ぼうけんのかえりみち (2)


…標的射抜く矢となさん、暗殺疾風(アサシンゲイル)!」
 長髪の魔法士の呪文通り、強烈の風が黒妖犬に襲いかかるが。
「グギャッ!」
 奇妙な悲鳴を上げて悶死したのは、瞬間躍り上がった別の野犬である。無論、妖犬の差し金である。…今、悠長に解説する暇は無いため省略するが、魔法士の魔法は相手に直接ダメージを追わせる事は不可能で…言わば魔法で物理攻撃を起こすタイプのため、結局物理的に防がれる致命的な弱点があるのだ。現に今、仕損じたのは3回目である。
「くっそ…」
「下手糞!もっと良く狙えよ!」
 戦士が手酷く怒鳴るのも無理は無い。呪文のために無防備になる魔法士を庇って野犬どもと切り結んでいるのは彼なのである。善戦しているが如何せん相手の数が多すぎ、既に太股など数ヵ所にかなりの傷を負っている。
「うるせえ!…遍く世を満たす無形の者、恒常たる自由の主…
「え!?おいTAKE!」
 突然長々しい呪文を唱え始めた魔法士、戦士の声にも耳貸さず遮二無二唱えに集中する。戦士の方も妖犬に操られた犬どもの連携に手を焼きそれどころでは無くなった。暫く戦士の気合いの声と、犬の絶叫が複数続く。
…草ども根こそぎ倒すが如く、我が敵諸共薙ぎ払え…大鎌嵐(グレートサイス)!」
 遂に呪文が完成した!

 魔法士を中心としておよそ半径5メートルに渡って野犬が見事に倒れていた。岩肌の一部がえぐり取られその威力の凄まじさを語っている。群れは見事に半減し、漸く一息つけたが。…魔法士がっくり膝をつく。MPを一時に消費しすぎたのだ。
「馬鹿野郎!ただでさえMP残り少ないってのに!」
「…けどさ、」
 息は荒いが覇気はある。
「あの野郎結構手強いぜ。何度やっても仲間盾にしやがって…もうからめ手じゃ効かねえよ、外堀から行くしかねえじゃん」
 漸く立ち上がった仲間の言葉に、戦士も一理ありと納得しかけるが。
 また、黒妖犬にかりと笑い…猛烈に咆哮する!
「な…に…!」
 後から、後から。何処からともなく大量の野犬が集い…数は倍以上に膨れ上った。その中心に、黒の犬が勝利を確信した様に君臨している。
 恐らく。痺れを切らした魔法士が、大技繰り出し魔力衰えるのを待っていたに違いない!

「くそっ…」
「仲間巻添えにすっからだろ!何逆ギレてんだよ!」
 戦士が怒鳴り散らす。先の魔法、術者を中心に安全圏が出来るが極わずかなもの。しかも事実上物理攻撃であるために対象を限定しようが無いのだ。実際かなり逆上していた魔法士、本来すべき仲間の位置の確認うかつに怠り、戦士は無数の裂傷食らって全身血達磨である。…幸い、深くは無いが。
「危ない、ローダン!」
 慌てて振り向くと猛獣の牙!咄嗟に頭が真っ白になる所へ淡い色の幻影が瞬時に現われる。
「えい!」
 白刃、とうとばかり振り降ろされ、猛犬瞬時に地に転がる。
「悪い、ファントム…」
 ばつの悪そうな戦士に、ファントムと呼ばれた人影、少しばかり微笑んだ。…が。衣装が、まるで違う。
 薄汚れたマントは相変わらずだが、その下より覗く布地は優しい水色、忘れな草の花の色。襟ばかりは純白で、丸みを帯びたその輪郭を優しいレースがそっと縁どる。部分部分にギャザーが寄せられ、布よりやや濃い細いリボンが襞を丁寧に抑えている。袖はふんわり膨らみ鈴蘭形、ここにもリボンが花を添える。下は…同じ淡い淡い優しい色の、布が一旦ふんわり広がって、裾まで柔らかな曲線描き、その縁にまた品の良いレース…

