地下の焦燥 (2)


 何か、優しい調べが聞こえて来る。何の気無しに瞼を開いて…
「あれ…?」
 自分が眠っていた事に漸く気付く。
「御加減は、如何がでしょう?」
 優しい、奇麗な声。先程の調べと同じ…
「…嬢ちゃん!!」
 昂が、愛らしい笑みを湛えて覗き込んでいる。


「…ねえ、昂ちゃん、ちょっといい?」
「ああ、いいぜ」
「…え?えええ!?」
 慌てて扉を開いて飛び込んで来た、山吹の娘が眼を丸くする。
「傭兵さん!?ちょっとちょっと、気が付いたの!?」
「…ああ」
 床のルクスと…傍らの昂が微笑んだ。

「もう…一体何時から眼が覚めたのよう!」
「何時からって、つい…今し方」
「お知らせする間も無く、サタヤ様がいらして…」
「あ!勿論ね、昂ちゃんは全然悪くない!」
「何だお前、俺は悪いってのかよ」
「悪いわよう!もう!…心配、したんだから、ね!!」
 山吹の娘が喋る度、黄色い髪がぴょこぴょこ跳ねる。その眼に涙まで浮かぶのを見て…流石に苦笑。
「ま、取り合えず悪かったな」
「取り合えずって何よ!」
「あの…サタヤ様」
 激したまま、止まる様子の無い踊り子に。常に守護者の味方である、昂がそっと口挟む。ところが。
「昂ちゃん!」
「え…」
「昂ちゃんも!病み上がりなんだから!」
「あ…でも、もうさほど…」
「駄目駄目!傭兵さん、昂ちゃんたらねえ…眼が覚めるなり、傭兵さんに付きっきりなのよ!」
「ええ!?嬢ちゃん、まさかずっと起きてたのかい?」
「え…いえ、そんな、ずっとと言う訳では…」
「ずっと!ずう〜っと!…とにかく!二人とも!ちゃんと寝る!」
「お、おい…」
 黄色の台風の大剣幕…


 ひとしきりの説教の後、サタヤが抱えていた包みを差し出した。
「これは…?」
「昂ちゃんの、ホントの服よ」
「ええ!?おい、何でソレが急に…!?」
 あのどさくさで。宿に置いていた荷物は…全て奪われていた筈なのに?
「傭兵さんの、無茶のお手柄よ」
「へ?」
 山吹色の衣の娘。そう言って悪戯っぽく笑ってから…
 声を潜めて話し出した。

「あの時…あんな怪我だったのに、皆を連れて帰ってくれたでしょ?」
「ああ…けど、助けられなかった…」
 短い間とは言え、確かに仲間だった。腕も良ければ度胸もあり、話せば判る気持ちの良い連中で…
 全員、眼の前で失った。
「違うの!あの…大火傷の一人はね、まだ息もあったのよ」
「ほ、本当か!?じゃあ…」
「その…あの後、幾らも持たなかったけど」
「…そうか…畜生…」
「でもね、」
 真顔のサタヤ。
「ちっとも無駄じゃなかったのよ?」

「随分、色々喋ってくれたのよ」
 相当に小声。…だが、話の流れにルクスの警戒が増す。
「サタヤ!見張りだっているんだ、そんな…」
「平気よ」
「って、お前!」
「あいつね…火傷の奴ね。腕が良いだけじゃなく凄く仲間思いだったから…傭兵さんが、あんなになってまで連れて帰って来てくれたの、皆感謝してる」

「今…全部は話せないけど…」
 コツコツコツ、急に忙しなく扉が叩かれる。
「サタヤ!今日はその辺にしといた方がいい!誰か来るぞ!」
「え!…わ、判ったわ!」
「サタヤ…?」
 山吹の娘は一転、厳しい顔で。着替えの包みを部屋の隅へ隠すように仕舞う。
「今は、まだ着替え無い方が良いと思う!」
「ど、どうしたんだ…?」
「ここもね、ちょっと…揉めてるのよ」
「ここ…ギルドがか?」
「おかしいのよ、絶対!でも傭兵さんの御陰で…」
「俺の?」
 ドンドンドン!
「サタヤ!急げ!」
 前より切迫した声。
「また、また今度話すから!何とかして上げるから、ちゃんと寝ててね!」
 最後にきっちり釘を刺して。踊り子の娘は足早に駆け去って行った。

(揉めている?…この、盗賊ギルドが?)



