一章 遭遇 (3)


「大丈夫か?」
 酷く案じるような声に眼を開ければ、かの龍、金剛が再び人の姿でいるのが見えた。
「あれ…?僕は…?」
 身体を動かそうとして、男に抱えられている事に気付く。状況を思い出せずにいる内に、金剛はほっと息をつき昂を降ろしてくれた。
「驚かせてすまなかった。あまりに久しぶりで、自分でも鱗気が止められず…な」
「鱗…気?」
「ああ、龍の一族の発する気の事だ。人の姿では満足にならぬ…」
 朗らかに語り続ける金剛の言葉に我に帰る。
「龍…龍神様!」
 昂の顔色が瞬時に青に変じる。その上、急に跳ね起きていきなり深く土下座した。
「お、おい、昂!?」
 今度は金剛が驚く番だった。

「どうしたんだ、一体…」
「申し訳ありません、龍神様!」
「話を…」
「無礼を申し上げて済みませんでした!何でもします!何でもしますから、どうか…」
 昂は全く必死である。
「どうか僕の町に天罰を加えないで下さい!」

 昂は、地に額を擦りつけ、必死に嘆願する。謝って済むとも思えぬし、このような態度の豹変は却って嫌がられるかも知れず…そう思いながらも、とにかく彼は真剣である。
 だが次の瞬間、自分の耳を疑った。実に楽しげな笑い声が降って来たのである。
「これはこれは…龍の一族数多(あまた)いれどもこれほど奇妙に遇したは他におるまい!」
 恐る恐る顔を上げると、金剛は腹を抱えんばかりに笑っていた。ひとしきり笑い転げた所で、昂が蒼ざめた色のまま、呆然としているのに気付き笑みを柔らかに。
「お前の耳は飾りかな?わたしはお前こそ王たる者だと言ったはずだぞ?」
 優しくそして幾分からかう調子で声を掛けられるが昂の硬直ほぐれず。
「龍神様はどうして御冗談を…僕は龍神様の下僕(しもべ)にこそなれ、あなた様を従える事などできません…」
「下僕(しもべ)だと?」
 金剛にとってはあまりな言葉に瞬時首を傾げるが、昂の真実震えているのに気付き真顔に戻る。

 昂の震えは純たる畏怖の念。何の神仏も儀礼以上には信じぬ昂だが、生まれつき龍神に対する畏敬だけは酷く強かったのである。
 物語における龍の役割は大概悪役で、英雄だの勇者だのは龍殺しである事を誇りさえする。東洋では必ずしも悪一辺倒ではないにせよ、蛇と並んで残虐で強欲で好色な一面を持つともされるのだ。禁忌を犯し天罰として龍に変化したと言う伝承すらある。昂にはそれがどうしても許せない。
 九分通り人並みに今様な少年が、こと龍が絡むとなると今まさに龍を倒さんとする主人公を泣いて糾弾しだすのは周りにとっても奇異で可笑しい事だった。何故と聞かれても少年本人すら不明、物心ついた時分からの気質ゆえ治しようが無い。
 その昂の前に、畏れていた龍の化身。突如平身低頭したのも無理からぬ。

「昂」
 びくり、少年の肩が震える。その様あまりに痛々しく、金剛の眉根も寄せられる。
「龍は確かに偉大な獣。だが、お前にはその主人としての資格があるのだぞ」
「…龍神様は…僕を…からかっておいでですか…」
 か細い応え。少年の震えいまだ止まず。ここに来て、金剛の困惑と憐憫は怒りに変じた。
「いい加減にしろ!」
「は…!」
 いきなり両肩を乱暴に掴まれ息を飲む。
「お前はわたしの真名を正しく唱えたではないか!」
「あ…あれは…」
 予め知っていた訳ではなく、ただ金剛の発する不思議の霊気、恐らく鱗気と言うものに触発され浮かんだ言葉に過ぎない。その力強さが、七宝の一つにも数えられる堅牢なる物質を連想させただけだ。
「偶然です…ふと、頭に浮かんだのです…」
 よろよろと応える昂に、なかば噛みつくよくに畳み掛ける。
「それがまさしく証拠だ!お前の身近に金剛などという大それた名を名乗る者がいるのか!」
「あ…!」
 確かに、昂の人名知識の何処にもその様な名は無く。
「第一、並のが口にした所でわたしの封印が解ける筈も無い!」
「封印?」
「ああ、わたしはかつて過ちを犯した。若気の至りでな…龍族の王を見い出し、即位さすまで二度と鱗の衣を纏えぬよう追い込まれたのだ」
「そんな…」
「なに、呆れる程の大罪ゆえ仕方の無い事だ。何せわたしは…自ら王になろうとしたからな」
「え!…あなたでもなれない程なんですか…」
 また少年の顔の曇るのをみて、偉丈夫が盛大なため息をつく。
「やれやれ…これはどんな魔物より厄介だ…」
 頭痛がするかのように顔をしかめた後、金剛は顔に掛る髪を掻き上げた。…鬱蒼と伸びた濃い色の前髪が男の労苦を偲ばせる。
「ここを見ろ。何が見える?」
「?…うろこ、ですか?」
 一瞬花びらにも見えたが、何故か一枚の鱗だと確信があった。人の眼ほどの大きさの尖端を下に向けた痣のようなものは、男の額の中心に陣取っていた。
「そうだ。この鱗に触れてみろ」
「え、え?」
 戸惑う少年の手を無理に引き寄せ強引に触れさせる。
 すると。
 鱗は霊妙な光を発し始め、みるみる濃さと鮮明さを増して遂には刻まれた年輪に触れられるほどに浮き上がってきたのだ。
 驚いて手を退けると、また潮が引くようにすうと沈み曖昧な像と戻る。
「今のは…?」
「王の直臣たる七龍の証、誓約の鱗だ。…資格の無い者、王の血筋ならざる者が触れれば即座に死ぬぞ」
「え!」
 慌てて手の無事を確かめてしまう。
「だがお前は何事もなく、また鱗も主たるお前を認めて浮き出て来た。…まだ、足りぬと言うのか?」
 昂にはいまだ信じられぬ。それでも指には鱗の感触はっきり残る上、鱗から何か言葉を掛けられた心地すらするのだ。無論、いわゆる人間の言葉とは異なるが。
 何とも返答しかねる様子の昂に金剛も表情を和らげ、優しく頭を撫でてやりながら語り掛ける。
「戸惑うのも無理はない。お前の祖先が偉大なる始祖の龍とは言え、お前の一族は長く短命なる人間に混じり暮らしきたのだからな」
「御先祖様が、龍!?」
「そうだ。だが偉大なる開闢の龍王は魔族の襲撃によって果てたのだ。天空に座す数多の神々の助力でその血脈こそ絶えなかったが、何者かの陰謀によって龍の故郷を遠く離れ人界に…」
「クシュン!」
 少年の、盛大なくしゃみが腰を折る。
「あ!ご免なさい!」
「いや…」
 金剛が辺りを見れば、既に日は落ちていた。
「何時の間にか冷えていたな。気付かず、済まなかった」
 なおざりにされていた外套を少年に丁寧に着せてやる。
「長い話になる。夕餉でも取りながらにしよう」
 にっと笑ったその顔は、どこか無頼で好ましい。

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(C)獅子牙龍児
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