四章 腐鬼 (1)


 …暗がりに平伏するは異形の者。その惨めに震える姿を冷然と見下ろす影。
「しくじった様だな…」
「も…申し訳ございませぬ!しかし…」
「言い訳なぞ聞く耳持たぬ!」
 くわっと両眼見開いて、暗黒の刃が闇を裂く…
 と、その時。
「まあ待て暫く、鬼哭殿」
 闇の中より忽然と、黒衣の青年舞い降りる。
「ラウムか…」
「百眼殿をそう責めるな、当代龍王の力量の程を見極められただけでも上等だろうに」
「上等なものか!人身の初陣の小童なんぞに遅れを取ったのだ!」
「しかも、我が眷族の襁褓までことごとく…うう…」
「黙れ!それもこれも全ては主らの不甲斐無さ故の事!」
「もっとも、龍ならで人の身には百足の毒も命にまでは触れられぬ…それを忘れた我らも愚か」
「左様左様、龍の身であらば我が百足族の毒にて一網打尽…」
「ぬう…龍王の血筋、人界に封じられたはそのためか!」
「さて、それはどうかな…」

「とは言え、まだ手はある…既に一つ、打ってある」
「…何だと?」
「それに、だ。我が手にはまだ使える駒がある」
「駒、だと?貴様なぞに?」
 相手の術中にまたはまる…そう危惧しつつも、あまりの堂々たる物言いについ重ねて問うてしまう。
「一体、どんな駒なのだ?」
「それは…」
 黒衣の青年、にやり笑う。

 それは、龍の主従の与り知らぬ謀り事…



 全て事も済み安堵の息を付いた所で、街の上役達が報酬を急に惜しみ出して来たと、村長が青い顔で駆け込んで来た。実の所、金剛も昂も日々の糧さえあれば十分で多額の報酬の事など失念していた位だが、恐縮した村長が自分の財産を全て売り払うと言い出し大騒ぎに。何とか阻止は出来たものの、今度は一生この村に残ってくれ、世話は全てするから等と言う。この提案には村人全てが大賛成となり、どうにも出立のしようがない。金剛は異常な火気がある事、その原因を突き止め阻止せねば今度はこの村が干上がると盛んに述べたのだが…
 昂としては軽い気持ちだったのだが、あの雨の中、金剛のような冒険譚の無い身故に故郷の昔語りを幾つか話したのだ。故郷と言ってもペローありグリムありの随分広義の故郷の伝承だが、昂が特に選んで優しく美しくまた面白い話を選んだために、悲劇の後すっかり笑顔の消えていた子ども達には何よりの慰めとなったのだ。なかなかに頑固な大人達も手強いが、そこに泣きじゃくる子ども達が加わっては手も足も出ない。
 いやそればかりか獣まで、初めて訪れた折に偶然宥めた暴れ馬、「顔見知り」の気安さで二人で度々訪れ軽い気持ちで乗って爾来、他の人間まるで乗せぬ有様。今となってはかの二頭、殊に早駈けの駒として知られた方と来たら他の人間触れもさせぬ。仕方無しに、昂は家人が馬体を擦ったり診たりする間中、馬の鼻面を優しく撫でてやったり話しかけたりと毎日機嫌を取ってやらねばならなかった。…村で、一番目と二番目に高値の付く馬であったのだが。
 二馬はもはや昂の愛馬同然。何と言っても、稀有な程の鱗気の発現を見せる…太古の龍の血を引く龍馬であったのだから。
 金剛は珍しい程焦りを見せていた。そこへ、救いは思わぬ形で飛び込んで来たのだ。


 カツーン…カツーン…
(煩いなあ…今何時だよ)
 金属音に眼が覚める。眠い眼をこすりこすり何気なしに起き上がりかけたが。
「!」
 ランプは消え月明り星明りだけが頼りだが、確かに二人の影。しかも刃を合わせている。
(誰…誰と誰?)
 一人は背が並外れて高く肩幅も広く、動く度に長い髪が揺れる。おぼろげだが特別あつらえの大剣を自在に扱う様子が見てとれる。
(金剛…だ)
 だが安堵するのは早い。もう一人は?
「死ねェ!」
「金剛!」
「何?昂!」
「…貰ったァ!」
 三者の叫びが交錯する。謎の刺客の殺気の凄さに思わず上げた昂の悲鳴、そこへ気を取られた金剛へ暗殺の凶器が襲いかかる!

