哀しき菫


 若者達は結局まんじりともせず一夜を明かした。どんなに不満があろうとも一行の頭が現われねば行動も起こせぬ。仕方無しに階下の食堂へと折り、気の進まぬまま簡素な食事を取る。体質やら戒律やらの事もあるのだが、報酬や奪取した財宝のほとんどを独占する強欲者の御陰で、若者達は危険な毎日にも関わらず手持ちが余りに乏しいのだ。
 やはりと言うか『介抱』に余程精を出したと見え、二人は一向に現われぬ。一度は部屋へと戻ったが、着いたばかりでは大してする事も無く、それに使われず仕舞いに終わった寝台が、事実を如実に語るがためにいたたまれず、結局再び下へと降りる事となった。
 幸い、と言うべきか戦士ならぬ魔術師や聖職者では冒険譚も期待出来ぬと思うのか、誰も声すらかけて来ない。元々寂れかけた街故に、また中途な時間故に客も少なく、簡単な飲み物だけで居座る二人を店もさほど邪険に扱う様子も無い。
 そろそろ昼餉の時分となって漸く待ち人が降りて来た。

 ミケーラが何処か身体を庇う様な足取りでそろそろと歩みを進める。相も変わらずたおやかであるが、長い黒髪が幾分乱れたまま、頬や目元に昨日とは異なる色がある。ふと、若者達の凝視に気付いてさっと頬を赤らめ恥じらう様に面を伏せる。
「遅くなりまして…申し訳ありません」
 真っ赤な顔で必死で謝るその様子は変わらぬ可憐な菫草、しかし手が触れただけでも怯えて身を引いていたと言うのに今日は肩に腕を回されようとも少しも気にする様子なく。…むしろ戦士に幾らかもたれる様子…

 野の菫は摘まれたのだ。


 怪物退治と言えば華々しいが、実際は地道な準備が物を言う根気の要る仕事である。退治すべき相手の住処や特徴、弱点、その他可能な限りの情報をまず集め、その上で戦法を練り、さらに新たに入り用な物資を補給してやっと戦いと相なるのである。
 ここ、アルドの街はお世辞にも栄えているとは言えぬため、単に野宿にほとほと飽きて…と言うより女の切れた戦士がそろそろ手の着けようの無い有様となったがために…ほんの数日の積もりで立ち寄っただけである。行商の行き来もまばらな土地では大した情報も物資も望めぬからだ。
 ところが腕はともかく世の倫理の彼岸に住まう戦士と来たら、何の意味も無い滞在をひたすらずるずる続けている。つまりは…『病』のため。
 宿に籠るもいたたまれず、無為に情報集め等をしていた若者達は思わぬ話を耳に入れた。


「ルディス…様」
 敬称なぞ着けたくは無かったが、凄まじい眼光を受けてはどうにもならぬ。自然、頭まで下がる己の小心を呪いながら魔術師は言を告ぐ。
「変わった情報が入りましたので、お耳に入れようかと」
「変わった、とはどんな話だ?」
 男の顔は遠めに判る程赤い。卓上には幾本もの高価な酒瓶が空けられ、今もミケーラが楚々とした仕草で酌を務めている。若者達に気付いて微笑みを向けながら会釈を送る。…恐らく毎晩の様に夜伽を求められているのだろうが、それでいて慎ましやかな様子が少しも損なわれぬのが唯一の救い。
 とは言え、二人がミケーラを見つめるのが癪に触ってか、ルディスは声を幾分荒げた。
「どんな話だ?早く言え!」
「…例のドラゴンとは異なる様ですが、変わった長虫が最近現われた、と聞きましてね」
「長虫、だと?」
 酔ってはいても殺戮好きの魂が疼いてか男も大いに身を乗り出す。…元来樽で呑む程の酒好きで、しかも酒気が全く抜けては敵を前にしても女を相手にしても奮わぬと言う救いようの無い性分なのだ。
「自分が聞きました所では、ここより西北に馬で三日ばかり、砂漠と尋常土の境界付近に長大な怪物一体現われ、人馬を盛んに襲っているとの事であります」
「ふむ…」
 パエトンの詳細なる報告に心奪われてか、戦士の杯も置かれたまま。
「その怪物、頑丈なる殻に覆われ無数の脚持ちし姿とか」
「脚が沢山…まるで百足のよう…」
 ミケーラが細い身体を震わせる。
(無理も無い…)
 怯える娘を宥める様に軽く笑顔を向けて後、再び魔術師口を開く。
「全くミケーラ殿の危惧の通り、陸百足の類では無かろうかと…古来かの砂漠奥深く、百足でありながら何故か砂中を好み、しかも巨大にして狂暴なる種族あり、街道は全てその巣を避けて作られたとか」
「だがここは砂漠を大分に外れているぞ?奥深くに住まう奴がのこのこ出て来るとは珍妙じゃねえか」
「…間近に見た者の言に寄ればその大百足、脚をかなりもがれ傷口いまだ塞がらぬままの様子でありました」
「つまり、何者かがその百足と戦ったのでは無かろうかと」
「持って回った言い方しやがって…で、その『何者』は誰なんだ?」
「百足…砂百足の出現は極最近ですし、あれ程の化け物に手傷負わせる程の人間がこの辺りを訪れた形跡はありません。恐らくは別な恐ろしく猛々しい獣…」
「成る程、ドラゴンか」
 にやり、戦士が合点の笑みを浮かべた。

