七章 火霊 (5)


 火蜥蜴流石に火霊の主、燃ゆる呼気にて汚泥焼く。闇には致死たるその炎、確かに次々泥魔散らすが敵無数、如何に焼けども後から後から…あたかも黒の津波迫るが如く。気温下がるもまた道理、火口奥へも泥にじりより、もはや煙一筋もたなびかぬ。
「山が…死んでしまう!」
「慌てるんじゃねえ!まだ底の方は生きてる筈だ!」
 そうこうする間にもディーマの猛攻緩む事なく、火炎の隙を縫う様に、黒き触手が次々火蜥蜴犠牲にす。…腕もまた、猛毒である。蜥蜴の守りの合間より、迫る触手を金剛が、膂力にまかせて叩き切るが剣一本では間に合わず、こちらも幾度も毒浴び先の火傷も疼いて満足に動けぬ。
「先代が…クシャトリヤ様が御存命なら…」
「うるせえ!もう先代は死んじまったんだ、オレ達でどうにかするしかねえだろ!」
 若蜥蜴も必死に鼓舞するが群れを包むは絶望の二文字。ちらり、視線巡らせば震える少年。獅子奮迅の男の陰、よろよろと剣支えに立つ姿、毒にも当てられ衰弱激しい。
「畜生、龍王サマとやらがまた鱗気の閃光、連中に浴びせてくれればなア…」
 別段、焦りの中のただの繰り言であったのだが。

 瞬間、世界が真の昼間になった…


 泥魔どもがもがき苦しむ様が見えるがそんな事はどうでも良い、急ぎ向き変え走り寄る。
「昂!」
 先に事態に気付いた金剛が、必死で抱える腕の中、もはや瀕死の相浮かべ…剣支える力なぞ無く、白刃ころりと脇に落ち…
「本気でやる奴があるか!」
 傲慢の子蜥蜴と言えど焦燥に涙にじむ。実の所、昂に罪など無い事百も承知、毒や炎ばかりで無く誓約がために鱗気酷く削らし命の危うきも知っていた、ただ突然の先代の死、受容するには幼きに過ぎたのみ。
「しっかりしろ、昂!」
「眼、開けろよ…!」
 まさか、ただの理不尽の願い聞き入れられるとは思いもよらず…金剛ともども懸命に呼びかける。
(ここで死んでどうするんだよ!)
 願い天に通じたか、少年の瞼そろり開く。だが睫毛の酷く揺れる様、あたかも風に揺らぐ灯火の如く…少年の命の火急を告げる。
「ぎゃあああ!」
「ひい!若様ぁ!!」
 弱りはしたが執ねき闇の眷族が、動揺の火蜥蜴次々血祭りに。昂の渾身の一撃も、敵の怯んだ隙逃した己が過失、もはや無為に帰し。一度は緩んだ包囲の網も、今となっては蟻の這い出る隙間も無し。衰弱の少年だけでも…と思えど逃げ道ことごとく塞がれ。
 もう一度見やれば小さき瞼、再び閉じられ。一刻の猶予もならぬ危急の模様。
 若き、いやむしろ幼きと称するが相応しき火蜥蜴、覚悟を決める。
「誓約…それしかねえ!」

「何を言う貴様ッ!!」
 逆上に握り締めた剣まで向け偉丈夫険しく怒鳴り声。
「昂のこの衰弱…もはや命すら危ういのだ!」
「だからだ!」
 負けず大声、
「オレでも龍王の使役となれば、あの程度の泥魔なんざ蹴散らせる!使役となれば、オレの霊気も分けられる!」
「馬鹿を言うな!今の昂がクシャトリヤの強大の魂、受け止める余力など…」
「違う!今のままのオレ…子蜥蜴のオレなら何とか使役に出来る筈だ!」
「な…」

「正気、なのか!今、長の継承も無しに誓約なせば、未来永劫クシャトリヤには…いや、成獣にすらなれぬぞ!」
「それでも…今の昂の…龍王の命には変えられねえ!」
 負けず睨む真摯の瞳。若者の覚悟のほどを知り、男も言葉を止めた。
「分かったか、昂…オレと誓約を結んでくれ!この、子蜥蜴のラジャスと!」
「ラジャス…」
 弱々しく瞼上がり、細い声が漏れる。
「傍に…僕、届かない…」
 急ぎ昂の右の手、間近まで。それでも腕は震えるばかり、必死に伸びる手男が支え、左手にも王の剣握らせて。震える唇が文言刻む。


