三章 怪虫 (1)


 がさり、不穏に草揺れる。
 其処は不動の台座巌の座、かつてなんぴとたりとも許されずにいた剣が主を待ち続けたその場所。今はただ、石のうてながひっそりと、草葉に隠れて覗くのみ。
「おのれ…剣を得たのか…」
 怒りに満ちて遮二無二瘴気を撒き散らし…以って剣の座を害する。既にして役目を終えし白亜の座、刹那も経たずに濁り腐り、砕け散る。…されど殺気の主の憤怒治まらぬ、たとえ台座を砕いたとて、肝心の龍王の牙が当代の手に渡っては…
「これはこれは、大した暴れようだな」
 怒りの面もそのままに、振り向けば憎々しくも涼しい顔。漆黒の翼に黒衣の若者、傲然と笑う。
「短気は損気と言うぞ?ただの岩なんぞに罪は無かろうに…」
「黙れ!この岩とて龍どもの鱗気にまみれた品、我に取っては仇も同然!」
「は、それではまるで人界の故事、敵主の衣を引き裂き仇討ちとする…貴殿もなかなか風流人」
「戯れ事を!」
 怒りの瘴気がまた一撃、既にして小片と砕けた王選の台、今度こそ白を黒と染め上げ、かけらさらに砕き…座の在った筈の場にはもはや何の痕跡も残らず、ただただ澱んだ黒い霧が漂うのみ。
「今度は…今度こそ、奴らを滅する!この石の如く…」
 地の底から聞こえるよな闇い闇い暗黒の誓い。背後に控える黒衣の青年、密かにほくそえむ。
「結構結構、その意気だ!…そこで一つ、策がある」
「何…?」
 …全て、思惑通り。振り向いた相手に、笑み深まる。



 昂は随分と広い街道を歩いていた。
 何事もなく小さいながらもなかなか栄えた街に着いたのは翌日の日暮れ時であった。

 胡散臭げに二人をじろじろ見ていた門番も、金剛が慣れた旅人らしく幾許かの銅貨を握らせると、愛想笑いすら浮かべてあっさり通してくれた。だが、門番の不審も良く分かる。
 少々奇妙な二人だった。如何にも歴戦のつわものと言った風情の金剛の横を、年より幼く見える昂がとことこ歩いているのはまだ良い。年が離れすぎて十分親子にも見えるし、あるいは戦士の見習い、弟子とも見える。実際主従というより昂の実感としてはそんな立場だ。だが、ならば少年の背の過ぎる程大きな剣を何と説明する?
 あの剣は今は昂の背中に下げてある。ろくに剣術もままならぬ自分には不釣り合いと、盗まれでもしたらと金剛に持ってくれるよう頼んだが、何でも剣と鞘に魔力があり護符代わりになる上に昂以外の人間にはまず持てぬと言う。実際岩をも軽々持ち上げる金剛の膂力もかの剣の前には酷く無力、剣を持ち上げるのも一苦労、とても自在に振り回す所ではない。そこでぽろりと金剛が、誓約を交した七龍なら扱えぬ事も無いだのと漏らしたために余計に儀式を早めたく思った昂だが、どう言う訳かはぐらかされてしまった。
 ちらりと、今傍らを歩く金剛を盗み見る。まったくゆったりと肩の力を抜いて歩みながらも、やはり眼の奥には隙がない。周囲を無用に警戒させぬよう、だが甘く見られぬよう森の中より余程気を配る様が窺える。その金剛が、重ねて誓約の話を迫られた時にはさらに厳しい表情を瞬間浮かべたのを昂は見逃さなかった。今では度々逃げるように話題を反らされた不自然がひどく気になって来ている。
(誓約の儀式って、危険、なのかな?)
 それも恐らく、昂にとって。

 手持ち無沙汰に剣を吊る紐を弄る。あの鞘と柄をむき出しでは余りに物騒と言う事で、鍔にまでぐるぐるにぼろ布が巻かれ、しかも留める縄が麻に似た荒い物だから実用本位の武骨な代物に今は見えている。だが布の巻き方は繊細な程丁寧で地の見える部位など少しもなく、またがさがさする筈の荒縄は余程使い込まれたか表面はなめされて所々てかる程、感触はさほど悪くない。
 金剛は「今は」無理だと考えているのだろう。今は無理、当然だ。では何時?
 金剛は、昂が伸びるのを待つのだろう。今は無理でも、いずれ危険に耐えられるようになる。他力本願ではあるが、金剛がきっと鍛えてくれると信じている。相変わらず自分で何も出来ないのが歯がゆいが。
(でも、そうやってくよくよするのが一番良くないよな)
 剣の稽古中に気弱になった時の事を思い出す。どう悩んでも昂にとって壮絶な試練が早晩来るかも知れない。金剛ならきっと導いてくれる、耐えねばならない時にはきっと突き放してくれる。
(その時、しっかり頑張れば良いよね)
 密かに、気を引き締め決意した。


