地下の焦燥 (3)


 こんな腐った地の下では。何事も実感が湧かないが…この戦、火蛇の敗色強くなったと言う。
 無論、この街一つの尽力で無く。黄土全体の力…それもかの火蛇の軍勢に、ただ徒に兵を向ける愚を敢えて犯さず、主として知恵と情報網とで対抗したのが良かったのだろう。黄土と言えども一枚板では無いが…敵に攻め込まれても骨肉の争いと領土の奪い合いに余念の無い、そこらの腐れ貴族どもに比べれば盗賊ギルド同士の繋がりは存外に強固。…縄張り越えての工作の数々に。さしもの火蛇の非道も適わなかったと言う訳だ。
 砂無翅に至っては。…侵略の尖兵たる蝙蝠の騎士団、その長すら失っては…金で雇った傭兵達にも逃げられて、団員同士の統制すら危うく。あの後さらに数人が、ギルドの精鋭に血祭りに挙げられたとか。
 だが…

 地下では何も好転しない。


「くっ…」
「どうか…御無理はなさらずに」
 あの後、サタヤは顔を一二度見せただけ。食事は誰かが必ず運んで来るが、ただそれだけで。…何とか自力で身を起こせる様にはなったのだが、腕は少しの事で激痛が走り、動けると言うよりはもがける様になったと言う所。都合、身の回りの様々を、ほとんど昂に頼っている。
「すまねえ…嬢ちゃん」
「いえ、ルクス様の御尽力に比ぶれば些細な事にございます」
 苦労して、部屋中のありったけの枕をルクスの背に当てがい、必死で長身の美丈夫を助け起こし…それでも何事も無かったかの如く。流浪の小麗人はにっこりうち笑む。

 …食事は毒こそ盛られていなかったが、毎日毎日煎って干した皺だらけの豆のスープ…それもただ塩辛い水で戻しただけ、酷く不味くて冷めている。
「せめて…温いモン、食いてえなあ…」
「何かと…厨房の方々も大変でございましょうから…」
 ふと、匙を運ぶ小さな手がぴたり止まる。
(ルクス様…)
「へ?」
 念の、言葉…
(恐らく、厨房を通しては…確かな食事は望めぬのでは、と…)
(…!)
(混沌の内にあるは火蛇ばかりではございませぬ)
 小さく、無言で…可憐な姿が核心を突く。


 事がこうなる以前には、この部屋にも何かと客がやって来た。ルクスが気さくで話好きで、しかも今一人の小さな「少女」が、本当に清楚で愛らしい存在であったから…それが今はどうだ?
 見張りは以前より遥かに監視らしく、これと言った私語もせず。食事を運び込むにもそそくさ…と言う次第で。
 昂がそれでも魅了の力を発揮して。いちいち丁寧な言葉と無邪気に美しい笑顔でさらり事々を尋ねるから…それにまた、相手がぽろりと正直を言うから…多少の事情は伝わるが、ただそれだけ。
「それでも…ルクス様がいて下さるから。私、幸いに存じます」
 演技では無くそう言う昂に。ルクスも覚えず相好崩す…

 そう、少なくとも二人を引き剥がす動きは無い。


 最後の豆を丁寧にルクスの口へと運び込み。無用となった器を脇へと避けてから、即席の背もたれを外して苦労してルクスを横たえる。…深窓の育ちなだけに決して迅速とは言えないが、不慣れながらも懸命な様子が伝わって却ってこそばゆい心地…
「なあ…嬢ちゃん」
「え…?」
「俺もさ、嬢ちゃんがいてくれて…良かったぜ」
「…ルクス様…!!」
 つぶらな瞳を一杯にして。…半分涙すらにじませながら、心底幸せそうな笑顔。
 本当に、あの時あの場に居合わせたのが。自分で本当に良かった…

 だが情勢は何も変わらない。

 盗賊達は表立っては何も言わず…事に、ルクスが裏切ったとの偽情報の存在は、誰も一言も口にしない。たまにやって来るサタヤを見張り達が追い立てるのも、その辺りを話させたく無いらしい。と言って、昂の推理に疑いは無く…サタヤの言葉の端々と、さらにルクスが壁越しに、念術駆使して「聞いた」話からしても間違いの無い事実と見える。
 今の所は不味い豆に毒は無いが…見張りの盗賊が全くの味方なら。事の次第を匂わす位はしても良いだろうに…
 昂がいみじくも言った通りに。連中とて油断はならないのだ。

「でも…もう御休み下さいませ。御負傷に触りましょうから…」
 そっと。ルクスの内心を慮ってか、ふわり優しい言葉が降って来る。…確かに。何か事を起こすにせよ、探るにせよ…この忌々しい深手の数々を、何としても治癒せねば。滋養にも劣る豆風情では減った血を増やすにも心許ないが、少しでも傷を塞ぐため…念を傷へと注ぎ込む。
 サタヤが必死で持ち込んだ、昂の本当の衣装の他は…武器も何も取られた今では笑止だが。まずは得物を持てるまでには回復せねば。

