天体の遭遇 (2)


「待ちやがれ!この、腐れ外道がッ!」
 突如、鋭い一言が一同を突き抜けた。
 瞬間、夜郎の頭目が怒りも忘れ、実に間抜けな…ちょうど玩具を取り上げられた瞬間の赤子の様な…何が起こったのか理解できない面持ちできょとんとする。が、直ぐさま我に帰り、彼等にとっては全く許されぬ無礼を働いた輩を慌てて探す。
 
 青年が、独り立っていた。あの、長広舌の若者である。

(まずい!)
 親爺は内心で彼にさらに高値をつけながらも、いや、高値と踏んだからこそ、青年を止めようと慌てる。
(奴らに正面切って逆らっては…あたら若い身で命を粗末にするな!)
 その命が夜郎によって散らされるならなお。
 思わず延ばした店主の手は、空を切った…

 青年は歩き出した。真直ぐ。
 姿勢を正して見ると、驚くべき長身である。そして、隙の無い足の運び、全身の闘気…先の、扉を開けたときとは全く別人。だからこそ、戦い慣れた傭兵には、青年の実力が窺えた。
 夜郎党を前にして、微塵も臆せずゆっくりと確実に歩を進める。酒場の喧騒は完全に失せ、全員が固唾を飲んで成り行きを見つめる。
 そして。テーブルまであと数歩という所で歩みを止めた。と、突如フードを脱ぎすてる。
「…!」
 一同、再び息を飲む。何とも優美な金糸が白昼夢のように広がり、ふわりふわりとゆっくり沈んで行く。その金色の光の下、絹とフリルと金糸のモールをふんだんに使った、豪奢な白い衣服が覗く。フードが、広がりつつゆっくり落下するのもまた夢の一部のようで。幻想の光景…
 彼の顔の見える位置にいた者の驚きは、さらに甚大だった。何となるならば…彼は、軽薄でほら吹きのその青年は、御使いの如き神々しき美貌の持ち主だったのである。

 高貴なる宝玉のように、静寂なる湖畔のように澄みきった、青い瞳。意思の強さを窺わせる、切れ長の目。わずかに吊り上がったその輪郭を長く輝く睫毛がさり気なく縁どる。その目元を、すうっと白貂の眉筆で引いたような細い眉が、滑らかな曲線を描きつつ引き立てる。鼻筋はあくまで真直ぐ、高過ぎず低過ぎず。唇は薄く、されどその造形は細やか、工芸の神が黒曜石のナイフで刻んだかのような見事なアーチ。それら全てが、まさしく雪花石膏の如き素肌の上に絶妙なる配置で並んでいる。さらに、怒りのために差した赤味が淡雪の肌に眩しく、上物の紅にも負けぬ色を添えている。
 それまで、夜郎党を物ともせぬ気迫に圧倒されていた頭目だが、青年の稀なる美貌に好色の笑みが浮かぶ。
「へっ、こりゃあツイてるぜ?シャンがてめぇから来…」
 新しい獲物に気を捕られて、哀れな少女の襟首から無意識に手を離した瞬間…
 電光石火!青年が動く!
 一足飛びに卓の直ぐ前に移動、その勢いで跳躍、身体を捻りつつ左脚で卓上に着地と同時に右足で頭目を弾き飛ばしバランスを崩しつつも片手を少女の背中に差し入れ、一挙動で店の隅に飛び降りた。瞬間の神業…
 白目を向いて失神している頭目は勿論、青年に助けられた少女にさえ、何が起きたか見当も付かない。青年の腕の中で、大きな瞳を白黒させる。
 そんな少女に一瞬笑いかけ、建物の隅にそっと下ろすと向き直り、少女を庇う位置に身構える。
 漸く衝撃から覚めた夜郎党がわらわらと立ち上がる。
「野郎ッ!」
 直ぐ側にいた独りが拳の宝玉を青年に向かって突きつけた。場内の客が一斉に息を飲む。親爺も唇を噛む。
(しまった…!)
 夜郎党の無体を許すもう一つの武器、炎の魔法。夜郎には自前の魔力こそないが、魔法工芸の粋を凝らした朱雀石から放たれるその威力は、鎧は勿論並みの防護の術もすっぱり破り、そして弩よりも速く、しかも使い手の技量に関わらず目標の急所を確実に狙うといういやらしさ。義憤に駆られて挑んでは虚しく散っていった剣客や魔導師は世に無数。
 勇敢で美しい若者の命運は決まったも同然と、暗澹とした空気が漂うのも束の間、さらなる衝撃が場を突き破る…!
「ギャアアアアッ!」
 炎の魔弾を撃った筈の夜郎が、手を押さえながらのたうちまわる。その様を、何時抜いたか長い片刃を構えた青年が悠然と見下ろす。訳が判らないながらも仲間の仇とばかり、別の男が赤い死の矢を放つ。…あんな柔な白刃、瞬時に砕いてやると内心侮りながら。
 が。
「ギヒイイイイイッ!」
 運命の女神は公平だった。先の犠牲者と同じく、魔力の石ごと指を砕かれた男が絞められる雄鶏の叫びを上げつつ床に転がり落ちる。対する青年は得物を構えて変わらず泰然…。だが今度は全てが見えた。
 青年の、何の変哲もない刀が魔弾をそっくり弾き返したのである。