 複数の足音が通り過ぎたり、話し声が聞こえたり…サタヤの去った後、それなりの喧騒が続いたが。それでも地下の日常を超えるものでは無く。じきに…拍子抜けする様な、平穏な静寂が戻って来た。
(何なんだ、一体?)
 幾らか焦りもあるが…
 身体は、やはり重い。

 口の方がさほど問題無く回る。喋るだけなら支障は無いが…変わらず、身を起こすのも一人では無理。何とか動かせる腕を見ると、以前と違って丁寧に手当がなされている。多分、あの後は流石に暴れる事も無かったと見える。それでもやはり人外の身、包帯の下の皮膚は存外かなり回復してはいる…臓腑の火傷までは如何ともし難いが。
 ぱさり。布の動く音がして。何気無くそちらを向くと…
「じょ、嬢ちゃん!?」
 …あれ程休めと念を押された、病み上がりの昂が半身を起こして微笑んでいる。

「こら!嬢ちゃんはきちんと休んで…って、イテテテテテテ!!」
「ルクス様こそ…どうか、お楽になさって…」
 こちらへと、床を抜け出し近付く昂を止めようと思わず立ち上がり…火傷の名残りに悶絶する。やはり、外より見えぬ傷は幾らも癒えていない。
「ルクス様、あれからさらに二日近く昏睡でいらしたのですよ…どうか、御無理はなさらずに」
「けど!嬢ちゃんこそ!」
「私はもう、ルクス様の御陰で…」
 そう、穏やかに語る昂の表情が…奇妙にかたい。
「お嫌でなければ…暫しお傍に侍るをお許し下さいませ」
 心細さの隠し切れぬ声ながら…昂の瞳には緊張が走っている。

(私の知る限りの事を、「お話し」致します)
 念での、言葉…
(どうか…お手を…)
 ルクスは無言で頷き。素直に包帯だらけの腕を差し出した。


 昂の小さな手が、ルクスの布に覆われぬ部分にそっと触れる。念での会話には何の媒体も無用だが、じかに触れればそれだけ負担も少なく言葉を交せる。念術を修めた者には周知の知識だが…
 外を慮ってか、小さな行動にも不審を抱かれぬ様に偽装の言葉を口にする。その歳に似合わぬ配慮に内心舌を巻く。
(ルクス様…どうか、私が何を申しても…)
(ああ、驚いたり叫んだりなんかしないさ!)
(では…単刀直入に申します。先日の襲撃、ギルドの方の人選も含め…全て罠にございました)
「なっ!!」
 …言う傍から、声を挙げてしまう…

「ああルクス様!私、爪が…お傷に触りまして?」
 案ずる台詞とともに、真実爪でもうかつに立てたかの様に…ルクスの腕をそっと摩る。その細心ぶりに…この小柄な身が、一体どれ程の修羅を潜って来たのかを、改めて思い知る。常に演技を心掛けねば命も危うい…こんな、純粋な心の持ち主だと言うのに…
 同時に、もう一つ不安が心によぎる。
(悪い…けど、今は見張りの奴等しかいないだろ?あいつらもヤバいのかい?)
(いえ…むしろ、あの方々は今は味方にございます)
(今、は?)
(ええ…ただ、これからもそうとは限りませぬ)
(嬢ちゃん…一体、どう言う事だい?)
 昂の瞳が…より厳しいものとなる。


(襲撃に参られた御三方と、今見張りに立たれている方々とは親しい間柄で…むしろ、同じ派閥と言うべき次第)
(派閥…?)
(ルクス様の御記憶にもございましょう、祭礼の晩…婚約者の方とともに暗殺された…)
(ああ!…ギルドの若頭の…手のモンだったのか)
(ルクス様。もし…あの御三方が戻られず、しかもそれをルクス様の裏切りとされたら…)
(おい!俺はそんな…)
(仮定でございますの!もしその様な妄言が、あの見張りの方々に…御三方とも特に親しい方々にもたらされたら?)
(…!まさか…そんな噂が…)
(流れて…いえ、故意に流されてございました)

(私もその折には…気を失っておりましたから。定かではございません…)
 …昂の語りも緊迫の度合を深めている。その、さらに身を固くした様子に…ルクスも改めて思い知る。
 もし、自分を陥れる謀り事が成されれば…まず害されるのは、この可憐な雛菊だったのだ。
(ただ、こちらに伝書の鳥が参りまして。そこにルクス様が御三方を見捨てて火蛇に下ったとの虚言が記されていたと…)
(皆、信じちまったって訳か!)
 だとしたら…この、無防備だった昂は…
(サタヤ様が、必死で私を護って下さったのです…)
 ルクスの不安を打ち消す様に、微笑みながら。だが…
(あいつら…それを、嬢ちゃんに言ったのか?)
 初めに目覚めた時には。そんな事態を微塵も感じさせなかった…それが却って恐ろしい。
(いえ…)
 優しい顔立ちがたちまち曇る。
(あまりに無作法にございますが…私、ルクス様に「念抜き」して戴いて間もなく目覚めましたのに…)
(ああ、狸寝入りか)
(…ええ…)
 苦しそうな様子。…そんな些細な事にも罪の意識を感じてしまうのに…
 運命は昂にそれを強いるのだ。