 …雛菊を、再び陽の当たる地上へと救い出すためにも。


 地下の部屋には、窓一つ無い。
 扉の隙間から入り込む、自堕落に溺れる者達の好む怪しい品々の匂いにさえ、今では鼻すら死んで鈍になる。この部屋は…やはり「閉じ込める」意図にて作られた場所らしく、地下でも随分外れにあって、廊下を通る者も極わずか。時を計る術は…三度三度の味気ない食事位なもの。
 あの、魔剣の死闘から既に…十日。

「はぁ…はぁ…」
 小さな唇から、苦しげな声が漏れる。黒髪に隠れた額の上を、透明な滴が伝う。
「…だいじょうぶか?」
「…ええ…」
 美丈夫の手がそっと柔らかな前髪を優しく摩る。既に、汗を含んでいるのが痛ましい。
(無理、すんなって…嬢ちゃんも本調子じゃねえんだ)
(でも…何もせでおります方が、余程つろうございます…)
 念の、会話…

 治癒に多大な念を割かざるを得ないルクスを慮り。…封印を施された上に連日の無理も祟り、本来念術駆使するなどもっての他の小さな昂が。必死で外界の様子を探っているのだ。

 そっと、汗ばむ黒髪をかき分けて、ルクスが己の手首の辺りを額にじかに触れさせる。
「また、ちょっと熱出てンな…『知恵熱』」
 …念術の無理な行使。あの、風霊の亡霊を剣の内より引き出した時ほどでは無いにせよ。真実この繊細な身体には毒である。再び…触れた場所から昂を蝕む余剰の念を抜く。
「あの…私、何ともございませんから!」
「いいって、いいって!嬢ちゃんの可愛いデコ、触ってンの気持ちイイし♪」
 まあ多分に扉の外から聞き耳立てられた時のための自衛であるが…大した美丈夫のルクスがまた、盛大に笑って言うものだから…
「あの…でも!」
 …もっとも、頬を幾らか赤らめての昂の必死の抗議の真の意味は。御天気頭には難し過ぎたらしい。
 至って平常に、念の言葉で話し出す。
(だから!俺もさ、念抜き慣れて来たしよ…実際俺のためでもあるし)
(え?…ルクス様、の?)
(その…嬢ちゃんの『念』ってさ。滅茶苦茶上等だからよ)

(…俺って、て言うか俺の『身体』ってさ、まあ吸血鬼みてェなモンだろ?)
(そんな!ルクス様は高潔至極の御方にあらせられましょうに!)
 ぱっと弱った身体で跳ね起きて。…演技も忘れて柳眉をきりきり逆立てるその様に、苦笑。
(いや、だからさ!俺のキモチと関係無く、俺の『身体』は結構…『燃費』も悪い訳さ)
(あ…)
 純なれど智恵深き雛菊、すとんと腑に落つ。
 ただでさえ、この美丈夫は常人ならば三度は常世に渡るよな、凄まじき傷を多数負っているのだ。

(あの…私の、余剰の『念』なぞでよろしいのでしょうか?)
(なぞって、あのなァ…嬢ちゃんの『念』はすげえ強いしタマゲる位に澄み切ってるぜ!もー、吸ってるハシからよ、俺の傷、バンバン塞がってる位でよ!)
(私…ルクス様のお役に…立てますでしょうか…?)
(だから!嬢ちゃんの御陰で俺すげェ助かってるって!な?な?)
 にいいと二つ名の通りに破顔。…釣られて星の瞳からも影消えて。

 深き地下の怪しき巣窟の中なれど。灯火優しの光を投げかけん…
 …少なくとも今この時は…


 寝台に崩れ落ちたまま、小さな唇から静かな寝息が漏れ聞こえて来る。毛布の上にふわり広がるみどりの黒髪…もう大分湯浴みも出来ずにいる筈が、こうして手で梳いて見ても指にべたべたまとわり付くよな不快感がまるで無い。
 羨ましい髪だ…と、一瞬でも思ってから。育ち盛りの筈がこれ程にさらさらした髪でいる事実に慄然とする。成長を止める封印は、幼い身体の隅々までを無体に縛ってしまっているのだ。
 もう一度…昂の少しやつれた寝顔に眼を落とす。

 サタヤを見なくなってからもう三日になる。食事は昂が何と言おうとルクスが毒味してから食していて、今の所は取り越し苦労で済んでいるが…情報は、今はさらに乏しい。
 ただ。嫌な予感だけは酷くする…

 昂が理路整然と述べた推理を整理する。確たる証拠は無いものの、やはりアルザンクが影で手を引くと見て相違は無かろう。だが…何故、それ程までにこの砂無翅に執着する?

