瑠璃宝卵


 帝釈天のおわす刀利天、その西端ほど近い地に吉祥苑は在る。
 苑と言ってもただびとが迷い込めば百年賭しても抜け出せぬほど奥深く、険しい。平地はわずか、他は切り立った岸壁でなる地で、天人と言えども瑞雲、翔獣(いづれも貴人の天駆け用の乗り物)なくては行けぬ場所。だからこそ、翼は持てど常に追われる身の上の、吉祥鳥が集うのである。

 元来帝釈天は歌舞音曲を好む方。雷の帝にそぐわぬ趣味なれど、あるいは性情苛烈を極めしお方ゆえ、妙なる音色綾なす舞を求めらるる。それゆえ刀利天にはおのずと迦陵頻伽(かりょうびんが)、迦楼羅(かるら)の吉祥鳥の類が集う次第。
 されど。吉祥を司るとは言え、所詮は畜生。神獣と言えど天のただびとにも劣る。辱(じょく)たる求めも逃るるにあたわず。美しきもの、舞や踊りに優るるもの、皆色界の欲に潰されり。鳴呼、哀しきかな、翼あるもの。汝の空、汝の終の住みかは何処にや。

 その悲哀も今は昔。今生の吉祥鳥は安住の苑を得、天上の貴人と言えども吉祥苑の主の許し無くしては迦陵の羽一枚といえども持ち出せぬ。主はいまだ齢四百にも満たぬ若鳥、されど力は闘神にも勝ると言う。吉祥苑の有頂天、高きの極みに住まう鳳凰鳥の一族、その長である。
 鳳凰は長命の種である。千年に満たぬ者は少なく、万を数える者すらいると聞く。容貌花の如く喜びの如く、その性(しょう)細やか、幸い運ぶを役(えき)とし、神意を伝うるを能とする。されど瑞力の強きが災いし、他国へ行くこと子を育むことを長らく禁じられていた。だが今は稀なる豪の者、一族戴く長の働きにより、幼子の産声響く運びと相成った。


「ルキ様、無事生まれたそうですよ。」
「有難いな、いつまでも『最年少』扱いはコリゴリだ。」
「どうぞいらして下さい。…めったに見られるものではないですよ。そうでなくとも、皆、ルキ様に名付けて戴きたいと願っていますので。」
「はは、それは大役だ。行くとするか。」

 ルキは変わった出自である。もとは下界に住む人の子だったという。仔細あって生きたまま鳳凰鳥に変化し、今は天界に存る。容貌は美しいながらもいささか恐ろしげでもあり、戦ごとには鬼神の如き冴えを見せる。その能を買われて天界のある任に着いている。
 ルキの役(えき)は瑞鳥に似合わぬ不浄の任である。それは殺生の一言に尽きる。耳賢い雀達によれば、元々ルキは深き怨念を抱いて地獄へ落ちようとするをその力を恐れた神々に無理に天界に引き上げられたとか。喜々として獲物引き裂き、その血をすすり咆哮する、その姿を一見すれば噂も真かと天人・神々の別なく恐れ忌み嫌う。しかし、吉祥鳥達の信は厚い。側近の良元をはじめ、鳥ら隅々に渡り慕われていた。

「一度、弟だの妹だのを持ってみたかったからな。」
「どちらがよろしいでしょう?お望みなら選べますよ。」
「おいおい、それはその子が選ぶことだ。」
「冗談ですよ、冗談。…おやもう人だかりですか。」

 吉祥苑の鳳凰は卵生である。雌の凰と雄の鳳とが情を交し心を交し、十月を三度重ね、さらに三度、その上にまた三度重ねて、誠魂と魂とが通い合い、片翼のいづれも欠けることなく十年の月日を数え、ようよう実を結ぶのである。それはそれは美しい、虹のように幾つもの光を放つ宝玉の如き卵で、世に「瑠璃宝卵」と言う。
 美しさが仇となり、かつては貴人の居を飾るため、生まれ落ちるとすぐ釜で煮られ、殺されたものである。煮られる苦しみに、幼子があげる声無き声が殻に染み着き、その切ない景色がいっそう美を添えるとか。
 よしんば事も無く殻を抜け出たとしても、成人できぬまま命果てる者もままある。鳳凰の子は雌雄の別無く、想を懸ける相手と情を交さぬ限り成人とならぬ定め。想い破れればまこと文字通り恋に身を焼き焦がし、塵と消える。
 かように鳳凰の恋は音に聞くよりはかなきものである。

