名声の裏


 ドラゴン退治の一行はわずか三人、とは言え数々のドラゴンを退治ただけの事はあり、精鋭と言うべき顔触れである。四十路越えたが腕力胆力いまだ衰えぬ戦士のルディス、西国の学院にて正規の術を修めた上級魔術師のヴィルヘルム、光明の大神殿にて奇蹟の技を会得した神官戦士のパエトン…と、まさに一騎当千のつわもの揃い。しかもルディスを除いて皆若者、殊にパエトンに至っては弱冠二十歳にして司祭に優る程の技を修めたと言う天才肌である。能書きにて戦う訳では無いにせよ、頼もしき三人ではある。
 だが英雄に悪癖は付き物…

「ほう、ミケーラとは佳い名、麗しい花に相応しい」
「そんな…おはずかしい、故郷では至極平凡な名前ですの…」
「いやいや、ミケーラ殿の名であればこそ、言霊も輝こうもの」
 異国の乙女は頬に朱を散らし、恥じらう様に身をよじる。無理も無かろう、世人の羨望の的、竜殺しの勇者が低き声音にて耳元へ愛のささやきを寄せる故。学が無いと言いながら無頼の戦士、容貌にも体格にも似合わぬ美辞麗句を述べ、美声とは流石に言えねど蛮声ならで壮年を前にした男の渋さを窺わせる低音が恋に慣れぬ乙女を震わせる。吟遊詩人の唄の様には行かぬものの苦みばしった男らしい髭面も見事に鍛え上げられた偉丈夫の肉体も、演出の如何によっては遠国の騎士より女心をつかみ取る。戦士はドラゴンばかりで無く、女を漁る天才でもあった。
 色狂いの戦士がせっせと美女落としに精を出すその向かい、若者二人が黙々と食事を続けている。戦士が口説きの傍らご苦労な事に巨大な骨付き肉、それも生焼けをせっせと平らげるのとは好対象、若き二人の食事はいささか貧しい。魔術師は空豆のスープに焼きジャガイモ、それに安物の燻製肉が三切ればかり、神官に至っては拳程の固焼きパンの他は一杯の水ばかり。
 ふと、話の途切れた折、ミケーラがこの食卓の異常に気が付いた。四人の陣取る卓は幾らか広く、そして肉の皿は恐ろしく戦士に近い場所にある。若者達が肉を少しも取らぬのを手が届かぬためではと案じたミケーラ、女らしい気遣いを発揮して取り皿にさっとたおやかな腕を伸ばした。
「ああ、気付きませんでしたわ。今、お取り致します…」
 その白い手をむくつけき男ががっちり抑える。

「あ…」
 思わぬ力にうら若き乙女に動揺が走る。…もっとも、海千山千の男にとっては計算の内。
「いや、これは失敬。田舎暮しが長いもので都の騎士殿の様には行かぬもので…」
 照れた様に頭を掻き、底意の無い(様に見える)笑顔を浮かべて見せれば、世を知らぬ花なぞ造作も無い。
「いえ…構いませんわ…」
 先刻まで蒼ざめていた顔色が今度は朱の色を増して行く。
 コホン。…大人気無いと思いつつ、耐え切れずに魔術師一つ咳払い。そこへ瞬時戦士の鋭い眼光が向かったものの、純な娘が気付かぬ内に取り繕った笑顔に戻る。
「や、実はこやつらいまだ修行の途上でな、食べる物にも色々に制約ある由、肉の大食いは魔力を損ねるとかで禁物と言う次第…」
「まあ、そんな所でしてね」
 複雑な表情で魔術師が相槌を打ち、神官も無言のまま頷く。全くの嘘で無い事は確かだが、しかし…

 肉の食い過ぎは脳を損ねると言うのは昔からの言い伝えではある。そのため魔術を志す者には菜食しか取らぬ者すら少なく無い。しかしながら燻製肉を尋常に食す事からも判じるが、彼は一切肉を取らぬ潔癖症では決して無い。単に胃腸が弱い体質で、半生の肉を口に入れる位なら野菜ばかりの方がまだしもと言うのみ。また神官の方と言えば『制約』はあながち嘘と言う訳では無く、奇蹟の技は扱えど身分低き身の上ゆえ、肉など贅沢なる食物は戒律の定めた特別の折にしか許されぬと言う次第。
 だが食細き魔術師と言えど、佳い按配に焼かれた肉なら吝かで無く、ましてさらに若く心身共に健康なる神官ならば、戒律さえ無ければ生肉でもかぶりつきたいのが本音であろう。その証拠に憮然とした表情を隠さぬまま、殊更苛々と固パンを無闇に千切っては口に詰め込み詰め込み、辺りには固い皮の破れる鈍き音ばかり奇妙に響く。
 戦士とてもそれを知らぬ筈は無く、むしろ知った上で平然とこれ見よがしの嫌がらせをして見せるのだ。

