寄進


 砂百足を倒した事で街はさらなる熱狂を見せている。

 宿屋が代金を取らなくなったのを皮切りに酒場と言う酒場が飲み代を受け取らぬ様になり。全くもって下にも置かぬもてなしぶり…何と言っても寂れた土地、そこに本物の竜殺し…所謂『英雄』に哀れな程に免疫を持たず。
 それにかこつけ、強欲のルディスはすっかり長居を決め込んだ。

 諸手を上げて喜ぶ街の衆。街はあたかも祭りの体…
 最早見慣れ過ぎた光景に。若者二人は哀しき諦観に浸るのみ。


 …全く。何もかもが常通り…



 神官のパエトンは暇を持て余す事が多かった。才能にこそ自負はあるが何分修行の途上の身、複雑怪奇な戒律が若い青年をきりきり縛る。神殿の育ち故、またその身に深き信仰宿すが故、悪所への誘惑こそ感じぬが。俗世に身を置くには余りに奇々怪々なる神殿律にはやはり理不尽感じずにはおられない。
 そもそも光明神定めたる法にはそこまで細かな束縛は無い。かの珍妙とも言える『怪』律は、ただ若き神官にのみ一律に課せられて。その才も信仰の深さも少しも顧みられる事は無く…

 老獪なる上位の司祭の凄まじき悪行には誰も彼も無頓着。

 だからこそ。詰まらぬ事であらぬ疑いかけられ今までの修行の苦労帳消しにせぬために。下らぬ事と恨みつつ、パエトンは宿の一室に今日も篭っていた。


 コンコン…
 程よいノックの音がする。横暴な戦士ルディスは勿論、宿の人間も田舎者、こんな礼儀をする者など一人しかいない。
「ヴィルヘルム殿!ああ、今開けますよ」
「いやいや」
 扉の方が先に開く。
「入っていいかと尋ねただけさ」
 …幾分声に明るさがある。

「何か、良い情報でも?」
「いや…ドラゴン絡みでは無いよ、残念ながら」
「では…?」
 どちらかと言えば鎮痛の薬草に麻薬を混ぜ、ひがな一日煙管で吸っている事の多い魔術師だ。幼少よりの重い持病を抱えていて加えて今の境遇が境遇…全てを諦めてしまうのも無理は無い。
 その彼が、笑っている?
「ちょっとした事さ」
 珍しく片目をつぶっておどけ顔。

 ごとり。何やら重げな袋を卓に置く。食料なら…最近は皮肉にも…ルディスのおこぼれと言うべきか、宿屋の主人が彼等に対してもそれなりに値引く様になったため不自由は無い。そうで無くともヴィルヘルムは、何処か疲れ切ったその風体とは裏腹に…実の所、初対面の印象は正直芳ばしからざるものだった…真摯で敬虔な人物、奇妙な物品に無闇に浪費する類の悪癖とは無縁である。
 思わず棒立ちになってまじまじと凝視すると、今度は声を立てて笑われた。
「判らないか?…いや、それでこそ『結界』の価値ありと言うものだ…」
「『結界』!?この包みに!また何と言う軽率です、無為な魔力の消耗は…」
「いや、その…まあ、許して欲しい。すぐに中味が判っては詰まらないからな」
「詰まらない…?」
 愉快そうに、袋の口を手で示す。
「開けろ、と?」
「ああ」
 首を傾げつつ。結び目を解いて施された封印を解く。
 と…

「これは…!」
「はは…なかなか珍しいだろう?」
 袋の口の隙間より、芳しき芳香部屋満たす…


 袋の中味をそろそろと、卓の上へと並べて見れば…さほど広からぬ板の上、たちまちにして一杯に。
 黄金色の輝きも眩しきシトロン達…
「す…凄い!」
「ああ、かなりの数もあるからな、遠慮無く食べるといいさ」
「あ…ありがとうございます!」
 許された食物の中でも最上の上、パエトンに取っては大の好物である。礼もそこそこに貪る様にかぶりつく。…久しく感じる事も無かった清々しき酸味が、鬱屈した心の澱を奇麗さっぱり拭って行く。
「旨い…」
「…全く、良くそんなきつい物を生(き)のまま食べられるものだな?」
「何を言われます、これはもいだそのままが最高なのです!」
 胃弱の魔術師は、ただただ笑っている。