 が。勝負は呆気なく着いた。


「ご免…だいじょうぶ?怪我は?」
「なに、かすりもしなかったさ。お前に気を取られた様子も芝居でな、実はとうに気付いていたのだ」
「そうなんだ…」
 漸く一息付いて足元に伸びている俘虜を見る。
 金剛の迫真の演技にまんまと騙された賊は捨て身の特攻を図ったが、見事にかわされ峰打ちを食らい一撃で沈んだ。ただし油断は出来ず敷布を用いて縛り上げてある。
「こいつ、誰何だろう」
「さて、な」

 灯りを付ける。まず賊を縛り直し、その上で部屋を検分。窓の鍵が壊れ、さらに窓枠に三又の鈎が刺さって丈夫な縄が垂れていた。入り口の扉に異常は無く恐らく賊は一人、外からじかに侵入した模様。
 部屋の隅に見慣れぬ物が転がっている。巨大な千枚通しの様な物と奇妙な形の刃の短剣。
(こいつの武器かな?)
 何気なく拾おうとすると思わぬ激しさで止められた。偉丈夫が血相を変えていた。
「触れるな!…恐らく毒が塗ってある」
「ええ!」
 慌てて飛び退いた昂に代わり金剛が検分する。灯りにかざし、匂いを嗅ぐと表情が険しくなる。
「間違い無い。暗殺用の猛毒だ」
「そんな…」


 賊を叩き起こして尋問したが完全黙秘の一点張り。業を煮やした金剛の、強烈な拳でまたまた夢の国送りにして転がしておき、さらに辺りを窺ったが、賊の仲間の気配は無く。あるいは仲間の失敗に気付いて逃げたかも知れぬ。結局金剛が不寝番を申し出て、昂は休む事になったが寝付きは悪く、漸く眠りに落ちた時も次々悪夢にうなされて寝た気がまるでしなかった。
 翌日村の人にも協力して貰うつもりで取り合えず旅籠の主人に報告したが…
「お、お客さん!?飾り物の小商いと言うのは嘘だったのかい!」
 昨日夜遅くに旅籠に宿を取った商人が暗殺者だったのだ。



「…つまり、わたしの剣に用があったと、そう言う訳だな?」
「ああ…」
 力無い、賊の声。
 金剛は経験豊かなだけに尋問も匠、まる二日ほど、村から離れた廃屋に森で捕えた夜行性の姦しい鳥と一緒に放り込み、昼は昼でやたらに殴ったり盛んに犬をけしかけたりと眠れぬように仕向けると、途端に脆く折れぽつりぽつりと話し始める。無論、金剛の巧みな話術も預かってだが。
 何でも賊が属する裏組織の間で最近奇妙な噂が流れていたらしい。古代の英雄が使ったと言う、魔法の剣を持つ旅人がいる、と。ダマスカス鋼にも似た不思議な『生きた紋様』を持つと言う剣の魔法の実態は、不老長寿を与えてくれるとか、常勝を約束するとか、はたまた金銀財宝をもたらすとか話によってまちまちだが、武器として極めて優秀で、財ある騎士や珍品尊ぶ金持ち達が競って求めている事は間違い無い。さらに一国を買える程の金額を言い出す者が出るに至り事は狂躁の極みに。当然の流れで裏街道の連中も転売により莫大な利益を得ようと動き出した次第。
 さらにもう一つ。ある戦士の首に莫大な懸賞金がかけられたとの噂。あやかしの術で魔獣を繰り、剣術も巧みなその人物は、何でも絶えた筈のさる王家の正統の血筋、今でも国人が再来を希求しているとか。まんまと王位を奪ったと、権勢に胡座をかいていた簒奪者が噂に驚き慌て、血眼で探し回っていると言う。実際複数の暗殺団に正式な依頼も来たとか。かばかりか、その戦士の得物こそ例の宝剣だとの話が。
 たった一人で(昂の事は残念ながら勘定に入っていないらしい…)闇甲虫を殲滅せしめた大剣使いがいるとの情報が伝わり、そして賊の幹部が正式に仕事に着手したと言う由。