 どう見てもスカートである。

 いや、そればかりでは無い。黒のズボンに山羊皮の長靴であった筈の足元も、白絹のオーバーニーにエナメルの靴、ちょっと踵も高く可愛らしい。目を再び上に転ずれば例えば耳元、滴型のイヤリングがきらきら輝き…確か、ファントムと呼ばれた人物、「少年」であった筈だが…
「来たぞ!」
 魔法士の警告に慌てるでも無くそのファントム、視線転じて得物一振り。すっぱり野犬が奇麗に裂けて…何と、あの装束で手にしているのは長柄の武器、長刀である。
 動きも全く先程の、何処かか弱そうな少年とまるで異なり…それもその筈、彼は実にレアな職業(クラス)の主、異装士(ディスガイザー)なのである。


 異装士は「Fortune World」世界独自の職業体系の内、物霊繰り…アイテムマスターの系統に属するものである。物霊繰りは「物霊」と呼ばれる品物に籠められた霊と言うか使用者の残留思念を扱う特殊な職種である。と、言うと例えばサイコメトラーの類とも聞こえるが、むしろ憑依型のシャーマンに近く、物霊を「降ろ」して一時的に自分のパラメタをアップさせると言う独特の設定。例えば優秀な戦士の使っていた武器を手にすれば戦闘能力が上がり、同じく魔術師の杖を手にすればMPと無関係に呪文すら唱えられる優れ者。
 なかなか便利に思える物霊繰りだが、実際は品物の潜在能力発動中は言わばズルをしている訳で、経験値がほとんどカウントされない。ためにレベルアップがなかなか見込めず、大概のプレーヤーが途中で諦めクラスチェンジしてしまう。その意味では物霊繰りと遭遇する可能性は低いと言える。
 さて、そんな珍品たる職種の中でも最も珍しいものが先の異装士である。半ば冗談で開発されたこの職業、一般には「コスプレファイター」の呼び名の方が通りが良い。実際、異装士が扱う「品物」は、主に衣装であるからだ。
 異装士にもごく尋常な物霊繰りの能力有るには有る。が、そのためには普段の衣服と劇的に異なる衣装を着用せねばならない。算定方法は非公開であるが、衣装の材質やデザイン、古着の場合はかつての着用者のレベルなど種々の要素から衣装の潜在能力値が決定され、その数値を着用時に自分の属性値にプラスする。あまりにダメな服だとかえってパラメタが減少する事も。
 次いでに言えば、まだ他にもハンデがある。異装士は職業決定時から各人に異なる制約…もちろん本人の意思とは無関係の強制…が課せられ、各々事実上限定した衣装の能力しか扱えない。そして、当のファントムの制約は…
 もうお気づきだろうが、つまり女装であるのだ。しかも、かなり「可愛い」系で無いと駄目だと言う…


「は!」
 何とも不幸なファントムだが、その技は切れがある。経験値の増えにくい異装士でありながら既にLV5、優秀な彼は衣装の潜在値を100%近く引き出せる。そもそも今まで言及しなかったが、魔法士が魔法を試みていたかなりの時間、実際彼は彼で見事に戦っていたのだ。
 白の刃が弧を描き、数体の野犬一時に倒れる。だが、切れるのは何も技ばかりでは無い。

「TAKE!光の魔法だよ!」
「へ?」
 魔力の消耗もあり動けずにいた魔法士、急に呼ばれて顔を上げる。
「光って…光神槍(ランスオブルーグ)は駄目だって、また盾に当るし…」
「違うよ、閃光(フラッシュ)!目眩ましと何かコンボで!」
「コンボ…」
「空の呪文札(スペルカード)、無い?」
「あ!そっか…」

 呪文札は予め封じておいた呪文を瞬間的に発動する魔法宝物で、長い呪文も一瞬で発動出来るのが魅力だが、基本的に一枚に付き一個の呪文しか扱えない。だがあくまで「基本的に」であって、MPをあまり費やさない、短い呪文ならば複数籠める事が可能、したがって複数の呪文を一瞬で発動出来るのだ。公式ガイドには載っていない裏技で、実はちょっとした観察からファントムが発見したテクニックである。

