三章 怪虫 (3)


 ゆっくりと村の古老が頷いた。
「戦士様のお言葉にはいちいち合点が行きますのう。…心当たりがございましてな」
 この老人は村一番の長寿の主であった。
「昔々、この村はもっと南よりにございましてな、そこは確かに百足の害が酷かったという話にございまして、殊にさほど遠くない沼には化け百足がうようよいると言う次第で」
「長老、本当か?」
 年若い村役の問いに頷く。
「全くそうじゃ、その通りじゃ。…しかし戦士様、無論この老いぼれの生まれる前でございましてな、見た訳にはございませぬが。ただ、わたしの子供の自分にも、百足、もちろん並の百足でございますが、それを殺した時には必ず焼いて始末せよときつく叱られたものです。さもなくば化けて出ると。何の世迷い言やらと思っておりましたが…」
「うむ。確かにただの百足ならば何事もなかろうが、恐らく大百足の確かな記憶によるのだろう。迷信と言えども一分の理のある事もある」
「そう言えば…」
 別の村人が口を開く。
「死んだ俺のじいさんが言ってたが、昔はるばる遠い都から、百足退治の武者がぞろぞろ連ねてやって来た事があったって話だ」
「おお!わしも今思い出したぞ!わしの祖父がまだ若い時分の事じゃ、何でも大百足の毒が秘薬の元となるとやらで、一軍隊仕立てて勲を上げに来なすったそうじゃ。見事仕留めたそうじゃが…」
「…例の虫は百年ほどかけて成虫になると聞く。今の闇甲虫はその時の百足より生まれたに相違あるまい」
「畜生!何が武者だ、全部そいつらのせいじゃないか!」
「これ!滅多な事を言うものではない!わしらの村は、その頃化け百足で大層苦労しておったそうじゃ。沼に住む筈の大百足が、どう言う訳か村の近くまで出るようになり、挙句一匹が水源の泉に陣取る様になり村は飲み水にも事欠く様になり果てたそうじゃ。武者殿方は確かに村の窮状と無関係に欲得ずくで参られたがの、お陰で村は救われたのじゃ」

「それにつけても、何で近頃になって急に化け虫どもが里まで出るになったんだ?」
 村人達の話を聞きながら腕組みし思索に沈んでいた金剛が、再び口を開く。
「ここ数年、雨の降りはどうだ?気候が乾いた、とは思わぬか?」
 突然の質問に一同が戸惑う中、中年を少し過ぎた位の、下腹のぷっくり出た赤ら顔で丸顔の村人が返答する。後で聞いた話だが、鈍重そうに見えて実は作物にかけては地方の権威と言うべき人物との事。
「はあ旦那、確かにその通りで。ここ暫くで、今年は一番雨も少なく晴ればかりで。まあその分水やりを増やしておりやして、お陰様で作物の方にゃどうって事もありはしやせんが、確かに地面が乾いて埃っぽくなった気がしやす。あっしの知るかぎり晴れる方晴れる方に傾いておりやす。そう言やこの村、長老さまも言いやしたがもっと南方にあったのがあんまり乾くから北へ北へと移ったそうでやんす。お陰で何とかやっておりやすが、それでもうっかりすると畑の土が風で飛んで飛んで、肥やしいらずの土はなかなか珍しくて探すにもえらい苦労でやんすが、西に三日ばかり行くと…」
 そこに古老の咳払い。自分の話がすっかり本題をそれた事に気付き、赤い顔をさらに赤くして縮こまる。
「百足は湿気を好むと言う。かつての水源を襲った百足どもも、恐らく古巣の沼が年月と気候変わりで乾き萎み、それで新たな棲み場を求めて這い出したのだろう。…気候が変わったとは言え、この辺りはまだまだ水源も多い。闇甲虫も親の血を受け継ぐとすれば、また大百足の屍体の傍がかつてより乾きまどろみの場には不足となれば北上もしよう」
「成る程…わたくしどもも長年の謎が解けましてございます」
 感服した様子で村長が頷く。
「うむ。…しかし厄介だな。連中の今の棲みかが分からぬとなると…せめて例の百足退治の地や近隣の地図、湖沼の位置を示したものがあれば検討がつけられるのだが」
「それはこちらどもといたしましても、全力を尽くしますが…しかし、戦士殿お一人では…」
「いや二人だ」
「え?…しかし…」
 不安気に昂を見やる。
「失礼ながら、お弟子殿は大変にお若く…」
 大変控えめに意見を述べる。
「失礼ながら、」
 業と声を大にし、鸚鵡返しに。
「見掛けと実力は必ずしも伴わぬもの。…昂」
「はい!」
 いきなり呼ばれて少々仰天。
「少し、剣を抜いて見せるのだ」
「…この、剣を?」
 いいの?と眼で問うと金剛は黙って頷く。
 ためらいはあったが、他ならぬ金剛の依頼、意を決して立ち上がった。邪魔に成らぬよう、席より数歩下がって一気に龍王の剣を抜く。
「おお…!」
 途端辺りを覆うは感嘆の声。主の懸念を感じてか霊妙の光薄く、龍紋の動きこそ静まりかえってはいるが、やはり稀なる業物、柄の装飾隠してなお刃の輝き尋常ならぬ。
 驚嘆のまなざしを感じてと言うより純粋に、剣を手にした高揚のまま数度剣で空を切る。軽く振ったつもりが昂自身も驚くほどの鋭い風切り音。一座のどよめきはますます広がる。
 いや。不安に満ちていた空気が、はっきりと変じた。
「これは…」
 驚愕に紅潮した村長が、深々と頭を下げた。
「いや戦士様もお弟子様も…何と申したら良いやら、よくぞこの村に来て戴きました!」
「成る程、かの暴れ馬を手なずけたと言うも全く道理!」
「ほんに頼もしい事じゃ!勇士様がお二人も!」
「有難い!」
 ただの試し振りだけでこの有様。
(そりゃ、この剣は凄いけど…普通の人には扱えないって、皆知らない筈なのに…?)
 剣を抜いたまま眼をぱちくりするより他ない昂に、金剛が笑みを含ませ小声で告げる。
「これも、剣と龍王の威力だ」
「え!」
「確かに、剣もお前の意を汲んで並の剣の装ってはいるが、お前の鱗気が剣を通して現われたのだ。皆お前の気に当てられて、素晴しい勇士を前にしたと今思っているのだ」
「そんな!僕ただ剣を振っただけなのに…」
「つもりが無くとも鱗気は絶大なる支配の気。お前がその気になれば、この場の人間全てを奴隷にするも不可能ではないぞ」
「嫌だよそんな事!」
 怒りに顔を赤らめての即答に、満足気に笑う。
「だから良いのだ。…わたしでは無くそんなお前が、支配の術をむしろ厭うお前こそが龍王として真に相応しい」
「金剛…」
 主従の問答を他所に、龍ならぬ短命の人間達の間に勝ったも同然の気分が広がって行った。いまだ一戦も交えぬ内から、それはもう、不謹慎な程に。
 こんな後ろ向きな思考が許されないのは分かっているが、恐ろしい話の連続に、昂の心の臓は速くなるばかり。
「龍王たる者、虫如きで怯えてどうする!」
 台詞は叱咤の形だが、顔は優しく笑っている。金剛の、昂に主に対する信頼の証。実際の所、金剛にして見れば未熟な昂にも問題無いと踏んだからこそ、この村まで連れてきたのだろう。
「金剛がだいじょうぶって言うから平気だと思う、でも…」
 やはり怖い。剣道の試合とは訳が違うのだ。
「初陣だからな」
「…うん」
 『初陣』と言う慣れない言葉に余計堅くなる。
「だからこそ、だ。…今のお前は気負い過ぎているからな。これほど歓迎してくれるのだ、素直に楽しめ!弓も使わぬ時には緩めねば肝心要で弦が切れると言うぞ!」
 偉丈夫の豪快な笑顔に少し心が軽くなる。確かにそうかもしれない。村人の好意も無下に出来ず、今夜は心行くまで寛ぐ事にした。



