密かな嘆き


 例のドラゴンの行方は杳として知れず。斜陽の街にて日々は無為に過ぎて行く。

 強欲のルディスは上部屋を一人で押さえ、若者達を別な部屋へと完全に追い出した。この悪辣なる戦士は最早醜悪なる本性を微塵も隠さぬ有様だが愚者はそれでも偶像に群れて行く。あたかも神への供物の如く、頼みもせぬのに物品あれこれ引きも切らさず。日毎連れの若者達が顧みられぬ様になるのと対照に…
 それがまた、全くの無私では無くていささかの『見返り』を期待しての事だから…その『見返り』がまた哀しくも愚かしく、近隣同士の見栄の張り合いであったりするからやり切れぬ。
 だが。届けられるは何も『物』ばかりでは無い…



 簡単な昼餉を取った帰りだった。
 宿の中ですすり泣くよな声がする。今は昼間、宿の中は半ば空。不審に思いつつ声の方角目指せば…
(…ここは!)
 かのミケーラ、哀れな菫草の部屋である。
 あまりに胸に迫りし哀しき声、さらには可憐な姿が眼に浮かび、己の持した戒律も忘れて扉をそっと叩いてしまう。
「あの…ミケーラ殿…」
 はっと息を飲む声がして、泣き声ぴたりと静まった。

「あの…神官のパエトンです。何か、お力になれるかと思いまして…」
 言いながら自身動揺する。自分から女性に声をかけるなど…ましてや部屋に一人きりの所を訪ねに行くなぞ生涯初めての事。それでも聞かぬ振りをするにはあまりに痛々しき声だった。
 暫しいたたまれぬよな間があって。やがて…

「…パエトン…様?」

 酷く弱々しき細うい声、扉の中よりかすかに返る。


「あ…あの、あんまりお辛い様にお見受けしましたので…」
 全く女性一人の部屋に入って行くなど彼に取っては前代未聞。許され足を踏み入れても、咄嗟に言葉も浮かばずしどろもどろ…最もそんなパエトンの狼狽振りに、却って乙女の方が哀しき面を和らげた。
「いえ、こちらこそ御無礼を致しまししたわ。まさか外にまで響いていたなんて…」
 お恥ずかしい…そっと頬染め面を伏せる、淑やかさ。訳も無く、若き神官鼓動も早鐘。
「あの…あの、御婦人のお悩みとなれば私では不足でありましょうが、しかし!これでも神殿に使える身です、何かお役には立てませんでしょうか…」
「まあ…」
 ふわり、細い面が笑み作り、それでも尚まだ哀しみ残し…その切なさに却って胸をえぐられる。
「不足など…勿体ない程ですの」
 案じ顔の若者気遣ってか、無理に笑顔となるのが辛過ぎる。
「その…無理にとは申しません!けれど御不快でなければ話しだけでも…光明神に誓って他言はしません!」
「パエトン様…」
 いっそ、盛大に泣いてくれた方が余程気楽な程の笑み浮かべ。
「本当に、愚かな娘の愚痴ですの…」

「わたくしは…もう、あの方のお傍にはいられないのですね…」
「…!」
 パエトン自身気付いていた。あの狂暴な悪徳の塊の、ルディスの元へ。物品ならで『女』を見つくろう者まで出て来たのを。始めは流石にこそこそと、ミケーラをはばかり密かに逢瀬を重ねていた様だったが…近頃はその限りでは無い。ミケーラが侍っていると言うのに商売女を連れ込んで、挙句の果てにはそんな女の酌までさせる。昨日などは仕事仲間たる若者達にも行き先告げずに何処ぞにか出かけ…今日も今だに帰還の様子全く無く。
 ミケーラは哀しい程に従順ゆえ、男が自分のみならず多くの女を寝所にまで引きずり込み、狼藉繰り返すも黙って耐え忍んでいたのだが。乙女の想いは辛く切なくそして深く…今や酷く追い詰められているのだ。

 もしや…この娘、世を儚んで身投げでもするのでは!
 そう思えばいても立ってもおられない。

「ミケーラ殿!そんな事はありません!貴女は…貴女は、どんな御婦人よりも麗しくていらっしゃる…」
 思わず拳握り締めて叫んでしまい、己の言葉に気が動転。
「あ…あの!も、申し訳ありません、御無礼を…」
「…いえ…」
 消え入りそうな声。

「ありがとうございます…」
 清らかな真珠がはらはらと。
「…神官様のお優しい言葉に…心も幾らか晴れました…」
 はらはら、はらはら…音も無く。

 何故。
 この様に清らかな魂を…
 罪の源とみなすのだ?

「汝 女に触れるなかれ」

 光明神に仕える者なら誰もが知る、神自ら語った戒めの語句。
 かつて戒律と言う戒律を神聖なるものと固く信じた時代もあったが。
 今は…

 何もかも。全てが頼りなく揺らいで見えた。

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(C)獅子牙龍児
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