 礼儀も何も忘れ果て、立ったまま三つを食べ終えた時。漸くにして我に返る。シトロンの鋭い味わいは魔術師の好む所では無い筈を、何よりここらでは珍しき品を、何故にまた?
「なに、今日は存外儲けが多くてね」
「…また占い師紛いの事を…」
 根は正直なヴィルヘルムだが、清廉一点張りの堅物では無い。魔術師が人外の術を操るとは言え…予言の才は彼等に皆無。それでも魔法と無縁な者達は、魔術と言うものに過大な期待を寄せるから…未来の事々をみてくれと、頼む者も少なく無い。
 常に、では無いにせよ。彼は請われるままに時折手相なんぞをみてやるのだ…勿論、幾許かの報酬付きで。

「まあ、幾らか詐欺には近いがね。天罰で即死する程の額では無いさ」
「そうでは無く…あたら才を無駄に」
 ヴィルヘルムは魔術師にしては珍しく医術の才もある。病の事を聞かれればいい加減な『占い』では無く顔色その他をきちんと『診て』やるのだ。
「…連中は薬師や治療師への代金を惜しんでそんな事をするのです!それをいちいち、」
「こら、酷い事を言うな。『惜しむ』のでは無く初めから無いのだ」
「それは…そんな者もいるでしょうが…」
 実際には薬師並の助言をして、それで謝礼は半値以下。
「解せません!」

「まあ…これも一つの『寄進』では無いかな」
「『寄進』、ですか?」
「元々神殿で得た知識さ。それで己のために儲けるのはいささか…な」
「しかし…」
「だが、神殿で得た知識が神官殿の腹に納まった。ならば光明神様も眼をつぶって下さるだろう…」
「…!」

「あの…まさか全部、シトロンを買うのに…」
「いやいや、自分の物も買ったさ!」
 全く魔術師等と言う職に似合わずに。子どもの様に底意の無い笑顔…

 ため息を付いて。パエトンも腰を下ろしていた。


 ヴィルヘルムは幼少の折りに流行病で父親を亡くし。病弱な母親と幼い妹を連れて路頭に迷っていた所を光明神の神殿に救われたと言う。境遇に同情した司祭が母親の病を治し住居を与え、それで一家は一息付けたのだ。
 恩返しにと、幼いヴィルヘルムは神官として神に奉仕する事を希望したがそれはあっさり退けられ。それでも熱心に通う彼の姿に…妙な話だが、近隣の魔術の学院を紹介され。結局はそこに奨学生として入門したのだと言う。

「こんな境遇だ、神殿への奉納もままならぬからな…まあ金の出所を思えば複雑だろうが勘弁してくれ」
「いえ…」

 実際の所司祭の助けは一瞬の事で。魔術の学院にて修練に励み、早くに魔術師として身を立て収入を得、結局はその送金で家族を自分で養っていた。彼の身体が虚弱であるのも、その頃の無茶な働きたたったに相違無い。
 しかも。魔力知力に優れて信仰心篤い彼が神殿入りを拒否されたのは…

「そんな顔をするな。司祭様にも含みがあった事位判っているさ」

 ヴィルヘルムは酷く貧相に痩せて常に顔色が悪く、お世辞にも美男と言える顔立ちでは無い。教団の宣伝も兼ねて見目良く強靭な若者を揃えたい司祭団の眼鏡に適わなかった…ただそれだけで。
 しかも。普段静かな緊張…敵対と表しても良い…状態にある神殿と魔術師ギルド、先方に己の息の掛った者を送り込めれば後々役にも立とう、そんな算段すら抱いていた。

「だが…本当に、あの司祭様の御好意と光明神様の御慈悲無くば一家総出で飢え死にしていた…」

 卑屈な人間にありがちな、聖職にあるものを上目使いで伺う様な愚かな事はまるで無い。パエトンの才と能力を認めつつ、経験不足から来る未熟をやんわり正し先達として導きもした。
 それでいて。あたかもパエトンその人に恩義あるかの如く敬意めいたものを払われる。

「行為に多少の他意があったとて、ここに確かに救われた者がいるのだ。充分だろう?」

 静かに微笑んだまま、光明神様へと祈りを捧げる。神殿上層部にすら不敬な輩は少なく無いと言うのに…これ程の純粋な信仰を捧げる人間が、神殿の門すら潜れずにいる。
 幼い頃には、神殿こそ完全なる正義と信じていた。だが修行を重ねる内に神聖なるべき司祭団達の内情を知り…そしてこうして神殿の外を旅する内に、ますます信念が揺らいで来る。

 神は。真実全てを照覧しているのであろうか?

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(C)獅子牙龍児
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