鉱山の男達


 後悔は思ったより早く襲って来た。


 依頼人の訪れた翌朝、白き髪の魔術師と黒い肌の弟子は屋根付き馬車で揺られていた。一旦話が決まるととんとん拍子、ほとんど魔術師が口を挟む間も無く依頼人が段取りを決め、予想を遥かに超える早い出立と相成ったのである。準備の時間が欲しいと言ってもお嬢様を待たせる訳には行かぬの一点張り、また場所が遠いからとの事で、依頼の詳細について聞けぬままに急ぎ準備の品をことごとく揃える羽目となった。不幸中の幸い、巨大蛞蝓を普通の蛞蝓より製するにはさほど特別に取り寄せる品は無用なのだが。
 馬車の中、シドは始終無言である。

「シド、あの…ここならまだそう遠くありませんから、戻れますよ?」
「………」
「無理、しないで下さいね」
「………」
「今度の仕事は私一人でも平気ですから」
「…って言って、お師匠いつも丸め込まれるじゃないかよ」
 うつむいたままの少年の声に魔術師も苦笑する。
「ま、それはあまり反論できませんけど」

 本来は貴族のみに許される馬車である。伯爵家の持ち物だけあって、雨風を凌ぐは無論、窓に特殊な網戸が付いていて中が見えにくい作りになっており、暑ければ風も自由に通せる。座席のクッションも刺繍は勿論膨らみ具合が実に見事、馬車そのものが揺れにくい作りとなっている事もあずかって素晴しき乗り心地。
 だが馬車の中の空気は重い。

「あの…」
「………」
「造るのは私が全部やりますから」
「…それじゃ駄目だよ」
 まだ声も顔も下を向いたまま、ぽつり。
「え?どうしてです?」
「だって…さ、何かお師匠の面子が立たないじゃん」
「シド…」
 また少し苦笑する。この少し斜に構えた少年は、魔術師の事を常々人が良すぎると憤慨して言うのだが、どうしてどうして本人も随分義理堅い。大人に対して反抗心の強い子どもだのに、身よりの無い所を拾われたのが余程嬉しかったのか、魔術師には随分素直で、なおかつ自分の師匠が損をしないようにと依頼人にも眼を光らせる。また魔術師があまり権威的な事にこだわらず、ために世間から軽んじられている事に常に心を痛めてもいる。それは身近に友人縁者の全くいない魔術師にとっても心暖まる事実だが…
(一体…私の所へ来るまでは、どんな暮らしだったんでしょう…)
 何だか、昔があまりに地獄の日々で、結果普通に接しただけでこんなに懐いてしまったのではと、時にそう思って魔術師は辛い。
 そんな思いを振り払う様に、魔術師は勤めて明るい声を出す。
「じゃ、『これ』に触れない、魔法薬の調合をお願いしましょう」
 傍らの頑丈な箱をぽんと叩く。その音に何とは無しにシドが顔を上げて…音の元を認めて真っ青になって視線を外す。ついでに、その肩がぶるぶる震えているのが見てとれた。
 魔術師もため息をつく。
(やっぱり、無理にでも断われば良かったでしょうかねえ…)
 …箱の中味は、『地封籠』の檻もそのまま、例の眠らせた蛞蝓の群れである。

(依頼の方々にはお気の毒ですが、今回は造るだけにして逃げてしまいましょうか)
 …弟子のためとは言え、らしからぬ物騒な思考。もっとも彼の仕事はあくまで幻獣造りであってその事後処理では無いのだから、後の処置まで手伝ってしまう普段の行動の方がお人好し過ぎるのだが…



 さて、報酬だけ受け取って蓄電しようと不埒を考えたが悪かったのか。

 人目をはばかる様に連れて来られた小さな小屋で、協力者と初めて引き合わされた。明らかに上流の人間では無く、かと言って農民とも微妙に違う。戦士の類とも異なるが、随分と鍛えられた男達だ。重労働に従事する者だと何気なく検討を付けた所で、依頼主の老人によって彼等の職業が告げられる。
「何ですって!?」
 何時も穏やかな魔術師の絶叫。…男達の顔があからさまに歪む。無論、魔術師の絶叫の意味を誤解したからだが。
 次に老人が今回魔術師に造ってもらう幻獣の名を聞いて、今度は男達の声が裏返る。
「冗談じゃねえ!!」
 依頼人はと言えば、訳も分からず驚愕のまま固まった双方をかわるがわる見るばかり。
 一人、苦労人の弟子がため息を付いた。


