六章 泥魔 (3)


 光陰、磐石の二頭と。他にも火事場のどさくさに略奪に遭いそうな品々を街の外れに運び切り。移動に駆り出された宿の人間達も一息入れていた。
「坊主!お前も意外な才能あるじゃないか!」
「ああ、ちっこい馬方殿のお陰で助かった!」
 大人達は全く二頭の暴れっぷりに手を焼いたから、裸足の子どもには真実恩義を感じていたのだ。場所が場所、秘密の倉庫の様な館であるから大した物も無かろうに、無理にあちこち探したらしく…ちょっとした菓子の類と軽く腹の膨れる品が幾つも振る舞われた。
 子どもの小ささには充分過ぎる量ではあるが。常ならそれでもぺろりと平らげる食べ物の山を前にして。ほんのわずか、申し訳程度を口にするのみ。
「どうした?」
「生意気に遠慮でも覚えたのか?」
 大人達の朗らかな笑いですら。小さな心に突き刺さる。

『それなるは、元より当代様の所有の品と、古来より定められたと言うべき品!』
 角蛇達の声が蘇る。話の中味は半分も判らなかったが、それでも一番肝心要は良く判った。
 子どもの後生大事の護りの形見、この緑の光る石で出来た首飾りは。子どもが持つべきでは無い…
 いや。蛇が叫ぶ前から知っていた、本当は…

「おい?本気で食わないのか?」
「腹でも痛むのか?」
 子どもは仕方無しに首を振る。
「じゃあ…一体、何だったって言うんだ?」
 それは…

「おれ…何かあたま…ぐちゃぐちゃして…」

 子どもが。幼いなりにやっとで発した言葉から。
 大人達は悪意無く勝手に結論を導き出した。

「そうか…そうだな、腐鬼どもに火事…」
「お前も怖かったろうなあ…」

「…!」
 子どもはぎゅっと衣服の上から緑の石を握り締める。
 腐鬼。護りの首飾り。形見…


『この首飾りはね、お婆ちゃんから母さんへ、そしてあたしの所までやって来たのよ』
 在りし日。あの首飾りを着けて微笑む姉。
『そしてね。あたしに娘が生まれたら…その子にあたしが伝えるの』
 ほんのり頬を染め…娘らしい恥じらいを見せて姉が言う。
 …好いた男との、婚礼を控えていた…
 たとえ飲み水に事欠く暮らしでも、祝い事には精一杯、姉も婚礼衣装を苦労して縫っていた。
『この首飾りはね…そうやって、母親から娘へ、ずっとずっと伝わって来たのよ』
『ちぇ』
 弟は膨れる。
『ずるいなあ…おれのトコには絶対来ないじゃんか』
 姉は困った様に笑う。
『そうねえ…だけどこれは飾り物よ?』
『そりゃ、そうだけどさ…なんか、奇麗だよなあ…』
 弟は昔からその輝きが大好きだった。

 特別な品だからと、滅多に見られ無かった。
 暮らしが厳しいのに、金に代えられる事も無く。長く伝わって来た格別の宝…
 勿論、『虚栄心』などと言うものでは無く。
 ただ純粋にその輝きに魅かれていたのだ…

『それにねえ、この首飾りには謂れがあるのよ』
『いわれ?』
 母に似て、語り物の得意な娘が歌う様な口調で語り出す…
『とてもとても昔の事、あたし達のご先祖様の住む村に、尊い方がいらしてね。村の娘と恋に落ち、長く長く幸せに暮らしたの…』
 子どもも生まれ、何ら欠けた所の無い暮らしだったが。ある時『尊い方』がどうしても故郷に戻らねばならぬ難事が沸き起こる。
『…なんだ、勝手にやって来て勝手に逃げたのかよ』
『違うの!本当に、大変な事だったのよ…』
 姉は遠い過去に思いを馳せる様、眼を閉じる…
『それにね、続きがあるのよ』
『続き?』

『いつか、いつの日にかね。その御方に所縁のある方がきっとこの地にいらっしゃるから、あたし達の所に立ち寄られるから。その時まで、これを預かっていて欲しいって…』
『預かるぅ!?それってくれたんじゃ無いのかよ!』
『そ、貰った訳じゃ無いのよ。今はあたしが仮に持ってるだけ』
 不満たらたらの弟に、姉は困って苦笑する。
『それに…人相も判んないのに、どうやって判れって言うんだよ!』
『それはねえ…』
 姉は。どう言う訳だか、弟を見てまた困った様に笑う。
『姉ちゃん?』
『…ううん、何でも無いわ。まあ一応悪者が話を聞きつけやって来ない様にね、この話はなるべく秘密にしてあるのよ』
『はあ…』
『大体、あんたに話すのだって本当は掟破りなのよ?』
『え!』
 まあ、今の話ですっかり全部って訳じゃ無いけどね…姉はにこにこと笑う。
『だって…これはね、本当はあたしの娘にだけ伝える決まりなの。昔の娘が預かった品だから、娘に返す事が出来なかったら…その娘が、また預かって尊い方の御幸を待つのよ』
『だけど…でも』
『可哀想だけど。あんたは絶対にこの首飾りを持てないんだから』
 その言葉が。かちんと来た。
『姉ちゃん、それ姉ちゃんの赤ん坊にやるのかよ』
『ええ、その子が娘だったらね』
『なら…』
 悔しかったのは確かだ。それでも悪気は無かった…