(私、この街に火蛇が思わぬ精鋭を送り込んだ事も怖うございます…)
 今し方、まだ眠りに落ちる前の雛菊が震えながらつぶやいた。そう、アルザンクだけならまだしもが、『炎の邪法師』ウズガルのロギ、鉄火女スカサハの闘士団、それにあの蝙蝠の魔剣士ども…如何に交通の要衝とは言え、これではまるで鶏を割くに牛刀を用いるが如し…
 それとも、この街には何かあるのか?

 …思い当たる節が無いでも無い。

「あー食った食った!しっかし、ここはマジで何でもあるなあ…」
「そうですね、みずみずしい海の幸まで出ましたのには驚きましたわ…」
「そう言やあ、町で聞いたトコによると、砂漠をえらく素早く抜ける方法がなんかがあるらしいぜ?」
「まあ…何か、古代魔法の乗り物か何かでしょうか?」

 そうアルザンクも確かに、砂漠を一週間ばかりで越える方策を…報酬として示して来た。
(にしても畜生…あんまし期待はしてなかったが、やっぱりあの約束は反故にしやがる気でいるな…)
 ただ。少なくとも『方策』自体はあったのかも知れない。
 どちらにせよ、そんな手だてが良からぬ輩に渡るのはあまりにも…

「ま、いっか!」
 一人で鬱々考えた所で妙案浮かぶ筈も無く埒が開かない。
「そんな事より…」
 自分にもたれる様にして。すっかり眠りに落ちている雛菊を見やる


 腕。己の両腕。…いまだ、包帯がきつく巻かれたまま。
 昂が必死で替えの布を頼んだから、一度だけ巻き替えたが…それだけ。今では、むしろ異様な臭気を放っている。酷い膿がそのまま腐って布を茶色に汚く染めている。
 が。人外の身体の回復力は、驚くべきである。
 特に昂の念抜きを日常的に行う様になってから、新たな肉の再生は格段に早まっている。流石は東方は念術の発祥の地、神秘に包まれた最古の王国の末裔と言うべきか…あの昂の『念』はルクスに激しく効いている。今まではあの北辰の祭礼での死闘の傷すら時折痛んでいたのが、蝙蝠の団長にえぐられた臓腑も大分戻って来た。粗食とすら言えない様な、わずかで不味いあの食事のみでここまで回復するとは思えない。
(嬢ちゃんは…マジで、俺の助けになってるぜ…)

 だから。ルクスは全身に力を篭めた。

「くっ…」
 己の身の内の『念』を残る傷に集中させ…意識的に肉体の破損を治癒させる。身のあちこちから、白い治癒の靄(もや)が立ち上って行く。
 流石に今のルクスにはやや荷が勝ち過ぎる。一通りの治癒を済ませた頃には肩で激しく息をしていた。

 が。無茶が看板の性根である。

 そろそろと両腕を動かし、眠る雛菊の身を抱え。そのままむくりと起き上がる。やはり、若干の苦痛は免れないが…
「…っと」
 幾らかよろめきながらも、確かにすっくと。
「嬢ちゃん、マジで羽根みたいな軽さだモンなァ…」
 そっと、漸くぎりぎり動けるまでに回復した、己の身でもって。折れそうな小柄な身体を隣の寝台へと、運ぼうと…
 一歩、足を踏み出した所だった。


「な、何だ貴様…」
「おい!一体…」
 見張り達の怒号が中途で途切れて不快に鈍い殴打の音に打ち消される。
 …沈黙…
(な…)
 咄嗟に辺りに眼をやるが、『事』が起きたとしか思えぬ扉の向こうの他に道など無く。
 無駄、と知りながら…眠る昂を確と抱えて後退る。
 身構える…暇すら少しも無かった。

 扉が、実に乱暴に開かれる。


「よう…」
 にやにやと、巨漢。脂ぎった禿頭にもその下卑た面にも、無駄に大きな巨体にも。きっちり記憶に覚えがある。
「てめ…ゴリアテ!」
 あの、人の良かった酒場の親爺にまで。恐らくルクス達の荷物を、職業人の気概から文字通り死守しようとした亭主を…肋が折れる程にいたぶった、憎々しい糞野郎。眼殺する程に睨み付けてやる。
 …が。やはりその程度で動揺するタマでは無い。
「へえ?天下の傭兵殿に名まで覚えられるたァ、光栄だな」
 ぐへへと粗暴な本性に相応しく下品な笑いを立てながら。扉を振り向き軽く一礼。
(…!)
 ルクスも思わず総毛立つ。
 この、凶暴の塊のよな男に礼をさせる、今まさに室内に入らんとする者は…

「久しいですね…ルクス様」

 …涼しげな声が憎々しい、白銀の髪の青年が。まさに怒髪天突く勢いのルクスの眼光に、素知らぬ風で微笑する。
「お身体も、回復された様で何よりです…我らがために、名も高き戦士殿が命失うなど心苦しゅうございますから」
 嘯く口調も一部の隙無く慇懃無礼」
「アルザンク…」
 ぎりぎりと、音がする程歯噛みしながら…
 昂を支える腕に、力を篭めた。

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(C)獅子牙龍児
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