「…皆さんはとうにご存じでしょうが、巨大蛞蝓は鉱山でゴブリンに次いで嫌われる魔物です。あちこちに穴を掘りますし…」
「そうとも!あのクソ虫どもと来たら本気で頭がねえ!出鱈目に穴を開けやがってよ…大水が出た事だってあンだからよ!」
 ドン!振り降ろされた男の拳に卓上の食器も跳ね上がる。取り合えず、と着席した一同だが尋常な話し合いに入る様子は一向に無い。
 無理もない。『協力者』と言うのが坑夫で、魔術師の言う通り鉱山では巨大蛞蝓は命に関わる悪さを仕出かす魔獣なのだ。

「それだけじゃねえ!連中、お宝を『喰い』やがる!」
 おろおろしていた依頼主もその言葉にさらに眼を丸くする。
「な、何と宝石を食べるですと!?」
(のんきな爺さんだぜ)
 顔を覆う息苦しい面布の裏で、シドは何回目かのため息をついた。…自分が呪われた存在なのは良く知っている。慣れた近くの村や街ならともかく、遠方へ赴く時には必ず長袖の服に手袋、頭巾付きの街頭で首筋まで覆い、顔も面布で肌がほとんど覗かぬよう隠してある。それはそれで怪しい格好だが、占者の一族がそんな姿を好むので問われたらそう答える事に決めている。
「…消化液を出して、溶かしてしまうのですよ。巨大蛞蝓は小さな物と異なり土や岩も食すのですが、貴石の類は大地の精霊力が強いせいか狙われ易くて…」
 予備知識のまるで無い老人に魔術師が懇切丁寧に解説するが、その穏やかな口調が却って男達の神経を逆撫でする。
「分かってらい!大体何だってそんなモノにしやがったんだ!!俺達の仕事は命懸けだぞ?俺達に、死ねって言うのか!」
「いえ、そんな…」
「魔法使いが冷血だってのは本当だな。ゴーレムか何かとおんなじでよ、きっと何処を切っても青い血しか流れて来ないんだろうぜ」
 さっと、努めて平静を保っていた魔術師の顔が蒼白になる。が。
 …バン!先刻よりは軽い音がして。今度はシドが立ち上がった。
「うるせえ!お師匠だって何も聞いていなかったんだ!」

 驚く眼鏡の師匠の横で忠義な弟子が吠える吠える。
「いいか、俺達だって化け蛞蝓なんて趣味の悪いモン造りたかねえ!そっちの爺いが造れ造れって喚くからよ、仕方無しに準備も仕立てて来てやってるんだ!第一…」
 元々細い眼がさらに糸の様に。
「お師匠を悪く言うなら…俺が相手になるぜ!」
 ぐっと身体を屈めて臨戦体勢を取る。短剣が数本しか無いが素人相手には十二分、何せシドはかつてある『職業』にて『名人』とまで呼ばれていたのだ。小柄とは言え独特の殺気は男達をたじろがしてもお釣が来る。

「いや、その、…儂の言葉が足りなかったかも知れんのは確かでな、」
「足りないも足りないさ!お師匠が何度も止せって言ったのに、爺いが蛞蝓蛞蝓って騒ぎ立てるモンだからよ!」
「何でもいい!とにかく他の物を造れと言ってるんだ!」
「簡単に言うんじゃねえ!魔物造るのにどんだけ準備が必要だと思ってんだよ!」
「嘘つきやがれ!バトラー様が行きなすってすぐ、おめえ達ほいほい来やがったじゃねえか!」
「ほいほいって何だよ!…じゃなくてよ、化け蛞蝓ってのは元々造るのだけは簡単でよ、しかも俺達えらい急かされたモンだからよ、だから『異例』の早さで駆けつけたんだよ!」
 弟子の暴走に眼鏡の魔術師は生きた心地もしない。…実際、師弟の支度はシドがアクセントを付けた通り、全く『異例』の速度であったのだが、一般の人々は魔術を酷く万能の術と過大視するのが常であり、よって魔術師の苦労に考えが及ばないのだ。それを痛い程知っている白き髪の魔術師、他ならぬ弟子の言葉が坑夫達の怒りに油を注ぐ結果となったのが良く分かる。
 かと言って、割って入る糸口も見えず…
「御託並べるんじゃねえ!さっさと今から七日の内に蛞蝓以外のモンを造れ!」
「…七日…?」
 激高していたシドの頭が一気に冷える。


