二つの鍋


「何だよ、この人数は…」
 ラグーが念のため立ち合いたいと言い、それを承諾したのは確かだが。…幻獣製造にあたって借りた廃屋には溢れんばかりの野次馬が詰めかけているのである。
「大体、例の事は色々訳ありなんだろ」
 秘密は少数でこそ保たれる。今、この場所に居合わせている人数は先の会合より明らかに多い。
「なに、心配するな。皆、事情に通じた奴等だ」
 ラグーがわざわざ見やすい場所に椅子まで運び込んでにやにやしている。
「大した見物になりそうだからな…その見料と相殺ってんで勘弁してやるよ」
「畜生め…」
 シドが低くつぶやいても返って来るのは無数の笑い声ばかり。自分が決めた事とは言え、見事はめられた気がしてならない。
(相殺も何も、元はと言えばあの爺いが馬鹿過ぎたせいじゃねえか)
 その元凶は、例の少女の様子見に出かけているらしい。面倒な話だが、『誓約』と言うのは自分を偽って成就する事は出来ないらしい。別に例の姫君が頑固なためばかりでなく、上流階級の昔からの習慣で、場合によっては神前での審判によって真実達成したか否かを追及される事もあると言う。だからこそ、少女自身に周りがお膳立てした事を悟られてはならないのだとか。バトラーの長期の不在は疑念を抱かせかねない。
(もう、どうにでもなれ…)
 悪い事はさっさと済ますに限る。そう考える事にした。

 巨大蛞蝓造りの原理は簡単だ。まずは蛞蝓の身体を適度に溶かし、互い互いを癒合させる。だがあまりに大量の生き物を一度に一つにまとめると、何かと不都合が起こるので程々に合体させ、それをさらに拡大させる。無論、『不都合』を防ぐがために、他にも手順は色々あるが、格別難しい事は何も無い。…純粋に技術的な事を言えば、だ。
 皮手袋を填める。男達から素手で扱え!と野次が飛ぶがこれは無視。蛞蝓はともかく危険な薬もあるので素手で作業を行う事は滅多に無いのだ。そっと魔術師が差し出す薬草類を順繰りに鍋にぶち込んで行く。肉を溶かす白ヘレボルム、魔力を与えて薬の浸透を助けるアコニウム、それからアンブロジア…
(あ…)
 早く成分を染み出させるために、茎をしっかり折るなり切るなりして置くべきだった。慌てて鍋をヘラで探るが、皆手順通りに仕込みは済んでいる。驚いて魔術師の方を見ると、柔らかな笑みを返してくれた。
(だいじょうぶですよ。私が付いています。人目など気にせず、いつも通りにやりなさい)
 優しい念話の声。…些末な助手の仕事にも腕の善し悪しは出るのだ。恥じ入りながら眼の前の鍋に集中する。

「ほう…」
 暫くは単純な魔法薬作りの作業が続く。だが早々に飽きると思った野次馬達が結構な興味を示して相変わらず立ち去る気配が無い。大きな瓶に何とも不可思議などろりとした液体が並々と注がれ、二つの鍋の一方からは鮮やかな黄色の煙、また他方からは毒々しい黒い煙が立ち上るに至って皆むしろ身を乗り出して来た。
「『らしく』なって来たじゃねえか」
 ラグーの台詞に眼鏡の魔術師が苦笑する。
「お言葉ですが、別に色が付くからと言って特別効果が大きい訳ではありませんよ。今夜使う物はむしろ作用の弱い種類ですし…鉱山の毒ガスだって色も無ければ匂いもしない事ばかりでしょう?」
 やんわりと、だが言外に見世物では無いから邪魔するなとの意思をきっぱり含ませて。
「違いねえなア、流石は先生だ」
 ラグーも頭を掻きながら引き下がる。どうやら、ここからが正念場だと門外漢の坑夫達も少し気を引き絞めてんでな野次をぴたりと止めた。が、シドの方はと言えば、とっくに野次など聞こえぬ状態に入っていた。

(ええと、次は…)
 ごく簡単な手順だと言うのに頭は混乱、先ほどから腕は止まりがちである。野次馬達には背を向けているから分からぬだろうが、彼の顔は汗みどろ、眼の辺りなど泣いているのかと見まがう程。
(左の鍋に、蛭の干物の粉ですよ)
 そっと、坑夫達に気付かれぬよう念話にて指示が出る。が、既に瓶の札も瞬時には読めなくなるほどの焦燥ぶり。
(ほら、卓上の右から三番目…そう、それです)
 指示を出しながら魔術師も複雑な気分になる。シドは闇妖精の血ゆえ魔力が高いのは確かだがそれを差し引いても優秀な生徒であるのだ。頭の回転も早く、普段ならこの程度の作業でこれ程戸惑ったりはしない。人前と言う事もあろうが、やはり余程蛞蝓が嫌なのだろう。
 さらに三つばかり助言を与え、漸くの事で魔法薬が全て完成した。

