七章 火霊 (2)


 ディーマは火蜥蜴を繰りつつ慎重に近付く。…まだ、濛濛たる煙が立ち込め、視界は定かならず。
 漸くにして煙も晴れ、岩場の様相が明らかに…
「ぬぬ…!」
 闇のまなこが不快げに細められた。…金剛は、いまだ倒れておらず…
「言い落としたが、この衣も火鼠より得た物」
 火鼠もサラマンドラには劣るが炎に縁ある生類、その毛皮は強固に火炎を防ぎ切る。無論、衣に隠れぬ部分に力は及ばぬが…
「…小癪な…」
 影が舌打ちする。…男の堂々たる体躯のここそこより、治癒の白煙見事に立ち上った。

「ふむ、貴殿の気違いじみた生命力を忘れていたようだ…しかし身体を盾に、何時まで持つかな?」
「さて…生憎わたしは気の短い方でな、」
 瞬時に抜剣。踏み込みざま気合い一声、振り降ろす!
「な…!」
 咄嗟に飛び退くディーマ。
「主を見捨て気か!?」
「もう一度問う、貴様の眼は節穴か?」
「ぬ…!」
 岩に半ば隠れた少年の姿を見やる。その身は既に力無く…だがその周囲に異様の気配。不可視の壁が障壁となり、炎ばかりか煙すら寄せ付けぬ。…汚泥の身体がぶるりと震える
「…成る程、微々たる結界を張る程ならば腐れ龍風情にも出来ると言う訳か…」
「何とでもほざけ、覚悟しろ!」
 大剣が唸りを上げる。


「どうしたどうした、随分な様ではないか?先程の元気は虚勢であったかな、武者殿」
「黙れ!」
 言い返してはみるものの、確かに偉丈夫の息は上がっている。今の今も治癒の術を使う傍から傷を負い、自分でも腕の勢いが減じているが如実に分かる。何と言っても初めから実に不利であったのだ。
 出来得るなら火蜥蜴は殺したくない。恐らくかの古老、一族の長であろうし火山の火気司る主に違い無く、死すれば地上一帯の存続にかかわる。また火口のここそこに無数に巣食うディーマどもを倒すにも是非とも助力の欲しい所。何とか憑依の影のみを狙うが…渾身の一振りは、あと一寸の所でぴたり止まる。
「クク…老いぼれ蜥蜴なぞ幾ら切ろうが構わんぞ?」
 突如後足立ちとなり全身を刃に晒したサラマンドラ、無論ディーマの意図である。こちらの苦渋など敵は百も承知。
「おのれ…卑怯者めが!」
「卑怯?…さてはて、龍族切っての逆賊の言葉と思えば甚だ珍妙」
「くッ…」
 如何に勇士と言えど龍身を封じられた身、頼みは剣のみ。それも如何に業の物とは言え畢竟人界の産、度重なる炎の洗礼に、奇妙に歪み始めている。…元より剣技にて倒せる相手ではない、金剛がここまで善戦するも一重に火鼠の皮と龍の体力あっての事。
 それでも諦観は許されぬ。それはそのまま、昂の死を意味するのだ。

 慎重に、間合いを計る。ディーマは鈍重な魔物だが、火蜥蜴は実に機敏。ディーマ最大の武器たる毒は憑依の間は使えぬが道理…宿主まで痛めるため…だが、その不利を犯してまで蜥蜴を操るは全てその身の素早さにある。術の使えぬ今、目眩ましすらままならぬが恨めしい。
 気付かれぬよう、隠れて懐を探る。目当ての物の手応えが確かに返った。
「行くぞ!」
 剣は正眼…特攻!勝負は一瞬である。

「愚か者が…幾度試みようと同じ事」
 不快な笑みで、もはや本気も要せずとの判断か、火球の振りもおざなりになる。まばらな火弾の合間を抜け、巨大な刃が火蜥蜴の背を襲う!

「フ…峰打ちとは甘い甘い」
 影は偉丈夫の意図に気付いていた。だが敢えて避けずにいたには他に理由がある。
「飛んで火に入る…まさしくこの事!」
 汚泥の身体がぐにゃり伸び、瞬時に剣は拘束の中。動けずにいる金剛に向け、老蜥蜴が牙を剥く!
「今度こそ、死ね!」
 至近の距離より放たれた猛火…サラマンドラの喉より発せられたその烈火、先の火球とは比較にならぬ激しさ。
「ぐ…ぬう…ッ!」
 さしもの火鼠も苛烈の熱までは防ぎ難く、衣の奥にて身が煮える。しかし、たとえ一族の長たる古老とて、無限に炎熱の呼気を吐けるものではなく…暫しの、恐ろしく長くも思える時の後、蜥蜴の口は漸く閉じた。
(今だ!)
 その隙を逃さず…男は片手で懐より取り出し…素早く中味をぶちまけた。