(皆様方のお話から察するに、その虚言の知らせに見張りの方々はたちまち激高されたとの由)
(だろうな…)
 元々ギルドの人間同士の繋がりは、血縁以上に強いものだ。殊に、裏切りに盗賊ギルドは甘く無い。
(それが、投降された筈のルクス様の御帰還で…)
(けど…あいつ、とても話が出来る状態じゃ…)
(言葉は口で交すばかりにはございませんわ。…こちらの方々、仕草でも随分な事を語られますし)
(ああ…)
 「仕事」の折、声を出しては感づかれるからと。盗賊達が複雑な身振りで語り合っていた事を…幾分懐かしく、そして辛く思い出す。
(あの方、火傷を負った後も意識は残っておられた様で…戦力が、特に魔剣士が情報より多かった事も話されて)
 そうだ。あの時…ルクスも盗賊達も。まさか魔剣士が三人もいるなど、予想も付かなかった。
(加えまして、あの知らせが無根である事も…)
(へっ!つまり御丁寧な策が、俺の無実を証明したってワケか!)
 …恐らく。罠を張った何者かは、まさかルクスが生還するとは…その上生き証人を連れて帰るとは思ってもいなかったのだろう。
 皮肉にも。厳重に張られ過ぎた罠の一つが。…ギルドの内部にこそ、裏切り者が存在するとの動かぬ証拠となったのである。

(けれど、もう一つ)
(ん?まだ、気になる事があるのかい?)
(サタヤ様も…見張りの方々、御自身も。例の偽の知らせが来た後の、方々の激高ぶりが驚く程であったと、不思議がっておいででした)
(そんな…酷かったの、かい?)
(ええ…でも御安心なさいませ。私は眠っておりましたから…)
(………)
 だから、ルクスとしては心配なのだが。
(普段はあの通りに、とても良い方々でしょう?それが…やられた分をやり返すと、手に手に斧やら剣やらを持ってこちらへと…)
(お、おい!!)
 思わず身を起こしかけたルクスを、優しくたおやかな笑みがそっと制する。
(むしろ、私が倒れていた事も幸いにございました。皆様、害そうとした相手が既に倒れているのを見て、却って毒気が抜かれたとか…)
 あまりさらりと言われて。…聞いている方が冷や汗だ。

(それでも、あまりに不自然ではございませんか?)
(へ?)
(皆様の、あまりな激し方…)
(けど…まあ、本気でそう思ったならさ。確かにあいつら、仲間意識も裏切り嫌いもハンパじゃねーし…)
(それでも…事実はどうあれ、私の事は幼い娘と思っておいでですのに…)
(うー、まあ確かに、「らしく」はねーよなァ…)
(…何か、思い出されませんの?)
(何って…)
(いつぞやの…祭礼の折の、不意に飛び出されたルクス様)
 瞬時、意味が判らなかったが。…記憶を辿って愕然とする。
(あの時、俺一服盛られて、それで!)
 冷静さを完全に失い…大切な雛菊を捨てて、無謀にも飛び出した!
(見張りの方々も、恐らくは…)
 昂の、星の様な瞳に常に無い険しさが混じる。

 薬。精神を操る、極めて扱い困難な…しかも稀少の薬物。そんな品を自在に出来る者は…
(まさか…アルザンクが!)
 ゆっくりと、黒髪の頭が静かに肯う。
(間違いございません。あの者…火蛇ばかりでなくルクス様をも消し去ろうと謀っておりました…)


(けど…いや…しかしよ、)
 このギルドきっての策士。アサシンどもを束ねる、冷酷非情の男…一番怪しいと言えば確かにそうだが。
(よろしいですか?初めに申しました通り、見張りの方々とルクス様と戦われた方々は親しき知己)
(ああ…)
(その…人選を成したのも、かの白銀の者)
(な…)
 考えて見れば当然かもしれない。…今回の一連の襲撃、ほとんど全てアルザンクの指揮によるものだった。
 そこで、はたと気付く。
(確かに戦ってのは…奴向きの仕事だろうけどよ、何でまた全部にしゃしゃり出てるんだ?)
 ここ、砂無翅の街の盗賊ギルドはかなりの規模である。幹部は他にも幾らでもいる…第一。
(そうだ…俺と一緒だった奴等、アサシンじゃねえじゃないか!)
 いざとなれば戦も出来るつわものだが。暗殺を専らとする者では無く…
 本来、アルザンクの下で働く人間では無い。

 昂が、緊迫を隠し切れぬ顔で頷く。
(疑い抱くは私ばかりではございませぬ…皆様、このギルドが知らぬ間に牛耳られている事に、薄々…)
(畜生!…アルザンクめ…)

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(C)獅子牙龍児
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