八章 水霊 (3)


「遅い…」
 深い眉間にさらに皺が刻まれる。抱えた剣の重さに顔をしかめつつ、一歩水辺へ進み出る。
「どうすんだよ、なあ旦那どうすりゃいいんだよ!」
 くるくるくるくる忙しなく、水に入れぬ蜥蜴は苛立ち不安を全く隠せず。
 昂が水底に消えてから、既にかなりが経過した。

「当代様なら水珠をきっと手にしておいでよ、殿方と来たら本当に短気だこと」
 ほほ、と優雅に笑う様すら癇に触り、火蜥蜴は文句の代わりに炎を吐く。
「くどいようだが先の話、真実であろうな」
 昂のあまりの遅さと、相も変わらず身体の大分水中に沈めたまま、あまりにおっとり構えたメロウの態度に疑念増し、重ねて低く尋ねるが。
「あら!全部信じていらしたの?」
「な…!」
 ころころと笑う様子に絶句…

「貴様…!」
「ほほ…『全部では』無いと言いましてよ?宝物あるは真の事」
「では…」
「初代様は御子孫に甘くていらっしゃるの、試練強いる事などなさりませんわ」
「てめえッ!!」
 蜥蜴岩場に駈け上がり、背中の刺を逆立てる。朱の霊気も火炎の如く。
「…さっきわたくし言いましてよ?生涯を捧げるのですもの、見合うだけの方でなくては不満でなくて?そうで無くともあの方、やはり龍王の自覚が欠けていてよ」
「何言いやがる!!昂騙してながらよくもまあしゃあしゃあと…」
「ほーら!」
 柳の眉をそっとしかめ、宝珠ちりばめた長く端麗なる爪でぴたり、子蜥蜴黙らせる。
「蜥蜴風情に呼び捨てにされていてよ…部下思いは麗しき事なれど侮られる主は嫌」
「う…」
「…そう言う貴様こそ昂を弄ぶ様にしか見えぬがな」
 ぎろり、偉丈夫のねめつけにも毛程の揺るがぬ不動の笑み…
「心外なこと…女の敷居は高くてよ、メロウの値は安くは無いわ。それより、殿方はあの方を信用なさらぬ御様子ね」
「違う!オレ達は心配なんだ!あいつはまだ身体も出来ちゃいない、そうで無くとも大火傷やら何やら、えらい目に遭っているんだぜ!」
「…そうね、誰かさんの御陰で」
「てめえッ!ブッ殺すッ!!」
「ラジャス!」
 思わず偉丈夫制止にかかるが…その必要はまるで無かったのだ。

「ぐえっ!」
 後先考えず湖に飛び込もうとした刹那、不可視の壁が火蜥蜴阻む。瞬時、無様にやもりの如くぺたり張り付き…やがて重力にしたがいずるると滑り落ちて行く。
「結界、とはな…」
「水の眷族ですもの」
 成す術も無く睨む男共を軽く笑う。
「メロウの結界はそうそう破れなくてよ」
「くそう…」
「ああそれにね、結界はこの湖ぐるりと囲っているのよ、先の昂様も一時お通ししただけ…隙間探そうなど無為はしないことね」
「けっ!そうやって、何でもかんでも閉じ込めて…行き遅れババアの暇つぶし、体の良い水槽って訳かよ!」
「…全く躾のなっていない野蛮な口…昂様も昂様、こんな無用の口など二度と利けぬよう塞いで下さればよろしいのに」
「…貴様が企みを今すぐ止めるなら、この者とて真っ当な物言いをしようぞ」
「ふふ…まあ何だかわたくしが悪者の様におっしゃる…でもね、おつむの足りない殿方様、メロウの住処は安寧よ?毒も化け物もここには潜り込めようも無いの」
「へ、どうだかね!」
「まあ…やはり火蜥蜴愚か者、幾ら言い聞かせても無駄のよう。メロウの結界はしなやかな守り、どんな強大な者であれ、岸からも空からも川の流れに紛れようとも結界きっぱり跳ね返し、それでいて魚位の小さく可愛い者達なら、出るも入るも自由…お前ほどの小者なら、結界抜けてしまうかと少々気揉みしたけれど、全く杞憂の様ね」
「く…」
「さあ、分かったらおとなしく待っていらっしゃい」
 豊かな髪をさらりと流し、メロウの女王澄まし顔。男達も言葉に従うより他に無かった…


「遅過ぎる!」
 業を煮やし立ち上がったのは金剛であったが。
「どう…したのかしら…」
 メロウの長も先の余裕はどこやら、おろおろ水底を覗き始めた。
「まさか…土左衛門になってるなんて事は…」
「なんて縁起でも無い事言うのッ!」
「え、縁起でも無いって…だからオレ達は端っから言ってるだろ!一人で行かせるなんて危ねえって!」
「そんな筈は…あの方、水気に満ちておられたし…」
「底までどれ程だ!如何に昂が水気の相有りとは言え身体は人間、水珠に届く前に息が切れたら終わりなのだぞ!」
「そんな…帰りはともかく片道位なら多分…」
「…多分、だと?」
「てっめえ…」
「一瞬でも貴様の言葉に踊らされたわたしが愚かだったな…今すぐ、結界を開け!」
「え…」
「聞こえぬのか!結界を開くのだ、わたしが行く!」
「で、でも金剛様、如何に貴男様とは言え今は封印の身でございましょう、あまりに無謀…」
「その様な場に何故龍王一人行かせた!」
「わ、わたくしは…」
 陸に上がった鯉さながら、ただただ口をぱくぱくし…これでは埒が開かぬ。
 と、苦々しく思った所で他のメロウが騒ぎ出した。