「ど、どうした?」
 軟弱そうな魔術師は勿論、先刻までいきり立っていたその弟子まで沈黙している。売り言葉なら買い言葉で遠慮無く応酬するが、こう黙られては気色悪い。
「バトラー殿…」
 漸く口を開いた魔術師、だがその声が酷く震えている。
「七日、と言うのは本当ですか…誓約にそれほど厳しい期限が付いているのですか…」
「そ、それは…まあ、そんな所でしてな、」
「左様でしたらあるいは我々、一旦戻る事に致します。急ぎ、期限に間に合いかつ鉱山の皆さんに無用な迷惑の係りません物を探索して参りましょう」
「それはかたじけない…」
「しかし、」
 白き髪の魔術師の声から震えや狼狽が消える。…気弱に見られがちだが、明瞭にすべき所は誰よりもわきまえているのだ。
「今一度、事の詳細を詳らかにして戴けませんか?…ご依頼の遂行のためにも、是非」
「いや、まあ、その…」
「バトラー様」
 坑夫連中の一人が低く釘を刺す。
「姫様の将来がかかっているんだ、こいつらに言いなさる必要は無いぜ」
「お、おお…まあそうじゃな…」
 シドとしては坑夫達の言いようは正直言って腹が立つ。もっとも連中の怒気は眼に見えて減じて来た。
(漸く、俺達じゃなくて爺いの連絡不行届だっての分かったんだな)
 シドは少しほっとして、再び椅子に腰掛ける…否、掛けようとした。

 急な気配にはっとして顔を挙げると、坑夫の太い腕が迫っていた。急ぎ身を反らすが…咄嗟の事ゆえ、また気の緩みも与ってわずかに行動が遅れ…面布を剥ぎ取られた。しかも、慌てた勢いで頭巾がすっかり落ち。
 シドの素顔が灯火の下、完全に晒された。
「こいつ!?」
「闇妖精じゃねえか!!」
(やばい…)
 坑夫達は、大自然の恐怖に常にさらされる人間の常として恐ろしく迷信深い。そして、闇妖精は誰にとっても不吉な存在。
 シドの頭の中が真っ白になる。


 咄嗟に自分が誰に抱え込まれたのか分からなかった。
「『雷罰(サンダーパニッシュメント)』!」
 鋭い詠唱が響き、同時に辺りを閃光が走る。慌てて見上げると、いつもは温厚な眼鏡の魔術師が厳しい眼をしてシドを庇う様に抱え込み、魔術の杖から紫電を迸らせている。前方に再び眼を転じると、バトラーを覗く男達全員が地に伏せ頭を抱えて頻りに顔をしかめている。その各々の手に何時の間にか鶴嘴やら刃物の類やらを認めて背筋が寒くなる。
(そんなに…闇妖精ってのは憎まれているのか…)
 この年になっても目の当りにするのは辛い。頭では分かっていても…いつか、あの憎悪の眼にも慣れる日が来るのだろうか。
「お立ちなさい。今の術は痛みこそあれ、人を害するものではありません。傷も無い筈です。…暫く痺れは残りますが」
 何処か昼行灯然とした先刻までの様子は何処やら、魔術師の声は凛として響く。男達も実際の魔法の威力と己の身に真実異常が無い事に気付いて、蒼ざめた顔で素直に従う。
「何か、複雑な事情がおありのようですね。我々を何か誤解なさるような」
「全く、そうだ。俺はあんた方が手先だと勘違いして…」
「しっ」
 魔術師が指を口に当てる。
「余程の事情なのでしょう?…無理には聞きません」
「あ、ああ…」
 自分が秘密を漏らしかけた事に気付き、蒼かった男の顔色がさらに薄くなる。
(よっぽど雷罰が効いたんだな…)

 加減にもよるが、雷罰は相手の反抗の意思を弱める…つまりは『素直にさせる』効果もある。だからこそ、魔術を教える「叡智の館」では罪を犯した生徒への説教の折りに良く使われ、ために名前も雷『罰』と言うらしい。シドの師匠の言う通り何ら実害は無いが人の意思に強く働き、また『短縮』と言う特別な技術を持ち入れば呪文の詠唱も一瞬で済むために暴動を沈める時にも頻用される術だと言う。魔術師の技量もあろうが効果覿面である。

「それと、もう一つ」
 魔術師が真剣な表情そのままに、懐から厚手の布を取り出して広げる。そして、再び呪文。
(…?)
 坑夫達は勿論、師匠が『移送』の呪文を唱えていると判じたシドでさえ魔術師の意図が分からない。卓上の布に一座の視線が集まる。
 その一点が瞬間まばゆい光に包まれる。皆が無意識に眼を近付け…


