治癒の魔法 (2)
「一体全体、どう言うこったあ?」
「そりゃあんた決まってるだろ、魔法で化けでもしてるんだよ」
「ちげえねえ、けど髪はえらく白いじゃねえか」
「なに、大方…汚い術じゃあ其処までは騙せなかったって所だろうよ!お天道様に万歳だ」
ひそひそ声には違い無いが、遠慮会釈無い勝手な台詞があちらこちらから飛び出して来る。
「にしても…顔までえらく生っちろいなァ」
「ああ、どうせ夜中に生き血でも吸うんじゃあねえのかい?」
「いやそれより死神に縁者でもいるんだろうよ」
「ああ確かに違いねえ」
…ニーナは何だか腹が立って来た。
歳はともかく魔術師は、供も連れずにたった一人。
対する村人達と来たら…何だかんだ言って数を頼んで。酷い言葉を浴びせている。
(幾ら小さな声だって…聞こえない訳、無いのに!)
現に。黒い衣に白い髪の魔術師は、こそこそとした罵声に耐える如くに面を伏せる。
その肩は酷く震えていて。…痛々しかった…
なのに!
とにかく恐怖で一刻も早く帰りたい、そんな様子を隠しもせず。御者は死ぬ程慌てた様子で魔術師の荷物をぽんぽん降ろし。簡素ながらもまずまず立派な荷物が埃の中に放られる。
「あの…」
そんな乱暴な扱いをすべき品では無いのだろう、魔術師は御者に何か言おうとするのだが、もう用は済んだとばかり全く無視して馬車に乗り込み、乱暴に向きを変え。老いぼれ馬に狂った様に鞭をくれて。
途方に暮れる魔術師を残して。馬車はたちまち見えなくなる…
辛そうにうつむいていた魔術師だったが。
意を決した様に、村人達に向き直る。
「あの…恐れ入りますが、山の上の館への道筋、教えては戴けないでしょうか」
…誰も答えない。
「あの、本当に方角だけでも構いません!荷物も自分で運びますから…」
懸命に、細い声を張り上げても。村人達はただただ遠巻きのまま。
「どうか…お願いです!」
あの『屋敷』への道は。この村の人間しか知らないのだ…魔術師は必死である。
…くわばらくわばら、誰が教えるもんかい…
…ああ、声を交しただけでも連中は呪えるって話じゃねえか…
…嫌だねえ、厄介事が向こうからやって来るなんて…
必死の嘆願に、ただただ邪険なひそひそ声だけが返される…
(こんなの酷い…許せない!)
カッと。ニーナの頭に血が昇った。
人ごみを乱暴に掻き分けて、魔術師に向かって走り出す。
「おいニーナ!?」
「こら、戻れ!!」
制止の声なんざ聞こえやしない。大体、ニーナは強情が身上だ…たちまちにして、魔術師のすぐ前まで行ってしまう。
だが。いざ、前に出ると…咄嗟に何も言えなかった。
驚いた魔術師が、ニーナの方に屈み込んで。顔が思ったより近付いたからでもある。最初は白髪に気を取られ、さらにこの辺りでは珍しい、眼鏡ばかりに眼が行っていたが。この魔術師、こんな田舎では滅多に見られない奇麗な顔立ちで。
その事に驚いて。度胸のニーナもすっかり固まった。
しかし魔術師はすっかり誤解した様だった。
慌てて身を引いて…その顔に、傷ついた色が浮かぶのが確かに見えた…そしてさらに後ろに退いて。懸命に笑みを作って見せる。
辛そうで酷く痛々しい、哀しい愛想笑い。
村人達の口さがない声。こんな奇麗な細い人が、あんな酷い言葉にいつも晒されているんだ…そう思うといても立ってもいられない。
「あの…あたし、知ってるの!山の上、案内できるから!」
緊張の上に慌てたから、馬鹿みたいな言葉になったが。それでも魔術師は眼を丸くして…そして泣きそうな笑顔になる。
「では…お願いしてよろしいですか?」
泣きそう、では無く本当に涙が浮かんでいた。
ニーナは、一も二も無く頷いて。
…辺りの喧騒いよいよ喧(かまびす)しい。
「おいニーナ!そんな奴放っとけ!」
「こら、妙な強情張るモンじゃねえぞ!」
