犬頭獣人 (3)


 咆哮の魔力、それは全く魔法そのもの。効果も素晴しいが…例えば魔術師が己の命を削って魔法を行使するように、やはり魔法の咆哮も並の吠え声とは訳が違う。大人ならばまだしも…こんな、小さくて虚弱な子どもでは。
 自分で判っていた筈だろうに。
(体力…持つか?)
 子どもの体温は急激に下がり、身体が小刻みに震えている。譫言の様に唇がびくびく無意味な音を紡いでいる。厳しい顔で…少女は勇敢な子どもを背負う。
(死なせねえよ…絶対)
 彼女自身の体力も限界に近いが。
(俺の手料理食ったまンま、化けもしねえで死ぬんじゃねーぞ!)

 子どもの話していた、北西の方向へ…一族の移動しているその先へと。
 足を一歩、踏み出した時だった。

「…!」
 全身の毛がぴりぴりと逆立った。不穏な気配が、すぐ傍に!
 慌てて辺りを見回して…
「な…!」

 犬木霊、三体。
 それも。
 内一体は、首が無数に生えている…!


「た、短冊野郎の成れの果てかよ…」
 動けぬ様に、分裂せぬ様に…三体に襲われた時注意して斬った筈だ。
 だが一つ、ルキアに致命の迂闊があったのだ。

「縦に…斬っちまった…」


 古老曰く、犬木霊は畢竟樹木の眷族なり、と。
 およそ木々と言うものは、縦に裂いても命存える事少なくないが、横に斬っては命の巡り失われ、その末端たちまち枯れると。
 犬木霊もまた、同じなり…

 縦に裂いては。分裂せぬ様にと肉片繋げたままであっても、傷口から無理やり強力に再生し、中途に分裂したよな状態になる。現に今、ルキアの前にやって来た、短冊斬りの成り変わりは、もはや数える気も起こらぬが…首が五つに前脚九本。一体どう言う仕組でか、無駄に増えた脚達もそれなりに役割分担している様で動きに特に遅滞は無い。
 それより何より。五つもの首が…いやさ、凄まじい食人の口が。それぞれに牙かちかち鳴らしながら蠢動する様は…

 ルキアとて。少女で幼くて。
 一切の思考が凍ってしまい…

 見計らったかの様に。五つ首の化け物が動いた…!

 …畜生…!


 が。次の瞬間さらなる驚きに両眼開かれる事となる。



「だいじょうぶかい?」
 落ち着いた声で問われても、とにかく頷く事しか出来ない。
 …あんまり、驚く事が多過ぎた。
 五つ首の犬木霊なんぞと対峙するなど、一生に一度の事であろうし、それをまた、見事な手際で退治られて果てるのを呆然と傍観する事も。
 数人の屈強な男達は実に慎重で。少女の様な稚拙な跡始末では無く…傷口全てを火で良くあぶっている。あそこまで変色してしまえば、二度と再び塞がる事も分裂する事も出来ぬだろう。
「あの…」
 いつぞやの様に気後れしながら、それでも少女は勇を奮い。男達に声をかける。
 と。振り向いたその顔は…狼の。
 …キュノケバロイの一団が、咆哮聞きつけやって来たのだ。

「この子と…同族の方、ですよね」
 緊張のあまり、最初に発した問いがこれか。少女は己の愚かさに憤怒する。
 愚問だ愚問、この森広しと言えどもキュノケバロイの里は一つしか無いのに。
 それでも礼節心得たる獣人の事、頭ごなしに笑う様な無粋は全く見せなかった。
「まあ、そうだ」
「だが…」
 もう一人が渋面になる。
「こう言う事態は考えなかったな」
「え…?」
「いや、見ての通り、こいつはどうにも弱過ぎる」
「母親が、あれ程立派な…長だと言うのに」
「知ってます!」
 話の雲行きの怪しさに、不安が募る。
「森の暮らしは厳しい。弱い者を育てる事は…底の抜けた桶に水を注ぐ様なものだ」
「あの、あの…」
「だから俺達はな、賭けをした」
「賭け!?」
「こいつがもし、置き去りにされても生きて合流出来るなら…まだ望みはある、そう考えた訳だ」
「!」
 少女が口から出任せに言ったあの「賭け」。事実その通りだったのである。

「…だけどなあ、まさか、人間の女の子に助けられるなんてなあ…」
「やはり、これは無効とするしか…」
 自分が護ったから、ただそれだけでこの子の命懸けの頑張りがフイになるのか…少女は恐ろしさに戦慄する。
「ああ、お嬢さんは折角だから、森の外まで送って上げよう」
 優しく微笑みかけられて。内心密かに憧れていた、見事な毛並みの頑強で優しい腕が差しのべられる。

