七章 火霊 (1)


 旅の途上で折を見て、金剛がさらりと次の試練を口にした。


 百眼のディーマを倒してからは火山の毒も幾分収まっている。『降魔の御統(みすまる)』も霊験あらたか、嘘の様に昂の体調も良い。火の山は間近である。
「あの山に、ディーマ達が巣食っているんだね」
「ああ。そして火蜥蜴サラマンドラも住まう」
「うん…」
 少年の語尾が震える。次なる試練は火蜥蜴サラマンドラと誓約し、自らの使役とする事。

 サラマンドラは気の荒い種族だと言う。その血統は初代の龍王の時代にまで遡り、姿こそ小さく長く蛇蝎界に代を重ねた不幸から衰えてはいるが、今だに相当の魔力を備えている。ために格別気位も高く、彼等を使役するは至難の技。
(でも、金剛はほんの子どもの内に従わせたんだよね…)
 それも金剛の並外れた戦士ぶりがあっての事。その金剛の支えがあるとは言え、未熟な自分に可能だろうか?

 火山が酷く無情に、大きく見えた…


 山は高さの割りに険しい。道らしい道など皆無、地図も元よりなく、かつて登頂した金剛の記憶を頼りに何とか馬でも登れる場所を探す。風向きの用心は怠らなかったが、ここに来て馬達、特に年若い光陰の消耗が激しい。結局八合目辺りに馬だけ残す事にした。光陰達は酷く無念がったが。
 この辺りになると樹木は全く見られず、草すらほとんど生えぬ岩ばかりの斜面を苦労して這い上がり、漸くにして火口の望める場所に出た。
「やはり火気は相当弱っているな」
「ほんとだ…ここまで来てもあんまり暑くないね…」
 火口の奥深く、ちろちろと赤く輝く物が見えると言うのに。火口の壁にびっしりと、黒く取りついた物体…ディーマの吐く毒に汚されたのだろう。
「あれを何とかしなくちゃね」
「だが、弱ったとは言え火気に近過ぎる…わたしでも少々辛い、まして水気の相あるお前では…」
「そんな!じゃあ、どうしたらいいのさ!」
「サラマンドラの助力があれば火気がお前を害する事はない。…先に誓約するしかあるまい」
「…!」
 どきり、心臓が波打つ。
「一体、どうやって…」
「お前が真実龍王であると示せば良い」
 さらりと言われて、かえって蒼ざめる。
「示すって、どうすれば…」
「分からぬ。御し難い種族であるのは確かだ。が、忘れるな、お前はいにしえの剣にも認められた王なのだ。わたしの試練も既に一つ果たしている」
 確かに百眼のディーマを倒した時に剣は承認の光を放った。金剛は昂の手柄と言うが、剣あっての武勲であるし『一日で百人を倒す』と言う課題をこなした実感はない。
 だが心の準備を固める暇は全く無かった。

「昂ッ!」
 何と思う間も無く少年の身体は抱えられ遠い岩場まで横飛びになり…今しがたいた場所に恐ろしい火柱が立っていた。
「貴様!何をする!」
 きっと偉丈夫の睨んだその先に、赤く巨大な蜥蜴の姿、頭上には鶏冠にも似た紅蓮…サラマンドラである。

「それはこちらの台詞だ、侵入者め」
 少ししゃがれた声。言葉とともに舌が忙しなく出入りする。嫌悪を示すかの様に。
「何を言う、我らは龍王とその一の龍、お前達の敵ではない!むしろディーマを討伐…」
「問答無用!」
 老蜥蜴が激しく発光し、再び火柱!
「くッ!」
 今度も金剛が少年を庇うが、わずかに背中を焼かれて低く呻く。
「金剛!」
「大事ない…」
 改めて向き直るが件の蜥蜴、異様に眼爛爛、激情の様。
「落ち着け!お前とて龍王再来の予言を知らぬ筈はあるまい!今、その龍王がここに…」
「信じぬ…」
「何!?」
「斯様な世迷い言には騙されぬ…今まで自らを鱗族統べる王と名乗った者は数多いたが全て偽り…皆、私欲にまみれ我ら一族の力を欲した愚か者であった…」
「貴様!この霊妙の鱗気を感じぬのか!」
「何の証拠も無しにほざく者だ…」
「くっ…昂、剣だ!龍王の剣を見せるのだ!」
「うん!」
 思いを込めて、掲げる。主の願いを確と汲み、龍紋は華やかに舞い眩しき輝きを放つ。昂の渾身の思いは無限の鱗気となり、虹色の刃より溢れ出る。
「おお…」
 サラマンドラの古老も思わず感嘆。辺りは太陽すら霞むほどの眩さ、それでいて不思議と眼を焼かず、辺りを包むは柔らかな気…昂の心情そのものが、火口一帯を覆う。
 暫しの光の乱舞はやがて終わりを告げ…剣が輝きを収めるとともに少年の身体が大きく傾いだ。すかさず偉丈夫の腕が支えるが、昂の顔色は蒼白。
「ごめん…加減が、分からなくて…」
「いや…見ろ、古老もお前の正体が漸く飲み込めた様だぞ」
 よろよろと首を回せば例の蜥蜴、明らかに狼狽の様子で震えている。
「龍紋の剣…あの鱗気…これはまさしく…」
「漸く分かった様だな、王に向けて狼藉を働いたと」
「こ、金剛!」
 無慈悲な男をきつく睨み、剣を収めてそっと近付く。
「僕らはお願いに来たんです」
「お、お願いですと!?わ、儂のような老いぼれに…」
「はは、これはこれは先程とは大した変わりよう」
「もう、金剛!だって僕みたいのが王だなんて誰だって最初は分からないよ!」
「…そうは思えぬが」
「いや、これはまこと王者の鱗気…」
 堂々たる体躯の古老が憐れな程ぶるぶると震え、平伏。…遅れて畏れが襲って来たのだろう。
「ご容赦を!…長年汚れに触れて我が眼も曇り果ててござった…御無礼は老いぼれの世迷い言とてご容赦下され!一族は、どうか…」
「そんな、どうか顔を上げて下さいよ!」
 慌てて昂が駆け寄る。
「僕だって、ディーマは退治したいんです。でも僕はまだ未熟で…あなた方の助力が必要で…」
「し、しかし我らは…」
 始めの勢いは何処やら、昂が弱り果てる程の狼狽ぶり。業を煮やした金剛が口を開く。
「単刀直入に言おう。龍王はお前の一族との誓約を御所望だ」
「わ、儂らとですとっ!?」
 途端にのけ反り声まで裏返る。…頑固に見えたが、いやだからこそ一旦龍王と認めるとむしろ信仰に近い思いがある模様。
「その眼は節穴か、当代龍王はまだ年若くその上水気の相の君。…そのままディーマ退治のためとは言え、何の護りも無しに火口へ行けと言うのか」
「滅相も無い!」
 漸く話も全て合点が行き…慌てている。初めは全く蜥蜴の様に見えたのだが、こうして見ると人間以上に表情があっておかしい。口元が緩むのに気付き、昂は慌てて勤めて真顔になる。
「では…お願い出来ますか?」
 こくこくと頷く老蜥蜴…次第に感極まったか肩を震わせ伏せってしまう。
「うう…一族の悲願…偉大なる祖、我が父も祖父も曾祖父も成し得なかった誓約を、この儂が…」
 閉じた瞼が暫し痙攣し…遂には涙が!
 …しかし、流石サラマンドラと言うべきか、ただの涙では無かった。赤とも橙とも見えぬ滴がぼろりぼろり落ち地に触れるとともにシュウと言う。
「わ!」
 昂も胆を潰して飛び退いた。

