意外な依頼


 シドと師匠の白い魔術師がいささか不便な山奥に住まうは訳がある。
 魔術師は大概変わり者と相場が決まっているが、この魔術師はもっと変わっている。人あたりが良いのだ。別段お愛想を振り撒いて世渡りを謀る口では無く、純粋に穏やかな質なのだ。知識をひけらかす人間では決して無いが、無用に出し惜しみするで無く、村人の相談事には何時も親身になって聞いている。そんな人物が、何故に人里離れたこの地に居を構えるのか?
 …こんな、文字通り白い魔術師にも公に出来ない技能がある。それは。

 幻獣を『造る』事。


 久しぶりに依頼が転がり込んで来た。
 やって来たのは何処ぞの貴族の執事らしき品の良い髭の老人、名前はバトラー、そろそろ夏が近いと言うのにしっかり着込んだ正装から察するに、真面目一徹な性格と見える。…緊張も手伝ってか、頻りに汗を拭うばかりで、なかなか本題に入らない。
(そんな暑そうな服、脱げばいいだろ)
 自分も山羊皮の外套なんぞを年柄年中着ているが、この下は裸同然だから見た目程には暑くない。対して彼の師匠と言えば…
「どうぞ、お楽にして下さい。…薬草の冷茶と焼き菓子です。よろしければどうぞ」
 相も変わらず魔術師外套の前もきっちり合わせたまま、涼しい顔で給仕なんぞをしているのだ。本人は冷え性だからと笑うのだが、実際は真冬でもやっぱり平気な顔で過ごしている。自然に親和の強い妖精の血を引くシドならともかく、人間でしかもほとんどを屋内で暮らす魔術師が暑さも寒さも堪えないのは如何にも不可思議。
 つらつら思いながらも依頼主へと目を向けると、折角のもてなしにも手を付けず、まだ汗拭きの布を握り締めている。悪気は勿論なかろうが、いささかかちんと来たシド、やにわに卓上へ手を伸ばし、電光の早業で菓子を掴んで口に放り込んだ。
「シド…!」
 魔術師が珍しく眉を潜めるが気にしない。
(だってさ、折角の旨い物を…見ようともしねえし)
 毒でも警戒しているのだろうか?いくら魔術師だっていきなりそんな事はしないのに…これ見よがしに音を立てて食べると、不意に依頼主が興味を持った模様。
「や、これはその…戴いてよろしいのかな?」
「ええ…どうぞご遠慮無く」
 恐る恐ると言った風情で一口噛り…
「…!旨い!!」
 目がぱっと輝いて。いきなり皿を抱えて凄まじい勢いで食べ始め…いつも平静な魔術師でさえ、目をぱちくり。
(喜怒哀楽の激しい爺いだなあ…)
 シドがそう評価した途端、今度は激しくむせ返り…
「大丈夫ですか?」
 相手の年が年なだけにシドの師匠が慌てて駆け寄り茶を含ませる。師匠が必死に背中を摩り、何とか発作は収まったが…
「うう…申し訳無いが、もう一杯…」
「はいはいただいま」
 魔術師が本職の給仕よろしくぱたぱた駈けて急いで茶器を運んで来る。手際が良い。
 傍目にはおもしろい光景だろうし、シドも表面上は気にしないが。
(本当は、こう言う雑事ってのは弟子の俺がやるもんだよな…)
 既に慣れたが、まだ悔しい。

 闇の種族には呪わしき能力が数知れずある。例えば人間に害なすを生業とする闇小人達は、望むままに家畜の乳を腐らせ、葡萄酒の味を酸いものとする才がある。狙う標的に悪口を述べながら唾を吐き捨てるだけ。それしきの事で滋養が無用に変じてしまう。
 …シドにも、闇の妖精の血が半分流れている。いや半分と思いたいが、彼の身体は何処を切っても…おぞましくどす黒い、生き物の命の液とは思えぬ様な血が噴き出すのだ。師匠が何度も言う様に、これとて別段病の元になる訳では無いが…
 シドは恐ろしい程家事の能が無い。事に食べ物に手を出すと必ず見事に駄目にする。師匠は全く無関係だ、単なる得手不得手に過ぎないと言うのだが、シドにはそれが己の血の呪の様に思えてならない。結局、シドは薪割りの類以外は成さぬ事に決めている。

