八章 水霊 (2)


 静かである。
 …今や一行に馬はいない。大分前に適当な場に止む無く置いて来たために。
 元々気性いささか難しい光陰が、ラジャスと何かと争ってばかりいたのだ。どちらもその才疑うべくも無いが、何分幼さ故の短気振り、幾らも行かぬ内に喧々囂々。その上ラジャスが無神経にも、水の種族はなべて皆、馬の臓腑が大好物…などと言うものだから。昂が不安になってしまったのだ。
 しかしただ置き去りと言うのも不安だからと、皆が止めるも聞かずに首より『降魔の御統(みすまる)』さらり外して光陰に…如何なる毒からも持ち主護る、強力の護符をあっさりと。皆甘過ぎると言いはしたが昂の気性と諦めた。

 あの火霊山の魔物倒してこの方、辺りの気は全く尋常であったから。

 ややうつむき加減に黙々と歩く金剛は元より、毒気抜かれたかラジャスまで神妙に黙り。川幅が見て分かる程に広くなったと気付いても、声にするのもためらわれ。そうこうする間に広大の湖たたずむ場まで来た。
 広い。広くその上酷く深いと見える。怖い程に澄みながら、その底は全く闇の中、推し量りようも無い。たまたま風が凪いだためか、湖面見事に静まりかえり、景色映すは鏡の如く。いや、そこへひとたび風吹けば、たちまち生じる無数の波、きらめき綺羅星眼を奪う。
 だが喜ぶ思いは少しも生まれぬ。…なんとなれば、メロウなぞ影も形も見つからぬ。
「違ったのかな…」
 落胆。既に日は南天を過ぎ、新たに別の場を探そうにも差し当たり手掛かりも無し。
「そんなにがっかりすんなよ」
 肩の上からラジャス気遣う。慰める様に頬ずりされ、あまつさえ舌でぺろぺろ舐められて、昂の顔にも漸く笑みが戻る。
「そうだね、また探せば良いし…」
 改めて湖見やり、嘆息す。

 色は青とも翠とも付かず、輝きは銀にも金にも勝れり。さながら宝珠、さながら七宝…
「本当に奇麗…」
 これほど清らかに麗しくとも水の女王の城には不足と言うのか。
「奇麗?オレにはどうにも退屈な光景に見えるぜ」
「退屈?こんなにきらきらしているのに?」
「きらきらって…あのな、こんな妙に澄んでる水ってのは要注意だぜ。案外深かったりしてさ、奥の方に化け物でも潜んでるかも知れねえし、それこそ毒でもあるかも知れねえ…メロウの奴等と一緒だぜ、下らねえ嘘と色仕掛けで男を引きずり込む、奴等とさ」
「酷い!そんな事無いよ!」
 少し、湖の青に酔ったのかも知れぬ。昂の声は少し上ずっていた。
「だって、こんなに奇麗に…澄み切っているんだもの!この湖はどんな宝石…サファイヤよりもエメラルドよりも奇麗だよ!ここは、何だか…」
 そっと眼を閉じ、
「何だか、金と白金と真珠だけで作った竪琴を奏でた音色みたい…」
 流石のラジャスも大仰な例えに口あんぐり、暫し無言の間があって、漸く茶々を入れようと口を開くが思わぬ邪魔が入り込む。
 …幾つもの、軽やかな笑い声。

「だ、誰だ!?」
「ほほほ…まあサラマンドラと来たら、相も変わらずの不調法」
「な、何だと!」
「…されど御主人様はまあ素敵、なんて優しい譬えでしょう!」
「音奏でる器物にも沢山沢山ございます、」
「されど格別麗しい、竪琴奏でるその音色、」
「竪琴だけでもたおやかなよやか、それに加えてまあ嬉しい!」
「金と白金だけならで、真珠ちりばめた美しさ、」
「奇麗で素敵、我らメロウは皆大好き!」
 再び沸き立つ笑い声…
「メロウ…メロウの人達、なの?」
 龍王の呼びかけに、笑いの主が各々姿を現わした。

