七章 火霊 (3)


 ふと、眼が覚める。瞼が酷く重い事に閉口しつつ瞼を上げれば…
(ここは…)
 見渡す限り、枯れた岩肌である。のろのろとしか動かぬ頭を無理に強いて、何とか記憶を探ってみる。
(僕、火山に登って、サラマンドラに会って…それから…!)
 頭が急激に晴れる。確か、老蜥蜴が豹変し…
(ディーマ!)
 かの泥魔が、選りにも選ってサラマンドラに憑いていたのだ。

「金剛は…何処…」
 傍にいる筈の影を探そうと身を起こしかけ、危うく悲鳴を上げかける。…無理も無い、腕は何処が皮膚やら衣やら、何やらずるりとした物体が申し訳程度に覆っているのみ。遅れて、激痛が襲い来る。
「ぐ…金剛…」
 それでも何とか己の生存を確かめながら…今更ながらに金剛の不在にぞっとする。
 これ程重傷の昂を置いて、かの偉丈夫が去る筈も無く…
「まさか…独りで戦っているの!?」
 恐怖が身を凍らす。必死で、岩に激痛の余り触覚を失った手ですがりながら立ち上がった。

「う…くっ…」
 痛みは限界を越えむしろ激しく熱を持ち、かの猛火の記憶をそのまま蘇らせる。だが、金剛の身への不安は激痛を凌駕し、昂は洞穴の入り口まで辿り着き…
「金剛ッ!!」
 業火の中、崩れ落ちて行く男の影に…今度こそ悲鳴を上げた。

「金剛金剛!…痛ッ…」
 思わず駆け出す少年を、不可視の壁が遮った。
「結界…?」
 知識としてなら知っている、実際眼にするは初めてだが。…変化の途中の昂は元より金剛にも、龍身が封じられた今は酷く困難な作業のため。恐ろしく鱗気を消耗するのだ。
「そんな、じゃあ今の金剛は…」
 その、疲弊した身でディーマ操る火蜥蜴に立ち向かった…自殺行為も甚だしい!それも、一重に昂を護るがために。
「金剛金剛!」
 痛みも忘れ、必死に見えぬ壁を叩くがぴくりともせず。
(眼の前なのに…!)
 絶望が昂を襲い、壁を伝ってずり落ち、座り込んでしまった。

(え…?)
 背後に何かの気配。振り向けば、剣が輝いている。
(僕を呼んでいる?)
 半ば無意識の動作で引き抜く。驚いた事に、あれ程の火傷を負った手にもやはり軽く…しかも皮膚など皆剥がれたと言うのに触れる痛みが皆無、その上何故か腕の熱すら引いた気がする。
 …主を護っているのだ。
「ありがとう…」
 そっと微笑みかけ…再びきりりと。剣持ち直し前に向き直り、力の限り…
「…てええええいッ!!」
 耳に届くは硝子の砕ける音にも似て。障壁の無くなった入り口を、全力で駆け出した。


「金剛!金剛ーッ!」
(幻聴か…)
 死に際にせめて一度、と望んだ声を聞いてかすかに自嘲する。が、何故か炎が弱まった。
「金剛金剛金剛!!」
 今度はより確と近く聞こえ…まさかと思いつつ、よろよろと頭を向ければ…
「金剛!?ああ駄目、動いたら…」
「…こちらの台詞だッ!」
 泣きながら走って来たのは…あの痛々しい腕に龍王の剣構えた昂!
「結界を…出てはッ…!」
 だがもう遅い、視覚無しとは言え龍王の輝き無情の泥魔が逃す筈は無く…
「…死に損ないめが!奴を焼き尽くせ!」
 ぐるり向きを変える火蜥蜴達。長と違い無論その眼は皆開いているが、長を騙る強力の泥魔の支配下にあっては悲しいかな何も見えぬのと変わらず。走り来る少年が何者か分からぬまま、各々力の限り炎の咆哮を浴びさせる。
「昂ッ!!」
 ずたずたの身から振り絞られるは悲壮の絶叫…