 すっと、控えていた魔術師が進み出る。丁度、竃に入れる前の焼き物にも似た塊を前に杖をかざし静かに呪文を唱える。魔法言語を知らぬ者の耳にも流麗な美しい音色が響き、緻密な籠がぱっくり割れてただの土塊となり、中から地を這う虫が姿を現わした。
「うええええええ…」
「やはり、私がしましょうか?」
「おいおい坊主、先生に汚い仕事押し付けようってのかい?」
「外野うるせえよ!俺も男だ、やると言ったらやる!」
 決意の背中にひゅうひゅうと無責任な口笛まで飛んで来る。腸煮えくり返る思いだが、実際師匠にあんな気色の悪い虫を触らせたくない。
 一度大きく深呼吸して、大股で虫の群れへと歩み寄る。…無意識に息を止めて。
 大振りの升で連中を掬い取ろうと、ずいっと右手を突き出した。

 ぴちゃ。
「…ひいいいいいい!!!」
 丸々と肥えた蛞蝓が、どういう訳か音を立てて高く跳ねる。
「よ!生きがいいじゃねえか!」
 完全に硬直したシドを、男達が盛んにはやし立てる。魔術師としては全く見ていられない。
「もう無理です!替わりましょう!」
「い、い…」
 蚊の鳴く様な拒絶の声が返って。油の切れた機械人形もかくやの哀れな動きで、升がぬめりの山へと突っ込まれ、山盛りの…本来の分量より少し(かなり)多い…蛞蝓を、瓶の中に放り込む。予め満たしてあった粘度の高い魔法液に驚いたか蛞蝓どもが頻りにもがき、びたりびとりと不快の音が絶え間無く響く。そこへ、ぶるぶると遠目にも震えて見える腕を入れ、かの生き物をねとりとした液で洗い清める。これを忘れてはまるで異なる化け物が出来るやも知れぬから、とにかく必死で両手を動かすが、皮手袋は粘液は防いでもあのぐにゃりとした感触だけは防げない。もう、シドは瞬きも出来ぬ痛々しさ。
 師匠の魔術師の顔は白を通り越して全く真っ青、流石のラグーも軽口を止めた。

 暫しの間が…実際はほんの数分の事だろうが、その場の誰にも随分長く感じられた…過ぎ、シドがふらふらと立ち上がる。さっと、魔術師が水の入った盥とざるとを差し出し、弟子はかくかくとした動きで蛞蝓に付いた薬液を再び取り去る。心配そうに、それこそ泣きそうな顔の師匠の見守る中、ざるで掬って空の瓶に空け、そこに充分冷めた黄色の煙の魔法薬…癒合薬…を柄の長い柄杓で注ぎ込む。じゅっと言う鋭い音と猛烈な煙、続いて無数の小鬼の泣きわめく様な奇妙なざわめきが暫く続き…そして静寂が訪れた。

 森閑とした屋内に、誰かが唾を飲む音がやけに響く。かすかにたなびく煙が細く細くなり完全に消え。
 かたり。…瓶が揺れた。

 ず。ずず。ずずず。何か引き摺る様な不吉な音が始まり。瓶の口から、にょろり。
「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!」
 少年の口から何か悲鳴とおぼしき意味不明の音が漏れる。が、今度ばかりは坑夫達も大きく驚愕。
「すげえ…」
「確かに化け蛞蝓だ」
「少し小せえがな…」
 瓶から首だけ出したその生き物は、ぐにゃりとした足を盛んにひらひらと波打たせ、辺りを伺う様に頻りにきょろきょろ頭を動かす。食べ物を探してか、元の蛞蝓とは異なる大きく開いた丸い口が忙しなく開閉を繰り返す。…これはシドならずともおぞましい。
「ご苦労様です、後は私が…」
 さっと魔術師が手を伸ばすが、また少年が制止する。
「だって、シド…」
 少年の眼は開き過ぎて傍目に分かるほど乾いており、既に涙どころか鼻水まで垂れかけている状況。もはや声も出せず、意を伝えるにも下手な作りのゴーレムの様にのろのろと首を振るばかり。
「やらせてやんな、先生よ」
「ラグーさん…」
「本物になるためにはよ、誰だって越えなきゃなんねえ壁があるって事さ。…これも終いまでやればよ、坊主の自信になると俺は思うぜ?」
「それはそうでしょうが…」
 辛そうに見つめる師匠の眼の前で、引き吊り切った表情で酷く暴れる生き物を両手で掴んで大きな瓶へと運び込み、今度は黒い煙の魔法薬を注ぎ込む。今度はぼん!と鈍い破裂音が響き、丸い煙が瞬時噴き出して消えた。
 ややあって、先刻より気のせいか大きくずずっと音が聞こえ。…にゅうっ!と。
「おお…」
 今度こそ恐ろしく大きい、まさしく『巨大』蛞蝓と呼ぶに相応しき、三尺はあろうかと言うぬめぬめとした幻獣が姿を現わしたのである。

 ふら〜っと、シドの身体が力無く傾く。魔術師が慌てて手を差し伸べるが、少年は眼を見開いたまま気絶していた。
「あの…後はもう、よろしいでしょうか?」
「仕方ねえな…」
 ラグーは苦笑しながら椅子にかけ直す。
(坊主、無理しやがって…)
 実の所、ラグーや坑夫達がシドへの態度を変えた真の理由は、その意外で笑える弱点を掴んだためでは無い。むしろシドの師匠を想う、健気とも言える真摯さに心打たれた故だったのだ。

 もっとも。…師匠に丁寧に介抱されて眠り込んでいる少年は知る由も無かったが。

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(C)獅子牙龍児
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