 宝珠の水面(みなも)突き抜けて、軽い飛沫が丁度七つ。順々に岸の岩へと飛び上がり、にっこり笑ってこちらを見る。…音に聞く通り、人魚の様な姿である。上の半身は美女そのものだが、髪は人外の証の翠色、瞳も同じエメラルド、しかも不思議に淡く吸い込まれる。肌は白くアラバスタ、鱗の部分が日差しを返して輝くのもまた美麗。髪や腕のここそこに、真珠や宝石ちりばめた優美な装飾華添える。ただ、衣は何も身に付けてはいないのだ…幸い長くふっさりの髪の毛に、胸元ほとんど隠れるが、それでもどうにも眼のやりばに困り果てる。
「あの…皆さんにお尋ねしたい事があるのですが…」
 頬を染め、眼を逸らして言う昂、笑い上戸の水霊達の格好の餌食。
「あら、この方照れていらっしゃる!」
「まあ、可愛い事、まだうぶな方なのね」
「おい、いい加減にしろ!お前等が前にしているのはだなあ…」
 何時終わるとも知れぬ戯れに、ラジャス怒りで釘刺さんとするが。
「あらメロウはみんな知っててよ、そちらは当代龍王様にていらっしゃる」
 口を揃えての合唱に、かえってたじたじ後退り。
「全く蜥蜴は物知らず、メロウの女王知らないの?」
「女王…!?」
「女王様は尊い御方、遠見の鏡をお持ちなの」
「遠い土地でも異国でも、隣にいるのと同じ事、」
「女王様の両の御眼に留まらぬ事など何も無し、」
「素敵に全知の女王様、その御計らい御陰なの、」
「この地に幸い満ちるのは…」
「煩い黙れ!昂が何も聞けねえだろうが!」
「まあ聞いてよ、信じられて?」
「たかが使役の分際で、龍王様を呼び捨てなど!」
「蜥蜴の無知も蒙昧も、知ったつもりでいたけれど、」
「これはあんまり酷すぎよ…」
 蜥蜴の背の刺全て立つ。頭からは湯気まで…
「…あのう、メロウさん、このラジャスはまだ子どもなんです。大目に見て下さいね」
「お、おい昂!なんて言い種だよ!大体…」
「全く、」
 背後で偉丈夫、大仰に嘆息。
「お前のその態度がメロウの笑いを招くと分からぬのか?子どもと呼ばれて熱り立つはまさしく子どもの証」
「な!子どもと呼ばれて喜ぶ奴がいるかよ!」
「さて、わたし程になると若く見られて喜びこそすれ憤る事は無いがな」
「く…」
 濛濛湯気立て煮えくり返るその様を、優しく撫でて宥めてやる。小さなラジャスには申し訳無いが、金剛の立ち直った様子はやはり嬉しい。その昂の横をついと進み、流石はかつて使役となした経験者、慌てず騒がずメロウの群れに短く問う。
「お前達の長はいずこかな?」
「あら!どなたかと思えばこれはこれは、」
「雷撃使いの金剛様!」
「我ら大切の女王様も、」
「お可愛らしい龍王様に金剛様なら、」
「いつでもお会いになれますよ」
「だって素敵なお客様、」
「どこぞの蜥蜴と大違い!」
「…畜生!旦那は良くってオレは駄目だって言うのかよ…」
 じたばたじたばた、小さな蜥蜴は大騒ぎ。確かにメロウ悪人には見えぬが悪戯好きとの噂には多分に真実含まれる。途中ラジャスの癇癪に阻まれはしたものの、何とか聞き出した所によれば確かにこの地がメロウの長の座所だと言う。ただし用心深い正確らしく、まずは側近勤める七人のメロウに探りに行かせ、その返答待って会いに来るとの由。勿体ぶったその様子、ラジャスは益々怒り狂うが、昂の方は気が気でない。
 金剛もラジャスも口を揃え、使役とするのはメロウより火蜥蜴の方が余程厳しい難しいと言うが、あの火山の降りには泥魔討伐の共通の目的があった訳で。…今度はそれも無い。

 暫し、鈴の鳴る様な声で戯言をなした後、七人のメロウは女王呼ぶべく水中へと沈んで行き、昂達三人はただ取り残された。


 金剛によれば、メロウと言う種族、全く何時でも自分の流儀を通すらしい。
(本当だね…)
 既に影は随分と伸びている。短気なラジャスを優しく何度も撫でて宥めてやりながら、昂も何度もため息付く。
「種族によらず、女は仕度に恐ろしく手間をかけるものだ。…苛々しても始まらぬぞ」
 慣れたもので、金剛ときたらメロウが呼びに行くと言うが早いかどっかり腰を落ちつかせ、軽く眼も閉じ休む風情。昂も見習い腰を下ろすが。
 ただいたずらに待つと言うのもなかなか辛い。