「ほう…いや見事。」

 長の到着に、自然と分かれた人ごみの、小道を歩んで見てみると、音に聞くより目に眩しく、不思議の卵が燦然と輝いていた。

 鳳凰の雛どもは「母様」「父様」とは発さぬ。古来誕生少なきゆえ、産まれ落ちた子は一族挙げて育てる習い、殻を破りしその日より、その殻のみを形見に残し、二つ親を離れ育ち行く。ために、一族の雄は皆「兄」となり、雌は「姉」となる。鳥族の類に漏れず、赤子はまず目に映りし者を格別慕うため、「初めの者」は一の兄、一の姉として名付け親となり、また成人まで見守り行く。「子」の誕生と「名付け親」の誕生を祝うため見届けるため、一族は何を置いても馳せ参じる。

 ルキが一同を見渡した。皆がうなずく。同胞(はらから)の意を受け、そっと卵を手に抱き取る。

 !…
 なんと、軽い…命の器(うつわ)とは思えぬほど。

 今一度、包み込むよう抱き直し、落とさぬように腕に抱き、そろりとふわりと息を込める。
 ふっ…と。音もなく紅蓮の羽が舞う。ルキの背に、翼が広がる。常にはほとばしるが如くの灼熱の瑞気をまとい、明王の背負いし火炎に見まがうその羽が、淡く優しく花霞のよう。その柔らかな霞が静々と卵を包み込む。

 鳳凰を一名に「おおとり」という。鳥の眷族の内王中の王にふさわしきゆえに。されど、卵の中の鳳凰ほど弱き者なき。母の胎を出(いづ)るとも、未だ体(たい)は成らず、暗く寂しき混沌にて、産まれ出(いづ)るべきか朽ちるべきか逡巡の虜。たれかの呼び声なくしては殻にひび一つ入れられぬ。

 怯える子を宥めるよう励ますよう、優しく暖めるが如く撫でてやる。一族同胞の切たる思い、自らの内なる熱き想いを統べて込め、穏やかな瑞気を送りやる。

 ―怖がることはない…
 ―皆、お前を待っているぞ…

 唯、声なき祈りのみ響く、日だまりの中。

 ―外は暖かいぞ…

 柔らかな風が梢を揺らす。

 ―お前に、遭いたい…

 翼がわずかに振るえ、そして今一度天高く広がる。

 ―さあ!

 ぴしり。小枝を折るほどの音がし、卵に染みのごとき一点が生じる。まばたきする間に一点から路が幾筋か伸び広がり、美麗たる蜘蛛の巣を描きたる。
 皆の、眼(まなこ)が開ききる。

 一拍の間。

 ぐわり!

 古伊万里の、名人の手に依るものを思い切りて岩棚に叩きつけたよな響き。七色にきらめく片が陽光に溶けてゆく。そして。
 赤子が伸びをした。

 おお!
 雛だ!
 我らの子だ!

 喜びが海嘯と化して辺りを染め抜いた。


 改めて腕の中の雛鳥を見る。見事に白い肌。赤子らしからぬほどすらりと伸びた手足。今ようよう開かんとする、睫毛麗しき眼…

 開いた!