『姉ちゃんの子なんて、生まれなきゃいいのに…』
 …言ってしまって、はっとした。

『お、おれ!その…』
 泣きそうに慌てる弟に。しかし姉はそれでも優しかった。
『もう!酷い事言うのねえ…』
 言葉では怒った振りをしながらも、たった一人の弟に甘いその姉は…もう一度笑って。
 やにわに首飾りを外し。それをそのまま弟の首にかけてやる…
『ね…姉ちゃん!?』
『上げるんじゃ無いわ、ちょっと貸すだけよ?』
 悪戯っぽく微笑んで。
『妬む人もいるからね、絶対に見せては駄目。そして…判っていると思うけど、大切に扱うのよ?』
『う、うん!』
『それとね、あたしも祝いの席ではやっぱり着けたいの…その時にはちゃんと返してね?』
『うん!おれ、約束する!』

 そして。
 それは姉と交した最後の約束は。
 …永劫に果たせなくなった…

 あの…翌朝。
 ぐちゃぐちゃになった部屋に残されていたのは。
 見慣れたものであって見慣れたもので無く…


 不意に。ずっとずっと頑なに拒否していた、あの蛇達の話と姉の話がぴったり繋がって。
 そして。
「…!!!」
 変り果てた姉の姿と…記憶に残る『兄ちゃん』が重なった…


「おい、どうした!」
 大人達ががたがたと、椅子を蹴飛ばす様にして立ち上がる。
「何処か…本気で悪いのか?」
 胸元を握り締め、苦悶の表情で屈み込む子ども…額には油汗まで。
「とにかく横になって休め…」
 伸びて来る親切な腕を乱暴に振り払う。

 あの夜。たった一晩だけ護りの首飾りを手放した姉は。助からなかった…
 そして。今、囚われの身となっている…『兄ちゃん』は?
(…絶対嫌だ!)
 せめて、あの危なっかしいけど優しい『兄ちゃん』だけは…!
 子どもは。決意も新たに立ち上がる!

「おい!お前、何処か痛むんだろ?無理せず…」
「無理なんかしてない!」
「ど、どうしたんだ急に…」
「おれ、行って来る」
「行くって何処へだ?」
 子どもが口を開きかけた時…

 酷く慌てた足音が聞こえて来た。



 ドン!ドンドンドン!
「あ、開けてくれ!大変な事になったんだ!!」
 酷く切羽詰まった危急の声。そのあまりの逼迫に、合言葉もそこそこに扉を開ければ…
「や…奴らがまたやって来たあ!」
 昂や金剛達が決死で追い払った筈の、あの腐鬼の群れが。再び襲来し…
 今度こそ、街の中まで入り込んでいると言う。
「な…なんて事だ!」
「選りに選って、剣士様が捕まった今とは…」
「いや、待てよ!あのドラ息子、こうなっても剣士様をあのままにしているのか!?」
「それが…」
 火急の知らせを運んだ男、顔色紙よりまだ白い。
「様子がとにかく恐ろしい事になっているんだ」

 私兵達がおかしい。
 元来が狼藉を好む残虐非道の集団であったのは間違い無いが。そこにさらに磨きがかかっている。街の中まで侵入を果たした腐鬼に立ち向かうどころか、逃げ惑う住民達に立ち塞がり腐鬼の方へと剣を振るって追い返す。いやさ、どうやら苦労して閉ざした街の門を、愚かにも内側より開いたのもかの私兵達だと証言する者もいると言う…
 そして顔つきが明らかに異常で。中にはあらぬ方向に首を曲げたまま、ひたすら住民達を襲い続ける兵もいた…
 領主の息子の館は今やその異様な私兵の巣窟となり、近付く事すらままならず。
 その気の触れた兵達に、宿の主人まで連れ去られたのである。