 呪文札はすぐに見つかった。容量も充分、どんな長大な呪文も余裕で対応、ただし一番高価な札。呪文札は便利とは言え一度使えば破壊されるため、万が一のための切り札だが…
(…今使わないで何時使うんだよ!)
 瞬間揺らいだ気持ちに自ら喝。札の属性値(パラメタ)を睨みつつ、可能な呪文の組み合わせを必死で探る。
「女の子!あいつの近くに女の子いるから…大変だけど気を付けて!」
 長刀を水車の様に回しつつ、ファントムの声が飛ぶ。攻撃範囲の広い魔法ならより確実だが、少女の身体をこれ以上傷付けるのはためらわれる。…普通の意味での「死体」とは訳が違うのだ。
「く…閃光と、あと何だッ!」
「畜生!あんなに埋ってなければなあ!」
 実際、黒妖犬は身を屈め、野犬の山に半ば埋もれほとんど姿も見えない。位置が辛うじて分かるだけ。
(ん?待てよ…って、事は…!)
 閃いた。後は呪文を封じ籠めるだけだ。


「でやッ!この野郎…っ」
 戦士のバスターソードがうなりを上げる。格別の銘入りでも魔剣でも無いが、久しく使って手に馴染み、本人の地道な鍛練も相まって確実に敵を仕留めて行く。ヴァーチャルの良い所…と言うべきか、実際の戦いと異なり血糊にまみれても切れ味はほとんど衰えぬし、リアルワールドに比べれば疲労は少ない。それでも精神的な消耗ばかりはどうしようも無く…
(まだかよ!?)
 ちらり、後を盗み見る。魔法士の若者、瞼固く閉じ棒(ワンド)と呪文札固く握り占め、唇素早く小刻みに動かし一心不乱に呪文を唱えている。額に汗まで浮かべるその様、普段の軽さは微塵も感じられない。…彼も、戦っているのだ。
(しゃあねえ、もう一踏ん張りだ!)
「うおおおおおッ!!」
 気合い入れ直し、腹の底辺りに力を込め…再び遮二無二突進して行った。


 魔法士の奮闘も続く。
…天女の衣、蜉蝣の羽、軽き大気の舞う如く…
 呪文は既に2個封印済み。今の呪文ももうすぐ終わり、残る最後の呪文を無事籠めればコンボは八割方完成である。
「旋風刃!」
 ファントムの、必殺技の声がする。異装士の能力は元の持ち主の属性値を我がものとするばかりでなく、特殊攻撃の類も扱える。だが、攻撃値の高い技ほど消耗し…異装士本人は勿論、衣装も限界を超えれば使用不能となってしまう。だからファントムも普段は通常攻撃しか使わないのだが。
(参っているんだな…)
 呪文を一つ完成させ、封印成功を示す札の輝きを前に息を付きながら、状況の逼迫を痛感する。
(冒険の帰り道、ってカンジじゃねーッスね…)
 ちょっとばかり微苦笑し…また、呪文詠唱を再開。これが本当の大本命なのだ…


 日帰り規模とは言え一つのダンジョン攻略し終えて、まだ何の休みも取っていない。疲労もあって、前線で戦う戦士と異装士には時間が恐ろしく長く感じられていた。まるで、覚めない悪夢の様な…
「畜生!」
 現実の様に死ぬ事は無いが、この奇妙にリアルなヴァーチャル世界には痛みもそれなりにある。痛覚は現実より弱めに設定したとの話だが、その癖、流れる血潮が肌をなぞる感覚は無駄に生々しく、かえって頭がおかしくなる。ちらと、右手で戦う異装士を見る。
「旋風刃!鋼独楽!」
 小柄な身体に似合わぬ大きな長刀が、風車の様に神速で旋回、続いて一歩下がって持ち直し、今度は横にくるりと鋭く薙ぐ。見る間に敵が減じて行くが、立て続けに必殺技を連発して平気だろうか。
(フォローしたいけどな…)
 戦士も目前の敵で手一杯。悔しいが、異装状態のファントムと自分では、明らかに向こうの方が攻撃力も技術も上なのだ。そうで無くとも自分より遥かにキャリアのあるファントムの事、技の使い所も心得ていて、明らかに倍近い戦績を上げている。だが…
(…!あの時の…!)
 野犬で手一杯で気付かなかったが、ファントムの右腕右脚、真っ赤な血がたらりと流れている。魔法士の失策で怪我を負ったのは自分だけでは無かったのだ。
(畜生TAKE!ファントムまで傷付けやがって…これで黒犬倒せなかったらフクロだからな!)
 心で毒付き、目の前に躍り込んで来た一匹を何とか切りつけ…

