三章 怪虫 (2)


 巣は馬なら半日程らしい。だが商人組合の幹部達は傭兵とは直接合いたくないとの由。例の傭兵の大量死事件以後、軋轢が有るらしく、連中の仲間が逆恨みで街で狼藉を働く事もあり、爾来まとまな宿は流れの戦士と見ると門前払いする様になったとか。
 詳しい事は向こうで聞いてくれと追いやられ、結局先日襲われた村へと赴く事に。不幸にも巣に近すぎたこの村、確かに退治の拠点にはもってこい、より確かな情報も聞ける筈。だが襲撃の痛手から間もない集落を頼ると言うのは心苦しい。
 そうでなくとも突然の話、昂は心の準備もまだな有様だったが、金剛が言うには龍王の剣の助力があれば何ほどの事も無いとの由。既に戦った試しのある、金剛の話となれば確かに思え、早く龍王らしい事を成したい、何より儀式にも耐えうる強さを身に付けたい、そして金剛を早く龍の姿に戻したいとの切望が少年の最後のためらいを消し去った。
 何はともあれ、翌日も早めに起きて宿を後にし、実践的な装備を急ぎ買い揃え、乗馬も得て村へ向けて出立と相成った。



 昼餉抜きの強行軍だが目的の村はなかなか見えぬ。
 借りた馬がどうにも役立たず。金剛の話によれば龍王の剣の鉛の重さも獣の類には本来さほど響かぬ筈の由。だが剣の発する気がただの家畜には強すぎるのか、昂が乗るとたちまちふうふう息荒く、歩めぬ様になるために結局ほとんど徒歩を余儀なくされた。それでも何とか日の刺す内に手入れの行き届いた畑の広がる牧歌の地が漸く視界に広がり出した。
「…あれ?何か来る?」
 不意に小さな影がまともにこちらへ向けて全速力。
「馬、の様だな。…二頭もいるぞ」
 遠目の利く金剛、あまりな疾走振りに不安を覚え昂を抱え身構える。如何に慣れた家畜とて、恐慌の折には平気で殺人も犯すのだ。そうこうする内、例の馬どもは昂にも容易く判じが付く程間近へと。
「昂!走るぞ!」
 いよいよ危急と今度こそ小さな主共々横飛びに逃げ去ろうとするが。…少年の身体がするりと抜けた。
「昂!?…戻れ!」
 覚えず雷鳴の如き音声で呼ばわり追いすがるが…何ゆえか走り出した昂はかの馬の面前、蹄のすぐ前!
「昂ーッ!!」


 ブフー、ドゥールルル…
 馬は、棒立ちになりながらも自らを沈め、鼻息はいまだ荒いものの確かに暴走を止めた。さて少年はと言えば、両手を広げ立ち塞がった姿勢のままぴくりともせず、瞬時金剛の背を冷たる汗が滴り落ちたがそれも束の間、すっかり安堵の様子で肩の力を抜き座り込む。
「ああ…怖かった…」
「怖かった所ではない!」
 雷撃の如き怒声に、びくり。
「こ、金剛?」
「こちらの方が余程胆が冷えた!寿命が千年は縮まったぞ!」
 足音荒く、偉丈夫がのしりのしりと歩み寄る。

「何故あの様な無思慮をなした!」
「あの…何となく…」
「何となくで済むと思うのかッ!!」
 金剛の叱責いよいよ佳境に入る所をこれは思わぬ闖入者。ヒヒンと長の首をば差したは先の馬…先の騒動の内は気付く余裕も無かったが、これは見事な純たる白馬、ただ幾分若きに過ぎるが。
「きゃっ!…脅かさないでよ」
 いきなりぺろりと舐められて、偉丈夫の憤怒も忘れて獣に笑いかけ。そこへやはり毒気のすっかり消えたもう一頭までも現われた。こちらは身も漆黒、しかも見事に優れたる馬体。そろそろと昂の方へと擦り寄るがやはり害意は見えず。不思議と思い今一度しげしげ馬どもを見やれば…
(…成る程!)
 人の眼には移らぬとも、龍族の視力には良く見える…それは鱗気。
(…ならば王にも従うが道理…)
 独り合点が入った所で、漸く馬どもの主らしき人影がやって来た。