 少女の全身をくまなく覆う、悪臭放つ病の跡にも。
 獣の青年の笑みは崩れない。

 それでも。

 少女は断腸の思いで…
 若者の腕をぴしゃりと払った。


「お、お嬢さん!?」
「…馬鹿言ってンじゃねえ!」
 若いキュノケバロイ達が残らず仰天する。無理も無い、ついさっきまでルキアは…容姿はともかく態度は全くしおらしく、楚々としていたから。
 驚く若者達に胸がちくちく痛むが、でもこればかりは譲れない。
「俺にたまたま拾われたンだってよ、運だって実力の内だろ!運がなけりゃ、あんたらだって…つまんねェ事で命落とすかも知れねえぜ!」
 刀を抜く…構えをする。
 まるで、「つまらない死」をもたらすのが少女であるかの様に。
「大体よ…俺だって十二分に助けられたンだ!さっきのこいつの『咆哮』、あんたらの耳にだって届いたんだろ?」
「あ、ああ…」
「確かに…あれは驚いた」
「俺だってよ、アレが無けりゃ、とうの昔に森の肥やしさ!二匹に一遍にかかられてよ、もう年貢の納め時かァ…って殊勝に観念しちまった時によ、こいつが無理して飛び切りの『咆哮』やりやがって」
「しかし、」
 初めの動揺より立ち直った青年、幾分難しい顔になる。
「一度ばかりの『咆哮』でこれ程弱るとは、な…」
 子どもは、いまだ昏睡のまま。

「お嬢さん、貴女の気持ちも良く判るがね、我々にも掟がある」
 噛んで含める様に。優しく穏やかな物言いに、少女は却って泣きそうになる。
「掟って…何だよ」
「我ら一族の数は酷く少ない」
「だから!チビでも何でも大事にしなけりゃ…」
「だから、だよ」
「非情な話だが…我らにとっては子育ても純粋な投資に過ぎないのだよ」
「差し引き、儲けが無ければ…と言う訳だ」
「…!」
 …弱い者を育てる事は…底の抜けた桶に水を注ぐ様なものだ…
 少女の心に、散々投げつけられた言葉が甦る。

 『このまだら模様のガリガリが』
 『器量が良けりゃあ……大した金になったのによ』

 カッと。頭の中がすっかり燃えた!


「お、おい!?」
 いきなりすっくと立ち上がると、今度こそ本気で刀を向けた。
「お嬢さん…一体…」
「動くンじゃねえ!」
 ひそかに憧れていた若者達を前に、格別凄みを聞かせた伝法台詞をぶちまけると涙が出る。でも。
「俺ァな、親切ずくで助けたンじゃねえ!謝礼が欲しいんだよ、謝礼がァ!」
「な、何を急に…」
「だから!こいつがおっちンじまっちゃあ、俺の骨折りが大損になる!」
 何だって、胸ときめかした事もある青年に、刀の切っ先突きつけているんだろう…
 もう、情けなさで本当に泣ける。それでも!
「だから…四の五の言わず、こいつを仲間ンとこまできっちり運べ!」
 ぶわっと…滴が溢れた。



 ひっく、ひっく…嗚咽まで漏れて来た。
 自分は一体何なのだろう。
 もう少し大人の女になって、そして何とかしてもう少し見れた姿になって。それから…話がしたいと思っていた、気高い狼の種族達。
 その本人達を前にして、訳の判らない啖呵を切った挙句…めそめそと泣き出して。
 あんまりもって情けない。

 すっと。暖かい手が降りて来た。

「…!」
 弾かれた様に顔を上げると、一人の青年が少女の頭を優しく撫でていた。少し、困った様な笑顔を浮かべて。
 …ルキアが刀を突きつけた、まさにあの若者。
「負けたよ…」
「え?」
「負けた。俺達の負けだよ、お嬢さん…いや、勇士殿」
 一瞬何を言われたか判らなくて…そして。
 眼を大きく見開いた。

「あのっ、あの…」
「こいつはちゃんと連れて行くよ」
「俺達が責任持ってさ」
「だけど…」
 また新たな涙が溢れる。
「だけど、何だい?」
「だって、こんなの…泣き落しみたいな事…」
 情けない。心底情け無い…
 そう思ってうつむく少女に、優しい声が降って来た。
「何だい、小勇士殿?俺達は、『これ』が怖かったのさ」
 笑って。若者は少女の刀を軽くつつき…
 いまだに抜き身であったのに、今更ながらに慌てて…真っ赤になって鞘に納めた。


