ブラッカ・ブラッカ (3)


 『静寂の森』の入り口に、森の守り人達の集落がある。森の幸は豊かなれど人には決して甘くは無く、裕福な暮らしとはとても行かないがそれでもそれなりの幸いはある。何より、彼等にはマギス最大のこの森を、誰よりも熟知している自負がある。
 だが、その彼等をしても此度の事態は驚愕であった。

「大変だ!大変だあ!!」
 男が血相変えて走って行く。
「ブラッカ・ブラッカの大群だぞ!!」
「な、何だって!?」
 かの羽虫の気性を良く知る住民と言えどそんな事態は法螺話にも聞いた試しが無く。皆、取るも取り合えず駆け出して行く。
 その中に…酷く幼い子どもがいた。

「どいてよ!ちょっと…見えないだろ!」
 ブラッカ・ブラッカ出現の知らせを聞き、何の理由も無く胸騒ぎがした。如何に性質穏やかとは言え、あれ程の幻獣の大来襲ともなれば尋常ならざるが…そんな些末に対してでは無く。もっと何か切実に、自分が行かねば取り返しがつかなくなる、そんな思いがしてならぬのだ。
 大人達は遠巻きに、巨大蛾の群れをただ呆然と眺めている。あんまり近付くのも恐ろしいし、第一鱗粉でもかけられたら…と思えば動けずにいるのも仕方無い。そんな大人達の一団を、苦労してかき分けかき分け漸くにして、幼い子どもはその最前列へと抜け出して…
 息を飲んだ。

 人間の少年…れっきとした、都に住まう魔法貴族の。
 知っている、顔だった。


「…こりゃあ、いけねえぜ。ありゃどうにも頭が飛んでるぜ」
「ああ、よっぽどの高さだろうしなあ…」
「魂、どっかで落として来たかも知れねえぞ」
 …大人達の言葉は無情とまでは行かずとも、何処か他人事の風情。さもありなん、森の守り人と彼の人とでは身分があまりに違い過ぎる。
 とは言え。
 ブラッカ・ブラッカの背から降りてもただそのまま、ぼんやりと虚空を眺めたまま身じろぎもしない小さな少年を前にして、これだけ大勢の大人達は何故にただただ傍観なのだ!
「けどなあ…むしろあの坊ちゃん、あっちに行ったままのが良いかも知れねえぜ?」
 誰かが小声で言うのが聞こえて来て。胸を、突かれた。

 人形の様になってしまった小さな魔法貴族を。ブラッカ・ブラッカがためらいがちに前脚で押す。「あっちへお行き、ちゃんとお帰り」…そう促す様に。
 それでも。きっと高い高い空の上を、心地良く漂う魂は…一向に戻って来ない。心優しき羽虫は、焦れて弱って頻りに背中をとんとん叩きだすが…蝋人形の様に反応が無い。それでも必死な巨大蛾達の健気な姿を見て。余計に大人達の言葉が胸に迫って来る。

 他の鼻持ちならない貴族連中とは大違いで、屈託無く笑いかけるよな気質だが。十二とは言えあんな身分の人がこんな辺鄙な集落にやって来て、しかも真実楽しそうに時を過ごすなんて。ここの粗末な食事を「美味しい」と言って喜ぶなんて…それを思うとやりきれない。
 きっときっと、あの優しい羽虫の背に乗って、飛び回った空はとても奇麗で澄んでいて。汚れたものなど何一つ無くて。言葉が通じずとも、ブラッカ・ブラッカ達はとてもとても暖かで優しかったのだろう。…今の今だって、羽虫達はきっと断腸の思いで、あの人をこちらへ必死で帰そうとしている程だ。だからこそ、あの人の魂は何処かへ飛んだまま、眼も全く安物のガラス玉、虚ろで何も映していない…

 でもあの人は『人間』だ!


 大人達は何もしない。否、出来ずにいる。…何処か遠くに魂魄落としたとて、真の名を呼べば招かれ戻って来る。それは皆、重々承知はしているが…下々が、幼いとは言え魔法貴族の真名を口にしてただで済む筈が無い。ここはマギス、魔法の王国…国の隅々にまで奇怪な罠が張られている。国の力の礎(いしずえ)たる、魔法貴族達が害されるを殊の外恐れた始祖達が、うかつに真名を叫んだ者を八つ裂きにすべく呪いをかけたと伝承は語る…試した者は皆無であるから、実の所真偽の程は確かでは無いが。
 それでも確かな事は。…魔法貴族に無礼なした者は、その係累に至るまで極刑に処されると国法にて厳格に定められている事実。
 だからこそ、あの子の魂呼び戻すにもいちいち危険が伴うのだ…

