天体の遭遇 (1)


 刻は夜、真の闇。所謂「草木も眠る丑三つ時」である。人気の絶えて久しい辺境の森は、厳かな静寂に包まれていた…と、言いたい所だが。
「ぎゃあああああああああ!!」
 絶叫。絹を裂く…では無くド胆を抜かれる凄まじい叫びが夜のしじまを見事に破り去ってしまった。
「なんで…なんで、こーなっちまうんだああああ!!」
 人家を遠くはなれたその場所で、悲惨な嘆きは酷く空しく木霊していた…



 目隠し遊ばされた女神の操る天輪の動きそのままに巡るこの世界、そもそも事の初めから…なんて所から説き起こすと紙が一万尺あっても足りぬから、まずはいきなり舞台となる土地へと話を移そう。
 広い広い海に浮かぶ陸地の中の一つ、大陸と呼ぶにはいささか語弊があるが島と呼ぶには随分と大きな、中途な面積の円い土地がある。
 広大な大陸も少なくないこの世界において卑小とも言える面積とは裏腹になかなか話題に富む場所でもあった。やけに円い…無論、海岸線はそれなりに入り組み、岬やら半島もあるのだが…その姿を占い師の道具になぞらえて占盤大陸ウィジャーだとか、あるいは獣の種類が馬鹿に多く、所謂幻獣の類も吐いて捨てる程住む事から幻獣大陸ゾディアックだとか、とにかく狭さに似合わぬ派手な名前で呼ばれて久しい。
 そして今も。天輪さながらの姿の小大陸の上で一つの歴史が動き始めていた。


 街道の拠点と言うのは活気があると決まっている。
 幻獣大陸の中央、黄土地帯に存する大都市「砂無翅」の賑わいは格別であった。主要な街道の交わる場所であるだけに、人でも物でも何でも集まる。特に幻獣島の近海は抜ければ叙事詩が幾つも出来る、とてつもない難所ばかり、交通の頼みは陸路ばかりと来ているから尚更である。
 さて集まるのは真っ当なモノとは限らない。あちこちのキナ臭い情報も流れ込み、吊られて物騒な連中もやって来る。そんな傭兵どもへの就職の斡旋もまずまずの稼ぎとなり、界隈の酒場兼宿屋は口入れも兼業するのが常だった。
 裏通りに入って角三つ、酒乱乙女の看板の居酒屋マイナスも例外では無い。丁度日も暮れ、晩の食事と酒と宿とを求める客で一番賑わう時間であった。

「ふう〜」
 盛大なため息とともにフードを目深にかぶった男が入って来た。まずまずの長身、剣を帯びている所から一応剣士らしいが、馬鹿に痩せているのと少々猫背に歩くが災いして大した使い手には見えない。一瞬、新たな客を値踏みしようと本能的に振り返った店内の男共も、小物と見るや他愛のない世他話に戻っていく。
 ずかずかと奥まで入り込んだその男、馴染みでも無い癖にいきなりカウンター席に陣取った。
「飯!」
 喧騒の中とは言え、狭い店だと言うのに馬鹿にでかい声で叫ぶ。たまたま手の空いていた亭主がやって来た。
「で?どんな食事をご所望で?酒はどうされるんで?」
 愛想の良い好好爺の前にその男、いきなり金袋をぽんと投げ出す。…ぺしゃんこ、の。
 親爺の顔がみるみる険しくなる。
「お客さん、こりゃちょっと」
「別にタダ食いするとは言ってねえだろ!」
 男が袋を逆さに振ればまさに「なけなし」の銅貨が幾らかこぼれ落ちる。
「俺の全財産積んでやる!俺の所望は今夜の飯と寝床!」
「あのなあ、あんた、うちの看板何だと思って…」
 営業顔から素に戻った店の親爺、尊大な若僧に一つ説教を垂れようと口を開くが。
「だからタダじゃねえって!これで酒も飲ませろなんて言わねえよ、三年前の麦から作ったパンだって上物の乾酪一切れ乗せりゃあ一丁前に極楽、腕利きの料理人にゃ二束三文の屑みた様な安物尽しを、瞬きする間に王侯貴族の晩餐会に変えちまう、そんなこたァ常識さ。それによ、真っ当な酒場行きゃ葡萄もいい粒揃えてやがる、何せ酒の乙女が看板だ、甘汁だって御神酒のネクタルもびっくりな旨さと違うかい?」
 一体何時息つぎしているのか、立て板に水の長口上。椅子にだらしなくもたれかかってのその様に威厳もヘッタクレも無いものの、若者の明るい声には何とは無しに魅力があり…頑固に見えて根がお人好しの亭主は苦笑を浮かべつつ厨房に向かう。酒場に来ながら酒精のある品を求めぬなど言語道断、例えは悪いが娼館に泊まりながら何もせず朝までぐーぐー寝ている様なもの、親爺の初めに示した不快感は当然至極。だが代わりに葡萄の甘汁を頼むとは少々憎い奴、腐敗を恐れて過度に糖分を加えたそれは葡萄酒同様水で割らねば飲めぬ代物、普通なら菓子の味付けや混成酒に加えるだけの添え物に過ぎぬが、佳い酒場なら美味なる葡萄の甘汁を必ず備えている事は通人なら周知の事実。酒精が無い分、葡萄の味がずばり分かる甘汁造りはそれなりに亭主のプライドをくすぐった。
 とは言え…

