六章 泥魔 (6)


 街は最早壊滅状態だった。
 恐らくは付け火、大小を問わず家々の数々が炎に包まれ。残酷な灯りが夜空まで真っ赤に染めている。
 腐鬼は大通りにまで溢れており、泥魔のディーマに取り憑かれた私兵達が虚ろな眼のまま街中を我が物顔で濶歩している。瘴気に操られた腐鬼達は数が無体に多過ぎて、私兵達は巧みに連携し…厳しい。
 例の秘薬の効能もあり、再び眼を覚ました宿の主人や従僕の協力も得、ヤチの角蛇を護衛にかなりの人数を籠城に適した館へ逃がしても焼け石に水…
「鬼どもは我らが!」
 数には数をとばかりに角蛇達、果敢に鬼に向かって行くが。やはり埒が開かない!
(どうしたら…)
 焦燥に囚われ、瞬時反応が遅れた。

「このっ!!」
 小さな気合いに遅れて奇怪な悲鳴。慌てて眼を向ければ…外へ逃げるなりなんなりしたと思っていたあの子どもが『光陰』に乗り、昂に襲いかからんとしていた私兵に向かって『秘薬』を贅沢に撒いている…
「そら!眼潰しだぞ〜!!」
「こら止せ!『秘薬』をそのよに無駄に扱うな!」
「何より何処を狙っている!」
「え?…おれ、ちゃんと眼、狙ったよ?」
「眼は眼でも宿体の眼では無いか!奴らの本体はあの泥なのだ、泥中の眼球狙わねば意味が無い!」
「へ?けどさあ…」
 不満気な子どもの声。
「別に。どっちの眼にぶち当たったって…ちゃんと効いてるけどなあ!」

 そう。
 先刻宿体の眼(まなこ)に『秘薬』撒かれた一体は、実際泥の本体無傷だのに…まるで前も見えぬか如くに奇妙な暴れ様…

「奴ら…或いは宿体との同調過ぎるがためにあの様に…」
 金剛が大剣構えつつも独りごちる。
「へ?どーゆー事だよ?」
「つまり…結局眼潰しするのにね、どっちの眼を狙っても良いみたい…」
「じゃ、いーじゃんか!」
 一段と瞳を輝かせて、子どもが貴重な『秘薬』の壷を抱え込み…
「こ、こら!眼潰し狙うならば他にも品があるだろう!!」
「ケチな蛇だなあ…」
 渋々別の器を取り出した。
「…何じゃそれは?」
「ん?竈の灰」
「そ…!」
 ぴりぴりぴり!蛇達鱗逆立てて大激怒!
「この…そのよな物がありながら、伝来の『秘薬』を…!!」
「うるさいなあ…」
 ぶつくさ。何処か微笑ましい蛇と子どものやり取りに、瞬時周りの事態を忘れるが。
 そこへ…ざざと迫る化け百足!
「危ない!」
 間に合わない…!!

 ぐしゃり…
 鈍い音。
 呆然と眼を向ければ嘶き一つ。
 …すんでのところで力馬の『磐石』、百足の頭(こうべ)を重い脚の一撃で踏み抜き防いだのだ。

 とは言え大百足も一匹ならず。
「…!」
 絶え間無く襲いかかる蠱どもを懸命に払って行く。
 ちらり、子どもの方に眼をやると。角蛇や磐石が警護し、その上光陰の脚力に護られているが…楽観の出来ぬ状況である。その上一見無邪気に灰を撒いている風に見えながら、その顔ははっきりと強張っている。
 虚勢でこの場に馳せ参じた…
 誰のために?