「お前は王なのだぞ?無作法にも待ちぼうけを食らわす臣下を怒るならまだしも…そのように畏まる事は無い」
 どうやら調子を戻したらしく、どうせなら昼寝でもすれば良い、連中が来たら起こしてやるなどどけしかけて来るが、昂に笑って答える余裕も無く…
 程無くして、静かの湖面にわかに細波広がり出す。
「来る…!」
 思わず岸辺に駆け寄って、じわりじわり広がる波紋固唾を飲んで見守って…
「ひゃあ!何だあ!?」
 小さな蜥蜴のけ反り過ぎ、思わず肩より落ちるも道理…見上げる様な水柱、出現す。…力付ける様に、偉丈夫がそっと肩に手を添えなければ、叫び声を上げたかも知れぬ。
 碧の柱天高く、真珠の如き飛沫上げ、如何な噴水作家とてこれ以上はとても望めぬ晴れやかさ。丁度日差しの按配か、虹の筋もきらきらと華を添えるも見事である。…さしもの火蜥蜴も何も言えぬ。
 高き柱の中程が、細く裂けて湖水に落ち、さらに中央天突く塔、一際高く伸び上がり…すうと力失って、そのまま落つるは華厳の様。辺りに跳ね飛ぶ水飛沫、思わず一瞬眼を庇い、漸く腕を外して見れば。
 女王その人、霊妙の微笑称えてそこにいた。