「ぎゃああああああ!!」
 魔法により呼び寄せられた物のあまりな正体に凍り付いた一座の空気の中、哀れな少年の叫びが響き渡った…



「うう…」
 椅子にへたり込んだシドはまだ涙眼だ。坑夫達が先程までの経緯が嘘の様に寛いでいるのと対称的。連中、笑い声を隠そうともしない。
「済みません、食卓に大変な物を乗せてしまいまして」
 白い髪の魔術師は穏やかな雰囲気を取り戻して頻りに詫びを入れている。
「いやいや!俺達も面白いモン、見られたしな。…元はと言えば、俺達が色々と早合点をしたのが悪かったかしよ」
「全くだよ!お師匠、詫びならまず俺に言うのが筋ってモンだろ!」
「ええ、本当にシドには悪かったと思います…」
「おいおい坊主、弟子の癖に生意気だぞ?」
 にやにやと、坑夫達の首領格らしき男がからかう。その様子に嫌悪や憎悪は微塵も感じられない。嵐の去った様子に、ある意味先刻のいさかいの原因とも言えるバトラー老人はほっとした表情で汗を拭っていた。

 眼鏡の魔術師の用いた魔法。それは…蛞蝓を召喚する事であった。

 呪文が完成した時、固唾を飲む一同の前に姿を現わしたのは例の地封籠で眠っていた大量の蛞蝓であった。誰も予想だにしなかった物の出現に坑夫達も胆を潰したが、悲惨だったのはシドである。つい、顔を近付け過ぎていたために暴れた一匹が顔に触れたのだ。普通の人間でも歓迎せざる事態だが、選りにも選ってシドは大の蛞蝓嫌い、見るのも嫌だと言うのに…師匠が丁寧に顔を手巾で拭ってやり、蛞蝓達を再び魔法の籠に閉じ込め、跡の付いた布を卓上から除けるまで不幸な少年の恐慌は続いたのだった。

「お師匠は俺の敵なのかよ味方なのかよ…」
「味方に決まっているだろ」
 答えたのは例の首領格。先程の騒動の後、名はラグーだと自ら名乗った。初対面が初対面だったために今だに自己紹介もまともにしていなかったのだ。
「坊主、お前が悪人でねえって事をお示しなさったじゃねえか」
「…他にやり方があるだろ…」
「ご免なさい」
 心底すまなそうに謝られて、シドもそれ以上は愚痴れない。
(咄嗟だったし、確かに滅茶苦茶効果的だったしなあ…)
 事実、ただの魔物ならぬ蛞蝓に哀れなほど狼狽するシドの姿に坑夫達の疑念は全て霧散したのである。