 傍らの金剛も。
 恐らくは昂の心情慮り…繰られた私兵達を斬るで無く、取り憑いた泥のディーマを狙って斬撃を振るっている。あれ程の大剣でよくも…図抜けた膂力と技量あらばこそ。
 だが。
 さしもの偉丈夫もまた、深手から癒え切れてはいない筈である。

 …思考のための休息など取れない。
 少しも手を休める事無く毒虫を率先して倒しつつ、昂は確と己に問う。
 あのディーマは。地下で力を発動させても、地上までには届かないと言った…では地上では?
 昂独りでは、この街…広過ぎるのか?
 余力は、あるのか?自分に、望みに相応の力は…残っているのか。
 無視はしているが、目眩は今も時折昂を襲う。

(…出来る?今の、僕に?)
 ぎりぎりだ。
 それでも。
(他に方法は…?)
 …皆無。

 剣に視線を落とす。刃に浮かぶ紋様…龍紋は、叫ぶが如くに激しく踊る。昂の意図を肯定するとも否定するとも付かず…だが同時に。如何な決意であれ、剣が昂の決意を拒絶するとも思えなかった。
(お願い…僕に、力を貸して…)
 剣の輝きいや増す。

「金剛!」
 きっと顔上げ鋭く叫ぶ。
「少しの間だけ…お願い!」
「昂…!?」
 驚き振り向く偉丈夫に、ほんの一瞬微笑みかけ。
 そして眼を閉じ深く集中…

「と、当代様…!!」
 悲愴な声が昂の集中乱しかけるが。そこへかぶさる鋭き声。
「静まれヤチ!昂の…当代の決意、浮足立つな!」
(金剛…)
 そう言う偉丈夫の声にこそ、昂案じる不安がにじむ。
「仮にも鱗族の端くれならば…当代の意を酌む事こそ肝要!」
 むしろ。己に言い聞かすが如く…
「今暫し!何としても…持ち堪えるのだ!」
「…は!」

 眼を閉じているのに、何故だかはっきり姿が見えた。
 偉丈夫の口が、音を発せず言葉を紡ぐ。
 死ぬな、と…

(うん…うん…!)
 剣の柄に力を籠める。
 意識を広げ、街の全てに思いを馳せ…

 龍王の剣が。
 清浄の煌めきを放った…!!



「…う…」
 膝を付く。剣を支えにしても、とても身を起こす所では無い。
「どう…なって…」
 声を出すのも辛い中、絞り出す様につぶやくと。確かな答えが返って来る。
「見事だったぞ、昂。見ろ…」
 のろのろと顔を上げれば。高潮の引く様に外へ外へと逃げ行く百足に腐鬼の群れ…
 時に戸惑う様にきょろきょろと、逃げもせで立ち止まるものもいるにはいたが。角蛇の威嚇に造作も無く追い立てられる…戦意がまるで消えたのだ。
 蠱どもの消えた通りには、倒れ込んだ私兵達。取り憑いていた泥魔どもも、浄化の光に耐えかねて、遮二無二逃げ出したらしい…
(良かった…)
 安堵とともに今度こそ気が抜けて。
 その場に崩れる様に倒れ込んだ。


「良くやった…」
 偉丈夫の腕に支えられる。
「もっとも。…正直、殴ってやりたい気分ではあるがな…」
 おどけた口調に切実が籠り、聞く方の胸も詰まる。
「…いいよ、殴っても…」
「無茶を言うな、今のお前を殴っては…」
 にやり、豪傑らしい笑み浮かび。
「わたしがあやつらに袋叩きの目に遭うぞ?」
 角蛇ヤチに、光陰と磐石。それに…昂の鱗気に感応して、頭髪全て翠に変じた子ども…
 皆が。昂の無事を、泣きそうな表情で喜んでいた。

「…兄ちゃん」
 人にはありえぬ髪のまま、子どもが静かに昂の元へ。
 気付いて。昂は力の入らぬ腕で、『降魔の御統(みすまる)』を外しにかかる…
「あ!ち、ちがうんだよ兄ちゃん!」
 蛇より先に、子どもが慌てる。

