二章 龍紋 (3)


 途端溢れる光、光、光…剣は歓喜の叫びの如き輝きを発する。霊光は網膜を焼く事こそなかったが、あまりの強さに剣の輪郭すら朧に成り行き…再びその姿を現した時には、全く形を変じていた。
 長さ。流石に六尺には満たぬが昂の身の丈程もある。幅。大剣と呼ぶにはいささかほっそりしているが戦国の段平(だんびら)もかくやの豪の代物。握りも長く、細やかな細工が施され、七つのもの宝玉輝き競い、それでいて手の邪魔にならぬ。優美にも見えるが、どうしてどうして、長く張り出した鍔は猛々しい牙の意匠。これだけの剣が、相も変わらず光の様に軽い不思議に加え、何より昂の眼を驚かしたのはその剣身である。
 無限の渦。白く輝く刃の表に渦状の紋様が無数、それも絶えず生まれ絶えず消えて行くのだ。一度として同じ様を見せぬ鋼の水面(みなも)は、紋様と共に七色の輝きを発し、耳には聞こえぬ音階を調べ続けている。
「これは…」
「成る程、」
 何時の間にか側まで来ていた金剛が興味深げに覗き込む。
「何故斯様に奇妙の名を、と腑に落ちなかったがこれはまさしく『渾沌の牙』」
「あ…そう言えば僕どうして…」
 偉丈夫がにっと満足気に笑って少年の頭を軽く叩く。
「流石は王、と言うところか。剣に感応したか潜む血に目覚めたか…いずれにしろ剣の真名は長らく秘匿されていたのだから大したものだ」
「秘匿?皆が知っている剣の名前まで?随分秘密主義だね」
「まあ、真名を隠す事により敵の呪いや探知を避けるという実益もある故、一概に無益とも言えぬ。だがお前の言う通り、剣の存在自体は早くに知られていたからな、しかも今お前が確かめた通り全く龍王以外は如何ともしがたいがゆえに無用の用心とも言えるがな。いずれにせよ、この秘事はお前の物だ、如何様にも好むままにして良いのだ」
「うん…でも、何だか信じられないよ。こんな、ただ大きいとか鋭いとかじゃなくて、何だか凄い剣を手にして平気なんて」
 眼を落とすと、無邪気な波紋は変わらず揺らいでいる。
「いや、案ずる事はない。見ろ、その龍紋…」
「龍紋?この、動いている模様の事?」
「ああ。これはただの筋目ではない。剣の意志を表わす、言わば文字なのだ」
「え!で、でも僕、読めない…」
「人の文字の様には、な。だが、この龍紋を見てどう感じる?」
「どうって…何だか、はしゃいでいるような…でも剣には相応しくないような…」
「いや実際浮かれているのだ。何といっても欲に釣られての簒奪者ではなく真の持ち主の手中に戻ったのだ。器物としてこれほど嬉しい事は他にあるまい」
 もう一度、気後れ気味の小柄な主君の頭部を励ますように優しく叩くと、装備を探り出した。何か、幾重にも丁重に布で包んだ細長い物を取り出す。
(何だろう…?まるで宝物みたいだ)
 男の筋張った大きな手が、慎重に布を解き始め、大事そうに中味を取り出す。
「あ!鞘…」
 美しい、それでいて厳かな工芸が露になった。