「お戻りったら!死んだおっかさんが泣くよ!」
一応は親切心も入っているのだろう…皆が止めようと大騒ぎ。その有様に再び魔術師の表情が哀しく曇る…
ニーナは本気で腹が立った。
村人達のお節介なぞまるで無視、さっさと魔術師の荷物に向かう。
「あ、あの…自分で持ちますから…」
「いいの!山道、結構長いの!慣れて無いと荷物なんか絶対無理!」
「でも…あの、そうでしたら尚の事…」
「駄目!田舎の事は田舎者に任せて!あたしはね、村の子どもの中じゃあ力だって一番よ!」
一番、と言うのはまあ大袈裟だが、何せ父親が無体にこき使うものだから。皮肉な事に、七つになるかそこらの少女だと言うのに恐ろしく力持ちなのは事実である。
「落とすなんてへま、絶対やらないから!」
頭に血が昇ったままで持ち上げた二つの荷物、大きな包みは軽かったのだが小さな方は酷く重い。
(ど、どうしよう…)
大勢の前で啖呵を切った手前、今さら音を上げる事も出来ず…青くなる。
ところが背後で小さな歌う様な声がして、すっと荷物が軽くなる。思わず歌の方を振り返ると、魔術師が慌てた様に指を唇に当て、そして沈痛の面持ちでうつむいた。
(魔法なんだ…今の)
小さな肩を苦しめる、重荷を軽くしただけなのに。まるで悪事でも成したかの様に苦しみの表情となる…魔術師。
それがあんまり辛かったから、ニーナは大急ぎで…でも注意深く小さな声で…礼を言う。
「あの、ありがとう!」
魔術師はまた、眼を大きくして。そしてまた、あの笑顔を浮かべる…
何年か振りに笑ったみたいな笑顔だった。
「ほら、どいてどいて!先生通れないでしょ!」
呆気に取られる村人達を蹴散らす様に、さっさとずんずん進んで行く。
「邪魔邪魔!だから邪魔だって…言ってるのッ!!」
強引に道を開けさせて、村のど真ん中を堂々と抜けて行く…
「ほら、先生!あたしが付いてるから絶対だいじょうぶなの!」
「あ…はい」
気圧される様にこくりと頷いて。それから。
「本当に…ありがとうございます…」
貴婦人にする様に、丁寧に丁寧に深々と。
これにはニーナが真っ赤になった。
『屋敷』への道は急では無いが確かに長い。
途中ぽつりぽつり、魔術師が村について尋ねて来た。…と言っても全く礼儀の域を出ぬものばかり、しまいにニーナが焦れて聞かれもしない事柄をあれこれあれこれ話し出す。まあやはり子どもだから、すらすらとは行かず妙な所でつっかえるのだが。魔術師は少しも笑わず丁寧に相槌を打って聞いていた。
常ならば会話がさほど進まぬ内にニーナの方が癇癪を起こすのに…
不思議と滑らかにすすむ他愛の無い話に。いつしか幼い少女は夢中になっていた。
「…ふう、本当に距離がありますねえ…」
「あ、でも平気!もうすぐだから!」
明るく返事をして。そこではたと気が付いた。
あの『屋敷』、誰も手入れをせぬから…荒れ放題。
「あの…?」
突然立ち止まった少女を慮り、魔術師がそっと覗き込んで来た。
「あの…どうしました?」
相変わらず、この魔術師はざんばら髪の跳ねっ返りにも奇麗な言葉で話かける。そんな人が、あんな『屋敷』で過ごすなんて…
「本当に、何か不都合でも…?」
今度の声には不安が混じっていた。
「あ、あの…そうじゃ無くって!」
この人の不安そうな様子はとにかく辛い。咄嗟に今日の宿だけでも何とかならないか…と考えてはみたが、あの冷たい皆の様子から言って、どうしようも無い。
まして、ニーナの家は論外だ。
弱り果てて、仕方無しに事の次第を正直に打ち明けた。
「ああ!そんな事ですか」
さぞかし気落ちするだろうと思ったのに、むしろにっこり笑われた。
「汚れや埃位、掃除すれば済みますからね」
「でも…本当に凄いの。お化け屋敷って言われてて…」
…あんなごみ溜めの様な場所に、こんな人が住むなんて!
