一章 遭遇 (4)


 既に闇の帳が掛かり始めている。手早く焚火の準備を進める男を所在なげに見ていると、気付いた金剛が昂にもできる簡易な仕事を手短に指示してくれた。火の起こし方のこつなど、野外の知恵も教えてくれる。
 自分が王の血筋だと言う事。本能的には幾分受容できたものの、今話題が逸れているのはほっとする。金剛も知ってか知らずか、湯が湧きスープらしき物ができ上がるまで本題に戻らなかった。
「そら、熱いぞ」
「うん…じゃない、はい!」
 汁をよそった器を握り締めて思わず姿勢を正す様子に、金剛が苦笑する。
「わたしが無礼な分をお前が補う事もないぞ?」
「無礼なんて…」
「最初はなかなか威勢が良かったがな」
 少年は思わず首をすくめる。
「確かに、今のお前が王に相応しいとは思わん」
 断言されますます縮まる。そんな様子を和らげる様に、男の武骨な手が少年の肩を優しく叩く。
「だが、自分で王になるのが当然と思い上がる者よりずっと良いとも思うがな」
「でも、あの…金剛さん、」
「『さん』は余計だ」
「じゃあ…金剛…様」
「怒るぞ」
 わざと眉をぎりと上げて鬼の如き面相で。
「ただ金剛とだけ呼べ。わたしもお前を呼び捨てにしている」
「は、はい、金剛…」
 やはり慣れないらしく、語尾が震える。それを無視して応える。
「何だ?」
「あの、僕の血筋…僕がその龍王様の子孫だとしても、親戚に僕より相応しい人がきっといると思うのですが」
「…わたしの話を聞かなかったのか?」
 幾分険の入った語調につい怯えてしまう。
「わたしは既に永きに渡り、人界に呼びかけて来たのだ。だが召喚に応じたのはお前独りと、言った筈だ」
「でも…でも、僕あの町には十年も住んでいないんです。生まれたのは別の場所で…」
「それは全く問題無い」
 即答。
「わたしとて、何もあの湖のみを見張っていたのではない。何せ、一体人界の何処に王たるべき者がいるのか見当も付かなかったからな。探索に何百年も無駄に費やし疲れ果てた頃、漸くお前の姿が見えたのだ」
「見えた?」
「朧に、だがな。半ば自棄になりながら呼びかけたところ、幼いお前があの湖の前にたたずむが見えた」
「…どんな風に見えました?」
「そうだな、歳は五つか六つ…服は水色で、下に何か黄味がかった丈の短い物を着ていたな。後は何やら身体に似合わぬ大きな帳面のような物を抱え…おい、どうした?」
 昂の両眼が見開かれていた。
「僕の…引っ越して来た頃…初めてあの湖に行った時の格好、です…」
 引っ越しは五歳の頃、初めて山に登ったときは水色のパーカーに明るい駱駝色の膝丈のボトムで、当時絵を描くのが大好きだった彼は愛用のスケッチブックを抱えていた。お気に入りの格好だったが、小学校の初めての遠足で羽目を外して田んぼに落ちて処分してしまってからは思い出すことも殆どなくなってしまった代物である。
「ほう…」
 満足げに頷く。
「あの湖は人界にありながら外なる界に開いた希有の地だ。お前があの地に移ったは偶然だろうが、お陰で初めて、遥か離れた地にあったわたしにもお前が見えたのだ」
「そうなんですか…」
「ああ。…ん?まだ一口も飲んでいないのか?もう頃合だろう、腹に入れておけ」
「は、はい!」
「生憎、わたしは長話も嫌いではないのだ。素直に聞いていると、食事など冷め切ってしまうぞ?」
 また、豪快の笑み。


 龍は最強の幻獣である。いや、だった、と言うべきか。
 かつての始祖の龍王は絶大な力を持ち、また多くの生物の生みの親でもあった。その鱗に息を吹き込み、数々の強力な龍を生じさせ、またその鱗気からも蛇をはじめとする多種の鱗持つ者が誕生した。龍王の座所は龍界と呼ばれ、鱗の眷族達の楽園となった。また龍達は邪悪なる魔族との戦においても尖兵となり勇名を馳せたが、これを深く恨んだ魔族達は巧妙なる策を弄し龍界の住人を籠絡し、心変わりし邪(よこしま)な毒龍へと変じさせ、遂に反乱を起こさせたのだ。奮戦空しく王は無残な最期を遂げ、堅い結界に護られた龍界も多くの邪悪の使徒に蹂躙され、抗する術を持たぬ眷族達は泣く泣く新天地へと散って行った。
 辛くも逃げ延びたその子孫達は、神々の保護下に再起を誓い、その祈り通じてか王の再来とも言うべき凄まじき鱗気を持つ赤子が産まれたものの、何者かにさらわれ行方知れずに。
 絶望のまま過ぎた数千年の後、事の真相が明らかとなる。龍王の力を恐れた何者かが、おそらくは魔族が、その力を恒久に封じんと赤子を人界へと連れ去ったのである。
 人界とは、神々の住まう天界と魔族の跋扈する魔界との中間に位置する世界である。常に天界侵略の野望を抱く魔界に対する障壁として古代の神々が設けた特別の世界、人間の他は天にも魔にも属さぬ獣がいるばかりの世界で、ここではいかな存在たれどもその真の力を発揮する事は不可能となる。神々の叡智の結実たるこの世界、不可思議の曖昧模糊の気に満ち溢れ、聖邪を問わず霊妙の気を曇らす力があり、異界の者がうかつに迷い込めばたちまち住民同様のつまらぬ存在に化してしまう。この人界が楯で一時に大量の魔族の襲撃を受けることは減じたのだが、この絶妙の機構が皮肉にも悪用されてしまったのだ。
 いかな龍王とて、汚濁の気の洗礼受ければたちまち尋常の人間へと堕し果てる。だが稀に不快な模糊の気を浴びてなお、鋭い霊気を育む者もいる。人界で代を重ね、例えその身は脆い人の身となろうとも、いつかは真の鱗気を纏う者が現われるやもしれぬ。
 事実龍達には一つの希望があった。それは予言、何時の日か人界に王が復活するという…

