思わぬ暗転


 素体とするべき蛞蝓の数にも限度があり、また余りに魔物の数が多くても厄介である。ただでさえ巨大蛞蝓は異様なる繁殖力を持ち…何せ、個体各々が両性を持ち、都合により雌としても雄としても振る舞えるのだから…しかも場所が悪ければ成長も恐ろしく早く、凄まじい勢いで増えるのだ。シドが眼を回している間にラグー達とも良く話し合い、結局三匹を送り込む算段がまとまった。

 白き髪の魔術師の笑顔は相変わらず、送り込む『出口』となる小型の魔法の工芸品をラグーに手渡す時も終始にこやかだった。もっとも、彼の苦労人の弟子はそれが気に食わない。神代(じんよ)に製された宝物でこそないが実用的な価値は充分、貴族や裕福な商人達の中には入手に驚く程の金子を積む者も少なくない代物なのだ。師匠も一応、出来れば返して下さいとは言っているが、多分どさくさの内に紛失してしまうだろう。彼らしいと言えば全くその通りだが、儀式に三日もかかる品物をそうやすやすと渡して欲しくない。
(せめて、勿体ぶって見せてもいいのにさ)
 第一、蛞蝓などを運ぶのに使って良い品では全く無い。断固として無い。
 とは言え。協力者に平の坑夫しか無い今、また魔術師達がこっそり中に偲び込むのも危険な坑道と言う特殊な場所ゆえ、誰にも怪しまれずに運ぶに手段は選べないのだ。
「巨大蛞蝓を出現させても比較的問題の少ない場所に、この『扉』を固定して下さい。なるべく人気の少ない時間に、この小屋の三体をこの『扉』へ送り込みます」
「そうか…いや、助かった」
 にい、と髭だらけの顔をくしゃくしゃにして笑う。初めの印象と異なり、良く笑う気の良い男である。昨夜はあの後問われもしないのに子どもが三人いる事を喋ってもいたが、親馬鹿でもあるのだろう。だが、魔術師の傍に律儀にぴったり控えている弟子を見てその笑みが少々変質した。
「なあ?坊主も偉かったな!」
「坊主坊主って言うな!」
 『偉かった』の語もかちんと来たようで、シドがむきになって怒る。
「おっと!おめえ、知らねえのか?大人ってモンは若く見られて喜ぶモンだぜ?」
「う…」
 微笑ましいやり取り。白い髪の魔術師は穏やかな笑顔を浮かべて眺めていた。今回の仕事も、無事済みそうだと。
 …だが、その期待は見事に裏切られるのであった。



 ラグーは全く胆を潰した。
 豪胆で知られる男で、鶴嘴だけを得物にゴブリンの群れを撃退した事もある程。勿論、鉱山の事なら何でも知っている自負もある。そして監督やら金持ちやらにも手加減しない事が矜持であった。
 だが、彼とて全く未知の世界がある事を今日初めて知った。

「突然、申し訳ありません。緊急との事でしたので」
 坑夫達が集まって、まさに話題に上っていた魔術師が、何をしていたのか土があちこちについた粗末な上っ張りの腕捲りもそのままに、坑夫達とバトラー老人の集まるただ中にいきなり現われたのである。
 何でも、廃坑の探索などをしていたらしい。魔術師本人の弁に依れば別に堀り残しを期待しての事ではなく、珍しい土やら地層やら、さらには坑道の工法など、ラグー達にして見れば呆れるより他ないが魔術師には実に興味深き事柄らしい。そんな中に坑夫達の送った火急の使者が来るのを認めて、それこそ貴重な馬を潰す勢いで駈けて来るのを見て全く取るも取り合えず魔法で駆けつけた次第。何でも『瞬間移動』とか言うらしい。
 土の研究など浮世離れしたこの魔術師には全くもって相応しいが、報酬を得たら余計な事態の起こる前にさっさと退散するのが商売の鉄則の筈である。それだけに生意気だが現実的な弟子の方は不満たらたらと言った風情。
「えらい魔力使うんだぞ!感謝しろよ!」
 相変わらず生意気な弟子を叱りつつ、着の身着のままである事や驚かせた事を頻りに詫びる。その恐縮した様子と魔術師らしからぬ庶民的な衣装が坑夫達に落ち着きを取り戻させた。

「その…例の鉱山(やま)でな、まずい事が起きてな」
「まさか…どなたか亡くなられたのですか!?」
「いや、死人は出ていない」
「…変な所に『扉』置いたんじゃねえの?一般人てのはさ、馬鹿で魔法ってモンが理解出来ないから…」
「シド」
 眼鏡の魔術師が一度白い眉を吊り上げれば根が素直なシドはたちまち黙る。だが驚いた事に、ラグーはシドに向かって頭を下げたのだ。
「済まねえ…坊主の言う通りだ」
「ええ!?」
 驚く二人の前に、バトラー老人が割って入る。
「いや、ラグーを責めんで下され。事情がありましてな…」
 …予想外の事件が起こったのだ。