「あの、だけど!あたし、お掃除する!絶対ぴかぴかにする!」
本当は、掃除なんてまともにした事無かったのだが。
七つかそこらの子どもの宣言を、無理とも言わず笑いもせず。
白い髪の魔術師は。ただ、優しい微笑みで聞いていた。
それがとても嬉しかった…
「ああ、ここですね」
「…ごめんなさい…」
何とは無しに謝ってしまうニーナに、魔術師は変わらずにこにこ笑う。
「いえいえ、私には充分ですよ」
「でも…」
魔術師はおっとり構えているが、ここはとにかく荒れ放題。きっと村一番の家事上手だって、何処から手を着けたら良いのやら…と途方に暮れるに違い無い。
「…貴女は優しいですね」
「え!えええ!?」
弱り切ったニーナの傍にそっと屈み込み、魔術師が穏やかに少女を見つめていた。
優しいなんて!そんな風に褒められたのは、きっと生まれて初めてだ。
「でも…どうか心配しないで下さいね。こう見えても、実は掃除は得意ですから」
「え?」
何処か貴族的な青年の容姿と日常の雑事とは、あんまり幅があり過ぎてとても結び着かないのだが。
にっこり笑って魔術師が、荷物の一つを軽く解き、中から取り出したのは…
はたきに箒に、おまけに…雑巾だった。
「あ、あの!あたしあたしやる!」
「え…あの、平気ですよ」
「だって!」
立派な佳い生地をたっぷり使った長衣の人が、雑巾なんぞであちこち拭いているなんて。
奪う様にして手近な場所を拭こうとするのだが…力の加減がおかしいのか、埃の筋がしっかり残り。拭かぬ方がましな位に惨めな仕上がりになってしまう。
「あれ?あれ?…どうして…!」
何とかしようと努力すればする程、辺りはすっかりぐちゃぐちゃになる。
流石のニーナも泣きそうになったその時。
すっと横から伸びた腕がそっと布を取り去って、ニーナの前でそっと手本の動きをする。
「こんな風に…拭くと楽ですよ」
「…わあ…」
まるで。魔法みたいだった…
こんな風に手伝っているんだか邪魔しているんだか判らない状態のニーナだったが、「取り合えず今日使う場所だけにしましょう」と始めからわずかな部屋だけに集中した事もあり。だんだんに『お化け屋敷』から不名誉な枕言葉が消えて行く。まるで今にも動きだしそうに見えた調度品の奇怪な彫刻も、こうして埃を落として磨いてやると、何とも立派な細工ばかり。それに棚のあちこちに、いまだ残っていた…怪しい瓶の数々も、今も使える貴重な薬品ばかりだと言う。
しばしば通ったニーナですらも気付かなかったが、ここはなかなか立派な『屋敷』であったのだ…
だからこそ、魔術師もわざわざ遠方はるばるやって来たのである。
この屋敷を建てたと言う、偏屈爺いに。ニーナは心の中で感謝した。
魔術師は今は高い場所の掃除をしていた。こればかりは小さなニーナにはどうしようも無く、清めたばかりの立派な椅子に座ったまま、ぼんやり辺りの様子を眺めていた。
昔と比べれば雲泥の差だが、やはりまだまだ汚れの残る場所がある。それに部屋はまだまだ沢山あるのだ…唯一の助手が決して器用とは言い難い、幼いニーナ一人では、一体いつ終わるやら。
それが酷く悲しい。
(あ…)
ふと、思いついた。
「あの、」
ぴょん!っと、少し高い椅子を飛び降り転がる様に魔術師の元へ。
「え…?どうしました?」
仕事の手を休めて、小さな子どもの眼に合わせて屈んでくれる。その仕草に少しも嫌味が無い。
こんな優しくて気取らない人が、魔術師なんて。でも、ニーナは重い荷物が嘘の様に軽くなった事を覚えている。
「あの…あのね、魔法でお掃除って…出来ないかなあって」
「…ああ」
にっこりと微笑みかけたその顔が、途中で急に陰る。
「出来…ますが…」
視線を辺りに彷徨わせて。そしてやっと、意を決した様に言う。
「でも、怖いでしょう…?」
「…!」
村人達の有様を思い出した。
ニーナに取ってそうそう良い隣人とは言えなかったが、ニーナ自身も何かと意地になっていたから非は一応ある。
それでも酷い癇癪持ちのニーナだって、毎日誰かしら家にやって来て、暖かい食事を作ってくれた。ちゃんと世話もして貰えているのだ。
なのに。
…あの、有様だったのだ。
さっきニーナの荷物を軽くした時だって。
あんな辛そうにしていたのだ。
こんな穏やかな人なのに、ずっと酷い扱いを受けていたのだ…
(許せない、酷い!)
「見せて!見せて下さい!」
「え…あの?」
「お掃除!魔法でお掃除するところ、あたしすごく見たい!絶対見たい!!」
子どもの剣幕に驚いて。でも、最後にはふわり笑って。
「では…そうですね、ちょっとだけ」
まずはニーナを少しばかり下がらせると、はたきを魔法の杖に持ち代えて。
穏やかな顔から一転、真剣な表情で構え。
朗々と、不思議な霊妙の音楽を唱える…
魔法の呪文。
(どんな風になるんだろう…)
どきどきしながら待っていると、不意に音楽ぴたりと止まる。
そして。魔術師杖を大きく振るう…!
