傾城傾国  (1)


 瑞鳥は総じて長命である。ことに鳳凰の一族に寿命はない。しかも実に緩やかに育ち、幼年期も長きに渡る。初めの一月こそ、草木伸びるが如くまたたく間に赤子から下界で言う所の五歳ほどに育つものの、その後は人の十年に一つしか歳をとらぬ。八十年ほどで変化(へんげ)の時に入り、対の相手を求め初め、百年ほどで大概のものは成人する。生まれたときには子の性は定まらぬが、成人の際に身体が変化し、はじめて雌雄の別がつく。幼子は概して優しくたおやかだが、長じて雄となると幾分荒々しく変じ、雌となるとよよとした婦人となる。雌雄いづれも選べ得ぬ者は、ただただ苦しみ抜いて果てるのみ。古来よりの定めである。


「ルキ姉様、まだ怒ってるかなあ。」
 吉祥苑の東に華蘭はたたずんでいた。

 華蘭は今年で六十となる。下界の尺度でいえば十を過ぎて間もなく、まだまだ幼い身の上ながら、容貌まさしく華の如く蘭の如く、舞や踊りにも優れ、名手として吉祥苑はおろか刀利天全域、いや天界の隅々にいたるまでその名を轟かしていた。

 歌舞音曲は本来迦陵頻伽が担い手であるのは華蘭も知っている。しかしながら、如何な迦陵と言えど華蘭に適う者はいないのだ。そもそも物心着いた頃には風の流れに倣いて舞を覚え、風の音に従いて歌を覚え、時折飛来する迦陵たちの技も忽ちの内に学び、超えてしまっていた。
 容姿には恵まれたものの、身体は弱く、戦に向かず、また書物も苦手で学問にも向かぬ華蘭にとりて舞は唯一の拠り所。ヒトサシ舞わば貴人・唯人の別なく喜び、名手と誉めたたえてくれた。
 養い親のルキも、別段それを厭うことはなかった。大体、華蘭の舞を一等褒めたのがルキだった。中央の威張り腐った役人どもにはあれほど冷徹なルキが、凶獣を仕留めるときあれほど勇猛なルキが、あの酷くきつい眼を大きく見開き、顔を紅潮させ、子供のように手を叩いて喜んでくれた姿が眼に浮かぶ。
 一変したのはここ数年のことだ。思い起こせば、あの事件からかもしれない。


 鳳凰族は吉祥苑の有頂天が住まいである。ここは真(まこと)に高く絶壁で、高位の神々でもおいそれとは近ずけない。華蘭は鳳凰とはいえまだ雛鳥、自力では里の外に出ることもできない。それで里の者に頼んで、特にルキに無理を言って―ルキの飛翔は全く力強く美しく、その激しくも優しい瑞気に包まれながら大空を旅するのは格別だった―もっと下方にある迦楼羅の国や迦陵頻伽の国をしばしば訪ねていた。鳳凰の里と違い、ひとも多く活気があり、何より同じ年頃の子供のいるかの国で過ごす時間はあっという間に過ぎていった。
 その日もいつも通りだった。迦陵の国で仲良しの少女達と楽しく遊んだだけだった。ただルキが討伐とかで数日里を空けていたときで、付き添ってくれた鳳凰の娘も急用を思いだし、「ほんの少しの間」だからといって、華蘭独りを残して里に戻ってしまった。
「動かないでいてね、華蘭。こんな所で迷っては大変よ。」
 娘はこう言い置いて羽早に去っていったが、華蘭には考えがあった。
 ―下の、お花畑に行ってみよう。
 鳳凰の里にも華はある。まこと、下界では望めぬような見事な大輪の華が常に咲き誇る。しかしながら華蘭にとってこちらは見慣れた華、吉祥苑も麓の、むしろ俗界の空気にほど近い場所の、雑多な小さな花々の方が余程珍しかった。迦陵らとふざけて遊び回る内に偶然見つけた花のじゅうたん。あの時はルキに見つかり、「羽が生え揃うまでは二度と来るな」ときつくきつく叱られた。
 ―でも、ちょっと位はいいよね。
 今日はルキにも見つからない。場所もちゃんと覚えている。ほんの少し遊んで、すぐ戻ればいい。華蘭は深く考えずに走り出した。

 花畑はすぐに見つかった。迫り出した崖の下にぽっかり空いた窪地に、これでもかとばかり多種多様な花々が咲き乱れる。矢も盾もたまらず、手持ちの小さな篭に次々花を摘んでゆく。
「そうだ、ルキ姉様にも上げよう。そうすれば許してくれるよね。」
 幾許かの罪悪感に弁明しながら夢中で摘み続けた。

 華蘭は知らなかった。古来、美しい花畑でどんな事が起きてきたかを。

 両手が花で一杯になったとき、華蘭は微かな音を聞いた。何の音かと首を傾げたその瞬間!
 ガラガラガラガラッ!
 巨大な岩が降ってきたのである。吉祥苑は外敵、不貞の輩を防ぐため、崖の一部をわざと脆いままにし、罠としてきたが、まだ幼い華蘭には預かり知らぬ所であった。ただただ頭の中が白くなり、自分に影を落とすその物が迫ってくるのを震えながら見つめることしかできなかった。
「危ない!」
 鋭い叫びが聞こえた気がした。…気が付くと、見知らぬ天人の男に抱き抱えられていた。やや小型の翔獣に騎乗していたが、身なりは悪くない。貴人の従者であろう。腕の中の華蘭をまじまじと見つめている。
「おい。」
 別の男が声をかけて来た。獣は別だが装束は似ている。仲間だろう。
「そのもの、もしや音に聞くおおとりの雛では?」
「おお、道理。幼子とは思えぬ妖艶ぶり。」
「吉祥鳥より艶笑鳥と申した方がふさわしき眺め。」
「よせ、それはいかにも言が過ぎよう。」
「なに、分かるものか。…それより斯様な地でまみえるとはな。」
「しかも、今は遠地(おんち)で魔獣の討伐があるとか。…まさしく千載一遇。」
 華蘭には分からぬ会話がしばし続いた後、ぴたりと止んだ。
「のう、そなた。…麗しき鳳雛よ。」
 奇異に猫なで声。
「はい…?」
「そなた、舞の名手と聞く。我が主の面前にて披露せぬか?」
「え?」
「今宵、主が盛大なる宴を開くのでな、舞姫はいくらおっても不足な程じゃ。」
「何せ客が千人を超すからからのう。」
「千人!?」
「さよう。そうでなくとも我が主は財溢れ、情深けき御方。そなたが舞うとならば、綾じゃろうと錦じゃろうと、望みの褒美をとらすであろうよ。」
 千人の人…綾に錦…未だ、小さな内輪の宴でしか舞うことがなかった華蘭が、憧れに眼を輝かせたのも無理はあるまい。
「お受けいたします。」
 陶然のあまり、男二人がにやりと笑い交すには気付かなかった。

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(C)獅子牙龍児
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