「そんでよう、猩猩領の人喰い巨人…ほら、地震で太古の眠りから覚めたってヤツ?あんときの討伐隊にもこの俺がな…」
「はあ、そりゃすごい」
 甘汁を偉く褒められ良い気分となった所を捕まえられ、長々しい自慢話を聞かされる羽目に。それがまた法螺話もいい所、普段は愛想の良い親爺もただただ渋面浮かべるばかり。傍目に分かる程おざなりな相槌を打つ事で、それとなく不快を伝えても相手は一向に頓着しない。こんな時に限って新しい客も無く、話を打ち切るきっかけを掴めず…大体、全財産を差し出すと言った癖に例のぺちゃんこ財布すら目を離した隙に仕舞い込まれたと来た。『見せ金』(にもならない額だが…)だけで食うだけ食って、長話で勘定を誤魔化す腹かと亭主の頭も痛くなる。
 だが店の亭主がどんなに困ろうと無頼の男ばかり故、誰も気にも止めない。それはそれで、何時も通り代り映えのしない夜であった、が。

 ギャランギャランキャラン!!
「いやっ!…きゃあ!」
 バタン!ドサッ!
 場にそぐわぬ叫びと、ドアを乱暴に開閉した故の鈴の狂ったような高音と木材の衝突音、それに、何か鈍い音が前後して響いた。


「オラオラたてよォ、かァーいこちゃんよオ〜」
 呂律の回らない台詞を筆頭に、卑猥な笑い声とドタドタした足音が複数。やや遅れて、不快な熟柿の如き悪臭が店内に広がる。どうやら質の悪い安酒でも浴びたらしく、すっかりできあがった、いかにも無法の住人とおぼしき男共が一斉に入って来た。外は一応は暗闇だが、どう贔屓目に見ても正体を失うにはまだ早い。
「離して!止めて下さい!」
 震えつつも凛とした声。
「自分で立てます。歩けますッ!」
 何の因果か野獣の群れに囲まれて、それでも必死で声を奮うその主は…
 なんと、まだ幼い少女だった。

 小汚い野郎共の手を拒否し、すくっと立ち上がる。光の当たりで栗色にも見える黒髪が、動きに合わせてふわりと揺れる。なだらかな曲線がなんとも優しい。悪党をきっと睨むその瞳は実に大きく黒目がちで、漆黒の夜空に星を散らしたよう。鼻と唇はやや小ぶり、だが造形に無駄なく、特に下唇が幾分ぽってりしていて、小粒ながらも見事な、ブーケ用の薔薇の花びらを思わせる。肌の色は、この界隈でよく見かける北方人と異なり白雪の如しとはいかないものの、どこか淡い花びらを想起させるほのかな色合い。ただ、恐怖のためとはいえ、幾分青白く褪めて見えるが実に惜しい。
 おそらく男達に乱暴に掴まれたのだろう、留め具の壊れた外套から着衣が覗く。はっとする、青。いや、紺碧というべきか、相当の職人が恐ろしく手間をかけて染めた代物だ。これといって飾りはなく、簡素な型ではあるが見慣れぬ異国の様式で、却って素材の良さが映え、成金趣味とは全くの無縁。髪留めも同色、黒髪に半ば埋もれて目立たないものの、一旦織った布地に刃を入れ、奇麗に毛羽を立たせてふしぎな艶を作り出し、さらに銀粉を散らしてさながら銀河の景色。慎み深いが、並みの金持ち風情には手も届かなければ似合いもしない、しとやかに高貴な装束である。
 凛として、気品溢れる立ち居振る舞い、明らかにかなりの身分を示しているが、どうにも小柄である。頭の先が男達の胸元にようやく届く程度、胸もまた、なだらか。大人びた態度に惑わされるが、十を幾許か過ぎた程度。せいぜいが12歳位なものだろう。
 店内の平和とは言わないまでもまあ明るい雰囲気が一変する。客達が、ちらちら見やる。それもかなりの嫌悪を込めて。
 場所柄、必ずしも堅気とは言い難い連中である。酔えば道端でいきなり女性に抱きついて大顰蹙を買う位なら日常茶飯事、引っかけた娘をいかがわしい茶屋に連れ込んで羽目を外すのも危険ばかりの毎日の彼等にとっては貴重な命の洗濯だ。そん無頼の価値観を持ってしても相当無体な事態である。
 そんな場の空気も何処吹く風、乱入者共は嫌がる少女の腕を無理に掴んで隅の空テーブルを目指す。無理やり少女を隣に座らせた頭目とおぼしき男、臭い臭い息を吹きかけながら盛んに何か話しかけ、またべたべたと髪やら顔やらを撫で摩る。絶望的な状況の中で必死に首を振り拒否し続ける度、少女の心境を映すかのように髪が激しく乱れる。遠目にも涙がにじむ様が窺えて痛ましい。
 ここ、マイナス亭の店主は誇り高き職業人であった。これが一人前の娘で、場所が出会い茶屋なら捕まる方が悪いと同情もしないが、無力な、まだほんの子供の少女に対してこの狼藉、全く許し難い。そうでなくともマイナスは、仮にも由緒正しき葡萄乙女を看板に掲げた店、亭主の精魂込めた葡萄酒こそが主役である。こんな乱痴気はふさわしくない。渋面のまま、連中の元へ歩き出した亭主だが…突如顔色を変えた。
「火蛇皇国の…夜郎党…」

