二章 龍紋 (2)


「何…これ…」
 既に日は落ち。夕焼けもとうに消えて星空が広がるが、今宵は月が大きく明るく、火を起こさずともそれなりの視界がある。その、薄明りに『それ』はぼんやりと浮かんでいた。
「剣に決まっている」
「それは分かっているけど…」
 『それ』は自ら光を放っている。しかし、霊妙なる伝説の剣らしき特徴はその輝きのみ、飾りも何もなく地味な姿は埃を被ってむしろみすぼらしい。
 小さい。霊獣の頂点たる龍王の持物とも思えぬ。長さは、剣身が半ば以上台座の石に埋っているため明らかではないが、柄はせいぜいが頭一つ分、刃の幅も拳一つに満たない事からさほどではあるまい。
 今までの所、格別危険もなかっただけに見る機会も少なかったが、かいま見た金剛の大剣からかのいにしえの剣も両刃の洋剣である事が窺えた。が、この面前の剣、金剛の大剣に遥かに劣る。金剛の剣は流石は偉丈夫、幅の広さは元より長さも昂の身の丈程もあり、刃に合わせて握りも太く長くしかも隅々まで実用本位に作られていた。鍔は長く張り出し先が尖り、懐に入り込んだ相手を誅するに十二分、握りの端には角を無数に生やす葱坊主にも似た細工があり、殴るにも威力に不足無しと言う次第。
「これが、『あの』剣…?」
 声に失望の色を隠せぬ昂。だが、逆に金剛は楽しげですらある。
「お前の技量には丁度良いだろう?まあそうぼやかずに、少し試し振りでもしたらどうだ?」
 口調とは裏腹に、男の眼の奥は少しも笑っていない。だが剣の実態に衝撃を受けた少年は全く気付かぬまま。固唾を飲みつつ見守る一の龍の眼の前で、昂はのろのろと剣に近づきつまらなそうに剣を引き抜いた。

 何の、苦も無く。

 男が、息を飲む。だが落胆の少年に背後が窺える筈もなく、おざなりに一、二度振るう。と、その眉根が寄せられた。
「これ…本当に本物?」
 努めて平静を装いながら、金剛。
「何故、疑うのだ?」
「だって、軽すぎるよ。…そりゃ、僕真剣とは馴染みがないけど、鋼で出来ているんだからもっと重い筈だよ。竹刀…僕が剣道の練習に使っていた竹で出来た刀だってもっとずっと重いのに、これじゃ訓練にもならないよ」
 不満もあらわに闇雲に振り回す。その様に、金剛の眼(まなこ)いよいよ開かれる。
「…済まないが、一度、台座に戻してくれないか?」
「ん?いいけど?」
 昂もそろそろ金剛の様子の異常に気付いて来たが、差し当たり断わる理由もなく素直に従う。と、そこへ、いささか夢遊病者のようにふらつきながら当の男がやってきた。
「少し下がっていてくれ…」
 声も上ずり異様に掠れ。不審に思いつつも言われるままに下がる。
「良く、見ていろ…」
 外套を脱ぎ捨てやおら剣を掴むと、なんと全身の力を込めて引き始めた。小ぶりな剣に大の男が張り付く様は滑稽だが、何とした事か剣はびくともしない。
「くッ!」
 後ろからでも筋肉の尋常ならざる盛り上がりが見てとれる。しかも、首の辺りまで真っ赤に。
「金剛!」
 慌てて近づき覗き込めば、鬼の形相玉の汗。恐ろしい犬歯を食いしばり、掴んだ手は既に蝋の白さ。
「金剛、金剛しっかりして!金剛!」
 すがり付けば剣から手を放し、崩れ落ちる。両手を地に付き、激しい呼吸に両肩上下す。
「どうしたの…金剛…金剛?」
 全く合点が行かない。金剛は満身の力を込めて抜こうとしたのに。
 動揺のまま、荒い呼吸の偉丈夫の、苦しげな背をおずおず撫でる。かの偉丈夫が、回復まで暫しを要す。
 漸く、呼吸が平常に戻った時には心底ほっとした。
「良かった…だいじょうぶ?でもどうして…」
「昂」
「え?な、何?」
 久方ぶりで名前で呼ばれて、しかも常に無いほどの静かな気迫を込めて呼ばれ、余計に動転する。
「今一度、あの剣を抜いてくれ」
「え…」