 魔法工芸と呼ばれる職人芸と魔法儀式の粋を凝らした宝物の中には、武器・魔法に依らずおよそ全ての攻撃を跳ね返す防具があるのも確かである。傭兵達は豊かとは言えないものの、商売道具にして己の命の最後の砦とも言える武具には概して金をかけるが常。だが、朱雀石の炎弾を防ぐ程の宝物ともなると高価に過ぎ、とても一介の傭兵の持てるものではない。青年の武器は、確かに魔力に敏感なものにはうっすら輝くもやをまとうのが見え、魔刀であることは伺えるが…
「どういう手品だ…?」
「二発食らって折れもしねえ…」
「しかも、ぴったり返しやがった…」
 酒場が驚きでさざめく。…その言葉一つ一つがまた夜郎党の神経を逆撫でする。
「畜…生ッ!」
 何の学習もなく挑んだ二人が続けざまに犠牲になる。…だが、都合四発返したところで無情にも青年の刀が力尽きた。
「チッ…」
 応分以上の働きを果たし、刀身の半ばが砕け、まだ破片を散らしている白刃を見遣って青年が舌を打つ。
「へ、へ、もうこわか…ねえッ!」
 先まで涙すら流していた最初の男が、敵が丸腰になったと見て目を輝かせて体当りを計る。それを、青年はわずかに下がって避けつつ強烈な肘鉄で愚者の鼻骨を砕く。勢いで自分もよろけるのを踏み留めつつ、肘を返すより速く左手に持ち代え、用済みの刀を瞬時に投げた。狙いあやまたず、まさに魔弾放たんとしていた別の夜郎の肩口ふかく突き刺さる。
 だが時間稼ぎにしかなるまい…座の誰もがそう思ったときだった。
 この、わずかな隙を突いて青年が背中より替えの武器を取り出した。全く同型の物。
「ビビるんじゃねえ!どうせハッタリだ!」
 まだ無事な者が自らをも鼓舞するかように叫ぶ。慌てて残りの夜郎が構える。その数、三人。
 多勢に無勢に加え、もう先の奇蹟のような剣はない。…まさか、恐らくとてつもなく高価であろう魔刀を二本も持つ筈がないから…それでも。見る目のあるものは、先の剣と同様、替えの得物にも光る霞を認めた。
 情報通の親爺の頭が閃く。
(だとしたらこの勝負…奴等の負けだ!)