 子どもは苦悩した。


 余りに反応の無い小さな身体に焦れに焦れ。ブラッカ・ブラッカは遂に体当りをする様にして、無理に集落の方へと押し出している。ところが半ば死んでいる、小さな身体は…そのままぐったり地に倒れそうにすらなる。慌てて毛むくじゃらな前脚が、すんでの所で抱き止めるが…このままでは、どうにもいけない。
 …彼の『家』に助けを呼ぶのも論外だ。
 子どもはじっと自分の腕を見る。腕にはめた粗末な色綱…歳を数える飾りの数は、まだ少なくてたったの六本。『七』にもならぬ子どもはマギスにおいては『人』では無い、まだ死霊か何かと同列に扱われてしまう存在で…でも、だからこそ。『人』で無しには家族も無いから…少なくとも、自分の周りを巻き込む心配は無い。
 それに…名前を呼ぶ他に、手だても無くは無い。

 驚きの声と怒号を挙げる大人達に構わず…子どもは一心不乱に巨大蛾の群れへと駆け出した。


 必死で、ブラッカ・ブラッカの腕に抱き止められたその人の元へ行く。…顔色が何時も以上に白くて痛々しい。その姿を間近にしても…やはり無数の巨大蛾の姿に震えが来る。
 人を食うような輩では無い。それでも、森に程近く暮らし…その姿を毎日の様に眼にしているからこそ。畏怖の念は誰より強い。『恐れ』で無くて『畏れ』が子どもの身をすくませる。
 それでも。ぐっと唇噛み締めて、半ば泣きそうになりながらもブラッカ・ブラッカのすぐ傍へ…眼を見開いて、惚けたままの小さな人の元へと。
 驚いた様子で、羽虫がぐるぐる首を盛んに回す。周りの虫が、羽をばたつかせる…あの、独特の羽音が酷く傍で聞こえて来る。
 でも…!
 ブラッカ・ブラッカの前脚から、半ばもぎ取る様に奪い取り。肩を掴んで激しく揺さぶる。

「戻って来て下さい!帰って来て下さい!」

 ひょっとすると、痣になるかも知れない…それでも構わずきつく掴んで乱暴に呼びかける。

「お願いだから…ここに!そんな、遠い所じゃなく…」

 はっとして手を止める。
 …瞼が少し、動いた様な気がした。



 大きく開いていた眼が細くなる。眉を潜めて…不機嫌にも見える表情。単に視力が弱いがための癖…折角の優しい容姿が歪むから、以前はあまり好きでは無かった。それでも今はそんな仕草すら酷く嬉しい。
 …辺りを見たい、確認したいと言う意識の現われだから。

「あ…あれ?」
「気が付いた!…じゃない、気が付いたんですね!?」
「ええと…?ここは、一体…?」
 夢から覚めた様に、きょろきょろする…小さな魔法貴族の少年。その全く常通りの様子に、固唾を飲んで見守っていた大人達からも大歓声。
「良かった…!おれ、もう本当にどうなるかと…」
「あの…何があったの?」
「良かった…本当に良かったです…」
「…僕にはさっぱり判らないけど?」
 きょとんとした様子が如何にも彼らしくて。おかしかったが…
 むしろ涙が溢れて来た。

 戻って来た少年は、いまだ状況把握せぬまま…泣きじゃくる子どもをそっと撫で。その様に、漸く安堵したのか…ブラッカ・ブラッカ達も、一斉に空へと帰って行った。


 戻って来た少年は、やはりと言うか大層な質問責めに逢い。しかも話す内に際限無く聞き手が加わって行き…その度に初めから話し直し。たちまちの内に日は傾き…
 そんなこんなで貧血のあまり、再び前後不覚に陥る所であった。

 都まで、今日の内に帰れぬでも無いが。
 結局少年は集落に一夜の宿を借りる事にした。



 真夜中。
 子どもはそっと村長の家へと忍び込む。勿論、目当てはその家の…一番良い、客用の寝室。
 …案の定、部屋の主はまだ起きていた。
「あれ?どうしたの?」
「…そりゃあ、こっちの台詞だよ…じゃない、ですよ」
「だって、僕の方が年上だから」
「だって、疲れているでしょ?寝なきゃ、駄目ですって」
「うん…そうだけど」
 少年は、眼を閉じる。

「二度と無い事だから…絶対に、一生忘れない様に、今しっかり覚えているんだ」

「そう、ですよね…」
 あの偉大な存在に騎乗するなんて、どんな英雄よりも名誉な事だ。
 それでも、あんまり幸福そうに回想する少年を見ながら。

 自分のあの行動が、本当に正しかったのかと。
 酷く苦しく自問した。


Fin.


