八章 水霊 (1)


 山越から既に数週、気候は見事に潤みに変わり、雨に度々たたられつつも平和に穏やかな旅程が続いていた。
「あの…」
 意を決した様子で昂が尋ねる。…昂にせよ金剛にせよ、かの山での傷跡かけらも無くすぱりと癒えている。だからこそ、もはや安穏とばかりはしておれぬ。
「何だ」
 努めて冷静を装って、低く静かに応えればかえって臆した様子を見せるが、やはり昂も男子ゆえ、己叱咤し言葉を告げる。
「次の、試練は何なの…?」


「メロウ、と言う種族を知っているか」
「メロウ…?ううん、知らない」
「そうか…」
 一つ、大きく息を吐いて後、男は静かに語り始めた。


 メロウは半人半魚の種族であり平たく言えば人魚の類である。上の半身は艶かしき絶世の美女、下の半身は一面鱗に覆われし魚類の体、水に棲み水を操る水気の主だが性根幾らか難しく、死に至る悪戯盛んに成す。ために、命落とす者は古今に枚挙に暇が無い…
 滔々と続く蘊蓄に、昂も心臓速くなる。
「ひょっとして、今度の試練はメロウと誓約する事なの?」
「そうだ」
 簡潔な答え…


 森は緑濃く繁り、獣畜の声も多く、水気の恵み豊かな土地である。火蜥蜴の降魔の炎に身の毒ことごとく焼かれた事も大きいが、それ以上にこの地の大気は心地良く、同時にこの地収める一族の力の強さも身に迫る。
「僕に、出来るかな…」
「火蜥蜴と誓約しながら何を言う?メロウは厄介な連中には違いないが、元来は争い好まぬ穏やかな気質、理路整えて話せば必ず通じる。長命の種族ゆえ、いにしえの王の記憶もより確かに伝わると聞く。…分からず屋で短気に過ぎる粗暴な蜥蜴風情などより余程良い」
「…そりゃあ御挨拶だな、金剛の旦那」
「な…」
「どうして…」
 突如現われた乱入者を前に、二人の声が重なった。
「ラジャス!?」

 忘れもしない小さな火蜥蜴、召喚も無しに昂の左肩にちょこんと乗り、驚く二人に満悦顔。
「へへ…なに、ちょいと耳よりな話を聞いてよ、試してみたって訳さ」
「耳よりな、話?」
「ああ。オレは結局、初めての使役だろ?最初の誓約を結んだ奴には特権があってさ、召喚が無くとも主の元へ自分から飛べるって言う…実際本当の話だったんだな!」
「飛べるって…ひょっとして、火山から一瞬でここへ来られたの?」
「そうさ!オレが見たいって思えば遠くてもお前の姿が見えるしよ、傍に行きたいと願えば移動する。…いいモンだなあ!」
 幸せそうに頬を擦り寄せる。猛獣らしからぬ愛らしい仕草に頬も思わず緩みかかるが、ラジャスの言葉、何とも聞き捨てならぬ。
「その…いつでも見えるの?」
「いや、それがな、オレ達の誓約は剣が承認しただろ?この剣がねえと流石のオレもどうにもならねえんだよ」
 そう言えばラジャス乗る肩すぐ後、王の剣の柄がある。剣を扉に現われたのやも知れぬ。
「…聞いたか昂、わたしが付いている時は必ず剣を外せ」
「う、うん…」
「え!?何でそうなるんだよ!」
「当然だろう、使役の身で尊き主を盗み見する様な真似をするからだ」
「ぬ、盗み見って何だよ!オレは純粋に昂が心配で…」
「それで純粋に盗み聞きしていたと」
「違う違う!何だよその言い種は…!」
「…まあまあ、落ち着いて…ね?」
 身の丈に合わせ小さな冠、昂に優しく撫でられて、根は子どもの火蜥蜴はあっと言う間に降参の由。頭上に戴く朱色の冠、高貴の象徴矜持の座、他が触れるは厭わしい筈が主の慰撫は構わぬらしい。
「はっきり見えるの?それとも、眼で実際に見るのとは違うの?」
 優しく穏やかに問われれば、激質のラジャスとて拒む道理は全く無く。
「そうだな…見えるって言うのとは違うかもな。特に意識してねえ時でも、かすかに聞こえるんだ。何て言うか、遠くで誰かが喋っているのが聞こえる時みてえでさ、内容詳しくは分からねえが誰の声でどんな話かは大体分かる、あの感じさ」
「じゃあ、もっと知りたいと念じると、そこで初めてはっきり聞こえるの?」
「そうそう、そうなんだ」
 こくこくと自分に自分で頷き、急に真顔になる。
「どうしたの?」
「…さっきだって、お前が酷く辛そうだったから…それでつい、出しゃばっちまったのさ」
「え…」

「お前なら、出来るさ」
 ついと、顔を逸らしながら。
「何せ、このラジャス様を使役に従えたんだからな…」
 努めてさらりと言うのだが、やはり照れるか尻尾がぷらぷら。その対比もおかしく…
「ラジャス…ありがとう」
「ま、まあな」
 何時でも赤い火蜥蜴の顔、瞬間一際朱が増す様に見えたは錯覚か。



