ブラッカ・ブラッカ (2)


 それなりの、時が経過した。
(…?)
 いっかな、肝心の眠気が一向に襲って来ないのだ。あの『眠り砂』の威力と来たら、大陸中の芳ばしからざる『組織』の連中に呆れる程に珍重されて。結果マギスの国庫を多大に潤す源ともなっているのに。
 あまりに不思議で。そこに来て、命惜しみの心よりも魔法貴族ならではの本能の、抑え難き探究心がぞろりと頭をもたげて来て。ついに眼を開けてしまう。
 するとどうだろう…虫の親子が尋常では無い。あれ程荒れていたヴォルムギス、何故にか叱られた子どもの如くにがっくりうなだれ。そしてブラッカ・ブラッカがまるで息子を諭す様、ヴォルムギスの頭上で盛んにはばたいている。…まるで親子の会話がなされたかに見えた。
 そして。終いにヴォルムギスの大きな頭が。頷く如く怯える如くにびくり、びくりと幾度か震えて。…踵を返して森の奥へと去っていってしまったのだ。

 …後には。飛び切り大きな蛾が一羽きり…



 ブラッカ・ブラッカは暫くははばたきながら子どもを確と見つめていた。それが不意に何の前触れも無く、すう…っと近付き地上に降り。そして。
 子どもに向かってぐいいと首を突き出した。
 …ブラッカ・ブラッカを一名『木菟虫』と言う。真正の木菟さながら頭に角の様な部分があるのだ…触覚とは別に。無論間近に見れば鳥と言うより虫の顔、それでも不思議と不快は無い。
 美女の眉を蛾眉、とは言うが全くで。長い長い優雅な触角は実に麗しい女性の眉そのものである。角度によっては黄金色に見える毛並みと相俟って、初めて見る景色…
(素敵だな…)
 暫くぽかんと口を開けて。惚けた様に見つめていた。

 不意に、唐突に。顔のすぐ前眼の前の、ブラッカ・ブラッカの頭が一回転。それこそ木菟さながらに、愛嬌たっぷりにくるりと奇麗に。
(…便利だなあ…)
 妙な話、そんな風に思ってしまった。


 ずっと動かずぼんやりの、子どもに業を煮やしてか。今度はにゅっと脚が突き出された。


 奇妙な話…あるいは酷く痛々しい事に。節のある脚に触れられても、少年はまるで恐怖を抱かなかった。無論、ブラッカ・ブラッカの口吻ではとても人間など食せない…そんな知識も預かろうが。
 全く虫の脚ながら、生きた温もりが…少年の髪をゆっくり、労る様に丁寧に梳いたから。
 そんな事は滅多に無く。知識神の恩寵で、大神殿の祭壇に鎮座する神像に優しく撫でられたが唯一の記憶…両親は触れる所か『我が子』を一度も見もしなかった。
 だから少年は真心から微笑んだ。
 嬉しい、と…

 まるで飽きもせず。…随分な時間、蛾でありながらも美しく優しいブラッカ・ブラッカは。そっと幼い孤独を癒し続けていた。まるで凍え切ってしまった小さな魂を、そっと暖めほぐすが如く…
 そこで漸く腑に落ちる。
 …親馬鹿の筈のブラッカ・ブラッカが、わざわざ眠りの鱗粉撒いてまで、荒ぶる息子を静め…少年の命を救ってくれたのである。

 はっと。胸を突かれた。
 あんな恐ろしいヴォルムギスとてやはり可愛い息子の筈で。しかも幼虫蛹となるために、少年は格好にして必須の餌である筈を。…しかも麗しきルルラの花を無体に傷つけんと謀りまでした、罪人だと言うのに。
 ルルラの花の甘い蜜は親虫の大好物、そして縮れた葉は子虫の食草…親子に取って、欠かせぬ大切な草を害そうとしたのに。…なのに。

 涙が、頬を伝う…


 悲しい。そして悔しい。
 有りとあらゆる言語を極めた魔術師であっても…虫の言葉は判らない。有難う、その一言も言えないのだ。
 涙を流し続ける少年の前で。大きな大きな羽虫は、ただ黙って首を回していた。