「あれ、何故に踊り子達が…」
「本当、深みにいる筈が…」
「てめえらうるせえぞ!今、昂がどうだか分かんねえ時に!」
「ど、どうしたのお前達?」
「あの…水底に住まう魚達が群れなしてやって来るのでございます」
「水底、だと?」
「やっぱり何か起きやがった!どう言う事なんだよ!」
「いえ、あの、まだ皆目…」
 動揺の乙女達を尻目に水中に目を凝らせば、確かに魚群とおぼしき影…ぐんぐん迫る。見た事も無い珍しき美麗の魚の先導で。
「ん?旦那、あの最初の奴、何か抱えている様に見えねえかい?」
「うむ…」
 悩む内に到着し…やにわに岸へと躍り上がる。

「な…驚かせやがって!」
 何とも分からぬ妙な荷物を投げ出され、火蜥蜴ごねる。が、どうやらただの海藻と分かり一安心。
 と、きゅうきゅうと当の魚が鳴き始めた。
「何と言っているのだ?」
「ええ、少々お待ちを…こら!ちゃんと落ち着いて話すのよ!」
 どうやら、メロウもてこずる程に魚の口調は無茶苦茶と見える。動揺のためか言葉も満足に操れぬその魚、業を煮やしたか海藻鰭で示して頻りに騒ぐ。
「煩い奴だな…こいつを見ればいいんだろ」
 近くにいたラジャスが包みを開ければ、真珠ころり。
「おい!まさか如意の水珠とやらじゃないのか!何でお前が持っているんだ!」
 詰めよる火気にも負けじと美魚一際声を張り上げる。
「毒…水珠に毒が塗られていた、ですって!?」
「何だと!てめえやっぱり!」
「そんな!我ら湖に住まう者達は、メロウも魚も皆固く誓い立て、宝物に一指も触れずに過ごして来たのよ!」
「だって他所者は入りようが無いって話じゃねえか!」
 そこでさらに…先導の魚ばかりでならで、群れの魚一斉叫ぶ。
「そんな…」
 女王の顔、常よりさらに白く…蒼白と化す!

「魔界の手の者、ですって!?」
「何!?」
「おいてめえ!結界があるんじゃ無かったのかよ!」
「今まで…一度も破られなかったのに…どうして…」
「理由なぞ後で探れば良い!今の大事は昂一人、とにもかくにも襲われたと、魚どもは言うのだな?」
「え、ええ…」
「あいつ、剣も無しの丸腰だってのに!」
 ぎりりと歯噛みし湖面を睨む。と、奇妙の気配…
「な、何だあ!?」
「この気は…!」
 迫り来る邪悪の兆しに明朗のメロウも慌て出す。影は視覚に捉えられる程に近く大きくなり、魚もメロウも若きに過ぎるラジャスまでもが無意識の内に後退り。ぶわり膨らみ闇の眷族、鏡の水面(みなも)突き破り、どどうと波立て浮き上がった。巨大巨大巨大、ひたすら大きく毛むくじゃら、全身何処も闇く汚れもぞりもぞりと毛のうごめくその様おぞましく…いや、そればかりでは無い。
「昂!」
「昂様!」
 魔獣の汚れた身体に半ば埋もれ、龍王その人が虜となっていた。

「なんてデカさだ!」
 思わず怯えた自分にも苛立ちながら、ラジャス語気荒く吐き捨てる。実際、大きいのは身体ばかりではなく、撒き散らす汚れた気もいまいましく強大、火蜥蜴の癇に触る腐った臭気、恐らく毒もその身に隠しているのだろう。
「まさか、亡者玉では?」
 怯え震える乙女の一人、はっと驚き名をつぶやく。
「何だそりゃあ?」
「亡者草…細い、本当に細い、水草の様な物の寄り集まった生き物ですの、小さな筋が水底転がりながら固まって、やっと大きくなる…でも、一本一本は弱すぎて結界も通り抜けてしまう…」
「何だと!」
「でも、でも!本当に亡者草の一本は小さい物ですの!それで…」
 白い手で手鞠程の大きさを示す。
「これ位の大きさに育つにも、何十年もかかるのです!」
「じゃあ…あれは…」
 無論、目前の化け物、手鞠の何百何千倍もある。一体、どれほど時を要したか…
 偉丈夫の眼が厳しくなった。
「つまり、魔界は遥か古来より今日のこの日を…龍王の到来を狙っていたのだな…」

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(C)獅子牙龍児
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