犬頭獣人 (2)


 もう一つ、焚火の跡を見い出した。前よりさらに新しく…どうやら方向は間違い無いようだ。
 小犬の様なこの子どもも、気分が少し上向いて。少女のあまり上品と言えない冗談にも、笑い声さえ立てられる様に相成った。
 が。
 
 子どもが突如、両の耳をぴん!と立てた。
「どうした?」
 すぐには答えられず、忙しなく耳をぴくぴくさせ…そして蒼白に。
「どうしたッ!おい!」
 声を潜めて必死で怒鳴る。
「ひょっとして…ひょっとして、」
「だから、何だよ一体!」
 子どもの歯が全く合わなくなる。カタカタ、カタカタ…恐怖に顔が引きつって、まだ生え揃わない牙が覗く。
「チッ!」
 仕方無い。とにかく弓を構え…ようとしたが。

「な…!」

 眼の前に現われた凶獣を見て。慌てて弓を捨て。
 …同じく蒼白になりながら、ルキアは必死で愛刀を抜く!


 犬木霊が、幾らも行かぬ距離にいる!



 どう言う風の吹き回しか、連中いっかな動かない。それでも、ルキアと「小犬」と…二人の子どもに与える恐怖は全くもって減じ得ない。
 まず、姿からして恐ろしい。

 犬、と呼ばれるものの少しも犬に似ていない。四本足だから…と言うなら机だって犬になる。
 遠目には一応、犬程の大きさの獣に見える。毛皮は濃い木肌色、毛足がとにかくうっそうと長い。だが。…耳が無く、尻尾も無く。それどころか、眼も鼻も何も無い。ただただ、無闇な大きさの…不定形の奇妙な輪郭の口だけが、ぱっくり開いているだけである。
 ただの口では無い。こうして見ている間にも、その唇とおぼしき部分が奇妙に波打ち、鋭い無数の牙達も、釣られて奇怪な動きをし…お互い同士打ち合って、カツーン、カツーンとぞっとする程澄んだ音色を響かせる。
 何故にか…連中の牙、まるで水晶削って誂えたかの様に、嫌らしい程透明で。そして…
 恐ろしく、鋭く。

 その性、人肉を殊の外好む…


 「木霊」、と言うからには確かに樹霊の一種である筈が。同じ木々の精霊でも例えば森の乙女のドリュアデスの、あの傍迷惑な程の茶目っ気は、残念ながら欠片も無い。おそらくはそれだけ当地の歪みが激しい事を如実に示しているのだろうが、地味貧しきこの土地で、樹木達の取った策は…
 他の生き物を、直に喰らって滋養と成す事。
 木霊達は。動けぬ親木になり変わり地獄の森を餌を求めて彷徨い歩き。あの無為に大きい口から飲み込んで、刹那も待たずに溶かし切り。…樹木、いよいよ繁りを増す次第…


 ぎり、唇をきつく噛む。
 弓なら…ルキアの腕なら十分届く距離ではあるが、何分奴には弱点が無い。現に今も今、こちらをどうやら窺う様子のその背…否、頭や腰の辺りにも、まるでふざけた道化の飾りの如く矢が幾つも刺さっている。
 この樹霊、ドリュアデスの類と違い…全くもって痛覚が無い。おまけに、心の臓も持たぬと来ているから…
 愛刀の握りに、酷く冷たい汗が伝う。

「あ…」
 小さな恐怖の声とともに、しがみ付かれた。
 はっとして、思わず振り返る。
「あ…ご…ごめ…んなさい…」
 余程ルキアの形相が酷かったのか、震える小さな指が離れて行く。まだ、爪も豆粒程で。中途に毛皮に覆われた人にも獣にも似ないその指は、両者の弱さを集めて形にした様だった。
 少し笑って。所在無げに虚空を彷徨うその小さな手を。
 そっと握り締めてやる。