 助けを求める様に金剛を振り返ると、こちらも眼を見開いている。
「な…火蜥蜴が涙とは…」
 常に無い程驚愕の様子、すっかり主を忘れて硬直のまま。仕方無しに諦めて、この意外に感情起伏の激しい蜥蜴に向き直る。
「あの…泣かないで下さい、僕はまだ鱗気もまともに扱えない子どもなんですから」
「うう…儂には余りに分不相応…」
「いえ、僕の方こそ…自分独りではあのディーマも倒せない、未熟者ですから…」
 昂は必死である。違う意味で実に困難の相を極めているこの誓約の成就に目眩を起こしながら、重ねて請うが…
「…なりませぬ…」
「え…?」
 小さな、弱々しい答え。…その声が少し違って聞こえた気がした…

「ならぬならぬ罷りならぬ…!」
「!!」
 瞬時に眼の前が真っ赤に…!
「昂ッ!!」
 男の絶叫が何処か遠く聞こえた…


「その眼は節穴か?」
 せせら笑う様な、声。自分の台詞をそっくりそのまま返されて、さしもの偉丈夫も唇をぎりりと噛む。
「貴様ッ!!」
「その龍王、確かに若い。容易く騙されるも無理からぬが…」
 にやり。口角を殊更吊り上げて笑う様、声こそ先の古老だが明らかに語調が異なる。さらにその背から黒き忌まわしき瘴気立ち上るを見、咄嗟に抱えた少年ごと大きく背後へと飛びのいた。
「あ…?」
 その衝撃か、昏倒の昂がゆるゆる瞼を持ち上げた。意識ある事に安堵はしたが…あの時、火蜥蜴を宥めるべく優しく差し伸べられたその両の手は…豪傑の力を以ってしても庇い切れず、見るも無残な火傷を負っていた。いや、腕ばかりでは無く…
「な、に…?」
 小さな身体が腕の中で震える。己の深手に気付いたからではなく、かの火蜥蜴が明らかに変容したからである。…吹き出る闇はいよいよ酷く、蜥蜴は変わらず奇妙に笑んだままではあるが、その眼は明らかに虚ろである。
「龍族きっての武者殿も衰えたものだ…真の龍眼ならば我が潜むも一目で見抜けように…」
 …動いているのは蜥蜴の口だが、聞こえる声はもはやしゃがれてはおらず…
「貴様ッ…」
「龍王の試練とやら、果たさす訳には行かぬな」
 地を這う冷えた声とともに闇が確かな形をとる。忘れもしない、汚泥の身体に不吉の眼…
「ディーマ…」
 苦しげな息の下、昂の唇がおののいた。

 ごうと音を立て火球が辺りを飛び交う、必死で避け飛びながら…誓約もまだな身には剣を背負う少年は鉛より重い…腕に抱えた昂を気遣う。呼吸は浅く瞳は半眼、びっしり玉の汗が浮かぶが表情は苦悶ですら無く。龍眼で探るまでも無く魂までサラマンドラの猛火に害されたに違いない。…痛覚すら酷く衰えている。
「くっ…」
 それでも、せめて火傷の幾許なりとも治癒せんと、意識の集中を計るが、絶え間無く降り注ぐ火の玉にままならぬ。気付くと、束の間開かれた瞼も再び落ち、既に血色も蒼白。
(一刻も早く、助けねば…)
 しかし、まず眼の前の敵を倒さねば。

 渾身の跳躍で、岩場の影に回り込む。すぐさま火球の弾頭も変わるが、かろうじて昂を洞穴の様に深い岩の隙間にそっと安置。仁王立ちとなりその口を塞ぎ…
「逃げても無駄だ!」
 動かぬ偉丈夫に炎撃が嵐となって降り注ぐ…!

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(C)獅子牙龍児
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