「もう…どうにも判らねえ!滅茶苦茶だ!」
「そ、そんな…」
「せいぜいが内から閂がっちり締めて、家の中で震えているしか他にねえ…」
 絶望の支配する沈黙…

「どうにかして…助け、呼べないのか…」
「馬鹿野郎、隣街まで行き着く前にこの街は終わりだ!」
「大体よっぽどの数、かき集めねえ事には…」
「それも頭の真っ当な、それでいて強い連中…無理だ無理だ!!」
 子どもは。
 大人達の言葉にはっとした。

 近く。
 数。
 強い連中…

「…あ!」
「な、何だあ!?」
「いる、いるじゃんか!」
「はあ…?」
 突如興奮した様子で叫び出した子どもに皆仰天。おまけに子どもがやにわに駆け出したから…
「おい!?こんな時だってのに一体…」
「おれ、呼びに行く!」
「だ、誰を?」
「助けだよ!」
「おい正気か!?」
「当り前だろ!とにかく…すげえ強いし数だって飛びっ切りの奴、連れて来る!」
「そ、そんな奴が何処にいるってんだ!」
「沼だよ沼!」
「沼ぁ…?」
 あくまで押し止め様とする大人達に、子どもは焦れて地団太踏む。
「角蛇、あの連中だってば!」
「な…!?」

 この街からさほど遠からぬ、沼地に住まう角の蛇…ヤチの一族。
 街より遥かに古いその一族は、古代より伝わる霊薬の秘法を有しており、交易を通じて街の人間にもそれなりに知られていた。並の蛇より身も大きく、何より額に生やした鋭い角…住処が酷い沼地で難所の上に、そんな格別の蛇が護るから。秘薬得れば金になると判っていても、盗人すら寄り付かずにいた程で、皆その蛇が己の土地より滅多に動かぬ事を幸いとしていた程に恐れてもいた。

「そ、そりゃあ…連中数がいるのは確かだが」
「しかしお前…」
 その滅多に暴れぬ蛇の乱心で村を襲われ、今も辛酸を舐めているのでは無かったか?
「第一!どうやってあんな連中をここまで連れて来るんだ!」
「近付いただけで食われちまうぞ!」
「あいつらに俺達を助ける義理はねえだろ!」
「だけど…だけど!」

「おれ、見たんだ!」
「何を!」
「あの『兄ちゃん』…蛇の奴らを正気に戻して、しかも蛇が『兄ちゃん』の危ない所助けたのを…!」
「何だって!?」
 信じられない…皆口々に。

 しかしもう、短気な子どもは耐えられなかった。
「おれ、行く!」
「こら待て!」
 小さな身体で、鉄砲玉の様に飛び出して行く…



「『光陰』、おい『光陰』!」
 息せき切って馬小屋に辿り着くと、駿馬が胡乱げに眼を向けて来る。さも、軽々しく呼ぶな…と言わんばかりに。
(構ってられっかよ!)
 馬達の白い視線を無視して、柵を開け、馬を必死で引き出そうとする…
 ヒヒン!駿馬鋭い声で抵抗の構え。
「違う!お前を盗もうってんじゃねえよ!」
 聞く耳持たず、前脚で威嚇。
「だから…お前の御主人、あの兄ちゃんを助けに行きたいんだ!」
 馬の動きがぴたり止まり…ほっとしたのも束の間、馬がぐいいと顔近付け、子どもの目玉の奥の奥まで疑り深げに覗き込む…
(う…!)
 思わず胸の護りの飾りを握り締める。

(おれ…)
 馬ばかりで無い。
 あの時。本当は自分の物では無いこの品を、無理に守ろうとして。
 蛇達の話を聞いて。本当は姉の話と同じだと、すぐに気付けた筈なのに。
 そして何より、あの『兄ちゃん』に酷い事を言った…

 角の蛇達は。
 その一部始終を見ていたのだ…

(おれ…殺される?)
 もしも。あの時首飾りを渡さなかったために…あの『兄ちゃん』にもしもの事でもあったなら。
 ぶるぶるぶる、子どもは必死で不吉な考えを振り払う。
(兄ちゃんは…死んでなんかいない!)

 …沢山の人間が自分の周りで死んでいった。
 ある者は病で、ある者は私刑で、ある者は…喰われて。
 でも。
 自分が生きて行くために、無理に慣れた振りをして来たけど。
 人が死ぬのは絶対嫌だ。二度と笑ってくれないなんて、物凄く嫌だ…

(兄ちゃんは…兄ちゃんだけは絶対死なせない!)

 きっ!と。光陰の瞳を睨み返す。思わずたじろぐ馬の手綱をすかさず取り、沼地の危険な場所を探るため小屋で拾った長く細い棒を取る。そのまま外へ向かおうとして…はた、と困り果てた。
(そうだ…灯りがなきゃ…)
 そう思い、足が止まった途端。
 馬小屋の扉が勢い良く開けられた。

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(C)獅子牙龍児
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