「あの…あの!」
 口を面白い程ぱくぱくさせる。
「駄目、刀握らなきゃ!」
 慌てるその姿は、ルキアが見たどのキュノケバロイにも似ていない。だが時の翁の魔法と来たら、卑小な人間の想像力などいとも容易く凌駕するから…何時の日にか、この子も大化けするかも知れないし…
 永遠に、真っ白な子どものままかも知れない。

 今一度、小さな小さな子どもの手を、目一杯力を篭めて。握る。
 獣人の常として…その上、真実幼いから…その手はとても暖かい。
 いい加減、恐怖より疑問の方が勝って来たのか、物問いたげに見上げて来る。その小さな頭をくしゃりと撫で。にかっと、笑みをかけてやり…

 と。
 がさり、がさり。…音が立て続けに。
 二回、した…


「ひい…!」
 子どもが再びしがみつく。
「畜生…」
 犬木霊は。…三匹に増えていた!



「加勢が来るのを待ってたのかよ!」
 毒付いても始まらない。とにかくこちらへ寄らせぬよう、死に物狂いで刃を振るう。
 やはり…と言うか獣どもは白い毛皮の子どもの方を、より美味な獲物と狙うようだ。ルキアの肌のまだら模様は、見た眼の酷さばかりで無く、常に悪臭を放っている。子どもは泣きすぎて鼻が馬鹿だから、しがみつくよな芸当もできるが…どうやら、殊の外「食欲」を萎えさせる臭いであるらしい。食人の獣に襲われて、この臭いが皮肉の護りにより、命存えたは一度や二度では無い…それを僻む余裕も今は無い。
 むしろ、鼻の無い犬木霊が不可思議の能にてルキアの悪臭を嗅いだと言うよりも、この小さな子どもの歳と種族を判別したと見た方が良い。獣人の種族にも種々あるが、彼等キュノケバロイは幼い内は身も柔らかで、節制の利いた暮し振りが響いてか、人族の子よりも肉も旨いと狙われる事すら少なくない。
 必死で、背後に震える小さな陰を。刀一つで護る…護り切ってみせる!

 この小さな子を、護り切る事が出来たら。
 この子を、名無しの亡霊となる運命から救えたら。
 自分は…醜さに悪魔も同情を寄せるこの自分でも。
 生まれて来た意味があるのだと。そう確と思える様な気がしていた…

 が。
「しまった…!」
 刀が、深く入り過ぎた。さくり…と、気味の悪い程すっぱりと。奇怪な獣の身体が両断され。
 傷口が、樹木の根に触れてしまい…

「下がれ!思いっ切り下がれ!走って逃げろ!」
 言う間にみるみると、樹木に触れた部分から傷口むくむく盛り上がり…
「でも…でも貴方が…!」
「いいから!とにかく…ってか、俺も逃げるから!」
 逡巡する子どもを半ば抱える様にして。ルキアがその場を逃れるのと…
 割れた犬木霊が二頭に増えたのは。ほぼ同時であった。



「はあ…はあ…」
 ルキアと言えども息が切れた。元々あの犬木霊が狙いで森に入ったのだが、改めてその無謀さに思いが至る。
 三匹もの連中に出くわして、何とか逃げ延びるなど奇蹟に近い。
 随分な距離を滅茶苦茶に走ったから…もう方角も何も判らなくなったが。

「あの…」
 漸く息を整えた、小さな子どもが見上げて言う。
「何だ?」
「あの…貴方は何故、こんな所にやって来たの?」
「ああ…そんな事か」
 …話をしていると、気が紛れる…

「連中をさ、犬木霊をさ…捕まえに来たのさ」
「ええ!?幾ら貴方でも、そんな危ない事を…」
「『貴方でも』だって?…はは、俺の事なんか知らないだろうに…」
「知っています!貴方は勇敢で強くて…そして優しい人です!」
「お前…」
 子どもの瞳は痛い程に純粋である。