 しかし事は順には進まず、翌日も、その翌日も雨。それも土地の古老も驚く程の豪雨である。幸い決壊の危険は無い様だが、隣近所に行くも一苦労という次第、退治行脚に向かう所ではない。
 時間だけは悠々ある。例の百足が退治された土地、水気を好む魔性が潜みそうな場所はかなり聞き出せ、既に地図に書き込んである。虫を探して歩く道筋も、また全ての虫を退治た後の燃やす手筈も全て相談の上決まっている。
 昔はこの村の近くの道が主要な街道だったとの事で、今でもそれなりの旅籠を備えており、休息も十分出来る。宿場街や遠い市場用に育てられた畑の作物は、豪勢と言って良い程多種多様で質も良い。水の管理も行き届き、飲用は元より生活用水にも不足はなく、風呂は流石に望めぬものの毎日たっぷりの湯を使えるのは贅沢である。排水も単純だがなかなか便利な設備があって街より余程衛生的。村一番の旅籠が特に上部屋を提供してくれた事もあって寝台も実に柔らか、野宿続きの昂にとっては久しぶりの極楽である。…この状況を、当初は密かに歓迎もしていた事は否めない。

 何せ、昂にとっては初陣であるのだ。

 とは言え。決起の先延ばしに安堵していたのも初めの内ばかり、待ちが長引くにつれ却って焦燥増す。龍族きってのの英雄として、また人身に封じられた後も数々の偉業を成し遂げた金剛は、巧みな話術も相まって、村の方々で冒険譚をせがまれる。それに対して昂の方は、もっぱら聞き手に混じる位が関の山…する事も無く所在が無い。自然、独り思考も暗くなる。
 無論、金剛の技量に不安は無い。この偉丈夫は、既に闇甲虫を何体も葬っているのだ。それも、独力で。だが、引き比べて自分はどうのか?
 勿論、龍王の剣は手元にある。その不思議な力も信じている。だが…
 己の、己自身の力量は?自分にかの凶虫を誅する力が真実あるのか?

(…駄目だ駄目だ駄目だ!弱気になっちゃ駄目だ!)

 こんな些末で挫けるようでは、とても龍族全てを救える筈が無い。いや、金剛の身一つ救えぬかも…

(金剛は、今の僕でも出来るって信じているんだ!それを…裏切る訳には…)

 恐らくはその一念が昂の強固な支えとなり、遂に怪虫退治を決意した時。…遂に長雨はぴたり絶えた。


 翌朝は、嘘のような晴天だった。

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(C)獅子牙龍児
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