一章 遭遇 (5)


「わたしがかつて、自ら龍王となろうとした事はもう話したな」
「はい…」
「数百年の昔、あの頃はわたしもまだ若く、奢り高ぶっていた。実在するかどうかも分からぬような、それも弱い人間の肉体を持つ者が霊獣の頂点たるべき龍の王など笑止…こら、そんな顔するな」
 容赦の無い台詞に蒼ざめる少年に笑いかける。
「無論、今は違うぞ。昔のわたしが愚かであっただけだ。…悪い事に、わたしには七龍の鱗があったからな」
「え…?七龍は特別の龍神様なんでしょう?」
「その『龍神様』と呼ぶのはいい加減よせ。…まあいい、確かに七龍は龍族でも特に優れたる者しかなれぬ役目であるのは確かだ。が、増長した若僧には害にこそなれ薬にはならぬ、余計な称号は王になるという野望をいやますだけだった」
「…」
「そこでわたしは考えた、王を真に王たらしめる物はなにか、と。あの、龍王の再来を詩った予言を見るに、王は古の剣にて承認されるという。ならば剣を探せば良い…今思えば狂気としか言いようがないが、当時は真剣に剣に認められると思っていたのだ」
「僕…僕も金剛さんなら王様に相応しいと思います!」
 うっかりまた敬称をつけながら、昂も真面目な顔で意見を述べる。が、実際の結果を知る金剛としては苦笑するしかない。
「煽てても何も出んぞ。…いや、お前が本気で言っているのは分かるが、実際わたしには資格がなかったのだ。苦心して探し当てた剣は、それはそれは手酷くわたしを拒否、いや拒絶した」
「!…」
「七龍は龍族の精鋭だが、王にだけはなれぬのだ。剣はそれを思い知らすがため、わたしに強い呪いをかけ、わたしの七龍としての真名を奪ったのだ。それゆえわたしは龍身に戻るは無論の事、数々の神通力を失い、並の人間と同様に成り果て、龍界に戻る事も叶わず、ここ…むしろ人界にほど近い蛇蝎界に封じられてしまったのだ」
「そんな…」
「もはや正統の王を探す他なくなったわたしは、必死で王を、つまりはお前を探したのだが…」
 言い淀むと苦渋の表情になる。
「自分では捨てたと思っていた野望がくすぶっていたのだ。やっと見い出したお前に呼びかける時、わたしは半ば無意識の内に使役の法を使っていたようだ」
「シエキのホウ?」
「相手の真名を用いて拘束する術の事だ。わたしは封じられたとは言えやはり七龍、それなりの魔力はあるからな。その上、元来われら龍の鱗気には同族を屈服さしめる力が備わっている。まだ覚醒も果たさぬ上に幼いお前に抗しきれるものではない」
「でも…」
 話は幾らか理解できたが、それでも昂は反論する。
「でも、屈服なんてそんな!…僕、あの時怖いとは思いませんでした。ただ、すごく奇麗で神聖で、厳かな気がしたんです…」
「それも、残念ながらわたしが強いた事だ。あの時、お前の召喚のために呼びかけながらわたしは自らの利益に思いを馳せていた。お前が王となり、我が封印を解けばまた天駆ける事が出来ると…お前が繰り返し見た夢はわたしのつまらぬ夢想だ、神聖でも厳かでもない」
「でも…」
「本当の事だ。わたしが呼びかけに軽率に込めた魔力鱗力と、見栄坊な自画像に騙されているだけだ」
「そんな、騙されてなんか…!」
「昂」
 低いが鋭い声で呼ばれ、少年は殆ど物理的な衝撃すら覚えて縮こまる。その様子に男はまた苦しげな顔になる。
「そら、わたしに名を呼ばれただけでお前は力を失う。危険な兆候だ」
 再び例の器に液体を注ぎ、無理やり少年の手に押し込む。
「最後にもう一杯だけ飲んでおけ」
 仕方無しに飲むと、今度こそ頭がぐらぐらして座っているのも辛い。そこへ男は手早く床の用意をし、少年をそっと寝かせてやった。
「慣れない内は人間としての身体が効力に負けるのだ。今夜はもう遅い。休んだ方が良い」
「はい…でも、その『薬』、一体何なんですか?」
「これは始祖龍が岩山を砕いた時に裂け目より生じた湧水だ。強力な鱗気に満ち溢れた唯一の清水で、ただの蛇でも繰り返し飲めば龍と化す」
「そんな貴重な物を…!」
 軽々しく二杯目を所望した自分に赤面する。
「いや、これは本来龍王にのみ供す物だ。それを七龍の一として手に入れ、傲岸にも毎日のように飲んでいたわたしの方にこそ罪がある」
 また、苦笑。
「龍族を快く思わぬ者達はこの清水を『増長の水』と罵るが、耳の痛い言葉だな…」
 ふと見れば、少年はともすれば落ちようとする瞼を必死に開けている。睡魔に負けまいと必死に握り締めた拳をそっと解いてやり、毛布を目深に掛け直してやった。
「また明日から忙しくなる。お休み…」
 髪をゆっくり撫でられる感触を心地よく感じながら、少年は優しい眠りに落ちて行った。