 その瞳に押されてか。つい、母親の病気のためだと理由まで言ってしまって…
 さらに無邪気な賞賛の嵐。

 彼等と人間達は交易もする仲とは言え、それ以外は没交渉と言って良い。
 交渉に当たるのは無論大人達で、それも彼等が人間の里へとやって来る。
 つまり。獣人の子ども達は…人間と言うものを、全く見ずに育つのだ。

 ルキアを一途に賛えるこの子どもは、ルキアの容姿の醜さが判らないのだ…

 それでも。
 母親以外に褒められるなぞ。
 それも気遣いやお世辞を知らぬ、ほんの小さな正直な子どもの真直ぐな声で。
 確と褒め言葉を聞かされるのは面映ゆい。

(さっきはこっちが慰めようとしてたのになあ…)

 だが。
 必死だった子どもの耳が不意にぴくりと動いて。蒼白になって…
「この、音…」
「糞め!」
 皆まで聞かず、抜刀した。



 木々の間に小さく開けた場所がある。その中央に、ルキアと震える子どもがいる。
 人間同士の戦いなら、あまり褒められた布陣では無いが、うかつに樹木に背を預けると、うろがぱっくり口開けて、臓腑の中に御招待…と言う羽目になりかねない。尋常な木々もあるにはあるが、この獄樹海では物言わぬ樹木ですら魔性の怪物なのである。
 もう一つ。恐ろしき犬木霊にも短所と言える癖がある。奴等、どう言う訳か親木を背にしてしか動けず…つまる所、正面から連中に襲われた場合、背後を取られる心配はほとんど無いと言って良い。
 だから。子どもも自分の背中に張り付かせている。

「喰えるモンなら喰ってみろよ…自慢じゃねえが、俺はまずいぞ」
 愛刀、真一文字に構えて。
 最初の一匹が。無体に長い毛足を地面に引きずりながら…こちらへ真直ぐ向かって来る!

「うわあ!」
「くっ!」
 狙い過たず、ざっくりと。だが刀を渾身の力でぎりぎりで引き抜いて…両断だけは辛くも逃れる。
 前脚の辺りがもげかけて、流石に動き辛いと見えてこの一体は後退した…と見えたが。
「な!」
 ひょいと、ぶらぶらする前脚を、勢いつけて…己の口中へと。
 ぱくり。驚く二人の眼の前で脚を喰らい…そのまま、新しい脚が生えてきた。
「…化け物が!」
 刀を構え直す。


 ルキアも幼いとは言え武人である、同じ轍は二度と踏まぬ。趣味では無いが…とにもかくにも、滅多やたらに切りつけて、分裂出来ずにぐずぐずの肉塊となり果てるよう、注意しいしい獣を刻む。
 嬲り殺しにする様で、気は進まぬが…気絶せんばかりに怯える背後の子どもを思えば…そして己の未熟を思えば。これ位しか方策が無い。
 浅い傷では不死身の連中の戦意をそげぬし…

 とにかく。天も幼い二人を哀れに思うたか、二体が腹を地につけた。
「はあ、はあ…」
 一応残り一匹と思いたいが…うかうかしていれば例の二体もたちまち回復する。連中は、親木に近い獄樹海の中では、憎たらしい程の治癒力を誇るのだ。
 息切れしている場合では無い。

「…かあさま…」
 背中にしがみついた小さな身体が、半ば無意識に言葉を紡ぐ。
 …お前のお袋は、ただ服を与えただけで。一番大事なモノを渡さなかったんだぞ。
 余程、そう言ってやりたかった。第一、お前を捨てたのだって…部族を思ってでは無く己の体面考えての事かも知れないのだと。
 だが。理不尽な怒りは…刀を握る、両腕に。
 面前の、敵に!