 街は実に大きく商店の類も数多く、まずは昂の装備を備える事に。装備と言っても鎧武具の類でなく、純たる装束である。と言うのも昂と来たら全く着たきり雀の有様、それも酷く汚れた学生服のみと来ている。人界の服はやはりこの地では奇異に過ぎ、普段雨避けで隠しているものの足元はそうも行かず。靴から始める事になる。
 しかし、金剛の買い物の手並は存外な程鮮やかであった。まずは恐ろしく尊大な態度に出、大声で店員どころか昂まではらはらする無理難題を押し付けたり、昂が気に入った物とはまるで違う物をさも買いたげに鷲掴みにしてみたり。これは戦場ですっかり増長した怒らすと怖いが頭の悪い輩だろうと、店の者が見当を付けた所に不意にあっさり穏やかに目的の物を差し示すものだから、相手がまごまごしている内にうまく言い値で売らせてしまう。乱暴は乱暴だがやくざ者と違って店の財産を傷つけるでもなく、見事な値切りの技である。
 ほとんどの物を半額以下にする様に、随分と店に同情した昂だが…実際は剣士と見ると得手は戦事のみ商売は苦手、しかも懐はそれなりに豊かだろうと恐ろしく吹っかけられるが常だと言う。
 詳しい頼もしいと本気で褒めると頻りに照れていた。

「…でも値切りって、もっと時間をかけるものだと思ってたけど、随分荒っぽく済ませちゃったね」
「まあ、わたしとしても売り子が美人の若い娘なら業と無駄に引き伸ばすがな」
 済まして答える。実際、今日訪れた店は少々くたびれた親爺ばかりであった。昂も声をたてて笑う。
「やだなあ、金剛ってば!」
 この男の、清廉ばかりでない面が好ましい。
「さて、折角稼いだ時間が惜しい。そろそろ今夜の宿を見つけるぞ」
「あ、うん!」
 星は既に瞬いている。



 だが存外宿探しは難儀であった。
 どうにも宿と言う宿の様子が奇妙におかしい。金剛達の出で立ちを見るなり、満杯だ、他所を当ってくれと即答されてしまう。街道沿いの街だけに開けており、金剛が以前訪れた時には支障が無かったと言うが…
 そんなこんなで結構な時間を無駄にしつつ、結局上宿は諦め胡乱な連中たむろする場末の酒場に腰を落ち着けた。


 当り障りのない話題で、寛いだ雰囲気が壊れたのは食事もほぼ終わった頃だった。少し離れた席で額を寄せあって何やら小声で話続ける怪しい二人組がいたのだが、突然一人が怒ったように立ち上がった。
「俺は降りるぜ!」
「おい待てよ話が違うだろ!」
「うるせえッ!それはこっちの台詞だぜ!久しぶりにうめェ話だからって来てみればよ…」
「それより声がでけぇって!」
「おっと…」
 相変わらず争っているようだが、声は目立って小さくなり聞き取り辛い。何かの交渉の、決裂だろうか。
「…何だろうね」
「うむ」
 金剛からは斜め後ろに当たるので様子を窺うには振り向く事になる。暫く盗み見した偉丈夫の顔が幾らか厳しくなり、またこちらに向き直る。
「何か、分かったの?」
「…済まぬ、静かにしてくれ」
 金剛の、深い髪と髭に埋もれた耳がわずかに動く。龍族は、概ね五感が鋭いのだが、訓練を重ねた者はその能力を調節できるのだ。今は聴力を意識して高めているのだろう、邪魔にならぬよう昂も息をつめて見守る。
 昂の感覚では20分程話は続き、そしてやはり物別れに終わった。始めに激高した男がまた立ち上がり、さっさと店を出て行く。結論が出た事に昂が何とはなしにほっとしていると、今度はなんと金剛が立ち上がった。
「え?」
 昂の眼の前でゆったりと消沈している先の二人組の片割れの元へと赴く。
「さっきの話、わたしに売らぬか?」
「へ?」
 男も驚いたが昂も訳が分からない。


「き、聞いてたのか」
 結局、例の男は昂達の卓までやってきた。丁度、席は余っていたのである。
「人聞きの悪い、たまたま『聞こえた』だけだ」
「そ、そうかい…」
 悠然と話す金剛に、謎の男はすっかり圧倒されている。その小心ぶりから言って危険ではなさそうだが、この酒場の雰囲気、例の交渉の様子から言って真っ当な職とも思えぬ。
「金は、ある」
 外套で、他の席から見えぬよう隠しながら重そうな金袋を示す。だが報酬を示しながらも偉丈夫の眼はむしろ険しく爛爛と光っているから、怪しい男も皮算用する所ではないらしい。額に明らかな汗が無数。
「もう一度、詳しく話して貰おう」
「あんた、聞いてたんじゃなかったのか?」
「たまたま、一部が『聞こえた』だけだ」
 相変わらず平然と、そして剣呑な声音で話す金剛に、例の男は観念した。