 それは、磨き抜かれた黒曜石か。児戯好む造化の神が星を戴く天球を盗んではめたとしか思えぬほど、大きく輝く黒い瞳。中に、童のようなルキの姿がはっきりと映っている。
 ―吸い込まれそうとはこのことか。
 わずかに微笑み、未だ右も左も判じつかぬ雛をそっとおろしてやる。既に柔らかい織物が敷かれており、痛くも冷たくもないはずだが、やはり産まれたて、座り込んだままやや不安気に辺りを見回す。気付いて駆け寄って来た娘を軽く制し、薄ものを受け取り小さき者に掛けてやる。
 暖かい感触にはじかれたように顔を挙げた赤子の眼と再びぶつかった。
 一杯に見開かれた瞳とそこに映る驚くほど柔らかい笑みを浮かべた自分の姿を見つめながら、そっと髪を撫でてやる。
「よくぞ参った。…待っていたぞ。」
 何も知らずとも言霊だけは確かに受け取ったのだろう、ルキが言い終えるやいなや、蕾が開くよな笑みが広がった。
 ―「笑み割れる」とは、このことか。
 自然、吉祥果の花にもにた芳しき香が辺りを覆って行く。…蓮華の華より生まれたという、かのナタク神もかくやの景色。
「まこと、華のようだ。我が一族の再生にふさわしい。」
 集まった鳳凰の中には感極まり、泣き崩れるものもいる。
「お前に名を授ける。『華蘭(ファラン)』。華の中の王の如く、誇りを持ち、真直ぐに生きよ。そして、お前の上に…常に幸あるように。」
 轟く歓声!再び一面興奮と歓喜の大津波だ。大音声にいささか怯える「華蘭」にきちんと薄ものを着させ、今度は殻ごとではなく直に腕に抱いてやる。再び視界が高くなったことに驚いたかまた見上げてきた。
―おや?
 先程までと異なり、その眼はしっかりルキを捕えている。
 吉祥苑の鳥たちは豊かな耳を持つためか、眼が空くまで暫し掛る。生まれて数日まともには見えぬ子も少なくない。だが「華蘭」は生まれて半時も経たぬのに、もうしっかり名付け親を見つめている。
 ―これは驚いた。
 思わず吾子(あこ)の方に顔を寄せると、ふいにその面が歪んだ。
「な、何だ?」
 と、見る間にたちまち涙が溢れるる。
「う、うっく、うっく」
「おいこら、どうしたんだ一体!」
 鬼も逃げ出す豪の者と言えど、幼子の涙には適わない。一同も、先の騒ぎはどこやら、思わぬ雲行きに思案顔。…子はただただ悲しげに泣きじゃくるばかり。
 とはいえ、気の短さでは天でも指折りのルキのこと。雛の相手でも堪忍袋の尾が切れる。
「華蘭!」
「!」
 鋭い一声に思わず無き止む小さき者。
「一体全体何が不満だ。申せ!」
 申せとのたまわれても…一同不安気に顔を見合わす。まだ生まれてばかりで言葉一つ文字一つ知らぬのだ。
 それでも、若子は確かに言霊を受け取ったのだ。
「うー、あー、」
 何か頻りに言いたげに、手足を動かす。
「何?」
 とルキがさらに耳を寄せたときである。即座に伸びた小さな手が、ルキの耳元一房垂れた金の髪をむんずとばかりに握り締めた。
 ―あ!
 あまりの事の成り行きに、流石に皆蒼白である。
 が、そのときルキにも足りぬ言の葉が伝わった。
 ―ほう…そうか!
「成程、お前は私を呼びたいのか。」
 言葉を操れぬ幼子は、金糸を握り締めたまま何度もうなずく。
「…だが、少々痛むのでな、まず手を離せ。」
 これも何とか通じたようで、慌てた様子で手を外す。その様子にルキの顔にも再び笑みが浮かぶ。抱き直して優しく髪を撫でつける。
「この私は鳳凰族を束ねる長、マアニ・ルキだ。ルキと呼ぶがいい。」
「る?るー、るー…」
「ル、キ、だ。」
「る…」
「ル、」
「る、」
「キ。」
「き?」
「もう一度申せ。ル、キ、と。」
「る…き…」
「よし、そうだ。」
「る…る…る、き…るき、るき?」
「おお、そうだそうだ。」
「るき、るき、るき、るき…」
「はは、なかなかうまいぞ。」
 覚えたての呼び名を連呼する吾子(あこ)を高く掲げる。
「自分の名よりも私の名を覚えるとはな。…気に言ったぞ、華蘭!お前は私がしっかり育てる。鍛えてやるからありがたく思え!」
 いささか物騒な物言いながら、孤高の長の声は初めて聞くほど明るく、はずんでいた。暖かい、春の日差しの中に、笑いさざめく声がいつまでも聞こえていた。

進>>


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(C)獅子牙龍児
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