 それでも必死に返そうとする腕を、急ぎ駆け寄り押し止めて。子どもは堰を切った様に語り出す…
 姉の、最期…
 そして。一族が、「いつか」を願い永きに渡って語り伝えたその思いを。
 いっそ、淡々と昂に語る。

「だから…」
 子どもが真摯な瞳で昂を見る。
「これは。はじめっから、兄ちゃんのモンだったんだ…」

 ぐっと真一文字に口結び。思いを振り切る様に立ち上がろうとする子どもに。
 昂が待って、と手で制す。
「兄ちゃん…?」
 話すのも辛い様子で何事か告げ様とする昂を案じて屈み込めば…
 不意に腕に包まれた。

「君は…ちっとも悪くない…」
「…!」

 本当は、本当は自分が許せなかった。
 沼で激高したあの時だって、本当は自分に対して怒鳴っていたのだ。
 些細な我がままで、母の形見を姉の形見にしてしまった…
 一時の気紛れで。姉の護りを奪ってしまった、自分の愚かさに。
「悪くないよ、本当に…」
 優しく頭を撫でられて、酷く久しい感触に。
 涙が溢れた…


 腕の中で子どもが嗚咽を上げている。
 そっと、ひたすらその頭を。優しく抱えて飽きずに撫でてやる。
 判る、などと言う思い上がりは無いが。
 それでも鱗気に応じて翠に変じた髪の毛から。不思議に心情伝わって来る…
 これが。同じ龍の血ゆえの魔法と言うなら。
(僕の気持ちも、この子に伝えてよ…)
 この小さな子どもの悲しみを。拭ってやりたい…

 思いが通じてか。
 やがて子どもが身を起こす。

「へへへ…」
 昂の視線に気付いて。照れ笑いしながら涙をぐいっと拭く。
「情けねえとこ、見せちゃったな!」
「ううん…」
 灰と煤で汚れた拳で拭うから、子どもの笑顔は墨を塗った様に真っ黒だったが。同時にとても眩しかった。
 幼い身で。精一杯の勇気を示した証だから…
「おい!おっさんも手伝えって!兄ちゃんもっとちゃんとしたトコで休ませるんだからさあ!」
「…全く、図々しい奴だな」
 半ば諦めた様な金剛の声に、笑みも浮かぶが。
 …次の瞬間凍り付いた。


「金剛!」
「どうした?」
「だって…怪我が…」
 地下で見た時よりさらに酷い。腕と言わず脚と言わず、顔にも百足の噛み傷が。
 浄化のための集中の折、金剛がどれ程傷ついたか…
「ご免…許して…」
「何を言う」
「だって…僕がこんなじゃ無ければ…」

「試練、早くに果たせたら…」
 …金剛を再び龍身に戻せたのに。

「金剛だって!ちゃんと、元の…龍の身体だったら…」
「言った筈だ、元はと言えばわたしの咎だと」
「でも…」
「これから幾らでも機会はある。焦る事など何も無い」
「だけど!だって…僕、こんなで…金剛の他に…六人もいるんだよ…?」

 七龍との誓約、古き伝承が王に課した、龍族復興の必須の条件。
 本当に、自分に果たせるのか?

「焦るな、焦るな!お前はまだ若い、道は長い…」
 豪傑らしい笑みを浮かべつつ、力無い昂を光陰の背へ。
「何と言っても、遠く界を隔てていた…わたしとお前とが出会えたのだ。それだけでも充分奇蹟だろう?」
 ぽんぽんと、うなだれる少年の頭を叩いて。
「ともに旅する内に、何れ必ず『誓約』の時が来る…」
 偉丈夫の頼もしい台詞に答え様と。昂が微笑みかけた時だった。


「ぐッ!?」
 金剛、唐突に苦悶に歪み…吐血!
「ど…どうしたの…!!」
 バシュッ!バシュバシュ!昂の問いに答えるより早く、偉丈夫の胸板貫かれて血飛沫無数。
 …忘れもしない、泥の腕…