「あの…本当によろしいのですか?」
 神官の様子に娘の眉が心配そうに寄せられる。…これはしたり、戦士の行状には一言でも二言でも文句を言いたい所だが、優しき心遣いの乙女を案じさすのは気が引ける。
「ええ、そう言う決まりですから」
 にっこり、笑いかけると娘も漸く安堵の表情。
(美しい…)
 何の技巧も無いと言うのに。何気ない、無防備な表情が一層麗しい。自然の巧みの技はどんな化粧も作った媚態も無に帰す程、素晴しい…
 淡い紫の異国風の衣に艶やかな黒髪滑らかに流れ、さながら菫の如し。暫し、目の前の不快な肉皿を忘れていた。


 酒杯を重ねる内に…戦士は業と口当たりの良い果実酒ばかりを注文していた…乙女の白い頬が紅に色づき、瞳もぼんやり潤み始める。殊更蛮勇を見せつけるかの如き武勇伝の語り口とはまるで異なり、口説きの折には傍目には道化て見える程の作り声にて女を騙す。何故にあの様なあからさまな猫撫で声に…と理不尽度々感じるが、困った事にこの男、剣技も武勲も超一流、名声の方も鰻登りとあっては女の方からふらふらと飛んで火に入る夏の虫と言う次第。この酔ってしまった娘にしても、あまりに高みの人物が己に親しく声かけた、その一点に舞い上がったに相違無い。
 とは言え。この乙女に『その気』など皆無であったはず。それが証拠に娘は旅の途上とは言え紅も差さず白粉も乗せず、汗ばむ陽気と言うのに手首足首まで余さず覆う衣装をば着用している。始めに戦士に卓へと招かれた際にも随分と驚愕とためらいを見せていたし、恐らく並の貴婦人よりも操固き娘に違い無い。
 だが清純と無知無防備は表裏のことわり、二十前と言うこの乙女の身持ちなど男の手練手管の前には風前の灯火…

 娘はやたらにころころ笑う様になって来た。とは言え大口を開けたり無為な大声を上げたりはせぬ所が慎み深く、しとやかで風にそよがれる野の花の如し。しかし、その細い茎では…
 戦士の毛深く武骨な腕が、娘のあちこちに伸びている。図々しいその手は次第に大胆さを増し、酔いも回った年若い花は既に抱き寄せられた事もほとんど朧の様子。
 遂に細き首がかたりと落ちた。
「よし」
 完全に好色な本性露にして、戦士舌なめずり。
「お前等、俺はこの娘を『介抱』する用があるからな、先に寝ていて構わねえぜ」
 有無を言わさぬねめつけ。若者二人は、黙って見送るより他無かった…


 場末の宿の三人部屋には暫し重い沈黙が降りていた。
「畜生!」
 若いパエトンが一番大きな寝台を力一杯蹴り付ける。勢いで上に置かれた金袋が盛大な音を立てて床まで落ちて来た。
「こら、仮にも神殿に仕える身で軽々しく怒りに身を任すな」
 嗜めようと近づいた魔術師が、落ちた拍子に金袋の口が開いて中味がぶちまけられた様子に眉を潜め、屈んで手早く拾い出す。
「ヴィルヘルム殿!」
「…奴は金の計算だけは出来る男だ、きっちり戻して置かねば後々面倒だぞ」
「しかし…」
 何か言いかけたパエトンも不承不承と言った風で拾い出す。幸いそれ程遠くへは散らばらず、程無くして金袋は元の場所へと収まった。

 また、沈黙が落ちる。

「ヴィルヘルム殿」
「何だ」
「何だ、では無いでしょう、このままで良いと言うのですか!」
「良いとは…思わないさ…」
「では、何故…」
 パエトン自身も魔術師の辛い諦観の根拠は分かっていた。

 …あの戦士は殺しても死なぬ。逆らった所で自分達が逆に屍になるが落ち…

 それでもあの可憐な花の手折られるを思えば。パエトンは声を殺して泣き続け、魔術師も無言のまま紫煙を燻らし続けていた。

<<戻 進>>


>>「スレイヤー スレイヤー」目次に戻る

(C)獅子牙龍児
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送