「わあ!」
少女は眼をきらきら輝かせた。
天井やら高い所の壁の上やら、よほどの梯子を使わねば届かぬ様な場所が皆、不可視の箒で掃いた様に…ゆっくり、奇麗に清められて行く…!
「凄い凄い!」
びっくりもびっくり、掃き寄せられた埃の塊きちんと見える。しかしまた、天井の上の埃達がまるで尋常なる床の上にでもいる気なのか、少しも落ちて来る気配が無い。丁寧に丁寧に…不可視の箒は筋も残さず隅々まで清め。最後に埃の塊、少しも崩さずそのまますっぽり屑入れへ。
「凄い!楽しい!おもしろい!」
「ふふ…どういたしまして」
魔術師もまた、憂いの無い顔で笑っていた。
「良かった…」
ほう、と安堵のため息。
「え?」
「気味が悪いと言う人も、少なく無いのですよ」
魔術師が再び眉を曇らせる。
「確かに…魔術師なんて、薄気味悪い者ですからね…」
「そんな!」
「そんな事ないない!絶対ない!」
ニーナは懸命だった。とにかくこの人の心の苦痛を払いたくて、ぶんぶんと首を横に何度も振る。
他の事を全部忘れて。
そんなニーナの一途な様子に、再び微笑みかけた魔術師だったが。
…その眼が驚愕に見開いた。
「あの…それは!」
「…え?」
血相を変えて飛んで来て、屈む所か膝まで付いてニーナを見る様子に何事かと思ったが。魔術師の眉が痛ましさにきゅっと寄せられて、震える手がざんばら髪をそろそろ持ち上げる至って…漸く自分の失態に気が付いた。
わざわざ三つ編みをほどいてまで、ずっと注意していたのだが。先刻、ぶんぶん首を振り過ぎて。
…髪で何とか隠していた、腫れた頬が見えてしまったのだ。
「一体…誰がこんな…!」
ニーナは顔を上げられない。同情を買うのが悔しいからでは無い、何より魔術師の表情は同情と呼ぶには真剣過ぎた。まるで打たれたのが自分であるかの様で…むしろ魔術師の方こそ辛そうに見えた。
(あたしの馬鹿馬鹿!)
こんな優しい人に、こんな頬を見せてしまうなんて。そして苦しめてしまうなんて!
「こんなに腫れて…痛いでしょうに…!」
魔術師の声は泣きそうに震えていた。
ほんの暫く、いたたまれない間があって。
そして再び魔術師口開く。
「あの…治しても、構いませんか?」
「え…?」
それはあんまり予想外で。ニーナは驚いて顔を上げる。
「…全ての傷を、とは参りませんが。少しばかり、治癒の魔法を心得ています」
「ちゆの…まほう…」
「痛みも引きますよ」
ニーナは。大きく眼を瞬かせた。
痛みを全部取る、魔法なんて…それこそ魔法だと、思っていた。
でも。そんな事が出来たら…ずっとずっとそう思っていた。
「あの…本当、に?出来る…の?」
「ええ」
「腫れも…無くなる、の?」
「勿論ですよ」
…信じられない!
「あの、だけど…その、あたし、お金…」
「そんな、貴女のお陰で私は路頭に迷わず済んだのですよ?これはほんのお礼です」
にっこり、春の野の様な微笑みだった。
「ええと…それじゃあ…お願い、じゃないお願いします!」
強情で鳴らしたニーナを知る者なら、きっと仰天するに違いない。腫れとは別に頬を真っ赤にして、ぺこり頭を深く下げる。
「それでは…少しだけ、じっとしていて下さいね」
再び。意味はまるで判らないけれど、とても奇麗な歌の様な言葉が聞こえる。
もうちょっと聞きたいな…と思った所で終わってしまったのは寂しかったが。不意に、腫れの辺りを不可視の何かがくすぐった。
至極軽い感触で、それはまるで…春風の悪戯の様で…
それでいて。嘘の様に見事に痛みが引いた。
眼をぱちくりさせながら、何度も頬を触って確かめるニーナの様子に。魔術師はにっこり笑って鏡の前に連れて行く。
かつて、胆試しの場であった、その不気味な鏡も。見違える程に磨かれて、何だかお姫様の嫁入り道具の姿見の様で。
その上白い髪の魔術師と一緒に覗き込むと…何だか自分まで、ちょっとばかり奇麗に見える…
「これでもう、隠す必要は無いでしょう?」
そう言われて頷いたのも、何だか夢心地だった。
(C)獅子牙龍児