六章 泥魔 (1)


 情報は得たとは言え。
 子どもの事に胸を痛めたまま帰ってから、ほんの数日の事だった。

 深夜、ただならぬ気配に飛び起きた。歴戦の金剛のみならで、昂まで。…もっとも、室内は酷く静寂。特別あつらえの厚い壁は密談には適するが逆に廊下の喧騒すら遮断し果ててしまうが難点。数ヵ所にある隠し穴を注意を重ねてそっと開け、外の声をば招き入れる。

「火事は…火はどうなったんだ!」
「見えた!もう煙だけじゃないぞ、赤い光も見える!」
「風は…!?」
「駄目だ!やはり街へ寄せているそうだ!」
「奴らはどうなったんだよ!連中は水かけても消えないだろう!」
「煩い!まだ皆戻ってない!分からないんだ!」

 場所は離れているようだが、緊迫の会話が聞こえる。火事と聞いて手早く身支度荷物を整える。二人に取って惜しい物はわずかであるから速いものだ。が、『街』へ炎が迫るとは…
 だん!だん!だん!扉を激しく叩く者がいた。
「金剛様金剛様金剛様!」
 口から泡まで吹きながら転がり込んで来たのは、恐ろしく憔悴した宿の主人であった。

「た、大変でございます!」
「それは分かっている!…落ち着くのだ」
 偉丈夫に喝を入れられ無理やり深呼吸した主人が言うには。
「若様が…御領主の御子息様が、あろう事か、腐鬼の住まう林に火を放ち…火事は止めどもなく広がり、風向きもこちらへと向かい、しかも腐鬼が…」
「…燻し出されて、鬼どもまで向かって来ると言うのか!」
 こくこくと、もうどれが涙か汗なのか、窮地の極みの表情でひたすら頷く。
「金剛」
 凛とした声。…振り向けば、剣を吊った少年が瞳に意志秘め立っている。
「行くしか、無いよ!」
 元より小柄、病癒えて間もない身体はまだ細い。夜明け前の闇にも白い顔色が痛々しい。だが。
「…うむ」
 己のなすべき事。それは一つしかない。全てを振り払い、宿の外へ街の門へと駆け出した。


 街は大変な恐慌である。時が時だと言うのに通りによっては窓全てに灯りが付く程で。事の詳細を集めんとする者、伝える者、また逃げる者や喚く者多数、大通りすら人ごみに溢れ容易には通り抜けられぬ。ただ皆あまりの事態に殊更他人の姿を省みる余裕無きを幸いと、最短距離にて門まで行く。門には…怒鳴り散らす愚者がいた。
「早くしろよお前ら!腐鬼どもがやって来るんだよ!」
 馬車の上で一人叫ぶは件の息子らしいが。
「馬がくたばっちまったんだ!早く!俺の宝を無駄にしたいのか!」
 闇故確とは見えぬが、確かに光る物、荷台に多数。…腐鬼は彫金、宝石の類を好んでため込む癖があり、その宝を狙ってわざわざ戦いに赴く者も少なくないが。命の火急のこの時に、愚か者の財産など誰が知る?

 だが、この切迫の時に昂の思考は不可思議に冴え。突如妙案思い付く。
「金剛!腐鬼は光り物が大好物なんでしょ!あの荷馬車、街の外に出せば…」
「む!うまくすれば村に入れず引き付けられるかも知れぬ!」
 瞬時に主の策を知り、ひたすら無為に喉を枯らすうつけの足を掴んで引きずり降ろし。一見精も根も尽き果てた様相の馬車馬に喝入れなんとか奮い立たせ、昂共々乗り込み、驚き慌てる人間の列縫い駈けさせ…
 顧みる街の灯が小さくなる頃、忘れもしない凶声が耳に嫌悪を催させた。


 さっと、馬車を降りる。…既に火事の林は程近く、辺りは松明など無用の明るさ。無理をさせた労を短く優しく労い、名も無き馬を逃がしてやる。後には二人の剣士と、火影に輝く腐鬼の宝。四方に散るかに見えた奇妙の声は、格好の獲物を見つけて喜々として向かい来る。
 あの時と今の自分とで大して変わったとも思えぬが、逃げ場の無い事は分かっている。何より…
(ここで引いたら…街の人達が!)
 いまだ、あの日の決裂のままの、子ども。その笑顔と最後の一瞥と…まざまざと脳裏に甦る。

 …失いたく、無い!