 ラグー達は指示を忠実に守り、目立たない場所に正しく『扉』を据えた。だが欲深な人間が、何やら不審の作業を行っていたラグー達に気が付いて、収穫があったのかと早合点しこっそり辺りを探ったのである。当然何も出で来る筈も無く…しかし執念深いその男、例の『扉』を見つけてしまったのだ。

「それではまさか…その人の家に巨大蛞蝓が…」
「それならそれでいい気味さ」
 ラグーが暗く口を挟む。
「そいつはアレを護符だろうと思ったらしい」
 確かに、複雑な模様の入った小ぶりの形状、神殿の入り口付近で良く売られる、何かのお守りにも見えなくも無い。
「そこで普通の人間ならよ、他人の護符なんぞに触ったらいけねえってんで、すぐ戻すだろうがよ…奴さん、宝石の類じゃねえって事に腹を立ててよ、せめて俺達に意趣返ししてやろうって考えた訳さ」
「何だよ!ただの逆恨みじゃねえか!」
「壊されてしまったのですか?」
 少し驚いて魔術師も問う。鉱山で使うと言う事も考えて、特別誂えの金属性の物を用意した。金槌で叩いた位ではびくともしないし、また移送の儀式の際にも扉の異常は感知できなかったが…
「壊そうとしたが、壊れなかった。…そしたらあの野郎、頭に来たのかアレをわざわざ別な坑道に運び込んでよ、選りにも選って水たまりの中にぶち込みやがった!」
「何ですって…!」
 巨大蛞蝓は水中で溺れぬばかりか、異常な早さで増殖する。
 …あの使者が、あれほど焦っていた理由が今、判った。

「坑道は!?巨大蛞蝓は今どれほど増えています!?」
「一本は連中の掘った穴で水浸しだ。溺れる程じゃねえが、あそこまで濡れりゃあな…数は、もう分からねえ」
「今は坑夫達も皆避難しておりましてな、お嬢様もついそこまでお越しになられたが、今すぐにはどうにも入れぬ有様」
「そんな…ミュリアの神よ…」
 ほとんど無意識に、智恵の神に祈りを捧げていた。…事も無げに瞬間移動の呪文を唱える魔術師を以ってしても、神にすがらざるを得ない事態。一同にもそれは判っていた。
 だが。
「頼む!全部俺達のしくじりのせいだが、俺達の鉱山(やま)を助けてくれ…そして姫様に宿願を、誓約を果たさせてくれ!頼む!」
「おい!この期に及んでたかが誓約なんざに…」
「たかがでは無い!お嬢様の全てがかかっておるのじゃ!」
 バトラー老人も必死である。

 先日、老人が話しかけた『事情』、そして誓約を成すための厳しい期限。それは全て数日後に控えた、ある『行事』に係っていたのだ。


「結婚!?」
「左様で…」
 頓狂な声を上げるシドに、老人が「お恥ずかしい事で」と恐縮しながら続ける。

 老人は最初からシドの素顔を知っているのだが、特に気にする素振りは無い。偏見が無いと言うより予備知識が…特に闇い世界に関するものが…無さ過ぎるのだ。貴人に仕える職にあるまじき事だが、伯爵家は代々無欲な人間が多く、中央の陰謀渦巻く政治を嫌ってわざわざ田舎に引っ込んだそうだから、そんな人物でも勤まるのだろう。
(けど、だからこう言うもめ事が起こるんだろうなあ)
 世間知らずが困窮するのは構わないが、巻き込まれるのは堪ったものじゃない。
 …もっとも、シドの思いを知ってか知らずか、彼の師匠は少しも迷惑がらずに真摯に話を聞いている。
「つまり、姫君は急な結婚話に動揺して、誓約を立てて取り合えず延期しようとしたのに、先方が式の日取りを決めてしまったと」
「ええ、ええ、何と言っても公爵家の言ともなれば疎かにも出来ず、かと言ってお嬢様の誓約の件、先方に伝えるのも…」
「まるで、結婚を厭うての行為と取られかねない、と」
(まるで、じゃなくてそのものじゃん)
 貴族の、特に女性は結婚が早く、時には十二かそこらで嫁ぐ場合もあるそうだ。無論恋愛では無く純然たる政略の儀、ために悲劇も多々起きる。もっとも平民のシドにして見れば、贅沢な暮らしを享受する当然の代償だと思うし、例の令嬢は十六歳だから無情に早過ぎるとも思えない。
(感じから言って、他に好きな奴がいるってんでも無さそうだし…遊び足りないってな事だろうな)
 だとしたら迷惑な話だ。
「そもそもこの縁談、辱くも公爵家御当主から直々にお話がございまして。こちらの事情がうかつに漏れますれば、我が伯爵家にとっても一大事…」
 もしも公爵家が侮辱されたと捉え、王に直訴でもしたら…断絶の憂き目にもあいかねない。
 かと言って、誓約を諦めたとしたら。誓約の証人となった人間達には口止め料も支払っているが、かと言って誓約そのものが無くなる訳では無い。バトラー老人によると、誓約破棄が露見すれば強制的に勘当され、貴族としての身分も財産も全て没収されるのだと言う。
 …つまり、秘密裏に誓約を成就するしか無いと言う事だ。