「我が…命に、従い…」
 合間合間の息つぎすら苦しげ。
「若長ー!もはや我らも持ちませぬ!!」
 悲壮の叫び、止む事無く。
「恒久の…忠誠……」
 眉が酷く辛そうに寄せられ、再び瞼も閉じられてしまう。
「頼む!それしか、方法がねえんだよ!」
 必死にすがるが、昂は息も絶え絶え…
(オレは…龍王も一族も救えないのか…)
「誓う…べし…」
 震える唇、辛うじて。
「昂…!」
「頼む…」
(済まねえ…オレのために…)
「なん、じ……」
 呼吸が酷く忙しない。見守る方も息も付けず。

「…ラジャス…!」
 誓約の言葉、完…


 辺り覆うは光の嵐、ただの眩しさならで圧迫すら感じる強き輝き。昂は何も見えぬ視界の中、たった今しもべとなした火蜥蜴に必死で言葉をかける。
「ラジャス…皆を…助けて…!」
 それが少年の限界、後は全て彼方に消えぬ…



 次に気が付いた時には、全てが終わっていた。
「まだ、辛いか?」
 低い男の声がする。が、金剛のものとは違っていた。
(誰…)
 ぼんやりと眼を向ければ、見事な体躯の火蜥蜴傍に控えていた。巨体、かの古老よりさらに大きく子馬ほど、四肢にも力溢れ逞しい。蜥蜴と呼ぶより炎の龍と称するが相応しく、猛々しくも美しい姿に暫し見惚れていた。
 ふと、頭上の冠に気付く。
(あれ?さっきの前の長老さんとか、ラジャスとか…長の資格のある火蜥蜴にしか、無いんじゃないかな?)
 何分、慌ただしい出会いであったため確とは分からぬが、他の多数の蜥蜴達、つるりとした頭であった筈。
「オレが、分かるかい?」
「ううん…ご免なさい…」
 正直に応えれば、何故か上がる笑い声。昂は首を傾げるばかり。
「お前が身分わきまえず、その様に無礼な口を叩くからだ」
 嗜める金剛の声も何処か笑いを含んでいる。
「そりゃそうだ!じゃあ、改めて…我が君、使役と下りました者にございます」
 真面目くさって頭を下げる大蜥蜴…暫しその様ぱちくりと、瞬きしながら見ていたが、突然弾かれた様に叫びを上げる。
「まさかラジャス?ラジャスなの!?」
「左様にございまする」
 またまたふざけて最敬礼。記憶の中の使役の姿、これはあまりに違い過ぎ、口ぱくぱくするばかり。
「どうして…急に大きくなっちゃったの?」
「そりゃ、こっちが知りたい位さ!」
 にいと無邪気に笑顔を見せれば、確かに子どもの面影あるが…
「恐らく、昂の鱗気の賜物だろう」
「僕、の?」
「あれだけ強い鱗気を浴びて何も起きぬ筈は無い。…お前は無意識だろうが、まさに命全て与える程に鱗気発していたのだぞ?斯様な無茶続けば寿命も縮むぞ」
「ご免なさい…」
 口調こそ厳しいが、深く案じる心情伝わり、胸の奥底暖まる。
「で、どうするんだ?」
 気を利かしてか、ラジャスが軽く口を挟む。…確かに、事も全て済んだ故、長居の理由も無い。
「さて…馬達も痺れを切らしておろうな。帰るとするか」
「そうか…じゃあ昂、オレが必要な時は何時でも名前を呼んでくれ、どこからでも駆けつけるぜ!」
「ありがとう…」
 分かり合えた時が別れの時…切なさを感じながら立ち上がる。
 と。足いまだふらつき転びかかる。
「わ…!」
「まだ、本調子とは言えぬな」
 笑いながら抱き上げるが…
「…と!」
 今度はぐらり、偉丈夫ふらつく。
「駄目だよ金剛!僕は皆に治して貰ったから良いけど、金剛酷い怪我だったんだよ?」
「そうそう、旦那ももう年なんだからよ、ナントカの冷や水って言うだろ?」
 昂はともかく若蜥蜴の茶々には流石に憮然。だが。
「それによ、旦那は誓約もまだなんだろ?つまりは王の剣ってのがえらく重いんだろ?」
 急所突かれて思わず絶句。その隙にラジャスにやにや走り寄り、戸惑う昂の眼の前に乗れと言わんばかりに背中を示し。
「オレならなんとも無いからよ、運んでってやるよ」
「え…でも…」
 遠慮恐縮の素振りは見せながら、明らかに乗りたげな昂の様子、無論それも金剛を休ませようとの配慮であるがやはり複雑。ラジャスにしたところで事情の詳細分からぬまま、大した悪意も無しに吐いたとは知れるのだが、改めて誓約先を越された苦い事実突きつけられ、理不尽なる悔しさ身を貫く。
「火気操るサラマンドラの背の上など、水気に親しいお前が寛げる筈も無い。そうでなくとも…こやつ、途中でうかつを仕出かすのではと気が気で無い」
 常に無いほど大人げ無く、辛辣を述べる金剛に向かってラジャスも歯を剥き出す。
「オレはそんな事しねえよ!」
「いや分からぬな、そもそも人を乗せた事などあるまいに」
「ぐ…!」
 至極もっとも、鱗気浴びたによる急激な成長ゆえ、人を乗せられる程に育ってからまだ幾らも経っておらぬ。しかし流石は火気の類と言うべきか、元来短気極まるラジャスの事、思い余って昂へと大きく飛びつき実力で王の運び手となろうと…試みたが。
 あえなく玉砕。