 翠の髪に翠の瞳、如何にもメロウのなりなれど、髪の長さにその色艶、格別肌理の細やかな雪花石膏物ならで抜ける白さに比す物無し、華のかんばせ輝けり。すらりの肢体ここそこに、色を添えるはとりどり七宝、様々にきらめくその様は、先の虹より作りし物かと思う程。…その過ぎたる容姿がため、人を溺らせ船沈め、水難の姫とも称されるメロウの中でもまこと秀逸、造化の妙技ここに極まれり。
 おそらく他の乙女と同じく半身半魚の姿であろうが、ほんの腰までしか浮かばせず、ともすれば人の美女かとすら覚え、なおかつちらり覗くわずかな鱗が人外の神秘を漂わす、不思議の情景…
 さてこの女王陛下、声も仕草もなよやかであった。ふわり優美に腕ひらり、まこと手本としたい程、麗々しく身を折り礼送る。
「龍王様におかれましては御機嫌麗しゅう…メロウの長にございます」
「は、はい!」
 思わず起立し直立不動、金剛ラジャス同時に嘆息。何時の間にかに現われたか、初めのメロウも笑いさざめく。
「当代様の直々の御越し…勿体ない事に存じておりますわ」
「は、はい…」
 こほん、背後で咳払い。代わって金剛用向き告げる。
「端的に述べる。当代龍王はお前を使役に所望する」
「ふふふ…そうかしら?」
「…何?」
 ふわり、量れぬ笑み美麗の面に浮かぶ様、偉丈夫の声も自然低くなる。
「当代様は慎みの君、水と戯るを好むメロウを強いて戦なぞに連れませぬ。…龍王様に、いたずらに使役を御所望なのは別な方ではないかしら?」
「ぬ…!」
 使役の義務、試練の件は金剛最も悔いる事。偉丈夫の面よりみるみる血色奪われるを見て、昂たちまち硬直解く。
「金剛は悪くありません!僕が未熟なだけです!…この、王の剣に認められるため、あなたの力をお借りしたい、それだけなんです!」
「まあ…」
 打って変わって激した様子、誓約もまだな従者庇う様、女王初めは驚き優雅に眼を瞬かせたが…やがてふわり笑う。
「なんて、お優しい方…武骨に仕えるは地獄なれど、斯様な方ならこの身も本望」
「え!…じゃあ、誓約して戴けるのですか?」
「ふふ…これから使役となす相手に、『戴く』なんておかしいわ」
 首を優雅に傾けて、にっこり笑む様同意の印…と、見えたが。
「ただし条件ございます」
「何だと!この期に及んで…」
「ラジャス黙って!…あの、僕に出来る事でしょうか」
 うっとり長い見事な睫毛が…これも翠、眼にも綾な…上下するのも夢の様、されど開いた瞼は不可思議色の瞳覗かせ。
「貴方が真に龍王ならば、実に容易き試練ですわ」
「…!」
「てめえ、ふざけるな!このババア、疑ってんのか!…昂、剣抜いて見せてやれよ!」
 逆上の子蜥蜴に、翠の柳眉ついと逆立つ。
「お黙り、世間知らずの四つ足め。…このお方が当代たるは龍紋の光見るまでも無く明らかな事、メロウは何処ぞの田舎者と違い、いにしえの事物も詳しくてよ。その柄、その細工…刃確かめるまでも無く、世にも稀な龍王の至宝」
「やい、じゃあ何で試すような真似するんだ!」
「試す?…いいえ違ってよ、これは定められしこと」
「定められた、だと?…賢い筈のメロウがおかしな事を言う」
「ああら豪傑の金剛様、貴男の方こそおかしいのではなくて?恒久の忠誠を誓う者、誓約の前に一つだけ、試練を望むは当然の権利…もっとも、欲深い方もいらっしゃるようだけど」
 またしても意味有りげな視線と笑みを向けられ、ぐっと詰まるより他にない。
「それに…ねえ龍王様、ここには初代様より賜わりし宝物一つございますのよ」
「え!初代の時代から…?」
「嘘だよ嘘!本気にすんなって!」
 ラジャスは茶々を盛んに入れるが。
「嘘ではございませんのよ。寿命の長いメロウならば間違いなかろうと、勿体無くも初代様直々の御命令…」
「どっちにしろ、お前がガメていい物じゃないだろ!」
「元より元より、正統たる龍王であらせられる昂様の宝物ですわ」
 再び少年へと眼を向け、にっこり笑みも婉然と。
「…どんな物でしょう」
「ふふ…水気の相に満ちた当代様にはぴったりでございましょう、如意の水珠…水中にても陸(おか)と同じく息出来る、魔法の真珠ですわ」
「な…如意の水珠だと!?」
「何でそんな物がここなんかにあるんだ!」
 金剛、ラジャス二人して血相変え。
「あらあら。大切な物ですもの、意外な所に隠さなくてはいけなくてよ?…さて、昂様、」
「は、はい!」
「その如意の水珠はこの湖底にございますわ…もうお分かりでしょう?かつてこの地にいらした初代様、何時の日か子孫が訪れよう、その者に宝物授けよ、ただし己の力のみで得よと言葉を残しておいでですわ」
「この、底に…」
 思わず覗き込む。しかし相変わらず視界の奥は闇に沈み…深さを思ってぶるい身体が震える。
「まあ…怖い事などございませんわ。だって、帰りは水珠がありますもの、行きだけ息が続けばようございます」
「はい…」
 ごくり、唾を飲み込む。
「おい!お前本気で行こうってのか!?」
「危険過ぎるぞ!」
「…ああ、申し遅れましたわ。剣はお持ちになりませぬよう…」
「え!」
「てめえ!」
「…貴様…」
 偉丈夫の眼、すうと細く剣呑に。
「どうあっても昂を害したいようだな」
 カチャリ、剣を抜きかかるが、少年の手に遮られる。
「ご免、僕に任せて」
「昂!」
「僕、こう見えても水泳は結構得意だし、素潜りも多少…」
「剣も無しにと言うのだぞ!それにここはメロウの水、外洋の海より余程危険だ」
「旦那の言う通りだぜ?中で何かあってもよ、人身の旦那は勿論、オレだって悔しいが水は潜れねえんだぜ!」
「分かっている、分かっているけれど…」
 きゅっと唇かみしめて。
「僕、いつも皆に助けて貰ってばかりだから…何か一つ位、自分の力で成し遂げたいよ。だって、」
 すっと瞳真摯になる。
「龍達の上に立つのが弱虫なんて、僕が許せない」
「昂…」
 少年はじっと見えぬ湖底を見つめていた。