「いや、これは実に美味で…いや、わたくし実は甘党でしてな、つい羽目を…」
「いえいえ、お口に合いました様で何よりです」
「や、これは何処の都の店の品ですかな?」
「え…その、恥ずかしながら私の品でして…」
「何と!魔術の学院では斯様な技も伝授されるのですかな?」
「いえ…その…」
 依頼人が甘党だと言うのは真実と見えて瞳が芝居で無く光っている。年長者には遠慮のある魔術師、戸惑うより他なく…
「えっへん!」
 シドが大きく咳払い。
「…お師匠、依頼の話!」
「あ…そうでした」
「おお、これはしたり、いや何、普段は医者と女房に食べ物をとやかく言われましてな、ついつい…はっはっは…」
 大分頭頂の薄くなった白髪頭を叩いて盛大に笑う。悪い奴では無い、決して無い。だが…
(…こりゃ、時間かかりそうだ…)
 思わず天を仰ぐ。


 シドの悪い予感は的中し、依頼人は脱線ばかり。別に話を誤魔化して安く上げる魂胆でも無いらしく、律儀な眼鏡の魔術師は辛抱強く聞き手に徹していた。いい加減うんざりして来て、大欠伸で妨害を度々試みるのだが、その都度師匠に眼で嗜められるばかり、依頼人と来たら気付きもしない。
 それでも漸く話は仕事内容へと移って行き…

「どんな物でもお造りなさるので?」
「まあ、ある程度限界はありますが、小型の獣ならば比較的簡単ですし、荷馬車に乗る位の大きの幻獣ならばまず可能ですよ」
「ほう…ではいにしえの英雄の倒した様な大物は如何かな?」
「大物…ドラゴンの事でしょうか?ドラゴンも、英雄譚に登場するものには負けますが、それなりの大きさ、能力のものも造れない事はありませんが…」
「それなりに金もかかるぜ」
 すっぱり言って捨てた弟子を、魔術師が困った様に見つめる。何と言ってもシドの師匠は気持ちが優し過ぎるから、シドも気が気で無いのだが。
(こいつ、自分の主人を竜殺しの勇者にでも仕立てたいってのか?)
 …シドとしてはそちらも気にかかる。実際、その類の依頼はかなりあるのだ。化け物を倒したとなれば名声も当然鰻登りだが、そうそう都合良く強大な獣に出会える筈も無い。ましてや倒す腕のある人間なぞ…魔術師の方針として前者は出来得る限り手助けするが、後者の依頼はよほどの事情でも無い限り丁重に断わる事に決めている。
 じとり、シドの睨むその前で、依頼人の老人が身を乗り出して来た。
「報酬の事でしたら幾らでも用意がありますぞ」
 師弟に緊張が走る。金に糸目を付けない、それは商売人としては有難い言葉だが、つまり金に糸目を付けてはいられぬ依頼と言う訳で。
「それで…どの様なご依頼なのでしょう?」
 魔術師も眼鏡の奥で不安そうに瞳を揺らす。多分、糸目を付けないと言う『金』には口止め料も入っているのだろう、返答の如何によっては後で命を狙われる事だってあるのだ。
「それが、ですな」
 コホン、老人大きく咳払い。
「そのう…大きな、大きな化け蛞蝓などと言う物は出来ますかな?」
「は?」
 …師弟の声が見事に揃った。


 恐ろしく脱力した魔術師達を気にもせず、相変わらずの自分調子で老人の語った話によると、依頼人が『英雄』に仕立てたいのは何と十六の少女であるらしい。その少女、依頼人の仕える伯爵家当主の孫姫なのだが、あろう事か『己が難敵と見定めし、民草を悩ます怪物を見事討ち取るその日まで決して家には戻らない』との誓約を立てて出奔中との由。
「何と申しましょうか、お嬢様と来たら広場にわざわざかなりの者を集めて誓われて…無数の人間が証人となってしまった訳でして」
 そしてその少女がまた、貴族の習いとは言え武芸を嗜み過ぎて大変な跳ねっ返り、しかも悪い事に先祖に竜殺しの勇者…まあ、大概の『名家』にはそんな伝承があるのだが…なんぞがいるものだから、武の道に強い憧れがあったらしい。事実夜にこっそり屋敷を抜け出し裏手の山へと登り、暴れ熊を三頭も仕留めた事があったと言う。しかも、本人の怪我はかすり傷程度。
「げえ…」
 ただでさえ長い話にげんなりしていたシドがさらにぐったりする。事実とすれば、とんでもない娘だ。
 が。シドは当然の疑問を抱いた。
「それにしてもよ、よしんばその姫サマの腕が確かとしてもだぜ、『難敵』ってのは難しいぜ。ほとほどの奴だと『難敵』って思えないだろうし、かと言って正真正銘凄い怪物だったらさ、返り討ちに会いかねないぜ?」
「シド」
 急に割り込んだのと、ずけずけした物言い。大体において弟子に甘い師匠だが、礼儀正しい魔術師は軽くシドを嗜める。…もっとも、白い魔術師の考えも、また老人も思いは同じであったらしい。
「いや実は我らの懸念もそこにある訳でして。しかし不幸中の幸い、勇ましいお嬢様にもやはり苦手はございましてな…」
 猛獣を物としない少女の苦手は、何とただの虫達であった…