「その…報酬は幾らでも出しますぞ!」
 そう言う老人の顔がわずかに苦悩に歪んだ。…元々、前金にしても既に受け取った幻獣造りの報酬も破格に多額、考えて見れば伯爵位とは言え片田舎の貴族、強欲に領民から搾取する様にも見えぬから相当の無理をしての金額だろう。この上の出費はかなりの痛手だろう…
 シドは、はたと思った。自分でも思わず同情する位だ、少年の知る限り世界一のお人好しのあの人が何と言うか…釘を刺そうとしたが。
「いや、バトラー様それはいけねえよ」
 制したのはラグーだった。

「な、何を言うのだ…」
「違うんだよバトラー様…つまり、こう言う事さ」
 どさり、卓上に持ち出したのは馬鹿に大きな袋が三つ。口紐を解くと…大量の銅貨が溢れて散らばって、赤銅色の海を築いて行く。
 シドは驚きながらも半ば無意識に、硬貨の山を検分する。かつて裏街道に身を置く時代もあったのだ、偽金を見分けるなど朝飯前。だが、銅貨と銅貨がぶつかる度に立てる音、王国の誇る純度の高い銅の証、どの硬貨も刻印もくたびれて薄汚れているが、ために明らかに真実の通貨と知れる。
 そして。…幾ら大人数で出し合ったとは言え、貧しい坑夫にこれ程の額、どれ程の苦渋があっただろうか。
「これで姫様を助けて、化け蛞蝓どもを倒して欲しい」
 誇り高い鉱山の男が、深々と頭を下げた。

「分かりました。退治の仕事、承りましょう」
 静かな、それでいて曇りの無い魔術師の返答。シドとしては複雑だが…何せ、命懸けの仕事になるのだ…確かにあれ程までの覚悟を見せられては後に引けない。
「でも、こちらのお金、まだ取って置いて下さいね」
「お、おい…」
「お師匠!」
 驚きと不満の声は笑顔で制して。真顔になる。
「事の次第が露見すれば、私としても鉱山に大損害を与えたとして重罪は免れないでしょう」
 そうだ。依頼があっての事とは言え、実際に巨大蛞蝓を造って送り込んだのは白き髪の魔術師なのだ。
「その意味では、この件は私自身の問題でもあります。それに、安易に『扉』を用いて遠方より移送した事も誤りでした」
「誤りって!他に方法なんかねえだろ!」
 事情を知る者はラグーを始め平の坑夫ばかり。監督など上層の協力を得ずに鉱山に害ある魔物を運び込む事などまず不可能のはず。
「例えば…私が監督の方に賄賂を贈る、とか」
「何で師匠が!」
 言いながらも一理ある。技能ありと言うより世渡りの腕で地位を得た者が多いのだ、当座の自分の事しか考えない。金銭を受け取れば何でも承諾するだろう…相当の額が必要だろうが。
「でも今となっては手遅れです。…せめて、私の出来得る限りの力を尽くしたいと思います。報酬など、その後で構いません」
(…つまり、先延ばしにしといて『踏み倒す』って訳かよ…)
 今度こそ、お人好しに過ぎる師匠にきっちり言おうと、した。

「シド、貴方は先に帰ってなさい」
「ええ!?」
 用意した文句など一気に霧散。
「ちょっと待ってくれよ、お師匠!何でそうなるんだよ!」
「だって、相手は巨大蛞蝓ですよ?シドには荷が重過ぎます」
「坊主、白目剥いてたしな」
「う、うるせえよ!」
 ラグーの茶々に記憶が蘇りおぞけが走る。シドだって好んであんな物を退治したい訳では無い。
「だけどさ!お師匠だって身体丈夫じゃねえんだ!あんな薄暗い孔ン中であんな化け物と一人で戦うなんて無茶にも程があるぜ!」
「一人ではありません。武芸の姫君もおられます」
「俺も行く。鉱山(やま)の事なら餓鬼の頃から知ってるからな。ゴブリンだって倒した事があるんだぜ」
「わ、儂も勿論行きますぞ!た、多少は槍術を心得ておりましてな…」
 ラグーとバトラーも身を乗り出す。
「ですからシド…」
「何言ってんだよ!相手何匹いるか分かんねえってのに!一人でも多い方がいい!俺行く!絶対行く!」
 …暫く魔術師は困った様な顔でシドを見つめて。どうやら翻意は無理らしいと悟ると再び前へと向き直る。
「仕方ありませんね。…それで、退治の準備がありますので一旦家へ戻りますが、何時にどちらに参ればよろしいでしょうか?」
 なし崩しに事務的な話し合いが始まって。
 …気が付くと、報酬の件はうやむやのまま解散となってしまった。
(お師匠と来たら…)
 見習い魔術師の少年が天を仰いで嘆息したのは言うまでもない。

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(C)獅子牙龍児
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