「何だと!」
「本当か!」
 親爺のつぶやきに店内が騒然とする。皆が慌てて酔っ払いを検分すれば、確かに証拠が幾つも幾つも。すっかり泥で汚れているが、ブーツのつま先と踵に紅色の宝玉がついている。同じく首元の衣服の留め具もまた紅の細工。さらに、いまいましくも同じ輝きが、小汚い手袋の指にも光る。あの鮮やかな色艶は火蛇皇国特産の、朱雀石に間違い無い。悪党どもの分だけで一生悠々遊んで暮らせる程の価値、少々の富豪程度では拝むのがやっとの品をこれ見よがしに身に着ける特権が、唯でさえ無法の集団の夜郎をさらに増長させている。
 火蛇皇国は大陸の南半分をほぼ制圧した、恐怖の強国である。見た目の美麗さのみならず、金剛石並みの強度と火気の魔力を秘めた朱雀石をはじめ、各種の特産に恵まれ、強引な手口で近隣諸国を併合し、まさしく飛ぶ鳥落とす勢い。だが国力の増大とともに奢りは高まり、他国の人間を人とも思わず、逆らうものは人であろうと何であろうと残虐極まる刑罰に処す。夜郎党は皇国の組織では末端もよい所だが、虎の威を借る何とやらで何処に行こうが横暴三昧。実質は大した剣の訓練もない、雑兵風情だと赤子でも知っているが、背後の皇国を思えば王公貴族といえども逆らえない。

「何をなさるの!やめて!止めて下さい!」
 少女の悲痛な叫び。終に涙声となっていたが、その場の誰も動けない。
 もとより、傭兵は無頼の徒、いわゆる正義とは無縁の家業。妙な仏心で一文にもならぬ人助けをしたところで骨拾う者も皆無。自らの心の奥底の、小さな良心を黙らせるため、皆無理に雛の叫びに耳を塞ぎ、不自然に能天気な話題を選び出した。
 親爺としても、そんな彼等を卑怯と非難する気にはなれない。現に、店を守る身としてはうかつはできぬと結局一言も発せなかった。それでも何とも歯がゆい。人間の価値と身分の高低を全く別物と捉える亭主だが、あの少女は誇りも気品も知性も窺え、真の意味での貴人である。それに、彼女の身分こそが夜郎に狙われる元になったのも想像に難くない。恐らく無理に供の者と引き離された彼女の恐怖は如何ばかりであろう。
 が、ふと。妙な沈黙に気付いた。
 視線を移すと、先程まであれほど饒舌であった青年が、例のテーブルをじっと凝視していた。カウンター上に置かれた拳が、彼の心中を語る用に小刻みに震える。
(ほう…少なくとも無視はできんということか。)
 親爺は青年に着けた値段を少しばかり高くした。同じ、強権と戦えない者ならばせめて自らの良心と戦う気概がある分ましというもの。…もっとも、単なる青さかもしれないが。
 そんな亭主のちょっとした発見もお構い無しに、悲劇は進んで行く。どうやら最初から身代金目的ではなく、手込めにするために幼い少女をさらったらしい夜郎は…本国では最下層に位置する彼等は、他所の国で身分の高い人間を襲って憂さを晴らすのが常だが、妙齢の婦人に対しては彼等の貧しい魂がいささか気後れするらしい…一向になびかぬ誇り高き少女に激高した!
「このガキャア!」
「きゃあああ!」
 いきなり少女の肩口を引っ掴む。テーブルの上に叩き付け、無理やり仰向け、襟首を掴むと頬を張り倒す。一発、二発…来ない助けを求める声も、罵声に掻き消える。
「…ひン剥いてやるッ!」
「!!」
 一座の空気が凍った…!

進>>


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(C)獅子牙龍児
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