「あの…」
 先の勢いが失せてしまうと、話しかけるのもままならない。
 それにきっと、ルキアの涙の訳を、この獣人達は誤解しているから…余計やるせない。
「おいで」
「あ…本当に?」
 実際、何だか心配で、せめて小さな子どもが仲間に迎えられるまで自分で見届けて置きたかったのだ。
 少女の顔に喜色の広がるを見て、若者達が茶目っ気を出す。
「そうそう、謝礼もあるしな」
「あ!…それは、あの、」
「こちらの気も済まないからな」
 必死で慌てるルキアの抗議を、狼達は笑って取り合わない。



 それ程歩かぬ内に、焚火の明りが見えて来た。…獣人達の、野営地だ。
 ごくり、ルキアは唾を飲む。
 若者達は納得してくれたが、他の仲間はどうだろう。
 それに。母親は…部族の長は、どんな反応を見せるのだろうか。

 視界の奥に、木々のまばらな広間の様な場所がある。その広間の入り口に、一人の影が立っている。
 炎の明りを背に受けて、顔までは判然としない。ただ、不思議と威厳に満ちていて、きりりとした中にも輪郭に優しい丸みがある。
「!」
 唐突に気が付いた。

「…偵察の勤め、ご苦労様ね」
「はい、長殿」
 明らかな女の声。だが冷たさと紙一重な程固い声音。
(一人息子が生きるか死ぬかって瀬戸際だったのによ…)
 内心毒づいた、が。
「それで…あの子は…どうでしたの?」
 今度の問いは、震えていた。

「ええ、生きてますよ。気絶しちまっていますが」
 若者が台詞の最後を発するのと。どちらが早かったか…

「ああ!ぼうや!ぼうや!」
 まさしく獣の素早さで。族長は…子どもの実の母親は、かなりの距離をたちまち突っ切り若者の腕からひったくる。
「ぼうや!ああ…悪い母を許して…」
 そこにはこの世で一番勇猛な種族を率いる長の姿は微塵も無く。ただただ、子を想う母がいるきりだった…



 大勢の獣人を前にして、ルキアは二度も茶番をやらずに済んだ。例の若者が熱弁を奮ってくれたし…
 結局の所、子ども自身の手柄である、あの『咆哮』が効いたようだ。

「こいつはね、」
 若者が苦笑しながら子どもを差す。…母親の手ずからの介抱で、もうふらつきもせで立っている。それでも先刻の雄姿は何処へやら、母親の影に隠れて恥ずかしがっている。
(まあ、急には変わらないか)
 ルキアも苦笑。
「…とにかく怖がりでね。『咆哮』も、幾ら言い聞かせてもやろうとしなかったんだ」
「ええ!?」
 自分の『咆哮』が、怖い?
「勇士殿、そう言ってやるなよ。何せ、身体の奥に眠る魔力を解放する訳だから…」
「特に慣れない内はね、身体から無理に力を絞り取られる様な苦痛を伴うのさ」
「そ、そうなんですか…」
「だが何度も鍛練を重ねる内に、無駄に力を消耗しなくなる」
「でもなあ…」
 青年のため息。
「こいつだけはね、最初の一回が真実怖い体験だったらしくてね、脅してもすかしてもやろうとしない」
「訓練を怠った者には一回に付き一つの『こいつ』をくれてやるんだが…」
「こ、『こいつ』、ですか?」
 若者の、迫力満点の握り拳にルキアも驚愕。
「ああ。俺達もあまり褒められた習慣じゃあ無いと思うが…いざと言う時、『咆哮』が使えないとな、殴られたより余程酷い眼に遭う事になる」
 少女は眼を瞬かせた。子どもの身体に無数に残る、あの痣は…
 少なくとも、子どもを嘲っての事では無かったのだ。


 翻って己の所業に赤くなる。
「わ、私なんか…」
「ん?どうしたんだい?」
「その…さっさとしろ!とか言って、あの、殴っちゃったりして…」
 それを聞くなり小さな子どもが、母親の服を頻りに引っ張り、何事かを囁きかける。息子の言葉を聞き取った、厳しくも優しい族長がにっこり笑って少女を見る。
「息子が言うにはね、これは自分が木の根につまずいただけだと」
「あ…あの、あの!」
 却って動揺する。