「まさか、ディーマ!!」
「当代様!!」
 ヤチの制止も聞く耳持たず、転げ落ちる様に馬から降り。龍王の証の剣抜こうとするが…上体ぐらり。
「兄ちゃん!」
 子どもの支えでやっとで身を起こした…昂に。

「ヒ…ヒヒ…」
 ひび割れた不快の声がした。


「次の機会なぞ…永劫に…消してやる…」
「…!」
 身の毛のよだつよな光景。両腕だらりと下げて、奇怪に気の抜けた表情の…あの領主の息子の片目から。無数の泥の眼球生えている…!
 眼、眼、眼…邪悪の百眼と不浄の腕が。ぞろり、ぞろりと…
「ま…またしても!奴ら、適わぬとみて一つ所に集まったか!!」
 …丁度、沼地でヤチの長を害した時の如くに…
「ハ…ハハ…七龍の一と言えども今は深手の人身…こやつ消しされば…」
「ぐっ…ぬッ!!」
 ごぼり、偉丈夫の口より大量の…
「金剛ッ!!」
「金剛様!!」
「七龍欠ければ…龍の宿願なぞ…」
 ぎぎぎ…奇怪な音立てて。泥の眼球ぎりぎりと睨む!
「死ねェェェェェェ!!!」
「止め…止めろ!!」
「兄ちゃん!?」
 悲鳴の様な声にも答えず…純粋の怒りが昂の身を突き動かした!

「何!?」
 ほんの今し方まで立つ事すら出来ずにいた…昂が。
 剣振りかざして、真直ぐディーマの本体へと。
「あ…あれ程の浄化の後に…動ける筈が…」
 驚愕のあまり身を縮める泥魔の元へ、若き怒りの龍王見る間に近付く!

「金剛は…死なせない!」
「…ヒィ!!」
 残虐非道、醜い嗤いより他浮かべる事の無かった百眼のディーマに。初めて生じる恐怖の色。
 少年の小柄な身体から、炎の如くに鱗気立ち上る!
「僕が…絶対死なせない!」
 剣が輝き…闇を真昼に変える!
「…絶対…に…!」

 …斬ッ!!

「ぐ…ギヤアアアアアア!!!」
 耳をつんざく断末魔、不浄の汚泥が…全て光に飲まれて消えて行く…!


「あ…」
 無数のディーマの消滅を見届けた昂、今度こそ精魂尽き果てて。最早視界も暗く…
「兄ちゃん…兄ちゃん!!」
 必死で駆け寄った子どもの腕が、崩れる昂を支えたのと。
 一体何れが先であったのか…

 抜き身の剣の白刃に、不思議の光めまぐるしく乱舞。
 歓喜の叫びにも似た輝きが。昂の意識を繋ぎ留める…
「に、兄ちゃん!また何かしたのかよ!!」
「…ちが……ぼく、なに…も…」
「へ?じゃあ…これは?」
「…試練成就の、承認の輝きだ」
 よろよろと振り返ると。金剛が大剣支えに立っている。

「昂、お前の働きは剣に認められたのだ!」
「ぼく…の?」
「奴は百体の泥魔の集合…それを一斬の元に倒したのだ」
 誓約がための、百人の贄を…

「じゃあ…ぼく…」
「ああ」
 金剛、力強く頷く。
「お前は…昂、龍族の宿願に一歩近付いたのだぞ!」

 脳裏に、一度だけ見た龍身にて天空を駆ける金剛の姿が浮かぶ。
 試練を一つ成就し。一歩、金剛を解放する…誓約へと近付いた…
「よかっ…た…ほん…と…に…」

「…兄ちゃん!?」
「昂!!」

 案ずる声が幾つも降って来るのを感じていたが。
 全て闇に沈んで行く…

<<戻 進>>


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(C)獅子牙龍児
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