 メロウは水辺を好む。川辺に遊ぶ姿も多々見られるが、流れる水は不便とあってか主に住まうは湖水の中。水気支配の土地ゆえに、川はここそこに見られるが、格別メロウが集うべき大きな湖沼は見つからぬ。恐るべき広さを踏破した豪傑と言えどこの界隈は初めてとか、人家もまばらな土地ゆえになかなか情報も得られない。…もっとも、金剛が言う程慌てる素振りを見せぬ様子から、半ば意図して旅程遅らす算段やも知れぬ。
 旅はこれと言って悪からず、されど良いとも言えず、山賊の類に襲われるも度々であった。もっとも昂の剣技も今では十二分、賊なぞ相手に不足な程。だが土地勘ある賊ども捕えて話を聞けば、貴重な事実も聞けて全くの無駄では無かったが。
 面倒事は多々あれど常に傍らに頼もしの金剛、加えて時にはラジャスも出張り…次第に目指すメロウの住処も近付いて来た。


「この川、そうかな?」
 覗き込む足元、草生い茂る土手の底に水面(みなも)が覗く。見事に清らかの流れ、穏やかに見えて底は深く、はしこい魚が時折跳ね上がる。そっと降りて近付けば、清流いよいよ明らか、水の香りも芳しい。
「うむ…ただ清いばかりで無く命が満ち満ちているな。これだけ獲物もいると言うのに釣人独りも見えぬも奇妙」
 実際、鮎に似て美しい魚がそれこそうようよいるのだ。昂にしても少しばかり釣具が恋しくなった程。
「…メロウ出るの噂、間違いなかろう」
 ここに来て、メロウの目撃談はにわかに信憑を帯び始めていた。


 山越間もない内はメロウは恐ろしいがめったに出会えぬ珍しい存在と語る者が多くいたが、次第に知己が見た、襲われたの話と変わり、さらにこの近隣では内容細かく全てが作り事とは思えぬ噂ばかり。諸人話すメロウの姿や心ばえ、金剛の知識と矛盾無く、さらに偉丈夫興味を示すは、メロウ束ねる女王の事。
「劣る者を使役となしてはお前の力も減じてしまう。より能あるメロウの方が良かろう」
 その女王、好奇の質のメロウに珍しく滅多に人前に姿を見せず、ある者は悪魔だと罵倒し、ある者は女神の如きと賞賛しその人となりは皆目見当付かぬが、誰に聞いても気位高くメロウの間に人望高く偉大な水霊たるは間違い無い。参考までにとラジャス呼び出し尋ねれば、恐ろしく年を経たばーさんで欲深で食わせ者だと口を極めて罵ったが、端なくもかの女王が驚くべき長命であると知るを露呈した。何でも、先代どころか三代程前の長の時分の、さらに前より生きているらしい。
「以前聞いた事がある、この地に龍王より賜わりし秘宝護りし水霊ありと。もしやその女王とやら、王が継ぐべき…つまりお前が持つべき至宝を持つやも知れぬ」
 女王の住処に関しては依るべき情報極めて過少、それでも何とか見当付けて、漸く女王付きのメロウが現われると言う川へと辿り着いたのである。


「さて、目指すメロウは湖に…この川の注ぎ込む先を探れば良い」
「うん…緊張するよ。どきどきして来た…」
「なあに、オレが付いてるさ!」
「ラジャス!?」
 蜥蜴も暫くおとなしく、油断していただけに驚愕す。
「ラジャス貴様、火気嫌うメロウに会うと言うのに…狼藉者のお前が出ては、まとまる話もこじれよう」
「全く旦那はうるせえこった!大体メロウを使役にするってのに、そんなに加減が必要かい?奴が機嫌損ねるようなら…」
 シュッと戯れに炎吐き。
「オレが嫌でも諾と言わせてやるさ!」
「ラジャス!なんて事言うの!」
「お、おい…そんなに怒鳴る事無いだろ…」
「だが実際、はっきり言うならお前は邪魔だ。帰れ」
「なにぃ〜!!偉そうに指図すんな!大体何だって、正式な使役たるこのオレが駄目で誓約もまだな旦那はいいんだよ!」
 ばたばたと、四肢踏み鳴らして地団太踏む様、全く子どもらしく可愛くすら見えるが…誓約の件は金剛最も苦しく思う事実であって。
「大体よ、旦那は剣持つのもふうふう言ってたじゃねえか!いざって時に役に立たねえよ!」
「ラジャス!」
 いまだ幼い子蜥蜴に、細かな事情分かる筈も無いがこの言葉は余りに惨く、思わず昂も声荒げる。
 が。
「その通りかも知れぬ…ラジャス、そのままメロウ無事使役とするまで、昂を護れ」
 詳細知らぬ蜥蜴は眼をぱちくり、そのまま昂達捨て置き勝手に歩む背に呆然のまなざし。今し方激した様子何処やら、英傑とも思えぬ程言葉に力は無かった…

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(C)獅子牙龍児
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