「くっ!」
 …如何に手負いの身と言えど、腕に光るは王の剣、気合いとともに炎にかざせば鱗気溢れ。輝きは盾となり猛攻を辛くも防ぐ。
「そう簡単に、やられないからね!」
「おのれ…餓鬼風情がッ!!」
 老蜥蜴がぎりぎりと歯ぎしり。無論悔しさに燃えるは宿主ならで泥魔の方である。
「そうやって、何時だって他人を盾にするような臆病者に言われたくない!」
「…何を…!」
 汚泥の輪郭ゆらり揺れ。遅れて老蜥蜴の身体ぴんと硬直す。
「な、なに!?」
 そのままぴくぴく痙攣し始め…蜥蜴包む紅蓮の霊気が奇妙に立ち上り、そのまま影の身へと吸い込まれて行く。
「昂ッ…逃げ…ろ…奴等…」
 もはや首を上げる力すら失った偉丈夫が、切れ切れに言を告げる。
「古老の力…すべて…お前に向ける…気、だ…」
「え!?」
「遅いィイイイ!」
 奇妙の絶叫!老蜥蜴はただれた瞳カッと見開き、口は耳まで裂け…

 紅炎の巨大球…火蜥蜴全ての力集いしその恐怖、さながら燃え盛る隕石の如き…


 多分、無意識の行動だったに違いない。瞬間頭が真っ白になり、次に気が付いた時には別の岩陰に震えていた。衝撃に生じた窪み、岩まで溶けて煮えたぎり、あたかも第二の噴火口。かすりでもしていたら…いや、じかに触れずとも近付く者全て灰燼に帰すに相違無い。
「何処だ!何処に逃れた!」
 乾坤一擲の一撃を外され逆上したか、焦燥の叫びが聞こえて来る。姿はともかく気配で分からぬは奇妙、罠だろうかと余計に震える。…もっとも、あまりに多くの火蜥蜴集わせたがためその真紅の霊気に辺りの気配探るも困難と化していたのだが。
 いずれにせよ、あまりの恐怖に少年は立ち上がる気力すら失っていた。

「ぐぬぬ…あの一撃を避けるとは…!」
 歯噛みする程に牙がぼろりと落ちて行く。あまりに過量の憑依、先の紅蓮球召喚、ただでさえ老いたる蜥蜴に無理が過ぎたのだ。
「この宿体も幾らももたぬ…」
 焦りが影の不定の身を揺らす。が、はたと気が付き恐ろしく笑む。
「いや、まだ使える者がここに…」
 にやり、不浄の眼が捉えたは…

「ぐはああああああッ!!」
(金剛…!?)
 耳をつんざく絶叫…いやむしろ断末魔のと表するが相応しい声に、震えの少年も飛び起きた。
「ハハハ聞こえるか龍王よ!汝の従者は誓約も果たせず無念を抱いて死ぬるのだ!ハハハハハハハ…」
「金剛?金剛!金剛ーッ!!」
 昂の眼に、かの金色の龍舞う姿が浮かぶ。
(嫌だ!金剛が…死ぬなんて!!)
 何もかも忘れ、昂は安楽の岩陰飛び出した。
「ハハ愚か愚かまっこと愚か、いずれも愚かに過ぎようぞ!さあさ揃って滅すが良い!」
 無数の虚ろの火蜥蜴達、無言のままに顎開き、火炎の砲撃放たんと…
 だが疾走の昂の眼、映す光景ただ一点。
「金剛!!」
 心占めるはただ一つ。
(死なないで!)
 あまりの想いに開き切るそのまなこ、じわり濡れて真珠一粒…すうと下って確かに龍紋の刃へ落ちた…
「金剛ーッ!!」
 再びの絶叫と、どちらが早かったか…