「ギヤアアアアア!!」
 影のものとも蜥蜴のものとも分からぬ悲鳴が響き渡る。サラマンドラの顔の上、丁度右眼の辺りを中心に火傷の様なただれが広がり白煙が立つ。いや、火蜥蜴が火傷を負う筈も無く…
「水…これしきの水が…何故炎に消えぬのだッ…!」
 実際、悶える程に「水滴」が跳ね、身体のここそこをさらに焼いている。火気の生類が水気に弱いは当然としても、この量あまりに少なく…
「ただの水では無い、始祖龍の泉水をば溶かした水…」
「お…おのれえ……がはッ!!」
 さらに左眼までも。
(許せ…)
 古老も失明は免れぬだろうが、とにもかくにもディーマを倒さねばならぬのだ。憑依のディーマの最大の弱点は宿主の眼、それは先の戦いでも証明済み。…宿主との同調が過ぎるのか、影まで視力を失うのだ。
「闇は闇へ帰す…いざ!」
 もがく汚泥に浮かぶ瞳。その邪悪な輝き目がけて、豪剣が今度こそ振り降ろされる!

「ぐああッ!!」
 …だが苦悶の声を上げたは偉丈夫の方であった…
 何時現われたか、無数の火蜥蜴男を囲み、猛烈の火炎を一斉に吹き付けたのだ。

「ぬごぉおお…ッ!!」
 限界を遥かに越えるこの業火、さしもの火鼠とて絶え切れず衣のここそこに火の手上がる。治癒の白煙も間に合わず、肉の焼ける臭気…いや皮膚などたちまち炭になり、急速に感覚が消えて行く。…剣など、とうに無様に転がっている。
「愚か愚か愚か、愚かなりや金剛の龍!何も火球繰るため憑依したと思うてか!こやつは火蜥蜴の長なり、長が一族動かすは当然の理!」
 影の哄笑冴え渡り。かたや偉丈夫睨むまなこも霞がかかり…
 そればかりではない。火口の方々からずるりでろりとした不吉の物、そのまま長に取りつく影の元へと集い、そのまま同化して行く。
「クク、この老いぼれやたらに憑いては寿命もたちまち無くなりそうでな、今まで手加減しておったが…貴殿倒さばもはや用済み!」
 憑依の影の量、さながら暗雲背負うが如く。さらにぷくりぷくり泡の如く奇妙の膨らみ無数に湧き、さらにはぱくりと割れてぎょろり眼球。百眼、いや千眼のディーマ…限界を超えた寄生に眼に見えて老蜥蜴の身体が細り始め、紅蓮の冠をも縮み出す。と同時に、辺りを囲う何処か虚ろな火蜥蜴の数もいや増す。
「ぐぬ…貴様…許さぬ…!」
「ハハほざけほざけ喚き散らせ!貴殿のその様むしろ天誅であろう!」
「な…に…!」
「何処までも何処までも逆臣よの、ああ貴殿が謀反を試みねばなあ!」
「ぐ…」
「龍身なれば我らなどひとたまりも無かった、いやさ汝の無用の誓いさえ無くば斯様の苦痛も無かろうに…ああ憐れなりや幼き龍王殿よ、せめて王が怯懦の主で無くばなあ!」
 と、ほんの一時、火蜥蜴の炎弱まった。わずかに…わずかに男は息を付く。
「…昂をッ…辱める…な…!」
「なあんだ?聞こえぬなあ…?」
 視力こそ失っているが、既に無数の火蜥蜴を自在にし…勝利の確信あるディーマは防備を完全に怠っていた。そのディーマに、男がどうと倒れる気配。せせら笑うが…
「ギエエエッ!!」
 不浄の瞳に亀裂が走る。
「は…これしきの炎…我が手、いまだ剣も扱うぞ…」
 骨すら焦げたその両手、確かに剣を手にしていた。しかし…満身創痍の身に、斯様な大剣長く持てる筈も無く…再び振り上げるが呻き声とともにごろり落ちる。
 そこへ無情の炎、再び…

「があああああ…!!」
 先程より苛烈である。無数の蜥蜴達を巧妙に操り、少しの間も炎が絶えぬよう。しかも念には念を入れ、老蜥蜴の身体を大きく後退…もはや金剛の剣、如何に奮おうが露程も触れぬ距離。
 全ての望みが絶たれた。
(昂…ッ!)
 薄れ行く意識の中、小柄な少年の姿が浮かんだ…

<<戻 進>>


>>「渾沌の牙」目次に戻る

(C)獅子牙龍児
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送