 真正面を見据え。いにしえの剣を引き抜いた。



 辛くも…鬼も火傷が響いてか、常の執念に欠けていた…鬼を追いやったが、街へ戻った二人を向かえたのは激怒の領主の息子であった。全部では無いにせよ、戦いのどさくさで荷台の宝物は大幅に減っている。むしろ昂達が光り物を奪い去ろうとする鬼の動きを構わずいたからこそ、圧倒的な多勢無勢を戦い抜けたのだが、民草など人とも思わぬ思い上がりの貴族の事、口を極めて罵倒する。
「この役立たずの穀潰しがァ!!俺が汗水垂らして集めた宝を…よくもよォ!!」
 死闘の疲労もある、そして何より宿の主人に禍の及ぶは何としても避けたい所…龍の主従はだんまり決める。
 と。金剛が驚愕に鋭く頭を上げた。
「…どうしたの?」
「いかん!私とした事が…」
 はっとした昂が辺りを見渡した時には…
 無数の、私兵。

「へ…お前らみてェなクズは臭い飯が似合いだな!…」

「おのれ!…いっそこやつら全て…」
 誓約の試練の。百人の贄に…龍の眼に闇い光が灯る。
 だがそんな金剛に、脇からそっととどめる手…
「駄目だよ」
「しかし!」
「…そりゃ、僕だって今なら心置きなく果たせそうだけど」
「昂…」
 小さなつぶやきではあったが。少年の声音に常に無い怒りが秘められていた…彼もまた、荒ぶる龍の血族に相違無く。その上一族統べる王でもあるのだ。
「でもね」
 いささか呆然と、主を見つめる龍に少し笑み作り。心純なる少年は真摯に静かに言葉を継ぐ。
「もっと覚悟の上でなきゃ…剣だって認めてはくれないと思うんだ」
 視線を落とす…龍王の剣へ。
「僕は。真実龍王の座に相応しく無いとね…」
「…それは、そうだが…」
「第一」
 その幼さを残す顔立ちが…瞬時に冷然としたものに変じ。

「…あんなの斬ったら剣が腐る」

「昂!」
 言うなり少年は剣をすっかり納めてしまい。
 変わって今度は悪戯っぽい笑みを浮かべて金剛を見た。

「この龍王の剣の『護り』…多分、どんなに兵隊がいたって僕から取り上げられないよ」
「フ…如何にも」

 かの剣は厳しく主選ぶ神秘の武具、剣の認めた龍王その人を除き、なんぴたりとも扱えぬ。
 いやさ、誓約いまだ成らぬ今、豪傑の金剛ですら持ち上げるのがやっとの有様なのだ。

 若き龍王は知らぬ内に鱗気を、龍の気概を増している。そうと知れば是非も無い、忠義の直臣同じく得物を納める…
 屈する気なぞ微塵も無いが。龍とて時には地に伏し時宜を待つのもまた肝要。



「ふう…」
 昂は横になっていた。
 …ここは結構な屋敷の地下の牢、また無体に華美な館に良くもまあ貧しく暗い一角を設けたものだ。中に一歩足を踏み入れた途端、大量の油虫に鼠の群れが押し寄せたのには胆が冷えたのだが。金剛の一睨みで怖じ気づき、さらに昂の剣の一振りに完全なる恐慌を起して何処ぞへか消え去って行った。
 そう、龍の主従は捕えられこそしたが…剣は昂の思惑通りに手元に残されたのである。

 大体、街の住民達は何も領主の息子を慕う訳ではまるで無く。常日頃その傍若無人ぶりにはほとほと手を焼いていた。またあの混乱の中、昂と金剛二人こそが街の破壊を辛くも食い止めた…そんな事は皆知っている。
 しかも、だ。
 あの卑怯なる捕縛の一幕にて、涼しい顔して武器収めたる、その潔さがまた感銘を呼んだのだ…群衆の中には領主の息子の手の者に、石など投げる者すらいた。
 夜の暗さ故、判じは付かぬが。非道の私兵ぐるり取り囲みし人々は、日頃の恨みも相俟って殺気めいた怒りの視線を向けていた…あの愚鈍で傲慢なる領主の息子でさえ、たじろぐ程に。
 それで結局はぐるぐるに縛られただけで…済んだ、と言うにはかなりの不満も憤懣もあるのだが。まあとにかく剣は昂の手元に残ったし、まるで糸巻きにでも巻く様に巻かれた縄にしてもじきに金剛の剛力にて引き千切られてしまっていた。
 部屋は最悪だが。それでも激戦の後、二人はそれなりに一息付いていた。

 ふと、昂がが身を起こす。
「金剛?」
「…何だ」
「今、思ったんだけどね」
 牢の隅に胡座して、瞑想するが如く黙していた龍の勇士に眼を向ける。
「金剛…僕に疲れを取れ取れって煩く言う癖に、自分は全然休んで無いじゃないか」
「そうでも無いぞ?こうして座して動かぬだけでもな、それなりに回復もする」
「そう…?」

