鋼の乙女


 鉱山から魔術師の住居までは馬車でも半日近くかかるのだが、瞬間移動の奥義も極めた魔術師に取っては隣近所も同じ事。ただ、相手が無数の巨大蛞蝓ともなれば支度に時間もかかろうと言うもの。結局、師弟が指定の場所に辿り付いたのは朝も大分過ぎた時分であった。

「遅いでは無いか!」
(いきなりかよ…)
 部屋に足を踏み入れた途端、頭ごなしに低く怒鳴り付けられる。主を拝んでやろうと顔を上げるが、おやっと思う。
 爛爛とした眼で睨み付けるその人物、物腰や装備の充実から言って例の娘であろうが、蘇芳がかった栗色の髪が首筋辺りで見事に短く切り揃えてある。隠密に、と言う事で男装しているとは聞いていたが、何も髪まで切らずとも…と思わぬでも無い。
 近頃の軽薄な流行も預かって、上流の人間は男でも好んで髪を長く延ばす。女の様に結う訳ではないが、大きな街ともなれば男用の鬢油売りなど珍しくは無いし、髪飾りすら並べる店があるのだ。現にシドの師匠の白い髪も背中の中程まであって、風になびく所など勿体ない程奇麗に見える。…もっとも女性の気を引く甲斐性も無く、どうやら無精で切らずにいるらしいが…

「至急、と伝えた筈だぞ!今現に、鉱山は一刻を争う事態となっているのだ!」
 怒りの勢いそのまま、ずかずかと師弟の側まで歩いて来る。重量のある板金鎧に身を包みながらも大股で力のある足運び…想像以上の鍛練が伺え、また男を装う技もなかなかだが。
(素人だよなあ…)
 シドの眼は鋭く少女の様子を探り見る。

 声音はかなり低く口調にも破綻は無いが、無理に喉から絞り出すためか苦しげな様子が幾らか混じる。鎧越しにも小柄で細い体つきは見て取れるし、わざわざ短く仕立てた髪形も切り口が揃い過ぎて如何にも『切り立て』の風に見えてしまう。背筋を反らした様子や腕を大きく振る様は確かに男らしいが、本当の男はそこまで力む事は無い。…もっとも、気負いばかり先に立つ未熟な騎士にはそんな手合いが良くいるが。
 何より、鎧で隠せぬ部分…上流には珍しく肉桂色の肌ではあるが丸みを帯びた輪郭は明らかに少女の物、眼のある人間が見れば人目で見抜く。眉が剃りも入れずいささかはっきりし過ぎて、しかも吊り気味なのも猫に似た眼と相俟って勇壮とは見えず、むしろ肌の色との調和で独自の印象を生み出している。
 とても好きにはなれぬが、バトラー老人の言う通り、美人であるのは間違い無い。

「申し訳ございません。何でも無数の巨大蛞蝓が突如発生したとか…私にも初めての経験ですので、念には念を入れて支度をしておりました故」
 深く深く腰を折り、淀み無く弁明する。…清廉な人物だが、潔癖一辺倒では無く必要とあれば見事に嘘もつけるのだ。そんな、清濁合わせ飲む師匠の人柄が好きで師事しているのだが、今度の事件の元凶は間違い無く眼の前の尊大な娘である。そんな相手に師匠が嘘でも謝罪するなど、正直言って腹立たしい。
 結局男装の剣士は労いの言葉一つ発せずに、宿を離れ鉱山へ向かうと宣言したのだった。