「地獄に落ちろオ!」
「死ねエ!」
「ブッ殺す!」
 三人の悪党は、あろうことか同時に一人を攻撃した。が、青年は慌てることなく剣を眉間・首・心臓を庇う様に構える。そこへ三つの赤い光球が突進するが…
 親爺の勘が的中した。今度は弾きこそしなかったが、全て見事に白刃に受け止められたのだ。せめて、三人が肩なり足なり各々の部位を狙えば悪人にも勝機があったろうが、そこは自動標準の悲しさ、全て眉間を狙って刃の上でくすぶっている。
 それでもまだ勢いは殺し切れぬのか、優美な眉をひそめながら全力で支えている様子の青年を、今度こそ仕留めようと、各々の暗器を掴んで走り込む。
 …今度こそ駄目だ!
 だが、悪戯好きの驚愕の女神はさらなる演目を用意していた。青年は、一旦瞼を閉じるとカッと見開き気合いを発す。
「オラァッ!」
 容姿に似合わぬ一喝とともに火力の魔法の名残が爆発する。瞬時に火炎が広がり、直ぐ側まで駆け寄った三人の顔がみるみるただれ、もはや、声とは言えぬ騒音と焼け縮れた髪や衣服の切れ端を撒き散らしながら、指を無くした仲間以上に転がり回る。
 傭兵の間からも歓声が上がる。
「すげえ!火炎の魔法をあんな早業で!」
「いや、待てよ?呪文も聞こえなかったぞ?」
「…呪文抜きで魔法を使ったのか!?」
 それこそ、魔法だ…新たな驚きが一同を駆け抜けた時。
「魔法なら、呪文は必要だ。が、『念術』は、別だ」
 店の親爺が納得顔で頷く。
「それにな…それなりの使い手なら、『念籠め』で魔剣より便利な物も作れる筈さ」
 一同ざわめく。『念術』は東方の一部地域に伝来する特殊な技術だ。そして色白金髪碧眼の…北方人が習得することはまずありえない。何人かがこの重大な情報に気付く。
「ひょっとすると…」
「神様もびっくりの色男の癖に柄の悪い喋りで、北の出の癖に『念刀』の達人…」
 親爺が青年を見遣る。
「おまけに稼ぎを衣装道楽に注ぎ込んで、いつもひもじい思いの伊達男といやあ独りしかおらんよ」
「そうか!あいつがあの『太陽のルクス』!」
「あの、サシで獅子も倒したって奴か!」
「ご名答。…俺もやっぱり有名人だな!」
 興奮して叫んだ男の方を向いて、にいいと笑う。飾らない、それでいて通り名を思わす明るい笑顔。
「…くっ、そおおおおおッ!」
 置いてけ堀にされた感のある夜郎の、指を飛ばされた一人が立ち上がり、渾身の一蹴り。足の朱雀石にも炎の魔力が仕込んであり、当たれば無事には済まない。
「おっと!」
 だが二つ名を持つ猛者には児戯にも等しく、難無くかわされたばかりか逆に足を取られてボッキリ折られてしまう。
「いいぞ〜!」
「そら、やっちまえ!」
「よし、金髪に500ゲル!」
「馬鹿おめえ、こりゃ賭けになるめよ」
 たちまち愉快な闘技場と化した酒場が沸き返る。もう、勝敗はついた。
 そこここに腕やら脚やらを折られた男が転がる。今だにお寝んね中の頭目や炎に巻かれてもはや人相も判らず痙攣中の三人は元より、戦えるものは既に皆無。ただただ、床に這いつくばって震えている。
「おい、ダニ公…」
 青年の、手近な夜郎に刀身を突き付けての物言いに、観客と化した男達がやんややんやの大喝采。
「おめェらまとめてチマチマ切り刻みてえのは山々だが、こんな小さな嬢ちゃんの前で人間挽肉ショウするってえのも、ま、何だしよ、」
 刃先をぷらぷらさせながら質の悪い笑みを浮かべる。美貌が、却って凄味を添える。
「なあ?」
 少し屈み込んで相手の顔を覗き込み、さらに壮絶に陰険な笑顔となる。
「取り合えず、鼻にしとくか?それとも耳かい?古典的だが首スパア−ッてのもイイねェ…」
 無頼の傭兵がどっと湧く。無論、脅される方はそれどころではない。
「ひッ、ヒィ、た、た、た…」
 歯が合わなくなった夜郎党を見下ろし、ふっと冷徹の表情に変じ、突如起立して刀身を床に突き刺した。
「命が惜しけりゃ…そこのクズ連れてとっとと行きやがれ!」
「ヒィ!」
 弾かれたように何とか脚が無事な者が立ち上がり、動けぬ仲間を半ば引きずるようにして大慌てで去って行った。騎士ならばいざ知らず、皇国にとって夜郎党は使い捨ての道具、今夜のようにたった一人に不覚を取ったが伝われば幾らなんでも連中の恥、火蛇名物の陰惨極まる刑罰が待っている。ここを逃れても、遠からず地獄行き。青年が見逃したのは情けをかけた訳では無い。
 …もっとも、本当に幼い少女を慮ったのかもしれないが。
 さてはてこの大団円に歓声はいよいよ増し。今宵この場に居合わせるを許した気紛れの神に、杯を捧げる掛け声が幾つも響いた。

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(C)獅子牙龍児
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