 剣が、光った。

 昂の想いそのまま鱗気の迸りと変じ、呼応し龍紋たちまち踊り狂い眩き光剣を覆い隠し、かばかりか。
 無指向に延々と広がり…辺り一面光輝一色、息も出来ぬ…


「あ…」
 がくり、少年膝を付く。意識すら遠く…無限の鱗気の放出、明らかに深手の身には重過ぎた。だが、その光無為にはあらず。
 辺りの、岩場に集いし火蜥蜴達、夢から覚めた心地できょろりきょろり。強烈の鱗気に、闇の束縛解けたのだ。見れば、確かに泥魔の無数の眼、多数が閉じられ…しかしぶるぶる震えるその様子、命までは滅しておらぬ風情。
「龍王様…」
 弱々しい声。はっとして顔を向ければ、短き間に酷く弱った蜥蜴の古老、よろよろと口を開く。声が、確かに闇ならぬしゃがれ声。
(憑依が、解けたの?)
「…今一時ばかりの事ですじゃ、束の間とは言え奴等は動けますまい…」
 ごぼり、さらに言い募るを吐血が止める。
「今喋っては…!」
「今しか無い!」
 きりり、古老の見えぬ瞳が昂を射抜く。
「どうか、この老いぼれと誓約を…龍王様の使役とならば、斯様な屑どもすぐにも焼き尽くせましょうぞ…」
「長老さん…」
 ごくり緊迫に唾を飲み込み。意を決して火蜥蜴目指して踏み出した…
「…させぬ!」
「な…!」
 閉じた闇の瞼何時の間に。汚泥ぞろりと動き、老蜥蜴再び牙を剥く。
「さ…せ…ぬう…」
 既に翁の声ならで。ずるり地を這う不快の音。再び泥魔の支配に下った火気の身の、方々より紅蓮の霊気立ち上り、周囲炎が取り囲む。
「あ…あ…」
 思わず後退る少年に、別な声まで降りかかる。
「逃げ…ろ…」
「え…金剛!?」
 もはや、かの偉丈夫も瞼上げるがやっと。
「無理…だ…誓約、には…相手に…触れねば…」
「触れる…?」
 傀儡と化した蜥蜴の長をば見やる。今や全身を火炎に包まれ、近付く所では無い。が…
「触れられれば、誓約出来るんだね…」
 細い腕の震えは消え。王の剣確と持つ。その様に、満身創痍の金剛蒼白。
「昂!…まさか、止せ!」
「させぬさせぬ当地の支配者我が一族なりィイ!」
 汚泥忙しく揺れ、蜥蜴の身もぶるり痙攣。
「さあさ者共この者を、たちまち炭にと消し去らん!」
 闇の輪郭腕広げる如く、一座の蜥蜴を促して…
 だが、異変生じた。

 火蜥蜴達、皆々苦しげにもがくばかり、いっかな何の撃も放たぬまま。
「何をしている!早く!燃やし尽くせ!」
 いらいらと、影。だが王者の鱗気の洗礼は、たかだか下等の泥魔の支配に比するまでも無く。そうでなくとも千眼の多くは閉じて支配の魔力は減じている。
「…貴様等に、何時までも従うと思うてか…」
「長老さん…!」
 再び古老のしゃがれ声。既に苦しく弱々しいが、再び憑依の支配を外れたのだ。
「時間がありませぬ…龍王様、我が真名は……ぐわあ!」
 突如老体酷く引きつった。闇の汚泥がぐるぐると、蜥蜴を巻き締めもはや言葉も出ぬ有様。
「ハハ残念だったな!真名無くば如何な龍王とて誓約も出来ぬわ!」
 勝利を確信、さらに動けぬ火蜥蜴より紅蓮の霊気を根こそぎとばかり吸い上げる。…もはや、衰弱の極みにある老蜥蜴、苦痛に悶えるより他は無く…
 目の前の光景。昂の大きな瞳に焼き付き、そして。
「…許せない」
 剣改めて構え直し、大きく一歩を踏み出す。

「ならぬならぬならぬウ!」
 奇妙な発声とともに幾つもの火球が昂を襲う。宿体たる長老が抵抗したのであろう、狙いは甘いものであったが威力は充分、命中こそ免れたが身体のここそこに火傷を負う。だがわずかに顔をしかめたのみ、何事も無かった様に前進する。
「なっ!?こ、この火炎が分からぬのか!?」
 気圧されたかの様に汚泥も揺らぐ。…もっとも、それで引き下がる連中では無い。きえええと、人外の音声とともに影の姿変じ、にょろりと伸びて腕の如く。忌まわしき汚泥の触手、構わず歩を進める少年に迫る。
「邪魔だ!」
 常とは異なる低い声、気合いとともに剣一振り。白い一瞬のきらめきの後、あっけない程ぱらぱらと、闇色の長物落ちて行く。…昂の身に触れたは皆無。
「馬鹿な…いまだ変化もならぬ幼龍、いや既に深手の筈が…」
「そんなの、関係無い」
「な、なに?」
「僕はお前を許せない、そして皆を救いたい。…この想いは、そんな些末もうとっくに超えているよ!」
 きっと見据える。瞳に、真摯の炎。