「でやああああああ!」
 気合い一閃…



「…だいじょうぶか?」
 けほけほと、走り過ぎてむせる子どもの背を撫でる。…余程、過保護が過ぎたと見える。
「お前…走った事とか、無いのか?」
「う…ん…あんまり、は…」
「身体、鍛えようとは思わないのか?」
「ご…ごめんなさい、あんまり、良くないって言われて…」
「へ?」
「ぼく、月足らずで。生まれた時はもっともっと小さくて、もっとずっと弱くって…」
「月足らずって、どの位?」
「ええと、半年位…」
「そりゃ…まあ、仕方ねえか…」
 獣人は大概人より早くに産まれ落ちる。それでも真実半年で産まれたとしたら…早産どころの騒ぎでは無い。
「父様を失って…母様、後にも先にも無い位に取り乱していたって…」
「それで、か…」
 愛しい男の忘れ形見だ、それがまた、虚弱な体質と来たら…まあ、無闇に大事に育てるのも無理は無い。
 だが。今となっては…フランネルの長袖も、痣を、仲間からの虐待の痕跡を、隠すための代物に見える。
(大体…こんな服、着せてるからこいつ、毛も生えねーんじゃねえの?)
 そうして…必要限度を遥かに超えて。無意味な甘やかしで父親とは似ても似つかぬ男に育ったとて。それは子どもの責では無い。
「でもさ。やっぱさ…お前、あんまりそんなだと、またナメられるぜ?ちょっとは頑張ってみろよ」
「う、うん…」
「おい!男が何弱気な声出してンだよ!」
 背中をドン!と思い切り叩く。
「ちょっとづつ、ちょっとづつでいいのさ!そうで無くとも、お前が帰って来たら連中も、ちったァ骨があるって見直すんじゃねえか?」
「でも…ぼく、ずっと貴方に助けて貰っただけだったし…」
「お前なァ…俺に出会えた強運だって実力の内さ!この獄樹海で、俺みたいに強い人間サマに都合良く出くわすなんざ、千年に一度あるか無いかってなモンさ!」
「うん…」
「だからさ、賭けをしたと思やァいいんだよ」
「賭け?」
「お前が無事帰って来りゃあ、お前の勝ち。お前がしくじれば…業腹だがお前を弱虫だってナメてる奴らの勝ちになる」
「で、でも」
「でも、何だよ」
「賭けって、事前によく示し合わせて置くものじゃないの?ぼく、そんな話、一言もしていないし…」
「バーカ!」
 真っ正直に可愛い事を言う頭を、軽くポカリと叩いてやる。
「ンなこたァ、俺が今決めたんだよ!」
「今?貴方が?」
「ああ!だから、な」
 今度はもう少し真面目な顔を作って見せて。
「お前はさ…とにかく、生きて帰る事だけ考えろよ。でさ、あの時、やっぱり生きてて良かったってさ、一族の連中が残らず思う程、これからイイ男になってやりゃ良いのさ」
 少女自身、かなり強引とは思う理論であって…実際子どもも暫く眼をくるくる回していたが。
「だからよ、お前がココで終わっちまったら…奴等の記憶の中で、お前はもう絶対に永久にビクビク弱虫のまンまだろ?生きてりゃまた違うかも知れないだろ?」
 重ねて言い聞かせれば。漸く合点が入ったか、少し笑顔が戻って来た。
 くしゃり、また薄い柔らかな毛を撫でる。
「とにもかくにも生きてりゃあさ…人生万事、勝てば官軍ってなモンさ」



 ぼろぼろの二体には苦労して巨石を肉と肉との間に挟んで傷の治りを防いで置いたし、最後の一匹に至っては、渾身の力と速度でもって、己でも信じられぬ程に刀振ったが幸いして、肉の短冊のよに細く細く斬って置いた。無論、きっちり二つに割って、分裂されては面倒なので尾の辺りは斬らずに残してある。それをまた、傷と傷とがあわさってはたちまちの内に塞がるので。これも気持ちの悪い作業だったが…葱で花を作る時の要領で、肉片をぐいいと広げてそれぞれ同士がくっつかぬ様、これも石で塞いで捨ててある。
 暫くは、危険も無い。

