不本意ながらコレはコレで完結しちまったんで…肝心の幻獣ネタを入れ損なって。で、没ってた訳です。
 設定もかなり変更があり、お師匠の『作品』として小人云々…とありますが、本編のお師匠はヒューマノイドタイプを造るのを酷く嫌がります。こだわりと言うより本当に嫌いと言うか辛いと言うか怖いと言うか…その辺り、おいおい本編でも書くとは思います。
 他に、密かに大きな変更点は、実はシドにあります。

 シド、本編では「手の平まで黒い」とありますが、我々人間の場合、手の平にメラニン色素はほとんどナシです。「メラニン」で肌が黒いだけなら、シドだって手の平が黒くなる筈も無く。むしろ、当作品の闇妖精(←素直に「ダークエルフ」言え!)ちゅうのは、肌でのうて血液が黒いのですよ。
 元はと言えば密かに筆者が影響多大に受けている、「ロードス島戦記」、あれの『黒の導師』バグナード様(最敬礼!)が、「ダークエルフの血で黒く染め上げた」ローブを着てはったのに鬼萌えして(するな!)…んで、つい。
 つー事で、ウチの闇妖精は、肌は白く髪の毛も色素が薄いが黒い体液が透けて黒く見えるちゅー、凄い事になっとります。あ、だからシドの髪と瞳が黒いのは、人間方の血筋由来で。母親は金髪碧眼でしたが、祖父が黒髪なんスよ。…ま、金髪は確か劣勢遺伝の筈スから、つまり完璧金髪の母親が黒髪黒眼の遺伝子持ってンのかあ?ってこれもアレですけど…
 ただ、ですね。ワレワレも実に偏見多き者どもですから。フィクションなんかでもフツーの肌黒い人の描写で「手の平まで黒」くしちまってンの、結構見ますし。自分も…実わカルチョスキーなんスが、セリエA見始めて何年も経ってからユーベのダービッツの手の平の色を見て驚愕しちまったりして(涙)しかもかーなーり、ダービッツファンの癖に(泣)自分、有色人種の癖にごっつい偏見あるんなあ…と、かなり凹みましたタイ。
 もー洒落になんねぇ話ですが、19世紀位でも、あるいは20世紀初頭でも、「黒人の体液(←血じゃない方)は黒い」と言うトンデモ説が、医者の間にもまかり通ってたよな歴史がある訳で。仮にも黄ろんぼ、黄人の身で、おファンタジアな架空の設定とは言え「体液(←今度は血の方)が黒いせいで黒く見える種族」を己のしがない萌えのためにデッチ上げるのは…所詮、自分を「皮だけ黄色で中味の白い」バナナと信じたい愚者の妄想か…むー(−−;)

 ただ。全てのシリアスを棚に投げ上げて考えるならば…血液、ちゅうか多分ヘモグロビンが違うモンで出来ている人型生物をシミュレートするのは爆烈萌えです。例えばですね、普通なら「思わず顔が赤くなった」となる所が、そう言う架空人物だと「思わず顔が黒くなった」となる訳ですよ!他にも「怒りでみるみるどす黒くなる」とかはまだ感じが掴めるにしても、ラヴコメなコンテクストで「耳まで真っ黒だ」とか言われると…う〜ん、この非ィ日常性が堪らん。
 …てか。血液が赤くない生物なんて、地上にワンサとおるんだが(爆)

 けど。シド本人としてはどうなんでしょうね?…どっかに一応書いておきましたが、彼はどう言う訳か闇妖精の遺伝子の発現(←だからその言い方は…;)が妙に遅くて、6歳位までは血液も普通に赤かったんですよ。で、両親どっちも肌は色素薄い訳ですから、子どものシドも色白で。それがある時…一夜にして真っ黒になった訳で。
 シドが面布をよく着けているのは、顔の黒さを隠すと言うよりも口元を晒すのを嫌がっての事です。血が黒い訳ですから、当然唇も歯茎も舌も口の中も皆黒い訳ですよ。あと、瞼の内側も。そう言ったモノが赤いと言うのが当然の世界観で育って…ちゅうか自分も昔は赤かったのに。今では鏡見る度、おっそろしく黒いモンがデンとあるってのは…

 キャラ的には何か如何にもアカンベやらかしそうな子どもですが、上記の理由で滅多にやらんのです。


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(C)獅子牙龍児
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