「ここから真直ぐ潜って戴ければ…水珠は輝く二枚貝の中、口は開いております故、すぐお分かりになりましょう」
「はい…」
「水珠見つかりましたら、すぐ御口に含んで下さいませ。たちまち息が楽になりますわ」
「分かりました」
 もう一度、深呼吸をしてから。肩で半ば泣きそうに案ずる子蜥蜴を見やる。
「ラジャス、君まで濡れるから…」
「昂…」
「これは、命令だよ」
「…!…ひでえ…」
 それでも素直に地に降りる、その様子見届けて。…剣と外套脱いで背後に控える男に託す。
「…お前は王とは言えまだ幼龍、危険あればためらわず戻れ。かのメロウもまさか今日この日に成さねば無効とまで言うまい」
「ええ、我らメロウは気長にございますわ」
 金剛の射る様なまなざしにも微塵もひるまず、メロウの女王あくまで悠然。両者の間に静かな確執生ずる様に後ろ髪引かれながらも…ざんぶと一気に飛び込んだ。


 何処までも何処までも…あまりに澄んだ水の色、感覚狂わされどれ程潜ったかもう分からぬ。そもそもどちらが上でどちらが下やら…次第に全てが怪しくなる。
(苦しい…)
 こぽり。耐え切れず小さなあぶくがこぼれ出た。そんな中、眼の前を虹色の輝きがよぎって行く。
(何?)
 その影、昂に気付いたかすうと戻り。近付けば見た事も無い、美しの魚。身が細く長くとりどりに輝き、鰭は薄絹の様に透けて見え、特に背鰭の様子が実に美麗、ほんのり赤く色づいて遠く先まで尾を引いて…ヒレはヒレでも鰭ではなくて、唐様乙姫の領巾(ひれ)の如し。少しばかり、苦しさ止む。
 再び泳ぎ始めると、遠慮がちに魚が前を先導すると見えた。
(案内してくれるの?)
 眼を瞬かせると、ほんの少し振り返り、辞儀をする風忠義の様。…いまだ信じられぬが、己に流れると言う龍王の血の成せる技かも知れぬ。
(ありがとう…)
 言葉には出せねどそっと笑むと、照れた様に慌てて先行し始めた。

 メロウの言う通り、底に近付く程かえって明るくなる。一体いかなる貝なのか、見事に大きい二枚貝、招くが如く光っている。その輝きに引かれたか、見慣れぬ魚が幾匹も、楽しげ嬉しげ輪舞成し。
 昂がそっと近付くと、一瞬驚き皆去るが、害意無き事通じてかそろりそろりと戻って来る。
(さて…)
 魚達に見守られつつ、そっと貝の内を見やる。淡い色の肉の上、確かに輝く霊妙の真珠。
(あった…!)
 喜色に満ちて手を伸ばす、が。
(あれ…?)
 貝の身血色健やかだが、一箇所のみ暗い。真珠の置かれた部分のみ濁り…かばかりか真珠も神通の品にしては輝き鈍い。
 不安に辺りを見渡すが、輝く巨大の二枚貝など二つとあろう筈が無く。意を決して口に含めば霊験あらたか、たちまち呼吸軽くなる。
(凄い…)
 だが喜びは一瞬だった。

(な…に…?)
 急に口の中が焼け付くように痛み出し、遅れて身体が痺れ意識までもが朦朧に。苦しみ悶える少年に、魚達もおろおろ惑う。さらには背後に不審の気配、必死に向き変え確かめれば、真黒き影ぞわり…もしや魔界の、と思い至ると全ての判じがついた。
(毒…魔界の刺客が水珠に毒を付けたんだ!)
 魚の様子から見てもメロウが知らぬのは明らかで。そうこうする内影いよいよ大きく邪気放ち…
(このままじゃ、上の皆まで襲われる…!)
 知らせねば、と思うがもう腕も脚も感覚無く。そこに先の麗しき魚、必死の様子で近付いた。袖をくわえ引き上げんとするが…
(無理だよ、君こそ逃げなきゃ…!)
 思わず口開け真珠こぼれる。慌てて掴んだ所で気が付いた。
(僕が今捕まったら水珠も奪われてしまう!)
 辺りを漂う海藻一切れ何とか手に取り真珠包み、動転の魚にずいと押し付ける。
(急いで皆に伝えて!それにこの真珠、毒が塗られているから…絶対口には入れないようにね!)
 どこまで通じたるか分からぬが、思念強く送り込めばこくこくと頷く様子。
(ありがとう…僕…もう…)
 真珠の働き無くなれば、たちまち迫る息苦しさ。毒の回りも相まって、今度こそ視界に霞がかかる。
(おね…がい…)
 何か、邪悪に黒い物に巻取られたと思ったのが最後の記憶であった…

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(C)獅子牙龍児
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