「どう言う事だろう…『生きた紋様』なんて、龍王の剣みたい…」
「うむ、恐らく龍王の再来を察知した魔界の手の者の差し金だろう。連中は時に人に紛れる…殊に裏の組織に潜るは容易な事だ」
「潜る!?」
「魔界の住民と言えど、先の闇甲虫や大百足の如く知能少なし者ばかりでは無くてな。盗人より賢しい連中は掃いて捨てる程いる。化けるのも奴ばらの方が得意かもしれぬ。…とは言えここも人界の一、汚されたとは言え魔界の者も満足には動けぬ筈、ならばと人間達を使い我らを追い詰めんと言う腹だろう」
「…じゃあ、こんな刺客がまだまだやって来るの?化け物とかじゃなくて」
「…そうなろう」

 不幸中の幸い、こたびの賊の本拠地は馬でも一月ばかりかかる遠方、暗殺失敗はすぐには気付かれぬ。賊が何かの方策で、例えば伝書の鳥を用いるにせよ、それなりの時差は生ずる。
 賊の話で金剛に取って何より重要だったのは、皆金剛をこそ標的と見誤っている事実。しかも重ねての幸運は、実際昂の抜剣を眼にした村人でさえ龍王の剣に気付かなかった事。どうやら意志持つこの剣、場所柄を良くわきまえ、衆目集まる場においては極力明るさも控えて見せる。また『渾沌の牙』と言う銘からはまがまがしき黒色が彷彿されるが実際はむしろ白、元々光を放つ上に表面の余りの滑らかさ故当たる光を全て返し、陽光の下では眩しさに紋様など少しも見えぬと言う次第。

「酷い!それじゃあ本物の僕じゃなくて金剛が狙われるよ!」
「望む所だ。…何度も言ったが、わたしの肉体は人間より遥かに頑強なのだぞ?多少の深手であっても致命傷で無ければこの間の様にすぐ治せる」
「でも…」
「ぼやくな、お前の案ずる気持ちは嬉しいが。…いずれにせよ、わたしとて無用な危険は犯さぬ。人家を避けて行く事にしよう」

 結局、全てでは無いにせよ村人達にも事情を話し、出立せねばならぬ由を伝えた。斯様な事態となればいかな村人でもどうにもならぬ、皆精一杯の、しかも隠密の不自由な旅ゆえ細々した餞別を多数よこしてくれた。さらに、あの昂達にどうしようもなく懐いてしまった名馬、光陰と磐石の二頭をも。街で借りた馬とは大違い、宮殿でも運べると豪語した元の持ち主に偽り無く、宝剣持ちの昂をまるで空の麻袋の様に乗せてしまう。しかも北方の血筋の由、実に毛深く足音低く、無駄に驚きいななく事もない。何より金剛を喜ばせたのは、結局昂の乗馬となった駿馬、光陰が全く真実昂に忠実で、他の人間を実に嫌い金剛であっても全く寄せ付けず昂の事のみを心底好いて丁重に扱った事だった。まだ幾らか幼い馬だが、どんな火急においても主だけは見捨てずに乗せて駆け逃れると言う保証は何よりの宝である。
 とにもかくにも、不安を含ませながらも二人の新たな道行きが始まった。

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(C)獅子牙龍児
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