 随分前になるが…子どもが空腹を訴えていた事を思い出して。
 とりあえず食事を取る事にした。

「うまいか?」
「…ふごふ、おいひいでふ〜」
「そうか」
 今日の弁当はルキアの手製、大して高い品は使っていないが。…それでも最後の食事になるかも知れぬと、気合いは相当に入れて来た。高い品では無いとは言え、少女の貧しさを思えば結構な食べ物だ。
 この小さな獣人も、なかなか繊細な子どもだから…そう言ったあれこれに気付いてしまえば、きっと恐縮して食べようともしないだろう。
 が。母親の無為な甘やかしで…物質的には無駄に恵まれた暮しが故に。幸い、子どもは無邪気にルキアの弁当を食べている。けれどびくびくしながら無理にお世辞を言いながら食われるよりずっと良い。
 与えられる事になれている…と言うのも。時として贈り主にとって良いものだ。
「全部、食ってイイぜ」
「ほんほふ!?」
「おいおい、食い終わってから話せよ」
 苦笑しながら…腹の虫が鳴りそうなのを必死で堪えながら…
 こう言う痩せ我慢も悪くは無い。


「腹一杯か?」
「うん!」
「じゃ、また歩けるな?」
「うん!平気です!」
 方や空腹で腹と背がくっつきそう、方や腹がくちくてうっかりすると眠くなりそう…各々に多少の違いはあるが、二人の子どもの心は暖かなもので満たされていた。
 希望に満ちて。
 だが…

 希望ほど、絶望を際立たせるスパイスは無い。

 現に。かすかな音が聞こえて来た…



「き、来た…まさか…」
「何だって!?」
 結構な大きさの石を置いて来た。まだまだ、動ける状態には戻れぬ筈が…
 がさり…がさり。音は、四方八方から無数に聞こえて来て…

「畜生め!」
 今度は今度は…何と五体!

「逃げて!お願いだから逃げて下さい!」
「な…何言ってんだお前!」
 突然、子どもがルキアの前に…庇う様に立ち塞がった!
「ぼくがここに残れば…ぼくを真っ先に狙うでしょう…」
「バカ、震えながら何言ってんだ!」
「だって貴方には貴方の母様がいるでしょう?」
「お前にだっているだろ!」
「母様は…母様である前に、族長です」
「そんな理屈があるかッ!」
 無性に腹が立つ。
 こんな小さな子どもに、こんな健気で…哀しい決意をさせる、その母親の情の薄さが。族長だが何だか知らないが、ただただフランネルなんぞ着せて放って置くより、ぎゅっと抱きしめてお前は特別なんだって、言ってやる方が余程良い。
 それに。一瞬でも…フランネルに嫉妬した自分の醜さに腹が立った。
「どけ!お前じゃ無理だ!」

「だけど!このままじゃ…ぼくなんかのせいで、貴方の母様が!」
「また幾らでも機会がある!」
 多分に強がりだが、生きていれば何とかなる…と言うのがルキアの信条。
 そうでも思わなければ。
 何せこの容姿だ…自ら命を断っていた。
「貴方一人なら!貴方なら犬木霊を捕える位…」
「うるせえごちゃごちゃ言うな!」
 無理に己の後ろに押してやる。
「俺はな…折角飯くれてやった相手がよ、その日の内におっちぬなんて我慢ならねえんだよ!」
 全身に闘気を張り巡らせて。二人分の命を張っているのだ…
 絶対に、勝つ!