「そんなに遠くの…街の外の様子を窺っているのに?」
「な…」
 図星を付かれて龍が覚えず眼を開けば。少年がにこにこ笑っている。

「何故…気付いた?」
「僕だって、随分鍛えられたと思うよ?」
「いや確かにそうだが…」
「それにね、何となくだけど…」

「金剛の、これが鱗気って言うのかな?それが何となく、外へ外へずっと外へ広がって行くみたいに感じられて」
「ふむ」
 豪傑の眼(まなこ)が瞬かれる。

「成る程、お前にも漸く龍王らしさが芽生えて来たと見える」
「漸く!?ちょっとそれは酷いなあ」
「いやしかし上出来上出来、つい先日まで己の鱗気すら見えんでいた雛が…」
 わざわざ大袈裟に目頭を抑える仕草付き。
「もう〜!」
 茶目っ気に溢れ過ぎた勇士は、牢獄の中すら和ませる。
「だが、な」
 …その金剛が不意に真顔に戻った。

「恐らくヤチの蛇との邂逅が良かったのかも知れん」
「…え?」

「蛇身とは言え龍の眷族、しかも由緒正しき血筋故な。正気に返った連中はなかなか佳き鱗気を発していた…お前も知らぬ間に随分と浴びたのだぞ?」
「僕が…?」
「うむ。鱗気が鱗気を呼び、お前の隠された才気を引き出した…何より鱗気に溢れた場は龍育たすにもっとも相応しき場」
「でも…金剛なんか龍だよ?その、ヤチの人達には悪いけど…あっちは一応蛇だし…」
 ヤチの『人達』と言ってしまう少年の心に微苦笑しつつ。金剛静かに言い聞かす。
「しかしあやつら群れであった、違うか?数と言うのも莫迦には出来ん、しかも連中真実お前に敬服していた…」
「そ、そうかなあ?」
「ああ」
 わずかに。豪放磊落の筈の眼(まなこ)が曇る。
「何処ぞの愚かな七龍と違ってな」
「金剛!」

「…だって…あのヤチの人達だって最初は…」
「あれは操らた故の所業」
「でも、金剛だって!」
「わたしには弁明の余地なぞ皆無…忘れるな、この金剛は決して善き七龍では無かった…」
「そんな…」
 偉丈夫が沈痛に肩を降ろした様が昂には辛い。

「だけど…だけどね、たとえそうだとしても昔の話だよ」
「昂…」
「僕ね。金剛に…本当の龍に出会えて嬉しかったし。金剛、何時だって絶対助けてくれたし…一番頼りにしてるから」
「それはまた、勿体無い言葉だな」
 金剛苦笑。助けられる様な羽目に陥れたのもまた、金剛自身であるから…
「それにね。それだけじゃ無いよ」
 少年は。真直ぐ真摯に偉丈夫を見る…

「僕ね。あの沼地に行ってから、前以上に強くなりたいって…そう思う様になったんだ」
「ほう?ヤチのためにか?」
「それもあるけど…あの小さな子のために」
「あの無礼な小僧のためにだと!?」
 あれ程昂に懐いてした癖に、たった一つの疑心で一転憎しみすら向けたあの子ども。
 …龍の血筋を引き龍王がために製された、浄化の力秘めたる翡翠の首飾りがために…
「お前が気に病む事など微塵も無い!あの者が後生大事に抱えていた、『降魔の御統(みすまる)』は…紛う事無き龍王の宝物!お前の物と遥か太古より定まっていたものだ!」
「だけど…あの子にとっては一番大切だったよ!ヤチの皆だってあれは酷過ぎるよ!」
「う、うむ…確かにヤチのあの所業は勇み足だが」
 角の蛇、いささか子どもの今は無き家族を思う心を軽んじていた。無理やり『形見』の品を奪おうとするとはやはり誹りは免れまい。
 …しかし。

 成龍へと変化の途上にある…今の昂は常の人間よりも世ほど瘴気に敏である。

「…単に始祖龍の持物であった故事のためばかりで無く、今のお前には必須のものだ。あの子どもとて、此度の騒動収まれし後は最早…」
「でも駄目!」
 少年の声はきっぱりとしていた。

「本当の所へね。僕の我がままなんだ」
「お前の?」
 少々その意図判じが付きかねたのだが。
「あのね…だから、ぼく。まずあの子と仲直りしたいから…」
「ああ」
 偉丈夫も表情を和らげる。
「そうだな」

「僕がね。僕がもっともっと強かったら…全然、あの首飾りなんか要らない位に強かったら。そうだったらあの子も疑ったりはしなかったよ」
「うむ…一理はあるが」
「うん」
 ほんの少し。昂は眉を曇らせる。

「本当はね。僕が強かろうと弱かろうと…僕がそんな事、絶対嫌なんだって事をね、判って欲しかった…」
「…ああ」
「でも。僕にはそれ位しか、説得する方法、思い付かないから…」


「それって。弱さだよね」


 粗末な寝台の上で膝を抱えて黙り込む少年。
 しかし。
 偉丈夫はむしろそんな少年にこそ、一つの強さを見い出していた。

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(C)獅子牙龍児
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