後記:
 ネタバレを避けて曖昧な表現に終始したモンだから、訳が判らんのう…
 ま、某シリーズの某キャラの過去エピソード。とりあえず、『魔法王国マギス』ってのはまあ魔法も発達はしてるんですが、むしろとにかく怖い土地って設定で。土地の魔力が異様に強くて哺乳類関係はほとんど育たず、植物の植生も全然違うんですよ。稀にちゃんと生きられる奴は逆に過剰な魔力の影響で、妙に巨大化しちゃったり…つまり人間の他は巨大虫がワンサカと言う、虫嫌いさんには地獄な土地であります。
 って。そんなつもりは無かったですが、ちと○○シカな世界観やな(−−;)

 でも虫ってそんな駄目っスか?特に海外のフィクションで、人類の敵系クリーチャーが大概昆虫モチーフなのが納得いかんです。眼が複眼とか、口の形が違うとか、足が多いとか節あるとかがそんなにマズいっスか!?アクション系のフィクションで、虫系クリーチャーがミサイルとか打ち込まれて身悶えしてんの見ると泣きそうっス。自分、アンチ緑豆なのになんでやろ…基本的に人間万歳、つーかオレサマ万歳系人間の癖に。
 つーかね。犬とかががエラい目見てたら誰かしら泣くでしょーけど、虫だと誰も泣きそうに無いから。だから泣くのかもですな。
 だってさー、幾ら同じ哺乳類かてイルカとかクジラとかアザラシとか(^^;)と人間ってやっぱ種が違う訳ですよ。遺伝的には当然昆虫なんかより遥かに近いのですが、それでもどーせツーカーって訳じゃ無いし。イルカ嫌いじゃ無いですがね、特に欧米のさ、イルカが怪我でもしようなら大騒ぎになるよな国でね、まあ映画とは言え虫系クリーチャーをヒーローがぐっちょんぐっちょんにしちまうシーン見ますとね…何か理不尽やねん。

 あとですね。良くテレビの下手物グルメネタで『昆虫食』がよく取り上げられますが。
 …一言、言わせて貰いやす!!

 あんたらな、昆虫食うの下手物や言うてるけど(いや自分も食えんけど)、あんたらが旨い旨い言って食ってる海老やら蟹かて『節足動物』やで!昆虫とチョー近い仲間やで!アミノ酸の組成まで似とるんや!…つーか。
 『昆虫食』って、旨くてローカロリーで良質のアミノ酸リッチで…ヘルシー&デリシャスなんやでッ!!

 あ、オレ?
 だいじょうぶ、自分は海老も蟹も虫も、食うのは平等に駄目でありんす(^^;)
 足に節あるモンは全部一緒(死)


 この話、原形は去年こそこそ書いてたブツです。ちとですね…全年齢対象サイトに載せるのはヤバい話(え)だったので、色々削って書き直しましたです。特にチラっとしか出ませんが、マギスの主神の『知識神』てのもねー、『こんな神様はイヤだ!』をテーマにコテコテにデザインしまして。何か、全身くまなく要モザイクな神様(←どんなやねん!)でして。ちなみに本文の『知識神の恩寵で、大神殿の祭壇に鎮座する神像に優しく撫でられた』って言うワケ判らん記述はですね、簡単に言えば神像が一種のゴーレムで、神威で時々動くって設定なんスよ。で、当然神様の姿を写した像の方もとってもアレな感じで…そんなのに撫でられて嬉しいってのがスゲー辛くて痛々しいっスよ…
 いやそんな設定作った自分がどうかと思いますがね。

 …実を言えば、ブラッカ・ブラッカも初期設定では不気味系モンスターでした。大体最初はモデルがスズメガでしたからね〜。スズメガ、花の蜜が好きな大人しい系の毒も何も無い蛾なんですが、腹と羽のバランスがどーもこーも…妙に怖い虫っス。それでもってヒタヒタと足元から怖くなる系の話を…と思っていたのですが。当時、たまたまテレビ付けたら…『モ○ラ』が!!『○スラ』イカス〜!!あああ超乗りてえええええええ!!!…とばかりに設定がぐりんと変わってこんな話になった訳です。
 ああでもマジ乗りてえ『モス○』!!

 ま。
 そんな訳で某シリーズの某キャラ。育った環境が悪過ぎて、デカいナメクジ如きじゃ全然ビクともせん訳です。てゆーか………
 いや。やっぱアレをバラすのは止めておこう…(謎)

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(C)獅子牙龍児
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