「殊に蛞蝓と来ましてはなあ…連中の通った道など、もう二度とお通り出来ぬ様になる程でして」
「分かるぜ…」
 シドがさも嫌そうにブルっと身体を震わせる。その姿に魔術師は酷く心を痛めたが…依頼人の話は続く。
「伯爵家の立場と致しましても誓約違える訳には行かず、かと言ってお嬢様の身に危険が及んでは…さればこそ、恐ろしく大きな蛞蝓でも無闇に生やせ、そこをお嬢様に退治て戴ければ、と…」
(簡単に言うぜ)
 小さく舌打ちする。…師匠は、今度はまるで嗜めない。苦悩に揺れる表情で、相変わらず喋り続ける依頼人の話を聞いている。

 普段なら、困っている人のためなら採算を度外視してでも依頼を受ける所だが、白い髪の魔術師は明らかに迷っている。確かに巨大蛞蝓(ジャイアントスラッグ)は比較的製法の楽な怪物だが、普通の蛞蝓とは段違いの丈夫さ、そもそも異様に滑る粘液のために並の剣では歯が立たない。よしんばざっくり斬れたとしても、恐ろしい再生力で回復してしまう。しかも危機が迫れば口から消化液を吐き出す習性もあり、すぐに洗えばどうと言う事もないが、長く放置すれば肉まで溶けまた眼に入りでもすれば失明しかねない。
 それに。
(やっぱり…俺の事、気にしてんだな)
 どう言う訳か…本当にシド自身でさえ不思議なのだが、師匠はこの変わり種の弟子をまるで実の息子のように扱っている。シドがほんの三年ばかりで初級の術なら一通りこなせる様になったのも、シドが魔力溢れる闇妖精の血筋だからと言うより懇切丁寧な指導の賜物だろう。
 実際問題として。普通の蛞蝓だって顔も見たくも無いのに、わざわざ巨大蛞蝓を造るなんて正直言って信じられない。…気にしないでくれ、と言い出せる程に人間が出来ている訳でも無い。
 折角の、それも多分大口の依頼、勿体ない気はするが…

 とは言え、弟子思いの魔術師の願いはまるで通じない。必死で巨大蛞蝓の不利短所を告げるのだが、老人は老人で決意は固い。
「いや、やはり化け蛞蝓が良いように思われますな。…それとも、化け蛞蝓を造るには何か費用でもかかりますかな?」
「いえ、それは…」
「よしんば費用がかかるとしましても、」
 老人が荷物を探り、大きな袋をどさり。その時、確かな金属音が袋からした。
「ほれ、この通り!こちらを如何様にも使って下され!」
 老人が開けた袋から、まばゆい金貨が雪崩のように卓上へとこぼれ出す…

 いよいよ困惑の極みとなる師匠を他所に、シドの頭脳が素早く回転。…例え依頼人が事後報酬を完璧に踏み倒したとしても、前金がこれなら十分元は取れる。この依頼人の様子から察するに約束を違える事は無いだろうし、こっそり魔法で軽く『探査』限りでは言った言葉に嘘は無さそうだ。
 魔術師と言う事でシドの師匠は裕福だと広く思われているが、実際はそうでもない。いくら魔法が使えてもただの石から黄金を無限に生み出す技などある筈も無く、それに魔法の書物も物品も皆酷く高価で魔術の研究は何かと物入りなのである。研究熱心な師匠が酷く欲しがっていて、だが高すぎて諦めた書物が何冊もある。傍で見ていてシドはよく知っているのだ。…金色のきらめきがシドの黒い瞳を射抜く。
「お師匠」
「…え?何ですか?」
「受けてもいいじゃん、この依頼」
「シド…!?」
「だってさ、条件良いしさ、人助けにもなるしさ…この爺さん、悪い奴じゃなさそうだし」
「ほ、本当ですか!?万歳!遍照大君様、有難うございます!」
 『爺さん』などと呼ばれた事などまるで気付かずに依頼人、ひたすら喜びはしゃぎ回る。こんな態度を取られては、魔術師としても断わり様が無く。
「シド…」
 もう一度弟子の方を見つめる師匠の眼に、シドは軽く笑顔を返す。
(俺は平気さ…)
 それは多分に強がりで。…後で酷く後悔する事になる。

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(C)獅子牙龍児
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