 事実、彼等は本来砂漠の辺りに数ヵ月前より飛来したというドラゴンを追ってやって来たのだ。比較的小型のドラゴンで、一度は討伐隊に散々に攻められ深手を負ったらしいのだが、却って人間を恐れて内陸に籠り、なかなか姿を現わさぬ様になっていた。

「今の隠れ家の見当は着くか?」
「ええ、砂百足の移動の仕方から概ねの所は…しかし…」
「しかし?何だ!」
「先に大百足を退治するべきではありませんか!放置すればさらに多く人命が失われます!」
 必死のパエトンの嘆願も鉄面皮は鼻で笑って済まそうとする。砂百足も凶獣には違い無いが、ドラゴンに比べれば二流三流の獣、さほどの金には成らぬのだ。名声で言っても見慣れた小さな尋常種の姿が災いして、都の雀達も大して騒がない。金と名声だけを至上とするこの男にとっては倒すべき理由なぞ何も無い。
 が、魔術師は賢者、からめ手を心得ていた。
「ミケーラ殿は如何でしょう?我らはドラゴンを先に討つべきでしょうか、それとも百足を先に退治した上でドラゴンに向かうべきでしょうか…」
 戦士を盗み見すれば睨む形相鬼の如し、しかし女の前では見栄を張るが男の常、諾と言葉を開きかけた…その時であった。
「お止め下さいませ!どうか、大百足など…あのようなおぞましき蟲には近づいてはなりませぬ!」
 傲慢の戦士まで呆気に取られて何も言えぬ程、娘は必死であった。


 娘の故郷は東方の小さな村だと言う。
 古来より魔境と呼ばれた土地柄ゆえに奇怪な怪物数多く、人里の中にまでコカトリスなり黒妖犬なりが現われる事も珍しく無いと言う。呪われし大地故かただの生類も巨大化し狂暴化し、人々襲う事度々とか。
 そんな中で、ミケーラの村では大型の百足の害が著しかったと言う。


「恐ろしいのです…長さが二尋も三尋もあって(注:一尋は約1.8メートル)殿方の腕ほどの脚を振り立て襲いかかるのです!顎が、顎がまた恐ろしく…」
 語る娘の顔はまさに蒼白。
「それに毒!一噛みで人が死ぬのです!それも、身体の自由は利かぬと言うのに頭ははっきりしておりまして、しかも凄まじき苦痛をもたらし、助かる術など何も無いのです…」
 細い肩を震わすミケーラの姿に好色な男にも笑みが浮かぶ。やがてにやにやと魔術師の方へと目を向けた。
「なあヴィルヘルムよ、例の砂百足とやらの長さはどれ程だ?」
「はあ…確か、十数尋ばかりかと…」
 異国の娘は悲鳴を上げる。
「とすると、顎も脚も凄まじいって訳だな」
「ごもっとも」
「お願いです!後生です!お止め下さいませ!」
「おいミケーラ、俺を誰だと思っている?竜殺しのルディスだぞ」
「重々承知しております!されど大百足は恐ろしき蟲、毒を吐きかけ、獲物の動けず悶える所を生きながら喰らう残虐の徒にございます!それにあのような姿醜き蟲、討った所で御名声を上げる役にも立ちませんわ!」
 黒曜石の瞳からさめざめ流れる真珠の粒、たおやかな腕のすがる様、たとえ木石なりとも心動かされずにはおれぬ風情…この娘のあまりに百足を恐れる様子に、戦士ルディスは砂百足退治を遂に決意した。これで近隣の人間は枕を高くして眠れようが…
 娘が思い捧げた相手の本性を思うと、若者達はミケーラが憐れに思えてならない。

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(C)獅子牙龍児
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