 寝返りを打ったようだ。と、何か勝手が違う。妙にふかふかして、それに。
(草の香がする…)
 今日はキャンプの日だったかな?と思った所で急速に眼が冴えた。
「あ…!」
 眼の前に、見事な髭を蓄えた偉丈夫。
「眼が覚めたか…」
 安堵のつぶやきが聞こえた。そっと前髪をいたわるように撫でる大きな手の感触も、昂が確かに現実の世界にいる事を告げている。
 何気なく辺りの様子を窺おうと仰向けになった途端、鋭い陽光が眼を射す。その意味する事実に気付いてたちまち血の気がすうと引く。
「あ!」
 飛び起きようとして強烈な目眩に地面に激突しかけるを、すかさず伸ばされた強い腕が抱きとめる。
「まだ、横になっていた方が良いぞ」
「でも…もう昼近い時間…」
「お前の回復が優先だ」
 些かきつい調子で諌められて首をすくめる。昂が観念した様子にまた寝かせてやり、辺りを厳しい顔で見渡す。
「昨日は随分無理をさせてしまったからな、周りの草をよく見ろ」
 言われて頭(こうべ)を巡らすと、自分達の周りだけ、丈が異常に高い。色も濃くみずみずしく、他の場所の草がまばらで埃っぽい地面が所々顔を覗かせているのと際だった対比をなしている。
「ど、どうして…」
「この辺りだけお前の鱗気を浴びたからだ。わたしの真名を唱えさせる時、わたしもお前の真名を口にしてしまった。確かに封印解呪のため、お前から鱗気を引き出そうとしたのが、既にわたしの影響下にあったお前には強制が効きすぎたようだな」
 半信半疑で手元の草に触れる。引き抜こうにも千切ろうにも、生命力に満ちたその植物は本調子ではない少年の手に余る。これが、自分のせいだとは。
「昨日も話したが、鱗気は本来支配の力だ。だが龍王の鱗気のみはむしろ慈しみ与える力だという」
 この草はお前が龍王である証明だ、と付け加えてから。
「もっとも無闇に用いれば人間としての身体が持たぬのも事実。今回は全くわたしの不手際だが、今後もうかつに使わぬよう心しておいた方が良いぞ」
 そう言われても昂としては自覚が無いのでおざなりに頷くしかない。
「さて、そろそろ昼餉にするか」
 まだ幾らかぼうっとする頭で、偉丈夫が手早く千切った野草の類を煮えたぎる釜に放り込むのを昂はぼんやりと見ていた。


 結局目眩が治らなかったために、その日も殆ど寝て過ごした。が。偉丈夫が昂を甘やかしたは数日ばかり、ほどなく厳しい稽古が始まった。
 容赦無い打ち込み、鋭い叱責…正直言って、理不尽さに自暴自棄に陥る事も度々であった。だが金剛の心情は痛い程判る。
 実戦さながらの恐怖すら感じさせる鍛練は、未熟なまま戦場に赴きあたら無駄に命を落とさぬように。神経を逆撫でする様な言動は、昂がいまだ保持している「龍神様」への過剰な畏怖を荒療治で正すため。

 全ては昂を龍統べる王となさんがため…豪雄金剛の主に相応しくなれるよう。

 まだ、旅は始まったばかりなのだ…

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(C)獅子牙龍児
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