「あんた方を悪人と決め付けて悪かった」
 ラグーが頭を深々と下げる。血気は多いが実直と見える。シドも、少し相手を見直した。
「それに、考えて見れば…化け蛞蝓を使うのも一理ある」
「そう…ですか?」
「まさか、村のど真ん中に魔物が出たら誰だって怪しむだろうしな、残りは『山姫様の社』…俺達の鉱山(やま)と『密猟者の森』しかねえ」
 『密猟者の森』はかつては王領だった土地である。大層豊かな森で、殊に見事な毛皮を持つ熊や狐が多数おり貴人達の衣装を飾ったのだがために密猟も絶えず、結局かなりの獣が狩り尽くされたと言う。大層な名と裏腹に、今では小型の貧相な獣しかいないらしい。
「あの森は他所と違ってなまじ危険が無いからな、普段から女子供も良く入るんだ…そこに急に魔物を放ったら、な」
「大変な事になりかねませんね…」
 男も大きく頷く。
「世間が妙だと感づくかどうかよりも、俺達としては女房子どもが心配だ。…やっぱり、化け物は鉱山(やま)の中がいい」
「でも…」
「俺達は、山の男だぜ?」
 ラグーが殊更明るく言う。
「あんたが造らなくとも、化け蛞蝓に出くわすのは運不運だ。何より…あの姫様が、もっと得体の知れねえ化け物の爪や牙にかかったらと思うと気が気でねえ」
 確かに、巨大蛞蝓は爪も牙も勿論無く、そして巨大蛞蝓そのものに殺された人間は一人もいない。
「何より、俺達は連中の事をちっとばかり余計に知っている。姫様の手助けもできるしな」
 そうだ、と唱和する声が周りからも聞こえて来る。始めはラグーが勝手に巨大蛞蝓の件を承諾しようとした事に不安を抱いていたようだが、『姫様』、つまり依頼の大本である迷惑な誓約を掲げた少女が話題に登った途端、男達の顔に決意の様なものが浮かんで来た。
(妙に義理難いじゃん)
 この地は確かに伯爵家の領地ではある。だが酷く辺境で、実際に統治しているは委託を受けた別の人間、伯爵家の人物が訪れる事は滅多に無く、実際少女がかの地を訪れたのも一度きり、それも忍び旅の中のかなり短い逗留だった由。バトラー老人によれば少女は武芸のみならず学問全般に秀で、かと言ってそれを鼻にかける事も無くさっぱりした性格で、心根も優しく美しい全く貴族令嬢の鑑の様な人物だと言う。と言っても跳ねっ返りであるのは確かだし、忠義な家臣の言葉だからかなり欲目と脚色もあるだろうし…何れにせよ、坑夫達にそこまで慕われる言われは何処にも無い。
 何故だろう、と始めた思考はたちまち中断を余儀なくされた。
「よう、見習いの坊主…」
「え、え?何だよ突然…」
「化け蛞蝓で行くって事はよ、俺達も命張るってえ訳だ、お前等になァにも損がねえってのもちと癪だしな、」
「おい!お師匠にこれ以上何させる気だ!」
「いやいや、今にも倒れそうな細っこい先生にどうこう言う気はねえよ」
「何だと!!いいか、お師匠はなあ、こう見えても…」
「おっと、」
 師匠を馬鹿にされてはならじと、途端に熱くなるその様子に男も笑いを噛み殺す。
「坊主と喧嘩する気はねえよ、ただ、な…」
「ただ?」
 思わせぶりな言葉の切り方に、シドが不審げに眉を寄せる。そのやり取りに、存外鋭い魔術師が男の意図に気付いて口を開きかけるが、男に手ぶりで阻止されてしまう。
「なあ、坊主。おめえ、蛞蝓は苦手だな?」
「な…蒸し返すんじゃねえ!」
 強気な少年にとっては必死で隠して置きたい汚点なのだろう。人間で言えば茹で蛸になりそうな勢いで怒鳴り返す。…残念ながら、闇妖精の血色は外目にまず分からないが。
「俺達も、化け蛞蝓は全くご免だ」
「そりゃ、分かってるさ…」
 ひょっとしてまとまりかけた話が壊れるのかと、少年の語尾は弱くなる。そんな様子に、にやり。海千山千の荒くれ男は気付かれぬよう密かに笑う。
「だからよ、…化け蛞蝓、おめえが造るってンなら俺達も五分と五分だァな」
「なにいいいい!?」
 少年の声が見事に裏返る。眼が点になった弟子の横から師匠が慌てて顔を出す。
「お願いです!シドは本当に蛞蝓が駄目なのです!触るなんて無理…」
「じゃ、坊主は何しに来たんだ?ん?一人で留守番出来ないって訳か?」
「違わい!俺はただ、お師匠が心配で…」
 言いながらも口ごもる。先刻、坑夫達が殺気立った時も結局自分は何も出来なかったのだ。
(俺…確かに何しに来たんだろう…)
 次第に消沈して行くシドを見ていられず、魔術師が言葉を募る。
「あの…シドは本当に私に尽くしてくれるのですよ。魔物造りの魔法の儀式は手順がうんざりする程で、助手がいるかいないかは大違いなのです…」
「おいおい、そりゃァ先生、甘やかし過ぎと違うかい?」
「え?」
「弟子が嫌がるからってさせねえンじゃ、何時まで経っても独り立ちしねえぜ?」
「でも…でも!蛞蝓など触れなくても魔術師にはなれます!」
 見た眼ほど丸め込まれ易い人間では無い。シドの窮地に、魔術師も必死になるが…
「いやいや、蛞蝓だけの問題じゃねえ、姿勢の話さ。…時にあんた、蛞蝓好きかい?」
「え?…好きと言う訳では…」
「そら見ろ坊主、おめえ、自分が嫌なモンを選りにも選って先生に押し付けようって訳かい?」
「う…」
 これは殺し文句だ。

「あの!シドと私では苦手の度合が違いますし!」
「いいって、お師匠」
 尚も弟子を助けようとする魔術師を止める。シドも腹を括った。
「分かったよ、あんたらは化け蛞蝓でえらい眼に合う、俺は蛞蝓で酷い眼に合う…これで痛み分けだろ」
「シド…」
「よし!」
 男がパン!と手を叩く。
「話は決まった!じゃ、早速だが早い方がいい、今夜にでもやって貰おうか!」
「今夜…」
「へえへえ、やればいいんだろ、やれば」
 不幸な少年は酷く渋面だった。

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(C)獅子牙龍児
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