 老人と若者二人連れ。馬の世話方と見えるが顔相に怒気よりむしろ焦燥ある事から、今日のとんだ暴走劇も彼等の虐待に依るとは思えず。息を切らせた若者が、真っ先に昂の身を案じた事からその念一層強固となる。
「あの、あの!怪我は無いですか?」
「え…?あ、平気で…わあ!くすぐったい!」
 今度は黒の馬まで舐め出した。老人若者、暴れ馬にすっかり懐かれた旅人を前に全く呆然。
(無理もあるまい…奴ども、日頃は相当の駻馬であろうからな)
 理由を知る金剛は笑いを隠し切れないが、流石にこのままは憐れである。身分証代わりに地図を見せ、二人に村まで案内を頼む事にした。



 村は存外に広く、また堅牢の作りである。怪虫の襲撃来、柵も強固に変えたのかと思ったが、これがなかなか年季物、古街道に程近いので恐らく往時は立派な街であっただろう。さてこの御時勢、村に入るにまた心付けが入り用かと思いきや、先程の馬の世話方がとりなし事無きを得た。昂が馬を飼い慣らしたあの顛末、無論昂は何もしていないのだが、これを聞くと皆眼を白黒。何でもあの二頭、気が荒いは二頭と無い名馬とか。この事が効を奏し金剛が闇甲虫退治を切り出しても街での様な悶着は起きず、すぐに長の家へと案内された。
 とは言え。案内された村の中は全く通夜の様で。まだ夜の帳の刻でもあるまいに子どもの遊び声一つ聞かれない。たまに見かける村人は皆一様に虚ろ、戸口の前に力無く座り込んだり壁に疲れた様にもたれたり。見慣れぬ他所者に向ける胡散臭げなまなざしも、見事に明るい白壁のそこここに残る惨事の染みの前にすれば気にする所ではない。少し歩いて広場と言って良い場に出ればその爪痕いよいよ凄まじく、まだ地面にも確と分かるどす黒き色。かの子どもの襲われた場に相違ない。
 静かな村ではあるがこの場の静謐は一際、その様はさるグリム伝説をば彷彿さす。ハーメルンではかの笛吹の恐怖以後、消えた子どもの道行きの最後に歩いた通りだけ、たとえ花嫁行列であっても全ての歌舞音曲を禁じたと言う。恐らくかつては幼子の格好の遊び場だったに相違無い広場もまた、怪異によって変容し果てたのだ。
 家と言う家全て純白に塗られているだけに事の跡は酷く眼に付き少年の心を深く突き刺し苦しめる。

 村の中央に程近い、特別立派な、しかしやはり簡素な家に着いた時、既に村長は戸口に出ていて一行を笑顔で迎えてくれた。少しゆっくりと歩いて来たのと、馬を鎮めた例の件について既に村長に報告が走ったらしい。
「このような辺鄙な村にようこそ。何もありはしませんが、まあ、取り合えず一息入れて下さい」
「歓迎痛み入る。…かような時期に誠申し訳無く思うが、実は…」
「ああ、あの地図を持って来なすったそうですな。…立ち話も何です、狭いですが、こちらへ」


 案内されたのは、狭いどころか驚く程の大広間だった。さりげなく置かれた工芸品も、簡素な中に安らぐような暖かみと適度な緊迫があり、茶の湯の世界を彷彿させた。残念ながら、若い昂には価値が如何ほどかまでは判じかねたが。街では少しも感じなかったが、ここには今どき昂の故郷でも珍しい程、謙虚の徳とわびさびの心が確かに息づいている。
 出された器にはほのかな芳香漂う紅茶めいた飲み物がふんわり湯気を立てていた。始祖龍の清水は別として、水以外の飲料を口にしていなかった昂は、思わずすぐさま口に仕掛けたが、進められる前に飲む無礼に気付き慌てて降ろし、謝罪して赤面する。だが、村長の妻らしき給仕をしてくれた年配の女性も、また村長その人も軽く楽しそうに笑っただけ。むしろ空気が緩んだので思わぬ怪我の功名となる。
 数名ほど、いかめしい顔をした老人がどやどやと入って来た。軽く村長と挨拶を交す様子からすると、村役だろうか。さらに数名入室する中にはかなり若い者も混じっていた。
 着席した老人が軽く咳払いをする。それが、今日の集まりの開始を告げる。