「糞っ垂れが!」
 二体までは…自分でも驚く程の見事さで素早く屠ってやる事ができた。怪物相手とは言え褒められた話では無いが、刀を慎重にそして素早く切りつけて、生きたまま挽肉の様な有様にしてやった。御陰で今の今もすっかりぐったりへばっている。
 だが、残り三体は…生意気に知恵でもあるのか、一撃離脱の戦法に切り替え、なかなか斬撃を与えられない。
(畜生、一体どうすりゃ…)
 必死で勝利の方策を模索する。
 一瞬。一瞬だけだが、思考にかまけて。
 隙が出来た。

「ああ…前!!」
 悲鳴の様な子どもの叫びに慌てて顔を上げれば。一体が、際立って大きな身体の奴が、口をぱっくり開けたまま、こちら目がけて飛び込んで来る。
「く…伏せろ!」
 咄嗟に子どもを抱え込み、その場にとにかくしゃがみ込む。
 間一髪、ほんの一瞬前まで子ども達の頭があった場所を。そのまま空しく獣の顎が通り過ぎて行く。
(助かった…)
 二人とも、そう思った時だった。

 ドウウン…バッサバッサバッサ…
「え!?」
 背後で大きな音がして。突如として木の葉が大量に降って来た!

「なんて奴だよ!」
 さっき空振りした獣は、そのままの勢いで樹木に体当りし、木の葉を存分に散らしたのだ。
 ただその身が巨体と言うばかりで無く、何分同じ樹木の誼とやらで、当てられて木の方も協力とばかりに盛大に己の葉を提供したのだろう。ただでさえ暗い森の中、視界はもはや無いに等しい。
「ゲホ、ゲホッ!」
 ついでに花粉か何かも落ちて来たのか、呼吸まで酷く苦しい。思わず地に伏せむせかえる。
「…駄目!」
 叫びに漸く顔を上げて。…敵前で暢気にむせていた、己の愚を思い知る。
 残りの二体が、同時に…大人の頭どころか、赤ん坊程度ならば一口で飲み込めそうな、阿呆の様に大きな口を凄まじく開いて。真っ当な生物のものとは思えない、奇怪な喉と臓腑の内壁を、無駄に人目に晒しながら…

 動きが、酷くゆっくりに見えた。
 そして。
 全く動けなかった…


「駄目、駄目駄目!!」
 はっと我に帰った時には遅かった。白い影が、凄まじく素早くルキアの前に回り、腕を大きく広げて立ちはだかった。止めろ、と言おうにも舌が乾いて…
 牙が。連中の水晶の牙が…もう目前に!!
(バッカ野郎!)
 成す術も無く。少女は眼を閉じてしまった…

 だから…何が起こったか、判らなかったのだ…


 ウォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオン…
 長く長く尾を引く獣の咆哮。雄々しさに溢れたそれは、聞く者に否応も無く畏怖の念を抱かせる。
 無論、魔性の犬木霊が、そんな見事な吠え声を持つ筈無く。
 慌てて、眼を開けた。

「ウォォ…ウォォォ…」
「お、お前!?」
 小さな身体を精一杯反らして。
 そして。
 あの、犬木霊が…明らかに恐れをなして。後退している!?

「ウォオオオオオ…ウォオオ、ウォオオオオオオオオオオ…」
「頑張れ!もう少しだ!」
 もう、ルキアは思い出していた。狼の力を受け継ぐこの獣人は、聞く者に恐怖を与える咆哮の魔力を備えているのだ。未発達の肺と腹筋では辛かろうに、それでも精一杯、己の能力を発揮している。
 その効果は十二分、犬木霊が…親木に背を向けられぬ哀れな獣が、仕方なしにじりじりと、後退り後退り逃げて行く。
 そして。…遥か彼方の木立の向こうへ。消えて行った。


「…やったなお前!これでお前の仲間にも、ちったァ見直されるぜ!」
 激励のつもりで飛びついた…が。
 ぐらり、子どもの身体が大きく傾いで…そのまま、くたりと。
「おい!?」
 子どもは気を失っていて…蒼白な顔だった。

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(C)獅子牙龍児
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