 ゴオオと言う音、火炎音。
「く…」
 老蜥蜴の身辺紅蓮の海。炎は烈風すら巻き起こし、灼熱の大気と相まって容易には近付けぬ。
「昂ッ…逃げ…ろ…」
 ずるり。背後に引きずる様な音がするのは金剛だろう、あの身で昂を思い何とか近付こうとしている。その案ずる気持ち痛い程分かるが。
(でも僕は…退く訳には行かないだ!)
 単なる試練の達成のみならず。誇り高き長老の思いに応えたい!
 必死で歩を進める。

「おのれおのれおのれエエエエッ!!」
 闇の形相狂気に達し、闇雲に炎を巻き散らす。岩場の筈がここそこ火災を生じ、熱気は四方八方より攻めたて剣の霊気以ってしても防げぬ火炎地獄。だが昂の魂炎熱より熱く、遂に古老のすぐ前に。
「しかしィ!汝はこやつの真名知らぬッ!」
 歓喜の哄笑著しく、とどめとばかりに猛火の嵐、雨霰。至近の距離にて裂けようも無く、小柄な身体の方々が、火傷も超えて火を吹き始める。
「昂!昂ッー!」
 辺りは赤く揺らぐ炎一色、轟音に金剛の声すら遠く無数にいた筈の火蜥蜴すら見当たらぬ。ただ無心に…無心で無くばこの阿鼻叫喚、紛う事なく気違い沙汰…剣を持ち変え身を屈め、既にくたりと倒れた冠と額とに右手をそっと触れる。
「死ね死ね死ねい!汝に誓約なぞ出来ぬわ!」
 もはやなりふり構わぬ有様、人で例えれば髪振り乱しての様相にて紅蓮の放出無数に直撃。しかし昂ただ眼を閉じて、心静かに火蜥蜴の、古老の波動を感じ取る。激する嵐の中、ほんのわずかだが…容易に屈せぬ魂の、真摯の叫びが聞こえて来る。そっと、唇を動かす。
「我が龍王昂の名の下…」
「ハハ愚かな足掻きよ龍王よ!汝は道化か、真名無くして何の誓約ぞ…」
「我が身我が命尽きるまで…」
「すぐにでも尽きさせてやるわ!」
 闇に繰られた炎の刃、昂のここそこ貫くが、それでも誓約の文言少しも狂わず。
「如何なる時にも我が命に従い…」
「殺す殺す殺す!!」
 狂気いや増し、闇の炎撃昂の全身を包み込む!
「昂ーーーッ!」
 もはや原形止めぬ身体を無理に起こし、金剛這いずる様に小さな龍王の元へ…だが、その耳に届いた昂の言葉に、泥魔共々驚愕す。
「恒久の忠誠誓うべし…」
 必死で、古老の魂を聴く。心を無にし、真っ白にし…
 かっと、少年の双眼開かれる。
「汝、クシャトリヤ!」
 業火すら突き抜け、剣の承認の輝き確かに届いた…!

(名前…良かった…火蜥蜴もこれで助かる…)
 渾身の集中を計った先程とは異なる理由で熱さも感じぬ。身体の感覚が急速に消えて行く。かすかに聞こえる炎の音だけが現状を告げていた。
(僕…もう…)
 今自分が倒れているのか否かも分からぬ。剣も、手にまだあるかどうか…
「昂様!!…ええい不浄の者めが、除けい!」
「昂!今治癒してやる!」
 呼び声が響く。だが気力全て使い果たし…意識も奈落へと落ちて行った。

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(C)獅子牙龍児
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