 噂には聞いていたが、狼の婦人は若者達と負けず劣らず美しい。すらりとほっそり背の高い、その立ち姿のシルエットは勿論の事、手も脚も顔立ちも全くもって一部の隙も無しに狼そのものであるのに…そこいらの自堕落女のこれみよがしの体型と違い、抑制された穏やかな女らしさ。少し、他の獣人よりも毛皮の色が濃くて。黒に近付いた灰色の毛の、手足の先と喉の辺りだけ雪の様に白い対比が美しく…闇夜に光る銀の剣のよう。
 口も。こうして微笑むその時も、きらり牙が覗くのに…それでいて、慈愛が少しも損なわれない。服が、病弱な息子と対称的に、粗野と言える程簡素であるのも、却ってこの人物の魂の色を引き立たせる。
 穏やかで、それでいて威厳に満ちて。
 自分の母親は別として、ルキアは生まれて初めて真に尊敬すべき婦人を見た。

 その非のうちどころの無い獣婦人が、ルキアの眼を見て微笑んだ。
「貴女には、是非御礼の品を受け取って戴きたいわ」
「あの!」
 心底焦る。

 そこでまた、気弱な子どもが小声で囁く。それを少し屈んで聞き取って、にっこりうち笑み婦人が言う。
「お母様の御病気が良くなりますように…」
「あの、別に本当に謝礼なんて…」
 ぱんぱん!婦人が手を叩く。
「誰か!犬木霊の干物を!」

 慌てる少女を他所に。立派な布に包まれた、あの犬木霊の干肉が本当に運ばれて来た。

「ほ、干してある…!」
「ええ。こうして置けば幾らでも持ちますの。秘伝ですから…作り方まではお教えできませんけれど」
 それこそ、そんな品…都に持って行けばとんでも無い値が付く。
 捧げ持つ若者ともども、にっこり笑う獣の貴婦人。動転して歯も遭わない少女に、そっと手渡そうとする若者を、どう言う訳か婦人が制し。
(…?)
 そのまま自分の衣にしがみついたままの、子どもに何事か囁きかける。
「ええ!?ぼく!?」
「…助けて戴いたのですよ、当然でしょう?」
 いささか、緊張の面持ちで。すっかりがちがちになりながら。子どもが包みを抱えて来た。
 これでは…ルキアも断わりようが無い。
 今度は固辞もせで。素直に宝物を受け取った。

「ありがとな…」
 優しく子どもの頭を撫でてやる。と、子どもの顔がぱっと赤くなり。脱兎の如く…白いから、全く兎の様だ…母親の元に逃げ帰り、隠れてしまう。
「何だよ、一体…」
 これには少女も面喰らう。

「この子は…恥ずかしがっているのですよ」
「え?」
「だって貴女、自分の英雄に声をかけられたら、誰だってそうなるものでしょう?」
「え、英雄〜!?」
「そうだとも、勇士殿」
「あの時も…俺達を説得する時だって、凄かったよなあ…」
「そ、それは…その、無我夢中で…」
「でもね、貴女。御自分の価値にお気づきになった方がよろしくてよ」
「価値って、そんな…」
「この子があれ程恐れていた『咆哮』を、それも森中に響き渡る様な素晴しいものを、犬木霊を前にしてできたのも…」
 優しく、そして真直ぐに少女の眼を見る。
「貴女の、勇気の御陰」
「でも、あれは…」
「いいえ、」
 穏やかに、それでもきっぱりと。
「貴女が命も顧みずにこの子を護って戦ってくれたから。この子にね、貴女を護りたい…この子だけの英雄を、何としても失いたく無いと言う想いが生まれたから…」
 そっと、息子の頭に手を添える。
「だから、ではないかしら…」
 言われた当人は。さらに恥ずかしがってしまって答えない。

 言われた言葉は大層嬉しい。それに、ここで波風立てるのも好ましくは無いが。
 逡巡した末、ルキアは重い口を開く。
「あの…族長さん」


「何かしら?」
「その…図々しい話ですが、他にも謝礼が欲しいんです」
「え?」
 穏やかな婦人が、少し驚いて首を傾げる。それがまた、当人は自覚が無いだろうが…成金屋敷に住まう自称貴婦人どもとはえらい違いで。ルキアの決意を鈍らせるが。
「その…その子に、名前をやって下さい」

「名前が無いから、自分で自分の事…いなくてもいい、だなんて考えるんですよ、きっと」
 婦人の眼が見開き、一同にざわめきが広がった。こんな『謝礼』を要求されるとは思ってもいなかったのだろう。
「その…ちょっと待ってくれ」
 頭を頻りに掻きながら、若者が前に出る。
「族長のお考えにも、それなりの意味があるんだ」

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(C)獅子牙龍児
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