 …突如、ラジャスの体躯、元の小さな蜥蜴のなりへと瞬時に小さく縮んだのである。

「ラ、ラジャス…?」
 反射的に伸ばした昂の手も、行き場失い宙ぶらり。その遥か下方、地面の上の元の木阿弥、驚愕衝撃落胆に言葉も言えでただぶるぶる。これには金剛も溜飲下がる。
「ほう…龍王の神通力もお前程のちびばらを大きくさすのは荷が重いと見える」
「う…う…なんで、どうしてだ…」
 声もきんきん甲高く、利かぬ気の子どもじみた幼さに。
「誓約なせば成体には成れぬが道理、だが一度王の命あらば相応に身も伸びると言う次第であろう」
「じゃ、じゃあオレ…昂に呼ばれねえかぎり、このまんまって訳かよ!?」
「左様、その『チビ』の姿のままだな」
 ぺしゃり、小さな火蜥蜴地に伏せる。


「そんなにしょげないで…僕のせいなんだもの。それに、僕、今のラジャスも大好きだよ?」
 昂がそっと抱き上げる。今のラジャスの小ささは、初めて見たよりさらに増し、少年の大きからざる手の平にもすぽりと納まる程である。くたりとなった小さき身体、手でそっと包み背中撫で…昂の真情溢れる優しき仕草に漸く何とか身を起こした。
「…でもさ、お前、その身体じゃあやっぱ歩くの辛いんじゃねえのか?」
「わたしが運ぶと言っているだろう!」
「けどよ…」
 再燃しかた争いは、すんでの所で遮られる。
「ラジャス様!見張りが奇異を見つけてございます!」
「何だ!?手短に述べろ!」
 昂の柔らかな手の慰めに暫し甘えていたのを一変、急にきりりと長の顔。その変わり身早さに笑い噛み殺しつつ、偉丈夫も龍の五感にて辺りを探る。と、急に噴き出した。
「や、長どの…案ずる事は何もない、そら…」
 火蜥蜴の騒ぎ一頻り…じきに蹄、いななき聞こえ出し。
 ヒヒーン!昂達のたたずむその場所に、躍り込んだは懐かしの馬…光陰に磐石。山頂の毒消えたを感知し指示も待てずに駆けつけたのだ。
 結局、金剛の武器も昂の懇願もあってラジャスが渋々ながら炎で鍛え直し、忠義の馬達の背を借りて、心を交した蜥蜴達に見送られて元来た道を下って行く。

 こうして、実に長い一日が終わりを告げたのであった。

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(C)獅子牙龍児
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