 暫くそのまま静かに時が過ぎて行ったが。親虫が不意に思い付いたかの如く、急に羽をばたばたと動かし…瞬間、かなりの風が吹き付けた…そのままのたり、のたりと歩いて後ろを向く。
 驚く少年に背を向けたまま、腰の辺りを低く降ろして屈んで見せて。「来い来い」と言う様に、羽を頻りに動かして見せる。
「乗れ…って、言うの?」
 羽虫が頷く様に身を上下させ。…今度こそ、激しく仰天した。

 あの気の荒い子虫と違って親は真実大人しい、人を襲う事なぞ滅多に無い虫である。それでも可愛い息子がため、旅人と見ると毒の鱗粉喜々として降らすともっぱらの評判で…それが人間を乗せようとは!
 半信半疑で恐る恐る背をよじ登り。小さな少年が乗り易い様、さらに低く屈む様子に驚きながら…それでも馬とは勝手が違い、戸惑ったものの。何とか背中の部分にまたがり。手綱も何も無いので仕方無く、ただふわり毛に覆われた、羽虫の背中に手を付いてみた。
 と。
 …ブラッカ・ブラッカが、突如飛翔を始めたのだ。



 幾らもしない内にとてつもない高さに連れ出されて。ただただしがみつくより他は無く。…羽虫の背中は豹の毛皮の様、柔らかな毛がふさふさと生えていて、脆そうに見えて強く引いてもびくともせず。慣れてしまえば掴む感触も心地良く。
 おまけに馬車とは大違い、嫌な揺れが微塵も無く…まるで宙を滑る様。魔法で飛ぶよりさらに楽しく…
 ぐんぐん森の天井に近付いて。たちまち鬱蒼とした繁りが間近に迫り…下から見ると針の穴の様な『天窓』も、近くで見ればとてつもなく大きく。丁度、ブラッカ・ブラッカが潜るに具合の良い穴で。
 矢の様な速さで森を抜けて行く…


「…うわあ!」
 思わず声を挙げてしまう。
 緑が、見渡す限りに緑の森が延々と広がっていて。その緑が痛い程鮮やかで。…暗い、森の中の地面から見上げた時にはあれ程異様に不気味に見えた巨木達も、枝葉を広げて必死に支えあって生きているようで。愛しさすら込み上げ…
 あまりの高さと速さ故、風が冷たく頬を切るものの…泣きたい程に、澄み切った空気…!
 頻りに挙げる感嘆の声に気付いてか。ゆっくりとした旋回が始まった。

 森は同じに見えてもその実緑の質がそれぞれに違う。深い色の場所もあれば黄味がかった部位もあり…そんな森の所々に、先刻抜けた『天窓』そっくりの穴が幾つも幾つも。
 もしやと思って眼を凝らせば、やはり幾羽かブラッカ・ブラッカ、同じく穴より勢い良く飛び出し…少年を乗せた仲間に気付いたか、皆一斉に集まって来る。
 如何に穏やかな気質の生類とは言え、こうも囲まれては流石に…何分、ルルラを害して脛に傷ある身としては、心穏やかではいられない。それでも虫達何やら言葉を交したか、そのまま群れ成し飛び始めた…

(すごい…)
 少年の瞳はきらきら輝く…無理も無い。神秘の国と恐れすら抱かれる魔法王国マギスの、その守護の獣とすら称されるブラッカ・ブラッカ…強力の魔力と火の山の毒気故に鳥すら近付かぬ当地にあって、マギスの天空統べる最強にして最大のいきものが幾羽も幾羽も少年とともにいるのだから。上空故の寒さすら、ブラッカ・ブラッカの暖かな毛皮が全て優しく中和する。
 見上げた空には雲一つ無く。日差しがさんさんと惜しみ無く注ぐ。まるで…この不思議な騎行を祝福するかの如く…

 あまりにも奇麗で奇麗で…
 心の澱も刺も全て洗われ。生まれて初めて全ての憂さを忘れていた。

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(C)獅子牙龍児
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