 だが、悪い事は重なるものだ…


 監督や役人やら、鉱山の上部の者が集まる詰所が妙に騒がしい。どうも嫌な予感がして、皆足を早めたのだが。
 …役人達の集まる中に、一人見知らぬ男が立っていた。

 背が少し高く、やや細身だが粗末な衣服の端から鍛えた筋肉が覗き、簡素ながら急所を守る部分鎧を身に付け、大振りの長剣を背負う所を見ると流れの戦士らしい。髪は肩より少し下、全く無造作に伸ばしたままで束ねもせず、元は金髪だったらしいが汗か汚れか所々濃い色に変わり、もはやまだら髪と言うしかない。
 男と話をしていたらしい監督官が、一行の来訪に気付いて慌てて立ち上がる。
「これはこれはアスラン様…」
 『アスラン』と言うのは少女の偽名なのだろう。そう言えば、自己紹介すら受けていなかった。師弟が事情を知る事は伏せてあるから、結局その偽名しか告げられぬだろうが…
 監督官の様子がおかしい。頻りに汗を吹き吹き愛想笑いを浮かべておどおどと戦士と一同とを今交互に見る。その戦士が不意に振り返って、一同を認めてにいと笑う。…若い。
 年の頃は二十程、顔立ちも戦士にしては整っている。だが、殊の外歯を剥き出してのにやにや笑い、質の良い者とは思えない。当面の酒と女のために荒稼ぎする、ごろつきの類だろう…そうシドは判断した。
 多分、より潔癖そうな男装の少女もそう評したのだろう、あからさまに不快な顔で口を開く。
「そこをどいてもらおうか!…我々はそちらの監督方と真剣な話があるのだ」
「へえ?あんたも、かい?」
「な…!」
 思わず絶句。…悪い予感が的中した。


 下卑た顔立ちの監督官が愛想笑いに手揉みをしながら言う事には、たった今、この戦士が蛞蝓退治を引き受けたとの由。それも一人で充分と宣言したのだと言う。
「悪いが、そちらの若い貴族の坊ちゃんには無理だと思うぜ?どうせ、甘ちゃんがちょいと図に乗って力試しを思い付いたんだろうが…」
「無礼な!私は既に剣技も一通り修めた!怪物についても良く学んでいる!」
「あーあー、その自信が危ないんだよなア、大体あんた、お忍びらしいが身分もあるんだろ?そんなおヒトに怪我でもされちゃ、色々と迷惑なんだよ」
「何…だと?」
「そのう…こうしたら如何がでしょう?まずこちらの戦士殿にお任せして、そして戦士殿にも手に負えぬ、となったら騎士殿にも助太刀を…」
「それでは困るのだ!」
 思わず少女も立場を忘れて大声で叫ぶ。…厄介な事になったものだ。


 幾ら少女が抗議しても、戦士も監督官も譲らない。良くある話だが、ラグー達の話によればこの監督官は上に媚びへつらい下には横柄の典型的な卑劣漢、そして役人の例に漏れず事勿れ主義であると言う。彼にとって、恐らく背後に控えているであろう、『アスラン』の実家の怒りを買う事だけは絶対に避けたいのだ。
 男は一人で充分だと言い、少女は無論断固として譲らず、しかし監督官は既に話を付けてしまったから等と言って男の肩を持ち…話は平行線のまま、一向に決着が付かない。

 昼近くになっても結論が出ない事を見かねて、眼鏡の魔術師が控え目に提案した。
「如何がでしょう?こちらの戦士の方にも御同行願うと言うのは…」
 …罪の無い魔術師が、尊大の少女の激しい罵倒を受けたのは言うまでも無い。だが、結局それしか策が無かったのだ。


「貴様のせいだぞ!貴様が刻限に遅れて来るから…朝一番に向かっていれば、あの様な輩と関わらずに済んだ!」
 結局時間が時間と言う事で昼食を取る事となり、本日はあくまで様子見、本格的な討伐は明日と言う事になってしまった。
「…申し訳ございません。かかる上は全力を尽くし、御滞在が少しでも短くなりますよう努力致します」
「当然だ!」
 男装の少女は食事など二の次、手を変え品を変え言葉を変えひたすら魔術師をなじり続けている。特に努めて男言葉を装うから、余計に傍若無人に聞こえて不愉快極まる。
(そもそも誰のせいだと思ってるんだ!)
 シドとしては一発殴って性根を叩き直してやりたいのだが…
「あの、おじょ…いやその若様、魔術師殿をそう責められては…」
「黙れ、お前までこの者の肩を持つのか!」
 バトラーもラグーも怒りの姫を宥めんと必死で努力を続けているのだ。二人とも、魔術師が気分を害して帰ってしまってはと気が気で無いのだろう、その悪戦苦闘ぶりに多少の哀れを覚え、ぐっと我慢。
「大体、魔術師なぞ無用だ!ただただ陽も当らぬ場所に引き籠っているような輩ゆえ、怪物眼にした途端に眼でも回すに違いあるまい!」
 途端、ラグーがパンを喉につまらせ激しくむせる。シドが少々むっとして、睨み付けようとした所、矛先が突然変わった。
「しかも見ろ!弟子だか何だか知らぬが、この様に役に立ちようも無い怪しい『チビ』を…」
「怪しい、『チビ』?」
 それまで穏やかな表情を浮かべていた魔術師の白い眉がぴくりと跳ねる。…実際、シドは今も頭巾と面布で顔を隠しているものだから、確かに怪しい『チビ』には違いない。しかし…
「ひ…いやアスラン様、それは…」
「言葉が過ぎますぞ!」
 バトラーもラグーも、それにシドでさえ焦ったのだが。