「さて申し遅れたが我が名は金剛、見ての通り戦を生業としている。この者は…弟子の昂」
 二人は師弟と言う事になっていた。
「早速だが、わたしは以前別の地で例の虫と戦った事がある。それもあって、ここを訪れたのだ」
「戦いなすったと!?本当に!?」
「ただし、はぐれ者か数は極わずか…二十を超えるかどうかだったがな」
「いやしかし、それでも驚きですなあ…戦士殿が今ここにこうしておられるからには、倒しなすったんでしょう」
「なんとか、な。それと例の虫についてはいくつか話を聞いた事も。…特別晴れた、太陽の眩しい日に現われないか?」
 村長を始め、列席者にどよめきが走る。
「いやこれは…全くおっしゃる通り。雲も何もなく、空が妙な程青い日…ああそうです、あの日も特別陽射しが明るかった…」
 惨劇に思いが行く首を振る村長の横で、まだ若い男がつぶやく。
「しかし何だって、お天道様の輝く日に飛びやがるんだ!悪魔の使いのくせに!」
「悪魔の使いだからだ」
 返事を期待していなかった若者が驚く。
「な、何だって?」
「わたしは以前、連中が生まれる所を見た事がある」
 金剛の重ねての発言に、一座が騒然となる。
「どう言う事ですかな?」
「…わたしがまず見たのは、腐臭を放つ屍体だった。鬱蒼と繁る林の奥深く、曇る空よりまだ闇く湿る大地のその上に、よくよく見れば人ほども大きい百足らしき怪物、所どころに矢が刺さり、刃物で切り裂かれた様子から察するに人間に誅されたのだろう」
「それで?」
「…重ねて不快な事に、屍体のここそこより芋虫めいた物が顔を覗かせていた。始めはただ蛆の類と思ったが…」
 顔に厳しさが宿る。
「周りに奇妙な繭があるのに気付いた。ただの羽虫、例えば蝿にしてはひどく丸く鞠のようで、特に乾いた繭はどす黒い中味が透けて鈍く光りを照り返していた」
「まさかそれは…」
「左様、うかつにも剣で突ついた所、忽ちにして繭破れ、例の呪わしき虫が現われたのだ」
「それでどうされましたか?」
「不意を衝かれて驚きはしたが、幸い、」
 愛用の大剣を軽く叩く。
「この豪の剣で事無きを得た」
「それはそれは…」
「しかし事はそれでは済まなかった。如何にしたものかと屍体を眺め思案の最中、どうしたものか嵐の先ぶれの様な曇天が、突如晴れて雲間より眩しく陽が射した」
「それは幸先の良い…」
「いやいや。…確かに清い陽光は降魔の矢を屍体に投げかけ、魔族の成れの果ては忽ちにして白き煙を上げ燃えるが如く溶けるが如く朽ちると見えたが…」
 勇士の面、さらに引き締まる。
「屍体より一斉に闇甲虫が飛び出したのだ」
「何ですと!」
「理由は明解、奴らが陽光を嫌うからだ」
「嫌うから、とは?」
「死してなお障気を放ち続ける屍体は連中には心地よい住処だ。闇の気に包まれ、まどろみ続けるには都合良い。ところが陽光は、その屍体を灼熱の地獄に変える。それが証拠に、蛆のような幼生どもも争って這い出して来た」
「し、しかし、その様な魔の虫が陽射しを構わず飛び回るとは…」
「どのような種であれ、生き物は子孫により強くあって欲しいと望むものだ。殊に闇の眷族は業が深く、今際の際の執念で時として自らより恐ろしい者を創り上げる。わたしは、その様なためしを幾つも見て来た。さればこそ、恐ろしき生き物であればあるほど事後の処置こそ肝要になる」
 嘆息、一つ。
「何者か知らぬが、善かれと思い大百足を倒した者がかつていたのだろう。犠牲を払っての事だろうが、屍体をなおざりにしたのは如何にもまずかった。焼き尽くしてしまえば憂いは絶てたのだが…」
 天を仰ぎ見、また眼を落とす。
「大百足の類は貪欲な肉食だが、また惰眠を貪る性(しょう)とも言う。眠り続ける分には害が無いとも…その百足の末裔とも言うべき連中故、太陽に射されぬ内は空腹も忘れて悪戯に休眠し続けているのだろう」
 話は終わったと言う風に、金剛は頭を上げて一同を見渡す。暫くは皆、言葉も無かった。

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(C)獅子牙龍児
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