 気のせいだろうか。剣の輝きが先程とまるで異なる。昂が触れた時には穏やかで控え目な光を放じていたのが奇妙に明度を増し、冴え冴えとした輝きは地に崩れた金剛を冷ややかに見下ろすが如く。剣自体は何も変わらず、相も変わらぬ平凡な形状、所どころに残る埃も全くそのまま。その退屈な外見が今は却って恐ろしい。無意識に、後ずさる。
「昂!抜くのだ!」
「あ…はい…」
 低く鋭い叱咤に押されて震える手を伸ばし、そっと、かの龍族の勇士を苦しめた剣を掴む。
 と。力を入れるも何も、ただ昂が引こうとした、いや思った瞬間にするりと抜けてしまう。唖然とする昂の手に、再びその全貌を現す。
「どうして…」
 明るさは、和らぐ。まるで微笑むように。重さは、羽のよう。まるで主の細腕を痛めぬように。
「金剛の時はあんなに…」
「また戻してくれ」
 昂の問いには何も答えず、端的な依頼。混乱の頭のまま、元通りにし、本能的な恐怖感のまま数歩下がってしまう。そこへ再び金剛が近づく。
 初めより慎重に。固唾を飲む昂の見守る前で、恐ろしく真剣の表情で腕を伸ばす。
 バチッ!
「ぐッ!」
「金剛!」
 男の苦痛の声と少年の悲鳴。近づく腕を拒むかのように、剣が電撃を発したのだ。瞬時、紫電の帯が偉丈夫の全身をきつく戒める様が昂にはっきりと見えた。
「あ…金剛…?」
「大事ない…」
 まだ痺れでもあるのか、幾らか顔をしかめながらも少年に笑顔を見せる気力は残っているようだ。
 そして。
 まるで化け物でも見るかのように怯え切った瞳を剣に向ける少年に、再び言う。
 あの剣を、抜いてくれ、と。


「あ…」
 傍目に分かるほどの震え。眼には涙も浮かぶ。勝手異なる異世界で誰より何より頼りにしていたかの豪傑を二度に渡り手酷くはねつけた恐怖の剣。今こそ明瞭、かの剣こそかつて金剛を拒絶し鉄槌を下したいにしえの剣、龍王のみに許された持物に相違無い。
 確かに、剣は昂を拒否しなかった。だが金剛を退ける程の剣が、昂の未熟に反旗を振らぬとどうして言えよう。金剛も一度は掴むことができたが二度目は触れることすら許されなかった。今、三度の挑戦で剣は何と返答するか。
「昂」
 びくりと少年の背が震え、冷たい汗が流れ落ちる。有無を言わさぬ強い声。
「お前にしか扱えぬ。お前がその剣を手にせねば何も始まらぬ…龍族の救いも」
 ただの命令口調ではなく、切実なる依願。
「龍王だけが、千々に乱れた龍界を正せるのだ。結界は無残に綻び、絶え間無い魔族の侵攻にさらされ怯える民草…一族皆々がお前を希求している」
 真摯の言の葉が少年の震える背中を押す。昂は、剣を握り締めた。


 光は、いや増す。
「もし僕がほんとうに龍王に相応しいのなら…ううん、僕は龍王になる!絶対になる、から…」
 震えながらも小声ながらも明瞭な言葉。少年の言を、金剛はじっと待つ。
「必ず、龍界を…龍族の人達を助けるから…だから…」
 深呼吸。
「だから、お願い力を貸して…」
 真摯の純粋の心に浮かぶままに唱える。
「龍王昂の名に於いて、我が元に来れいにしえの剣…」
 無意識に眼をきつく閉じ。そして…かっと両眼見開いて。
「今こそ汝の真の姿現わせ『渾沌の牙』よ!」
 気合いと供に、一息に引き抜いた!

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(C)獅子牙龍児
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