 男は、情報屋だった。見に染み着いた習い性か、それでも暫く渋っていたが、ぽつりぽつりと話し出す。
「闇甲虫の奴、また出やがったんだ…」

 闇甲虫とは、巨大な虫の一種で大変危険であるらしい。姿形は甲虫の仲間に良く似ていて、大きさもまあせいぜいが小型の犬位で、遠目には子供の遊びの鞠にも見えるそうだが、近くで見ると姿形は一種異様で黒地に目玉の様な模様があり、顎は恐ろしく強靭、肉食で何と人肉を大変に好み、しかも甲が実に固くて殺すのは難しいという。昔は極限られた一部地域にのみ生息していて、その場に踏み込まぬ限り被害がなかったが、近年街道沿いに出没する事が増えて来ていると言う。半年程前に高い金で傭兵を大量に雇って、漸く殲滅したが戦士も多数が帰らぬ身となり、以来傭兵の組合からも睨まれて依頼がしにくくなっているらしい。しかも、街道が危険との噂が広まり人出が跡絶えれば、宿場街たるこの地の存続にも関わるからと話が漏れぬよう、皆細心の注意を払っているようだ。

「だが本音の所、かなり限界だ。旅人も危ねえが、住んでる俺達もうかうかできねえさ。何せ、巣に近いのは道より街の方だからな。守りの柵の内側ならともかく、外の畑じゃ結構な数やられてる」
「畑もだと?これほど人家が近いのにか?」
「ああ…連中は昔なら群れた人間は襲わなかったんだが、先月には近くの小さい村が半壊状態になっちまってさ、昼の日中、餓鬼どもが外で遊んでいる所に突然来やがってよ、駆けつけた親達も粗方食われたって話さ」
「酷い…!」
 昂の心に死者を悼む気持ちと惨い仕打ちに対する怒りがむらむらと沸き上がる。
 ちらりと、金剛がその表情を確認したが、気付かぬ振りをして情報屋を促す。
「で?虫どもの数はどれ程だ?」
「どれ程ってあんた、数え切れねえさ!百はまず超えてるに違いねえ」
「百を超える、か…」
 何故かそこで得心したかのように頷き、暫し思案し、また問いかける。
「巣の場所は分かっているのだろうな?」
「ああ、ばっちりだとも!地図だってある!」
 ぽんと懐を叩く。
「見せてくれ」
「おっと、冗談言っちゃいけえねえよ。地図は地図で別料金、第一これを見たら何が何でも闇甲虫の退治をやって貰わねえと…」
「退治は請け負わんでもない」
「ええ!本当かい!?」
「…報酬次第だがな」
「そ、そりゃあ勿論、商人組合も村の寄り合いも幾らでも出すさ!…でもよ、本当かい?あの化け物退治となると相当兵隊集めなきゃならねえぜ?当てでもあるのかい?」
「二人で十分だ」
「ふ、二人だと!?」
「わたしと、」
 昂を指で示す。
「この二人だ」
 これには昂も仰天する。
「おい!あんた正気かい!あんた位の戦士殿ならともかくよ、こんなちびっけえ細い酒も飲めねえような餓鬼、連れて行くんだって危ねえぜ!」
「なに、これは不肖の弟子だがそれなりの腕はあるのでな。取り合えず地図を見せて貰おうか」
「だから見せねえって言ってんだろ!」
 先ほど退場した男の様に情報屋が席を立つ。
「あー止めだ止め!今日はついてねえぜ!弱腰野郎の次は気の触れた…」
 情報屋の饒舌がぴたりと止む。急に抱き抱えられ、刃(やいば)が、いつ取り出したか鋭い小刀の刃(は)が首の、耳の下辺り、つまりは頚動脈にぴたりと当てられている。鋼のような金剛の腕が万力のように情報屋の体を締め、身動きも出来ない様子。驚きと恐怖でほとんど息の根の止まりかけている情報屋に、質の悪い笑いを浮かべながら凄みの効いた声で命じる。
「さて、地図を見せて貰おうか」
「あ…うう…」
「言う通りにせんとためにならんぞ?」
「ひいいい…」
「それなら素直になるまじないでもしてやろう。まず耳を削ぎ…」
 すうっと刃先を滑らせ、そのまま耳の付け根にゆっくりと押し付ける。血こそ流れないが小刀は皮膚に確かに触れていて、刃物の表面の冷たさがきっちり伝わっている筈だ。
「わ、分かった!見せる!見せるから!」
 涙どころか鼻水まで出しながらの懇願に漸く腕を緩める。昂は、金剛が本気でないと何とはなしに感じていたが、それでも実際背筋が凍る気がした。あれしきの動作と台詞でここまで恐怖を引き出せるとは…金剛の歩んだ修羅場の一端をかいま見た気がした。

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(C)獅子牙龍児
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