   中つ世は澱みの内 いにしえの剣に選ばれし者あり
   そは王 秘めるは無限の力 鱗族悉く従えん
   上つ世は龍の内 不滅の印持つ七龍あり
   七龍 王の下に集いし時 闇破れて暁(あかつき)ぞきたる

 金剛の額の鱗こそ、七龍の証、予言の中で語られる不滅の印なのだという。

「見ろ、このように人形(ひとがた)を取ってもこの形は変わらんのだ」
「それで、不滅の印…」
「そうだ。七龍が現われるのは王の再来の予兆…その七龍たるわたしの召喚に応え印もまたお前を認めたのだぞ?」
「…でも、『いにしえの剣』って…」
「おっと!これはしたり、わたしとした事が!」
 本当に忘れていたらしく、苦笑しながら頭を叩く。
「いやなに、わたしにとっては人生の汚点ゆえ、無意識に忘れようとしてしまうのだ」
 そこで、真顔に戻る。
「剣なら、ここから程近い所にあるぞ」
「本当!?すごい!…じゃなくて、ええと、本当ですか?」
「……お前がその無駄な言い回しを止めるなら連れて行ってやるぞ」
「あ…ご免なさい、でも何だか…」
「分かった分かった、全く殴ってやりたいぞ、一体誰が龍崇拝を選りによってお前に教え込んだのだ?」
「え…誰も…」
「誰も、だと?」
「はい…すごく小さい時から、本を読んでいるときでも龍神様の姿だけははっきり浮かんで来るんです。夢にも見て…とても立派な、稲光を放ちながら空を飛ぶ、金色の…」
「雷を放つ金色の龍だと?」
「はい…金剛さ…じゃない、貴方にそっくりでした」
「…その夢を初めて見たのは何時だ?」
「ええと…確か、五つ位…」
 あの町に、越して来て直ぐだったけ、と思った所で、金剛が酷く難しい顔をしている事に気付く。
「あの…?」
 ちょっと待て、という風に合図すると、金剛は大きな装備の中を探る。地味な薄汚れた皮袋から、闇夜にも明るい金色の小さな水筒らしき物が出て来た。ついで、やんわりと虹色の輝きを放つ、小さな器。
 注がれた液体は全く無色の透明だったが、同時に不思議に美味にも見えた。手渡された途端、飲みたいという欲求が膨れ上り、進められる前に一気に飲み干してしまう。
「おいしい…」
 喉が乾いていたのだろうか。別段、味も何も無いのだが身体の隅々まで染み通るような旨さがある。
「あの…」
 図々しいと思いながら器を恐る恐る差し出すと、「おかわり」と言うより早くなみなみと注がれてしまった。
「ふう…」
 幸福感で胸が一杯になり、名水の余韻に浸っているとまた注がれそうになる。
「あの、もう充分…」
「これは薬だ」
「薬?」
「だから飲め」
 眉間に皺を寄せ威圧的な気配すら漂わせて強引に注ぐ。無論、こんな美味な薬なら異論はないが。…杯を重ねる内、『薬』が効いてきたのか、身体に妙なほど気力が満ちてくる。だが、量が過ぎたのか、はちきれそうな心地がしてきた。何時間も走った後のさながら血の巡りが忙しくなり、脈も速く強くなり鼓膜を震わして血管から溢れそうな錯覚すら覚えるが、必ずしも不快ではなく強いて言えば酒で出来上がったような…実は飲酒の経験がないので断言できぬが。
「あの、もう本当に…酔ったような気が…」
 ずいと、偉丈夫の身体が寄る。昂を覗き込んできたその顔が、今はむしろ案ずる様子に変わっている。
「そうか…」
 『水筒』と器を受け取った男は、疲れたように深く息をつく。
「あの…」
 昂が心配になって声をかけると、豪傑らしからぬ弱々しい笑顔を返された。
「いや、お前のせいではない…順を追って話そう」
 昂も緊張して座り直す。

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(C)獅子牙龍児
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