「これは剣の衣だ。着せてやるといい」
「うん」
 分不相応との思いはまだ残るが、鞘の穏やかで柔らかな意匠に引かれそっと手を伸ばす。これも、軽い。薄羽のような感触ながら、細工は凝りに凝った職人の作、曇り無く輝く清楚な宝玉の合間合間を縫うように、生き物とも流水ともつかぬ金銀の細かな彫刻が一分の隙もなく広がっている。それでいて何の圧迫も感じさせぬが如何にも不思議。剣が隅々まで鋭さ厳しさをみなぎらせているに対してこの形の丸み緩みは何故か。武具には惜しい手弱女ぶりである。
 かように優しの君である麗しの鞘が、幾星霜も別れ別れであった『渾沌の牙』を何の苦もなく受け入れ、合わさったその様が実に自然で違和感の無い事が不思議に思えてならない。
「…剣と鞘、お前はどちらを好む?」
「え?ええと…」
 不意に問われて言い淀むが、結局深い意図もなく素直に答える。
「少し、不謹慎な気がするけど…鞘の方が好きかな、持った時何だか安心する」
「そうか」
 ほっとしたように肩を降ろす。
「お前ならば間違いは起こるまいとは思っていたが、いや良かった」
「え?」
「その選択、不謹慎どころか全く正しいぞ。剣は破壊の武具だが鞘は守護の呪具、致命の傷も見事に癒す、蘇生の神通力を備えた龍族の至宝なのだ」
「致命の傷を癒す…!そんな立派な物だったなんて…!」
 何の気無しに、ただ感触の心地よさに悪戯に鞘を撫でていた手を慌てて除ける。
「いやいや。大概の者が強大な力に引かれて剣のみを思って鞘を忘れるに対し、お前は鞘をより好いたのだぞ。悪戯に力のみを追い求める者が王の剣を手にすれば、もたらされるのは畢竟血染めの勝利、決して恒久の平和ではないのだからな」
 小柄な身には大きすぎる剣を抱えて、いまだ困惑気味の少年の両頬をそっと包む。
「わたしはな、お前の幾分臆病とも言える気質も好ましく思うぞ」
「え!え?」
 自分の弱点、殊にこの異世界を訪れてからは特に気にしていた欠点を褒められますます困惑。
「臆病にも色々あるが、お前のものは良い臆病だ」
 腑に落ちずにしきりに瞬きをする様も幼く微笑ましく、つい笑みが浮かぶ。
「自分を脅かす者を遮二無二恐れるは無益な心だが、自分が力を得るを警するは良き心がけだ。その様な心様に王の役目は辛かろうが…」
 優しい、労りのまなざしを向ける。
「だがお前は恐れてなお、龍族のために…会ってもいない龍族のためにあえて力を得ようとしている」
「でも、全然会ってない訳じゃないよ。金剛も龍族でしょう?」
「ん?だがお前の龍族の知己はわたし一人だろう?」
「うん…でも、金剛にまた龍に戻って欲しいから…」
「ほう?わたし一人のために挑むと言うのか?」
「うん…」
 幾らか照れ臭く、片頬が少々赤くなる。
「それはそれは、光栄な事だ!」
 豪快な笑い。男の磊落さが未熟な少年には眩しく思える…


「あ!」
 昂の頓狂な声で空気が破れる。
「な、何だ!?」
 余りの唐突にいささか気分を害されたが昂の方は真剣である。
「あの、あの、剣がちゃんとあるんだから、今すぐにでも契約かなんか…」
「『誓約』、だ」
「そう!その誓約をすれば、金剛も龍に戻れるんでしょう?」
 答えはなく、息急き切って喋る少年に、複雑な表情が向けられる。
「ねえ、僕、早く金剛の役に立ちたいよ!ちゃんと王様らしい事したいよ!どうやったらできるの?」
 察しの鈍い方ではない少年が、興奮のためか男の表情を読めないのも不憫である。
 今は、不可能。何故なら…
「…金剛?」
「儀式は、長いぞ」
「え?儀式?」
 とっさに、学校行事の『式』と名の付く諸々が浮かぶ。幼少のみぎりより、少年の例に漏れず型式ばった事柄は虫酸が出るほど嫌いである。長ければ長い程。形通り、と言うのがまた覚えずらく…
「実に込み入った所作がある」
 丁度良く追い打ちが入って、少年の拳が違う意味で握り締められる。
「お前に一通りを話すだけでも数時間は優に過ぎるな…」
 全く他人事のように空とぼける男の言い種に、少年の顔が白くなる。
「さて、お前に今から教え込むとなれば夜も寝ずに夕餉朝餉を続けて抜いて…」
「ええーッ!」
 思わず大声を発した昂、『食事抜き』に触発されたか腹の虫を盛大に鳴かす。
「あ…」
「フフ、腹が減っては何とやらだ。儀式については気長にやれば良い。…さて、火でも起こすか」
 すっかり赤面している少年を他所に、さっさと野宿と食事の支度を始める。剣の入手の高揚で、すっかり弱った昂の洞察力に感謝しながら。

 誓約できぬ理由は、まだ告げたくない。自分の弱さ故と分かってはいるが。

<<戻 進>>


>>「渾沌の牙」目次に戻る

(C)獅子牙龍児
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送