「こんな下らぬ者の手助けが入るとは笑止千万、本人の技量もたかが知れておるわ!」
(やばい…!)
 せせら笑う男装の剣士のすぐ前で、魔術師の纏う空気が一変した。

 気の弱い所のある老人は勿論、ラグーも真っ青な顔に冷や汗をかいている。一人、愚かさのためか怒りのためか空気の読めぬ尊大の主ばかり平気な顔で失言を重ねる。
「全く年格好もただの子ども、身体を鍛えた様子も無し、無論魔術など扱えぬだろうしな、全く無用の『小物』…」
 失礼極まる言葉の羅列だが、シドはむしろ少女の身の上が心配になって来た。シドの師匠は…優しき人間の常として…自分を罵倒されるよりも別の人間が矢面に立つ事を嫌うのだ。しかも、魔術師はこの変わり種の弟子を大層大事に育てている。
「のう、小物の師匠殿、何か反論はあるか?」
 嘲りを込めて、男装の剣士。…暫しうつむいたままだった魔術師が、ゆっくりと顔を上げる。その表情に、鈍過ぎる少女を覗く全員が凍り付いた。
 何となるならば…白き髪の眼鏡の魔術師、全く見事に穏やかに、にっこり笑みを浮かべていたからである。

「お言葉ですが、武名高けき『アスラン』様。私と致しましても申し上げたき儀がございます」
(…怒ってる…怒ってるよお師匠〜!)
 本当ににこやかに、雪解け水を湛えた流水の如き滑らかにして慇懃な口調。滅多に無い事だが、この春の野の様な人物は時折静かに静かに激高するのだ。大体、偽名と知りながらわざわざ名で、しかもさり気なく強調して呼びかける辺り、常の魔術師からは考えられない嫌味である。やはり偽りの名前が馴染まぬのか、少女が少し動揺した。
「な、何だ?」
「魔術師は無用だ、剣こそ力とのお話ではありますが、さてそれならば何故かの戦士をあれほど厭われたのでございましょう?」
「そ、それは…その…」
 無論、その理由は分かっている。それでも業と問う辺り…
(うへえ…お師匠も時々えげつないよなあ…)
「素性の知れぬのは確かですがあの戦士の装備、簡素ながら実用的、長く愛用したと見えて良き具合に摩耗しておりました。相当の強者と思われますが」
「装備など…装備ならば私の鎧こそ、余程に…」
「そうですね、見事な『軽量』の魔法が付与されていますゆえ腕力も要せぬ便利の品でございましょう」
「ぐっ…!」
 にこやかに、あくまでにこやかに。笑みは時に刃よりも鋭い。

 白き髪の魔術師は、笑顔で剣士の不自然な点を列挙する。…シドでさえ、同情する程に。もっとも少女も満更愚かと言う訳では無いようで、からかわれた点こそ自分の男装の手落ちと気付いた模様である。その後坑夫達の案内で、鉱山の入り口や坑道のあらまし、化け物の出た場所などの打ち合わせの際にはぐっとおとなしくなっていた。
 が、相変わらず少女の魔術師全般への不信は強いと見え、眼鏡の魔術師の発言の度に露骨に不快の様子を示す。
(先が思いやられるぜ…)
 明日から命懸けの討伐だと言うのに。
 …実際、その不安は取り越し苦労とはならなかった…

<<戻 進>>


>>「にょろにょろ尽し」目次に戻る

(C)獅子牙龍児
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送