「目を閉じろ!」
 魔法士が叫んだ。

 まず、目も眩む様な閃光が辺りを覆う。咄嗟に身体ごと目を庇っても、瞼を通して眩しさがはっきり伝わって来る。犬の慌てふためく様な鳴き声に混じり、一際鋭い絶叫響くのは間違い無く黒妖犬。全くの闇属性の怪物には、光系統の攻撃は神聖魔法さながら良く効くのだ。
 続いて奇妙に恐慌の声が。残光消えきらぬ中、そろそろと目を開ければ、かの黒犬が妖怪の矜持は何処やら、必死になって周囲の空を引っ掻く仕草を繰り返している。掻痒風(スクラッチ)、対象に触れるか触れないかの風を無数に浴びせ、精神的に苛々させる嫌な魔法だが…
(…おいおい、あれだけ待たせてコレだけか?)
 攻撃力は冗談程度なのだ。一瞬、手の得物を後へ向けようかと真剣に考えたが…
「凄い!頭いい!」
 ファントムが喜ぶ。慌てて目前の光景に目を転じると、あのいまいましい怪物は空中高く持ち上げられ、成す術も無くもがいている。
「浮遊(フロート)の呪文か!」
 浮遊は割合抵抗され易いので敵にかけるのは難しい術だ。特に今回の相手、術は少ないものの魔力はそれなりの黒妖犬だから、まともに浴びせても無効化されるのがオチ、そこを掻痒風で集中を完全にかき乱した訳だ。御陰であっと言う間に地上数メートル、幾ら操られても所詮は野犬、あの高さには飛び上がれまい。
 そこでいきなり術を解いて落下させてもまずまずのダメージだが、悪運強い闇属性の習い、結局厄介な手負いの獣となりそうである。無論、魔法士も分かっていた。

 まだ手元に残っていた呪文札が一際輝き、そのまま霧散して…明るい霧が再び魔法士の手に集まり、形を取る。光明の武器、光輝弩弓(ブライトボウガン)である。
 かりそめに実体化した弩弓を慎重に構え、空に浮かぶ黒い影を確と狙う。言わば魔法宝物であるこの弩弓、まず標的を外す事は無いが、狙えば狙うほど威力が高まる。目を細め、妖怪の額に標準ぴたり据え。射る!
 音も無く、光の粉を辺りに振り蒔きながら真直ぐに黒犬へと向かう。漸く気付いた妖犬が牙剥き唸り暴れるが、空中であっては全くの無駄。一矢は輝く光線と変わり、邪悪の双眼の間にすうと吸い込まれた。
 ほんの一瞬、身の毛のよだつ断末魔の悲鳴が響き渡り…だがじきにその肉体全く光の渦に巻き込まれ。そのまま全てが消失してしまった。
 闇の支配が消えたとは言え、まだ野犬が残っている。ところがどうした事か、皆きょとんとするばかり、いっかな少しも襲って来ない。
 その様子に、異装士の少年も漸く長刀持つ手を降ろす。
「そっか、光粉(ライトパウダー)って、鎮静効果が有ったんだよね」
「成る程…やるじゃねえかTAKE!」
「ま、それ程でもあるッスよ」
「ばーか、図に乗るなって!」
 のどかなどつき漫才が始まりかかるが。
「じゃあ…女の子、助けなきゃね」
 …ファントムの静かな声に我に帰った。

 「魔法」だけで。
 全てが解決する訳では無い。

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(C)獅子牙龍児
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